アッバース朝の歴史
 

【カリフ アルハーディー】
 

彼はムーサー アルハーディー イブン ムハンマド アルマハディー イブン ジャアファル アルマンスールで、母親は以前アルマハディーの奴隷で後に解放され、アルマハディーと結婚し、アルハーディーとアッラシードを産んだアルハイズラーンでした。

彼の父が次代カリフの誓約を行わせたのは彼が16歳のときでした。また父は彼に東方の軍の指揮を任せました。

アルハーディーは自分の親族の女性に対して非常に焼き餅をやき、アルマハディー統治下で、母アルハイズラーンが今までに女性が権力を握った例がないにもかかわらず実行権を握った後は、彼女のもとに男性の指揮官が入ることを禁じました。

当時の人々はカリフが人々を遠ざけることは正しくないと考えていましたが、アルハーディーもそれはバラカ(祝福)を取り除く行為だとし、人びとを遠ざけないように命じました。

アルハーディーはぶどう酒を飲み、音楽を聴いていました。アルハーディーは歴代アッバース朝カリフたちの中で初めてこのような行為を行った者で、これによりイラクの人々は酔わないほどのぶどう酒を合法だと誤った解釈をしました。

彼は父親と同様、物を贈る事において非常に寛大な人物でした。

また彼は強く勇敢で、鎧をまとった状態で動物の背に跳び乗ったということが伝えられています。

彼は特に多くの功績を残したわけではありませんでした。カリフ職についていたのは1年1ヶ月と約22日で26歳で亡くなりました。

こうしてアッバース朝カリフの職は5代目カリフハールーン アッラシードへと移行しました。彼の統治は23年2ヶ月18日と続きました。次回はハールーンの功績と彼の統治下で起こった出来事についてビ イズニッラー(アッラーの許可によって)紹介していきましょう。


執筆:リハーブ ザハラン
アラブ イスラーム学院講師


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