アラブ マイ ラブ
 

【フランスのアラブ人学生たち(2)】
 

さてクラスの優秀な生徒は前回述べた通り、大概がトルコ人たちだった。それでは僕のクラスの劣等生の方はというと、それは大概アラブ系、及び新規改宗者たちだった。
 
まずクラス最年長50代くらいのアルジェリア人、Qおじさんが最初の1ヶ月で脱落した。マルセイユに自分の会社を持つ裕福な人だが、熱心さが空回りしていたようだった。彼は若い同級生たちとは付き合わず、いつも部屋で一人コンピューターのアラビア語学習ソフトで勉強していた。彼は自分の手法に絶対の自信を持っていたようだが、思ったように実力がつかなかった。

また同時期にフランス人改宗者Tとイタリア系フランス人改宗者Hが脱落。静かに姿を消した。そして前期終了後にモロッコ系フランス人Fが行方をくらまし、イタリア人改宗者Mが成績不良と出席不足により放校。
 
アルジェリア系フランス人のAとFは後期試験を放棄して落第。
結局最後までクラスの男子で残ったのは成績優秀なトルコ人2人と僕とアルジェリア系フランス人R、Hの5人のみ。女性は落第するほどの学生はいなかったが、フランス人改宗者Sはその中で大変な困難を見出していた。
 
最後まで残ったアルジェリア人Hはクラス一の劣等生だった。彼は成績が悪い割にはとてもマイペースで、焦りやプレッシャーなど感じられないほど悠々としており、しかも勉強しているところを見ることが殆どなかった。1度は50点満点のテストで2点しか取れないこともあったが、草むらでノンビリ昼寝したり町に出て喫茶店でコーヒーを飲む彼のゆったりとしたライフスタイルは変わらなかった。もし僕が彼の立場だったらショックで自主退学すら考えかねないところだが…。

Hは既に30歳を越しており、フランス籍を有していなかった。個性的なクラスメートの面々の中でもピカ一に個性的で、何が個性的かというとまず見た目が非常に個性的だった。中背だががっしりした体格で、大きく立派な頭部にカールした長髪の黒髪。毛深い顔。ガゼルのように大きな、長いまつげに覆われたちょっと女性的な趣のある、いかにもアラブ的な巨大な眼。鼻も口も、顔の具が全部大きい。顔のつくり的にアラブ版コロッケ(あの物真似の)といった印象で、とても味のある顔だ。愛嬌があるようで、見ようによっては凄みもある。イタリア人の友人は彼を「イタリアのマフィア」呼ばわりしていたが、一方で山男のような垢抜けない雰囲気もあった。

いつも教室の後方部に陣取り、あまり授業に参加する様子がない。それでも座っているだけで強烈な存在感がある。勉強嫌いで、自然が好き。ルームメートによれば睡眠時間が異常に多かったという。しかしその一方サービス精神が旺盛でユーモアがあり人当たりもよく、給食配給の手伝いや愛車ルノー5を使っての学生たちの送迎、アザーン(礼拝の呼びかけ)、子供たちの面倒などの奉仕行為においてはとても積極的だった。それで勉強が苦手であっても先生は彼を余り責めなかったし、勉強以外の面では皆が彼のお世話になっていたので学生たちからも重宝がられていた。

彼はとても結婚願望が強かったが、学校の女子生徒の何人かにアタックして撃沈されていた。「オレはアタマも顔もわりぃしカネもねぇから、誰も結婚したがらねぇんだあ。」と笑って言っていたが、実際皆から「いい人」とは思われているものの、結婚対象となると別問題らしかった。彼にはここで結婚して国籍をゲットし、混乱の続く祖国を逃れて落ち着きたいという願いもきっとあったのだろう。
劣等生でも、女の子からフラれても、何事も気にしない呑気者のように思っていたH。ある時、そんな彼の意外な一面を目の当たりにした。

それは前期の成績発表が掲示板に張り出された日のこと。
成績の優秀な者も悪い者も、全学生の全教科の成績が白日の下に晒された。これは思わしくない成績をとった者たちにとっては恥辱的な仕打ちだった。生徒の感情を無視した、デリカシーの無い余りに配慮を欠いた行為。最下位でしかもかなり悪い成績を取ったHも、その辱めを受けた者たちのうちの筆頭だった。

かつこの日は、勉強がそこそこ出来たはずのモロッコ系フランス人のFまでもが突然姿を消した日でもあった。次々とクラスメートの男子が脱落していく中でのダメ押しだった。その前夜彼は前触れもなく僕を訪れ、僕のことをやけに褒め称え励ました後アドレスを残して出て行ったのだが、それはこの日の別れのためだったのだ。変わり者で詩人肌、努力家でもあったが、なかなか先生に認められず口惜しい思いをしていたに違いない。彼の脱落は特にアラブ系のクラスメートたちにとって衝撃的だった。
その夜のモスクでの礼拝時、僕の隣にはHがいた。

モスクは電灯が少なく仄暗いが、彼がいつもの緑色のスタジャン姿であるのは分かった。季節は3月末。まだ寒く、彼は風邪を引いていた様だった。盛んに鼻水をすすっていたが、その溢れ出る量たるや留まる事を知らない。そのうちスタジャンの両袖で鼻水を拭き始めた。おいおい汚ねぇなあ!もう両袖が乾いた場所も見つからないほどグジャグジャになってるんじゃないだろうか。
しかし暫くして様子がおかしいことに気づき始めた。
彼は音もなく泣いていたのだった。

彼が泣く?この何も気にしない呑気な男が?誰がこのヒゲモジャの逞しい大人の男が、こんなにも弱々しくさめざめと涙を流すのを想像しただろう。
礼拝が終わっても彼は座り込んだまま顔を伏せ、声も出さずにいつまでも涙をボロボロ流していた。殆どの学生はそんな彼に気づかぬままモスクを出て行った。彼の心はひどく傷ついていたのだ。成績のこと、姿を消したFのこと、その他にも色々積もり積もったことがあったのだろう。この泣いている男が誰か他の人だったらそれほどでもなかったに違いない。しかしHにこのように泣かれると、なぜか狂おしいほど心が痛むのだった。かと言ってどう慰めていいかも分からない。僕も彼の隣でただもらい涙を流すだけだった。モスクには僕ら2人の他に、そこで自習しているオーストリア人が1人残っているだけだった。

その翌日、彼に「泣くんでねぇ、おめえが泣くとオレまで哀しくなっぺえ。」と言うと、彼は恥ずかしがって、自分はただFがいなくなったことが悲しかっただけで、成績がどうこうというわけではなかったんだ、と言い訳をした。そして彼は「昨夜おめえの夢を見た。」と言った。「オレたちが2人で礼拝をしてたんだけど、おめえがイマームになって礼拝を導いていたんだ。」と。

Hは結局どうしたものか、その年の進級に合格した。勉強以外の面での大きな酌量があったに違いない。彼とは4年間ずっと会っていないが、いまだに時々彼の存在が記憶の淵から蘇り、僕をどうしても彼と会いたいという気分にかきたてる。彼だけではなく、フランスで短い時間を一緒に過ごしたクラスメートたちほど僕の印象に残っている人たちはいない。彼らの強烈な個性と、そこで繰り広げられた様々な出来事、ブルゴーニュの美しい自然などが互いに相絡まり、甘美で消えることの無い思い出になっているのである。次号に続く…。 でやれやれ、とそちらを振り向くと…ガーン!!真っ白い肌に青い眼で整然とした顔立ちの、それこそフランス人形のような物凄い美少女だった。声と容姿の余りのギャップも驚きに拍車をかけた。急いで前に向き直った。余り綺麗なものは時と場合によっては毒にもなりうる。次号に続く…


執筆:サイード佐藤
アラブ イスラーム学院 卒業生


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