アッバース朝の歴史
 

【アブー ジャアファル アルマンスール】
 

彼はアブー ジャアファル アブドゥッラー イブン ムハンマド イブン アリーで第2代アッバース朝カリフであり、真のアッバース朝創始者でもありました。なぜなら彼は多くの改革を行い、強大な基礎の上に国家制度をつくったからでした。彼は自らこれらの事業を監視し、兵を並べ、砦を訪れ国家財政を管理し各地域の総督を詳細に管理していました。

アルマンスールは歴代のアッバース朝のカリフたちの中でもっとも激しく・厳しく・頭脳明晰な男でした。

彼の午前中の仕事は、善行を命じ、悪を禁じること、各地域総督の監視、地租税や出費の管理、国民の生活の改善などに費やされました。

アスル(午後過ぎ)の礼拝後は彼の家族とともに座り、イシャー(夜)の礼拝後は前線や国境地域からの手紙を読み、夜の3分の1が過ぎると床に入り、さらに3分の1が過ぎると床を離れ、ウドゥー(沐浴)を行い礼拝をファジュルの時間まで行いました。そしてそれから人々の前に出て礼拝を先導しました。

彼は人格的にも非常に優れ、忍耐強い人でした。

また役人たちを重視し次のように言いました。「私は私のドアの周りにいる4人の者たちを必要としている。」すると彼は人々に言われました。「彼らは誰なのですか、信者たちの長よ。」すると彼は言いました。「彼らは支配の柱であり、4つの足のうち1本でもなければベッドがきちんと設置されない足のようなものだ。彼らとはアッラーのためならば人の非難も恐れない裁判官、弱者を強者から公平に扱う警察、私がその不正を必要としていないものから人民を不当に扱うことなく地租税を集める徴税責任者、そして4人目は…」それから彼は人差し指を3回噛み、噛む毎に「ああ」とうめきました。人々は「それはだれなのですか、信者たちの長よ。」と言いました。彼は言いました。「これらの者たちにかんして正しく報告する秘密警察の者。」

アルマンスールはハドラマウトの総督としてアラブ人のある男を任命しました。するとアルマンスールと秘密警察のもとにこの男が自分で用意した猟犬たちと狩猟に頻繁に出かけているとの報告の書状が届きました。そこでアルマンスールは彼を解任し、書状を書きました。「親不孝者め、そなたが狩猟のために準備したというこの備えはいったい何なのだ!わたしたちはムスリムに関する事柄をそなたに任せたのだ。獲物のことなど任せていない。そなたが受け持っていた仕事を何某の息子の何某に引渡し、非難され追放された状態でそなたの家族のもとへ帰れ。」

アルマンスールは支出において非常に倹約家で国庫は財産であふれるようになりました。また自分の子供たちをよく監視し、彼らに浪費癖が付かないように注意していました。

アルマンスールは建築や文明に関する事業を行いました。たとえば彼の兄弟のアッサッファーフがとったアルアンバールの代わりとして、アッバース朝の首都とするためにバグダードの町を建設しました。バグダードはチグリス川西岸の小さな村でした。新しい町を同じ名前にし、またバグダードは「平安の町」とも呼ばれました。この町は円形に造られ、そこには4つの門があり、それぞれシャーム門・フラーサーン門・クーファ門・バスラ門と名づけられました。この町の建設には4年の歳月が費やされ町自体は建築美の奇跡と言えるほどでした。こうしてイスラーム文明の光は数世紀の間世界の頂点となりました。アルマンスールはバグダードをウマイヤ朝時代のダマスカスに代わる首都としました。そしてその町を防衛に優れたものとし、また金の扉のある彼の城を建てました。またモスクや政府の記録書や付加施設、市場などを作り、同様にこれらは外壁によって囲まれていました。

アルマンスールの死

ヒジュラ暦158年、アルマンスールはハッジに行く途中でしたが、病状が重くなり、ズルヒッジャ6日の夜明け前に亡くなりました。しかし彼の死に際し、侍従であったラビーウ以外はいなかったので、彼はカリフの家族が来るまで彼の死を伝えませんでした。そしてアッラビーウは彼らからカリフマハディー、次いでイーサー イブン ムーサーに後継者としての誓約を行わせました。それから指揮官たちを呼び、彼らは誓約を行いました。そしてその後人々からアルマハディーへの誓約をとり、アルマンスールの遺体を洗浄し、布に包みハッジの途中だったので頭を覆わない状態にしました。そしてイーサー イブン ムーサーが彼のために祈り、22年より6日足りない期間カリフを務めた後アルマンスールはサニーヤト アルマアラーに埋葬されました。

読者のみなさん、次回は第3代カリフ アルマハディーです。
お楽しみに……


執筆:リハーブ ザハラン
アラブ イスラーム学院講師


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