アラブ マイ ラブ
 

【アラブの先生紹介1】
 

僕が今までにお世話になったアラブ人の先生方を紹介しよう。

僕が現在勉強しているアラビア語学校のあるサウジ人教師A。
日本人の視点から見ると、白いヒゲを生やした完全な「おじいさん」だが、実際の年齢は60歳くらいだろうか。物凄い近眼で、ケントデリカット並みのブ厚い眼鏡をかけている。しかし下手な日本人の若者よりよっぽど元気で、とにかくテンションが高い。

まず声が大きい。多分教室の面積に比して不経済なくらいの大声を出している。そして教室では授業内の話にしろ授業から脱線した話(これが非常に多い)にしろ、とにかく途切れなく早口でよく喋る。そしてよく生き生きと動く。ちょっとぶっきらぼうで口が悪く、何かにつけての口癖は「バガム(バカ)!」。何かヘマをすれば「やってんでねえ、バカ!」、遅刻すれば「早く席につけっつうの、バカ!」。しかし愛情とユーモアをこめて言うので、彼がこう言う度に教室に笑いが起こる。この先生のお陰で、学生たちまでこの言葉をよく使うようになってしまった。
また、一つ一つの行動が面白い。くしゃみは「ヘエェェーーーッ、ブシュッ!!」というドリフ風のを必ず2回連続してやり、3回目は「ヘエェェーーーッ、」だけの不発で終わる。そして言うのが「何だ、*ウィトル決めたかったけど、出ねかったな」。

また彼はひどい近眼のため、何かを読むときはそれを顔にピッタリ付けるほど近づけないとならない。その様子がまたとても可愛らしくてユニークなのだ。彼は近眼で斜視がひどいのでどこを見ているか分からないしどこまで見えているのかも分からないのだが、授業中学生が油断してちょっとボケッとしていると即、「居眠り禁止ぃー!ぶっとばすぞ!」と注意が飛んでくる。時には誰かアフリカ人学生の中でも頑健そうなのを指名して、「○○、奴をブン殴っちまえ!」と依頼することもある。もちろん冗談で、だ。僕も1度注意されたことがあったが、ひどい斜視のため一体彼がどこを見ているか分からなかったので、自分が注意されていることに気づくまで少々の時間を要した。彼は博士号を所持しているが、こんなに元気が良くて個性的でカジュアルな博士というのもサウジならではだろう。

同じくアラビア語学校のサウジ人教師O。
年齢は40あたりだろうか。これまた非常に個性的な先生で、テレビの夢判断のプログラムに出演し、アラブ世界に有名な人物でもある。
彼は教室においても十分なエンターテイナーである。授業を楽しく進めることに喜びを見出しているようにも見える。ただ、彼の特徴は学生を「いじくる」ことによって笑いを生み出そうとすることである。時には傍目から見ても度が過ぎていることがあり、実際「いじくられた」学生が気分の悪い思いをすることもある。天真爛漫な彼自身に悪気はないのだろうが。

例えばアラビア語の発音が正確に出来ないと、それを真似して皆を笑わせる。つまり「F」の発音が苦手なフィリピン人、3種類ある「H」の区別がつかないロシア人、「S」と「SH」を一緒くたにしてしまうガンビア人などがいたが、彼らは彼のやり玉に上がっていた。「次間違えたらピストルで撃ち殺すぞ。」と冗談で脅したりするが、発音はそう簡単に矯正できるものではない。四苦八苦してもどうしても正しく発音できない学生が執拗にいじられて周りから笑われているのを見ると、余り心から笑えず、かわいそうに思える時もある。また中国人は名前の響きの独特さを笑いの種にされるし、アフリカ人は彼ら独特の口調や気質が彼の格好の笑いのターゲットになる。これは差別とか嘲笑とかと紙一重で、西欧諸国などで同じことをしたら大問題になりえるかもしれない。

アラビア語学校のスーダン人教師M。
学生思い、というか、学生たちに対する同情心が強くて甘い採点をしがちなアラビア語学校教師陣の中で、際立って厳しく、学生たちから恐れられている先生。

多くのスーダン、エジプト人教師同様、教え方が理路整然としており、かつ洗練されている。確かに厳しいが、自分自身にも厳格な様子が伺える。ターバンとスーダンの民族服姿という出で立ちではあるものの、決して伝統や慣習にすがりつくタイプではなく、科学や発展、人間の可能性や理性といったものを重要視し、宗教と両立させていく方向性と理想が認められる。また大方のムスリムと違って積極的に自己批判し、現状分析して課題を乗り越えていくという姿勢が明らかに伺える。強い自分へと自らを克服していくタイプである。そのため自分に甘く他人に厳しい傾向の強い大多数の者にとっては―そして僕の意見では特に現代ムスリムにこのタイプが非常に多い―、彼の意見は非常に辛辣に響くのだった。彼の批判は自分自身をはじめ、学生、人々、世の中、全てに多岐に渡って向けられた。「我々の文化には(自らに対する)“批判”が欠けている。そして批判のないところに発展はない。」と彼は言ったが、このような真に迫った言葉は―特にムスリムの側からは―久しく聞いていなかったような気がした。

暗記中心の勉強が多い中で、この先生のみは理解を重要視した授業とテストで学生を試してくる。つまり只の知識の受け売りではなく、もっと深い意味での「学」を求めてくる。それは一般的知識を用いた思考であったり、現状に対する問題意識であったり、あるいは理解力や意見、思想であったりもする。

この先生の授業で、奇妙なことに気づいた。とても優秀に見えていた周りの学生が、彼の授業で意外な弱さを晒し始めたのだった。彼の授業では暗記力が役に立たないためである。文章理解を試されるテストなどで、学生たちは「難しい」と嘆いていたが、僕は暗記物が苦手とはいえ理解の方はそこそこ自信があったので、それほどの困難を感じなかった。僕はクラスで際立って優秀なわけでもなかったが、彼のテストではかなりいい成績をとった。また、先生がテスト内のある問題について「私の満足する回答を書いたのはクラスでただ1人だった。」と言及した箇所があったが、後に自分の回答用紙を見た時それが僕のことであったことを知った。

彼は学生と気軽に交わるようなタイプではなく、幾分気難しいところはあった。しかしこのように真面目で真剣な人、自らを克服し、思索しつつ理想を追い求める姿勢を持った人をムスリムの中に見出し、何か救われたような気がした。


* ウィトルとは奇数のこと。イスラームでは何かにつけて奇数が好まれる。


執筆:サイード佐藤
アラブ イスラーム学院 卒業生


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