アラブ マイ ラブ
 

【フランスのアラブ人学生たち(1)】
 

僕は2000年の夏から約1年間、フランスのシャトーシノンという小村にあるアラビア語とイスラーム学問を学ぶための学校に通っていたことがある。この学校のコンセプトは、西欧諸国に住むイスラーム教徒移民子息の宗教的素養育成である。本来アラビア語はアラブの国で学ぶのが正道だが、いかんせんアラブ留学の機会が見つからず、そんな折フランス在住の友人からここを紹介されたのだった。

シャトーシノンはフランス中部、風光明媚なブルゴーニュ地方中心部に位置する小さい町である。なだらかな丘陵地帯では牧畜や小麦の栽培などが行われており、見渡す限り広大な豊かな緑の大地。農作地も牧草地も綺麗に区画立てられているのでとても整然とし、清潔感がある。よく手入れされた緑の牧草地帯に白い羊や茶色の牛が点在している様子は、非常にメルヘンチック。このような環境は、そこで暮らす人々の心にも少なからぬ影響を与えるに違いない。木洩れ日と草花の緑、雄大かつのどかな風景。ゆっくりと平安に流れる時間。そよ風、雨音、家畜の鳴き声。夢見がちで想像力豊かな、理想追求型の人間が生まれそうな気がする。尚ミッテラン前大統領はこの町の町長を務めていた経歴があり、ささやかな規模の「ミッテラン博物館」も存在する。

この学校に入った当初僕はクルアーンを少々暗記していただけで、アラビア語の知識は無いに等しかった。授業はアラビア語でアラビア語を教える。僕のクラスの担当チュニジア人のB先生は時々助け舟としてフランス語も使うがそれも非常に稀で、しかも近隣のヨーロッパ諸国から来ている学生にはフランス語を解さない者たちも少なからずいる。僕がこのようにアラビア語に関して全くの無知に近い状態で来たのには、それなりのわけがあった。つまり以前僕は全く知らない言語を習うにあたって前準備一切なしで現地に直接飛び、ぶっつけ本番で当地の言語でもって当地の言語を学び、1、2ヶ月で日常会話に困らない程度の会話力を養うことに成功した経験があったのだった。下手に本などを使って独学で下準備すると、却って語学がヘンな風に身についてしまうことが多々ある。まあそんな思惑を持っていた僕も、後にアラビア語がいかに難解な言葉であるかを知ることになるのだが。

僕は2年あるアラビア語コースの内の1年目から始めた。
初めてクラスルームに入ったとき、男女混合だったのでちょっとどぎまぎした。女学生たちは皆ヒジャーブ(髪を覆うスカーフ)をかぶり、教室の後方部に陣取っていた。僕は最初の日皆の前で自己紹介をした後は授業中ほとんど後ろを振り返ることはなかったし、話しかけられる時以外は彼女らと言葉を交わすこともなかった。その時までイスラーム教徒の女性と交渉を持った経験など無かったし、スカーフで頭を覆っていると何か近寄りがたく貴い印象があったので、姿自体見てはいけないような気分に駆られたりしたのだ。それに僕から見るとこちらの女性は皆エキゾチックで魅力的に見えたので、下手に見ない方が勉強に集中するに当たって得策に思えた。

クラスの女学生の大体半数がフランス籍のアルジェリアやモロッコなどのアラブ系移民の子女で、もう半分がドイツなどから来ているトルコ系移民だった。中にはドイツ人やフランス人の改宗イスラーム教徒もいた。クラスの男子は女子より少なめで、アルジェリア系フランス人を筆頭にトルコ系ドイツ人、スイス系トルコ人、モロッコ系フランス人、イタリア系フランス人、フランス人、イタリア人がいた。アラビア語コースの他のクラスにはその他パキスタンやバングラデシュ系のイギリス人、コモロ系やセネガル系やトルコ系のフランス人、オーストリア人、カリブ諸島やラテンアメリカからの学生なんかもいた。いずれにしろ狭義のアジア人は僕のみで、異質の存在だった。

このコースで勉強を始める全学生が、アラビア語を母語としない者たちである。大体彼らは階層的に3つのグループに区分できる。
まずはアラブ系移民。アラブ系といえど移民の中には最早フランス語しか知らない者もいるし、自分の祖国の言葉を知っていたとしても、それはアラビア標準語とは程遠い類のものだったりする。しかしいずれにしろ彼らがアラブであることに間違いはなく、文化的にも言語的にもアラビア語学習という点では大きなアドバンテージを有している。何を言おうと血は争えないのだ。

また、アラブではないがイスラーム教徒として育ち、程度はどうあれクルアーンを小さい頃から朗誦し、宗教的素地を備えてきている者たちがいる。トルコ人、コモロ人、セネガル人、パキスタン人などがそうだ。このような者たちは直接アラビア語を学んでいなかったとしても、これまたアラビア語学習に大きなアドバンテージを有する。彼らの母語には多くのアラビア語の語彙を含んでいることが多く、しかもクルアーンというものは例え意味が分からずとも、それを朗誦していればアラビア語のセンスが自然と身につくものなのである。

残りの少数グループは非アラブのイスラーム新規改宗者である。
自ら納得してこの宗教を選んだ彼らは一概に言って、非常に熱心で真面目で信仰心も強い。しかし悲しいかな、アラビア語や宗教的知識を学ぶ際に最も大きな障害と困難を見出すのが彼らである。一つには彼らには語学的、知識的なアドバンテージが前二者と比較して格段に少ない。そして二つ目には周りと自分との実力と蓄積されている知識の厳然たる格差の前に、大きなプレッシャーと劣等感に襲われなければならないのである。

僕らのクラスはアラビア語コース第1学年の2クラスあるうちの、レベルが下の方だった。普通は入学試験で実力を試されてからクラス振り分けをするが、僕の場合は全くの初心者ということで無条件にそちらに入れられた。最初の内は文字や発音の学習だったので難しいことはなかったが、授業が進むのは早く、暫くすると余裕をかましてはいられなくなった。あっと言う間に学生の実力の差が如実に現れてくる。僕のクラスで一番優秀だったのは男女ともにトルコ人。しかも大体は高校卒業したてくらいの若者たち。一般的に言ってトルコ人は男女ともに努力家で優秀。洗練されていて素行もよく、しかもアラブ人とは違って組織的に動くことが得意だった。そんな彼らは先生たちからも好かれた。また彼らはいつもトルコ人同士で固まっており、時々自分たちだけの会合を持ったりしたので、他の者たちの嫉妬を買ったりすることもあった。

僕は成績的に上の方にいたが、いかんせん彼らにはかなわなかったので内心不満だった。しかしなぜかクラス担当のB先生にはとても好かれ、特別な配慮を受けたり授業中いろいろ「いじられ」たりしたので、アラブ人学生たちからはトルコ人と同様に嫉妬されたりした。どんな「いじられ」方かと言うと、例えばアラビア語の「لطيف (柔和な)」という言葉を説明するにあたり、「それはちょうどサイードのような奴のことを言うんだ。」と冗談を言われたり、何かに付けては「サイードはロマンティストだろ?」とか「サイード、フランスで結婚しちまえ!」とか女性の前では恥ずかしいことを言われ、そのたび教室には笑いが巻き起こるのだった。彼は僕がクラスの女学生たちと恥ずかしがって関わりたがらない事を熟知していた。それゆえわざと僕を彼女たちの方にさし向けて、楽しみたがるのだった。ある時先生に授業の一環で、ある女学生の方を向くように命令された時がある。低いガラガラ声のトルコ系フランス人だ。声は毎日聞いているが、顔はいまだかつて見たことがない。しょうがないのでやれやれ、とそちらを振り向くと…ガーン!!真っ白い肌に青い眼で整然とした顔立ちの、それこそフランス人形のような物凄い美少女だった。声と容姿の余りのギャップも驚きに拍車をかけた。急いで前に向き直った。余り綺麗なものは時と場合によっては毒にもなりうる。次号に続く…


執筆:サイード佐藤
アラブ イスラーム学院 卒業生


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