アッバース朝の歴史
 

【アッバース朝成立】
 

週間アラブマガジンご愛読のみなさん、ようこそ。引き続き、最も重要なムスリム支配者たちの歴史を一緒に読んでいきましょう。私たちがウマイヤ朝の歴史を学んだ今、次にご紹介したいのはアッバース朝とその中の重要な支配者たち、最も重要な業績です。ですがまず最初に、そもそもアッバース家の人々というのがいったい誰なのかを知らなければなりません。読者のみなさん、それではこの質問に今から答えることにしましょう…

アッバース家の人々
アッバース家の人々とは預言者ムハンマド(アッラーよ彼に平安と祝福を与えたまえ)のおじであるアッバースに由来する人たちです。彼らはウマイヤ朝政権の崩壊とウマイヤ朝カリフに代わるカリフ確立のために奔走し、ウマイヤ朝の勢力地から遠く、アラブ人をその他の人々より優遇するウマイヤ朝政権に対するペルシャ人ムスリムたちの嫌悪のため、ペルシャ、特にフラーサーン地方でその初期から秘密裏に彼らのプロパガンダを広めていました。

アッバース朝成立
アブー ムスリム アルフラーサーニーはフラーサーンにおいてアッバース家による呼びかけの普及の任務につき、フラーサーンの首都であるマルーを制圧することができました。

そしてそこにアッバース家の人々のシンボルである黒い旗を掲げました。アブー ムスリムは彼の軍隊とともにクーファへと進み、そこでアッバース朝の一代目のカリフとなったアブー アルアッバース アブドゥッラー イブン ムハンマド イブン アリー イブン アッバース(アッサーッファーフの呼び名で知られている)にヒジュラ暦132年、西暦750年に忠誠を誓いました。アッバース家の軍はウマイヤ朝カリフ マルワーン イブン ムハンマドとモスルから近いチグリス川の支流のひとつである大ザーブ川で対面し、結果、ウマイヤ家の者たちは敗れ、マルワーン イブン ムハンマドはエジプトに逃走しました。アッバース家の者たちは彼を追撃しエジプト サイード地方のアブー サイルにおいてマルワーンを殺害しました。こうしてウマイヤ朝は最後を迎えました。ウマイヤ家の者たちのうち生き延びたのはイラクを中心としたアッバース家の者たちとは距離のあるアンダルスに逃げたアブドゥッラフマーン イブン ムアーウィヤ イブン ヒシャームだけでした。彼はその地で独立した国家を立てましたがそのことについてはインシャーアッラー(アッラーが望むのであれば)アッバース朝の歴史が終わった後で紹介できる時がくると思います。

アッバース朝は第1次アッバース朝時代・第2次アッバース朝時代の二期に分けられます。

第1次アッバース朝時代
(ヒジュラ暦132年〜232年=西暦750年〜847年)

第2次アッバース朝時代
(ヒジュラ暦232年〜656年=西暦847年〜1258年)


第1次アッバース朝時代
この時代は約100年続き、その間アッバース朝は偉大なカリフたちにより強大な勢力を持ち、その文明は反映し、この時代が「イスラームの黄金時代」と呼ばれたほどでした。最も有名な第1次アッバース朝時代のカリフはアッバース朝の創始者で、アッサッファーフとして知られるアブー アルアッバース アブドゥッラー イブン ムハンマド イブン アリー イブン アッバースでした。彼はその生涯をウマイヤ家の残党駆逐と自分たちの政権を脅かすすべての敵から安堵するために費やされ、そのために多くの血が流され、その行為によって悪い模範となりました。アッサッファーフのほとんどの総督たちは彼のおじたちや従兄弟たちでした。
彼の統治下で国内改革が行われ、マッカからクーファまでの灯台や里程標ができました。彼らは土地をハーシム家の測量の仕方で測量し、1マイルいくごとに1,2,3・・・という単語を書いていきました。同様に迷い人安全のために道を照らす灯台をつくりました。これは非常に偉大な事業でした。

アッサッファーフ時代の拠点はクーファから始まり、アルヒーラ、アルアンバール、ダワーウィーナへと移っていきました。
ヒジュラ暦136年アッサッファーフは彼の兄弟のアブー ジャアファルを次代のカリフと制定し、ムスリムたちに対して彼を次代カリフ、そしてその後にイーサー イブン ムーサー イブン ムハンマド イブン アリーを次代カリフとしてムスリムたちに忠誠を行わせました。
アッサッファーフはアルアンバールで天然痘にかかり、ヒジュラ暦136年ズルヒッジャの13日になくなりアンバールで埋葬されました。


次回はアッバース朝の真の創始者と呼ばれるアブー ジャアファル アルマンスールと彼の功績について紹介していきます。


執筆:リハーブ ザハラン
アラブ イスラーム学院講師


(→バックナンバー
(→週刊アラブマガジンのトップ


 
↑UP↑

前に戻る


アラブマガジンへもどる

 

アラビア語カフェ | アラブ イスラーム学院 | サイトマップ | ヘルプ



2005年 アラブ イスラーム学院