アンダルシアの歴史
 

【ゴート王国の支配】



読者の皆さん:
前回は、イスラーム開放以前にアンダルシアに定住した最後の民は、ゴート族で あったことを学びました。ゴート族は外国勢力としてイスパニアにやって来まし た。自らの支配地を求め、そこで自分たちが王として君臨するための土地を探し て。しかしながら、宗教闘争や内乱のため、ゴート王国の支配は安定したもので はありませんでした。ゴート王国が支配した6世紀頃、イベリア半島は内紛や陰 謀や騒乱の舞台であり続けたのです。

また、ゴート王国の危機は別の経路からもやってきました。それは藩侯間の政治 的争いでした。彼らは策略と戦争と暗殺の連鎖に道を求めたのでした。そんな 中、西暦708年、ゴート王国の国王が謎の死を遂げました。そしてその王座を めぐって勢力争いが激化し、そのうちの最強の者が王座を勝ち取りました。

こうしてロデリックがゴート王国の国王となりました。ロデリックは有能な長で したが、前国王の王子たちによって苦しめられたと言います。王子たちはロデ リックが彼らの持つ王朝統治権と支配権を不正に奪ったと主張したからです。

またロデリックは、アル=ジャズィーラ・アル=ハドラーゥ(アルヘシラス)地方 の領主の娘を敵視し、彼女に乱暴を働いて辱めたと言われています。もちろんそ れは大罪であり、そのために国王ロデリックには至るところに敵ができたのでし た。

またゴート族は住民に多くの税を課して彼らを苦しめ、民衆の心や希望とは全く かけ離れた外国人としてイスパニアを支配しました。彼らは自分たちを取り巻く 社会情勢を何一つ変えることはありませんでした。かつての貴族たちがそうで あったように、彼らは人々を希望や発展に向かわせるようなメッセージを何一つ 持っていなかったのです。

ゴート族の政府は独裁的な政府でした。国王の意見だけがすべてであり、国の問 題について国王は自分が好きなように何事も決定しました。そして王族や領主か らなる強大な軍事組織が国王を守り、その他の人々はみな彼らに仕えました。

また宗教に関しても常に支配者がいました。その勢力は時に弱かったり強かった りしましたが、宗教支配者は常に存在し、王国の人々に利用されました。彼らは 自分たちの宗派に関して狂信的であり、それに反する者たちを迫害していたので す。

ゴート族は、さまざまな階層のための、イスパニア社会全体の組織化を助長する 社会基盤を提供することができませんでした。そして彼らの軍隊自体、貧者と奴 隷による大集団から構成されており、これがゴート王国の衰弱と敗北の一因とな りました。それらの兵士たちはみな為政者に怒りを抱く者たちであり、政権交代 などには関心がありませんでした。彼らには王国の為政者に対する恩義も愛情も なく、彼らの目的はただ自分たちが生きていく上での目先の利益だけだったので す。

読者のみなさん:
これが、のちにイスラーム開放の成功を容易にした、ゴート王国の弱点の簡単な 概略です。ムスリムたちは、イスラームをまだ知らない人々の間にイスラームの 正義を打ち立て、その教えを当地の人々やその他の人々の間で広めるために、イ スパニアに向かったのでした。

イスラームによるアンダルシア開放は、ゴート国王ロデリックに娘を凌辱され た、ジブラルタル対岸の町セウタの総督ジュリヤン(ユリアヌス/フリアン)の 要請に人道的に応じたものでもありました。またその開放は、不義に苦しんでい た藩侯たちや迫害を受けていた住民たちが助けを求める声に応じたものであり、 ムスリムによる、シャムやエジプト、北アフリカなどの多くの国々のイスラーム 開放を完結させるものでもあったのです。

それでは次回は、イスラームによるアンダルシア開放についてお話しましょう、 インシャーアッラー。またお会いする日まで。

筆者:リハーブ ザフラーン

                

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