アラブ マイ ラブ
 

【目のコトバ、耳のコトバ】
 

アラビア語を学ぶ上で気付いたことがある。
アラビア語は音声重視の言葉ということだ。まあこの事はアルファベットなどを用いる全ての表音文字言語にある程度共通することではある。言葉の意味の伝達が、主に舌や喉などの発声器官と耳という聴覚器官をダイレクトに脳に結び付けて行われる。この際視覚を用いることは稀で、喋るときに別に文字を思い浮かべる必要はない。それゆえアラビア語には、文盲であっても雄弁な話し手や優れた詩人などが存在した。

イスラームの預言者ムハンマドも文盲であったが、その説教や演説、普段の言葉遣いにおいても非常に雄弁であったし、かつ文法的に複雑なアラビア語を自由に使いこなし、文学的・修辞的技巧すら備えていた。

一方中国語や日本語など表意文字を用いた言語は、密接に視覚と結びついている。視覚とは眼球による直接的なものに限らず、頭に思い浮かべる2次的視覚イメージをも意味する。無論語られ、聴かれるべき言葉であることに変わりはないが、かなりの部分において視覚に依存しているところがあるのは確かだ。これすなわち表意文字を用いた視覚的言語の性質ゆえである。喋る時でも聴く時でも、ある程度難しい漢字を含む言葉や同音異義が多い言葉であればあるほど、視覚イメージを伴うことが多くなる。

例えば「ちゅうりょう」と聞いても、この音自体から意味をたぐり取るのは難しい。「忠良(忠義厚いこと)」「柱梁(大黒柱のような存在)」といった視覚イメージをもって初めて、その意味を理解できるのである。また、日本語における文学・修辞学で漢字が大きな地位を占めている限り、アラビア語などとは違って「文盲で雄弁」「文盲で日本語の使い手」という状況は非常に生まれにくい。世界的に見ればこの種の言語の方が少数派であろう。

さてこのような言語的特質は、それを用いる人間の脳システムにも特別な影響を及ぼす。音声重視の言語環境で育った者は、自然とそれに必要な諸器官が発達する。聴き取りが上手かったり、耳に入った音声を口真似するのが上手かったりするのが転じ、新しく習う話し言葉をあっと言う間に覚えてしまったりする。耳に入ったこと、口で喋ったことを覚えやすくなる。

また、音声的語呂合わせや言葉遊び、音声的リズムがその根底にあるところの詩などは、この種の言語において発達し易い。ラップミュージックなどもこの系統だが、日本語にしっくり来ないのは文化的差異にもまして、このような言語的特性の相違が最も大きな原因であるように思われる。

一方視覚重視の言語環境に育った者はというと、言語活動における視覚と脳のつながりが強くなることから、筆記能力は自然と強くなる。つまり発音、会話、聴き取りなど音声による言語活動に比べ、スペリングや文法、作文などの筆記作業により能力を発揮するようになる。また、視覚的判断力・暗記力も強くなる。僕らから見るとアラブ人やアフリカ人などが繰り返し音読するだけでブ厚い本を丸々1冊暗記することは信じ難いが、彼らからすれば黙読や筆記によって暗記する僕らの方がまるで「超能力者」のように映ってしまうのである。

日本人が一般的に「語学オンチ」と言われるのは、おそらく元来異文化的なものに不慣れであること、そして日本語という独特の言語環境に育ったために、言葉を視覚で捉える癖がついてしまったことが大きく影響しているのではないかと思われる。耳から言葉を捉えるよりは、どうしても目に頼ろうとしがちだ。実際視覚に頼っていた部分が多いだけ、耳も弱くなってしまうのだろう。

また、日本語における独特のリズムの遅さ、一般的に外国語に多い子音のみの発音が極端に少ないこと、子音の種類の少なさなども、外国語の進歩を阻む大きな原因になっているのではないだろうか。特にその子音の半数が日本語に存在しないと言われるアラビア語を学ぶとき、一般的な日本人は言語学習の初めの第一歩で大きな壁にぶち当たらなければならないのである。

僕もまだアラビア語を学んでいる段階なのだが、個人的な体験談を話せば、僕はアラビア語を学ぶ前に既にアラビア語のクルアーンの暗記作業を始めていた。無論最初からアラビア語を読めるわけではなかったので、ある程度の基本的な発音をパキスタン人などのイスラーム教徒から学び、後はテープでクルアーン朗誦を聴いてそれを真似たりして、なるべく耳と喉をもって覚えるようにした。そして慣れてきてある程度の発音や朗誦法則を耳と口で覚えてきたところで、クルアーンのアラビア語をローマ字変換してテープを聞かずとも暗記できるようになった。実際にアラビア語の読み書きや文法を勉強し始めたのはその約1年後である。このような勉強方法は一般的な日本人にとってはちょっと「型破り」だし、何よりイスラーム教徒でなければならないので余り参考にはならないかもしれないが、今でも自分のやり方は正しかったと思っている。言葉は学ぶ順番としてまず音声からであり、読み書きはその次である。その順番をひっくり返して読み書き重視の日本の典型的英語教育みたいな学習法を取っていると、後で取り返しのつかないことになる。

つまり視覚的に捉えてきた言語と実際の音声言語の間にとてつもないギャップが生まれ、読めば言葉の意味が分かるのだがその正確な発音が出来ず、また耳で聴いても分からない、というような困った状況を生む。そして時間が経つほど、そのギャップを埋めて「矯正」作業を施すのが難しくなってしまうのである。また何よりも、アラビア語学習においてクルアーンは大きな力となる。なぜなら正則アラビア語においてクルアーンに書かれている通りの発音をしていれば間違いはなく、しかもそこには一点の文法的間違いも存在しないのだから。


執筆:サイード佐藤
アラブ イスラーム学院 卒業生


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