アラビア人と私
 

【日本に帰る。】


ソライヤとのお付き合いも私の日常になったころ、「ゆかり、ゆかりは、日本に 帰ったほうがいいかもしれないね」と突然言い出した。どうして? 「ゆかり は、ギリシャ人の中で生きていくと、傷だらけになりそう」と言う。「よく考え たほうがいいかもね」と・・・。その後、冬のバカンスに日本に帰る。一人で ゆっくり考えると、確かに、仕事をしていて、頼んだ事は出来てくる事が無い。 そのストレスでいつも胃がきりきりしている。

そうだな、目の前のお金にしか興味が無いような人と仕事は出来ないかもしれな い。これ以上どうする事も出来ないのかもしれないと結論を出した。そして、再 びアテネに帰ると、やっぱりそれもつらい。日本に帰るっていう事が、ここでの 生活を終わらせる事だということに気がつくと、それはソライヤとも会えなくな ると言うことだ。寂しくて、切なくて、ソライヤに話すと、「ゆかり、私は今の ままの貴女が好きなの。でもね、ここに住み続けるとゆかりは変わらなければ生 きていけないと思うよ」。私はそんなにうぶじゃない、変わる必要は無いと思っ ていたが、ギリシャという国は、いやでも変わらなければ利用だけされて馬鹿を みる事、それはこの3年で判っている。でもそれが私の人格も変わる事だろう か? ソライヤにはそれが変わらなければ、ギリシャでの生活は難しいと感じた のだろう。よくよく考えて、ギリシャの物価もこの3年半でコーヒーが2ユーロ ぐらいから、4、5ユーロに跳ね上がった、家賃も1年で100ユーロぐらい値 上げしたいと言っている。日本よりも何もかも高い。トマトだって日本より高 い。その意味するところがギリシャでの生活が困難だと言う事も感じている。

ソライヤが私のお別れ会を開いてくれた。なじみのレストランで、親しい友人数 人で食事会だ。食事中に、寂しくて涙があふれてくる。この後数日で日本に帰 る。そうすればこうやって集まる事も出来ない。そして、ソライヤとお茶を飲む 事も無い日常が待っている。するとソライヤが、「ゆかり、貴女より私のほうが どれぐらい悲しいか判る? ゆかりは日本に帰ればたくさんお友達もいるだろう し、両親がいて、全然別の生活が待っているのよ。私は、突然ゆかりがいなく なって、いつも5時回ると『お茶飲もう』って来るゆかりが来ないのよ。毎日私 は、貴女が来ると思ってしまうのよ。でも、私たちは何処に居ても友達、もし もこれで会えなくなっても、私たちは心の中にお互いが生きているの。だから泣 かないで、私もどうすればいいのか判らないから・・・」。

初めてソライヤの口からこんな言葉を聞いた、いつも毅然とやさしく笑う彼女が 本当は私以上に寂しがりやだということも、初めて知った。タナシスが「どこに 居ても、僕たちは友達さ。それに、もしかしたらみんなで仕事を始める事だって ありえる。だから、僕たちの将来に乾杯しよう」と明るく盛り立ててくれる。タ ナシスもソライヤも私も同い年。まだまだ先は長い。ソライヤは、彼女がデザイ ンした指輪を私にくれた。私は彼女にネックレスを。お互いにいつまでも忘れる 事の無いように・・・。

日本に帰る日、彼らが空港まで送ってくれた。空港に着くと、長い旅だから途中 で食べてねと、サンドイッチを渡してくれた。感激。そして空港でも涙があふれ て困ってしまった。ソライヤも泣いている。「どこに居ても、何処ででも会え る」と言って、別れるまで何度も同じ事を繰り返し話していた。「もしも、何か 困った事があったら必ず、お互いに連絡しよう。メールは必ず送るから」と何度 も何度も繰り返し言って、とうとう別れのとき。前に進む足が重くって、何度も 振り返ったが彼女もそこに立っていた。出国手続が終わって、しばらくすると電 話が鳴った。「ゆかり、気をつけてね。忘れないでね」と最後までやさしく、強 いソライヤ。飛行機に乗ってフランスに着くと、サンドイッチを食べた。私の大 好きなピタで、チキンが入っている。ソライヤのやさしさをまた感じていた。

私が日本に着いて直ぐに電話すると、「疲れたでしょ。長旅だからね。今日は ゆっくり休んでね」と本当にやさしい。こんな彼女に会えたことが私を豊かにし てくれた。


筆者:高橋ゆかり
アラブ イスラーム学院 学生

                

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