クルディー大使日記
 

【ラマダーンと懐かしの日々 4】

モハンマド バシール クルディー 前駐日サウジアラビア大使


ラマダーンがやって来るたびに、私の脳裏には、自分の子供時代と祖母―彼女に アッラーの御慈悲がありますように―の思い出が甦ります。祖母は私たちがまだ 6歳に満たない頃からラマダーンについて魅力的な話をしたり、また、ラマダー ンは徳の豊かな月で、その徳の一つが月末に訪れるイードなのだと言って、私た ちに断食への愛着を持たせてくれたのです。イードが来ると断食した者には新し い服が恵まれ、それに加えて家族からのイーディーヤ(*お年玉のようなもの) や、断食した者にしか味わえない喜びが恵まれるのだ、と。

そうして私たちは一日一日と断食を重ね、最初の10日間が来ると、祖母は、 「10日経ったら喜び」と言って、私たちの空腹やのどの渇きといった断食の疲 れを軽くしてくれます。そして私たちがその言葉の意味を尋ねると、こう言うの です。
「アッラーが私たちに10日の断食を恵んでくださったからには、服やイー ディーヤやおもちゃの吉報はもう半ばまで確約されたのだよ。」

それで私や兄弟たちは、新しい服を早く着たいと思い、残りの20日間が過ぎる のが待ち遠しく思うのでした。また父や親戚の人たちがイーディーヤをいくらく れるだろうか、それを何に使おうか、と互いに想像しあったものです。やがて イードがやって来ると祖母の約束は本当になり、他のどんな喜びも、イードの喜 びにかなうものはないということがわかるのでした。

私は外国暮らしの際、自分の子供たちにイードの喜びを十分に味わわせたいと願 い、まず彼らの学校に3日間の欠席を願い出ました。そしてイード休暇には、彼 らと同年代の子供がいるアラブ諸国の大使館員たちと一緒に過ごす計画を立て て、2泊3日を過ごす観光地を選び、イード前数ヶ月間の節約でまかなえる程度 のリーズナブルな予算を立てるのです。

私はそんなある年のイード休暇のことを今でも覚えています。その年私たちは、 文化や観光で知られた日光の町へ向かいました。日光には美しい自然や、空気を 潤し爽快にする滝があります。

私たちは夕方、予約していた安ホテルに着きました。夕食には残りのサンド ウィッチと果物を食べ、翌朝朝食を取ると、滝や遊び場がある庭園を散策しまし た。やがて昼食の時間が近づきましたが、子供たちは当時まだ、寿司やてんぷら といった日本料理を食さず、また私の仲間たちもこってりとした食事を望みまし た。今日はイードの日で、自分の国にいたらご馳走を楽しんでいるはずなのだか ら。

そこで私たちは色々なレストランのメニューの前に立ちました。しかしその値段 は私たちの中の誰の力も及ばないものでした。その時ふとある考えが浮かんだの で、私は仲間たちに向かって、自分に任せて欲しいと頼みました。そして彼ら に、5つ星ホテルのレストランでのおいしい食事を約束したのです。

私たちはみな、レストランに面したホテルのロビーに入りました。それから私は レストランへ向かい、受付の従業員に話しかけ、このように言いました。
「私たちはこの美しい町を訪れるために、子供たちを連れて東京からやってきま した。今日は私たちにとっての祝日です。それはまさにクリスチャンにとっての クリスマスのような日で、この日私たちには、カプサという料理を食べる習慣が あるのです。」

そして私は、その料理を準備してもらうことができるかどうか、シェフに訊ねて ほしいと彼に頼みました。やがてシェフが出てきたので、私たちは一緒に話しま した。私は、自分たちにとって、イードの日のその料理がどれだけ重要かという ことを、彼に話しました。それはクリスマスの祝宴におけるターキーのようなも のである、と。そしてその料理が食べられなければ子供たちはイードの喜びを 失ってしまうのだ、と説明しました。

するとシェフはその料理の材料を尋ねました。私は説明するのは難しいと言い、 イードに子供たちを喜ばせ、それと同時にアラブ諸国からの客のための一品を店 のメニューに加えることができる、このような申し出をしてみました。つまり、 私が主な材料を市場から買い揃えて彼らの調理場で料理の準備をし、彼らは私た ちに水やジュースやサラダを提供したらどうだろうか、という提案です。すると シェフは日本人特有の方法で頭を掻き、助手たちと集まって相談を始めました。 ロビーを行ったりきたりし始めた子供たちに何度も目をやり、微笑みかけなが ら。

それからOKが出ました。ただし2時半に正式なランチタイムが終わった後で準 備を始める、という条件で。私はその人間的な気遣いと日本人の高いモラルに感 謝し、市場へ材料を買いに行きました。そして約束の時間にレストランに戻る と、シェフと選ばれた助手たちは入り口に立ち、日本の伝統的な挨拶作法である お辞儀をもって出迎えてくれました。

それから彼らは私の後について調理台の方へやって来ました。私はそこに、肉、 米、たまねぎ、トマト、にんじん、ゆでたヒヨコマメの缶詰、干しブドウ、黒こ しょうやクミンシードのスパイスを置きました。それから私はコックたちと一緒 に材料を切り、「カプサ」の調理の準備をしました。そしてシェフと助手の一人 は、一つ一つ料理の手順を記録していきました。

やがて1時間ほどで料理はできあがり、私はそれを2つの大皿に分けました。1 つは私たちのために、そしてもう一つはシェフと助手たちのために。彼らにそれ を味わってもらい、イードの日に私たちがどうしてもこのカプサを食べたかった 訳をわかってほしかったからです。

シェフと助手たちはカプサに満足したようでした。その証拠に彼らは大皿を拭う ようにカプサをきれいに平らげました。こうして私たちは、お腹を満たしてくれ て、しかも安くておいしい自分たちの伝統料理を味わうことができました。サラ ダと水とジュース代のレストランの請求はきわめてリーズナブルなもので、材料 費と合わせてもその合計は、中級レストランで私たち全員がランチを食べた場合 の費用の3分の1にも満たないものでした。

今あの日のことを思い出すたびに、私はかつての自分の大胆さとその行動に驚く ばかりです。しかし当時の懐事情と給料の額が私をそうさせたのです。

偶然にも、のちに私たちはサウジの一行を連れて日光を訪れました。私は彼らの ためにあのホテルを予約し、昼食のためにあのレストランに向かいました。する とシェフが私のところへやって来て、私たちがメインディッシュとしてカプサを 望むなら、本格的なものを用意できると言いました。私は彼に感謝の気持ちを伝 え、あの料理はイードのためのもので、客人たちはみな、健康的で体に良く、胃 にも軽い日本料理を好んでいるのだと言いました。たとえそれが懐には重いもの だとしても。


マドリードにて―ヒジュラ暦1426年(西暦2005年)ラマダーン月13日


筆者:モハンマド バシール クルディー
前駐日サウジアラビア大使

                

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