アラブとの30年 その2
 

【「喜捨の心」を忘れずに】
 

Q3. 仏教徒ですが大丈夫ですかアラブ人はどんな話題を好みますか。
A3. アラブ人は旅行好きです。旅行の話、新製品の話、日本の四季、食べ物、生活、などに興味があります。お茶を飲みながら友達とのお話が大好きです。話題の豊富な人は好かれます。もちろん英語は多くの人が話しますが、アラビア語は大切です。正則アラビア語(フスハ)を知っていると尊敬されます。ぜひ覚えてください。日本のことを紹介できるように、アラビア語で書いた日本の本を持って行くのが良いでしょう。現地では時間を見つけて、アラビア語を学びましょう。困難なときも、アラビア語が貴方の命を助けてくれます。

Q4. アラブは商売人といわれますが。
A4. 確かに昔からアラブ商人は商才に長けていると言われます。売って良し、買って良し、です。アラブ人は公正な競争に真理があると信じています。アラブ人相手に条件交渉をしようとするときは感情的にならず、誤解の無いように、論理的に話すように心がけましょう。内容にもれ落ちのない契約書を作るようにしましょう。

小さなことでも結論に達するのに時間がかかります。しかも土壇場で決定が変わることがままあります。これは常により良いものを模索するためのプロセスです。さらに、貸し借りの世界ですから、こちらから何かを頼んだ場合は、逆に頼まれることも覚悟すべきです。小さな事で借りを作らないことも大切です。結論が遅れている場合や変わる理由は必ずどこかに要因があります。アラブ人が決定権を握っているときは、特にそのことが理解できます。お店の買い物も、友人の値段、外国人の値段、アメリカ人の値段と色々有ります。値切る楽しみもあります。現地の友人と一緒に店をのぞきましょう。

Q5. 契約についてはどんな態度で臨めばよいですか。
A5. 信頼関係が成立してこそはじめて交渉事が始まるといいます。アラブ人は文章の民、法律の民です。言葉を大切にします。書類は大切に扱われます。
公式の打ち合わせは、議事録にし、わかりやすい文書に纏めることが大切です。条件を整理し、お互いに誤解しないように、注意しましょう。打ち合わせには証人が要ります。大切な打ち合わせは必ず、アラブの友達に同席を求めましょう。
一旦信頼を勝ち取ると、アラブ人は信義を大切にし、付き合いやすい人たちだと気がつきます。粘り強く、誠意を示すと、次第に理解しあうことができます。大切なことは信義を守ることです。
人身事故などに巻き込まれた場合は、必ずアラブ人の友人の知恵を借りると良いでしょう。

Q6. 何故アラブ人は日本に期待するのですか。
A6. 日本の技術力と技術の移転に魂がこもっていることを、アラブ諸国の人々は知っているからです。つまり、戦後50数年の間に、商売を通じて日本とアラブ諸国の信義、信頼が確立しているためです。日本人は裏切らないだろうと信じています。本当のことを忠告するのが友人です。出来ない事は約束すべきではありません。なぜ出来ないか、説明できれば最高です。

Q7. 日本人として心すべきことは。
A7. 私たち日本人は今日、豊かな物質に恵まれた生活を楽しんでいます。これは日本人の努力は勿論、世界の多くの人々の支援や協力があって成就したことです。特に中東の石油の安定供給が日本を支えていることは忘れることは出来ません。人は物質なしでは生きられません。しかし生きるためには物質だけがすべてではないことも理解する必要があります。物質面と精神面のバランスがよくなる事の尊さを持ち合わせて、初めて人間的魅力、品格が備わった人と判断されます。

貴方が生まれる前、太平洋戦後間もない日本の苦しかった状況は、お父さんやお母さんからよく話を聞き、学んで欲しいのです。そして出発してください。中東の世界には、安眠する場所もなく、道路で眠り、満足に食べるものもなく、家族との団欒もなく、誇りもなく、傷ついている人が大勢います。その多くは自然災害のみが原因ではなく、戦闘などの人的災害によります。それでも心を安寧に保ちながら精一杯生きている人が大勢います。

人は自分が助ける側にいるのか、助けられる側にいるのか、傷つける側にいるのか、傷つけられる側にいるのか、あるときは被害者であり、ある時は加害者である、というほど単純ではありません。助けると思わず、アラビア人のいう「喜捨の心」で対応するのがよいでしょう。つまり自分を助ける立場にしてくれた神に感謝する気持ちがあれば、貴方の使命は成功するでしょう。人類の一員ならどちらの側にいようと、互いに思いやりを持っていきたいものです。特に助けることが出来る立場にいる人は、助けを必要としている人たちの気持ちをおもんぱかる余裕が欲しいと願います。


Q8

40年前のアラブマーケットはどうでしたか。。
A8. 今から40年ほど前、日本は常に外貨不足で、当時留学生に許可される外貨は150ドルでした。アラビア語のリンガフォンレコードは、2万円以上しました。月給は1万で、とても手が出ませんでした。そんな時代が40年前です。当時アラブ諸国に出回っていた日本製電化製品は一部の製品を除き、安かろう、悪かろうでした。
アラブ商人のAさんは言います。「1960年代、フィリップスやシーメンズが家庭電気製品の市場を独占していた。日本製品が安い価格で市場に現れた。壊れた。それでも庶民がラジオや電気製品を手に入れる事ができた。感謝している」

また商人Bは1972年頃、次のように語りました。「未だ日本車が売れていないとき、サウジアラビアのディーラーは、日本のあるメーカーの車を3台購入しました。」しかしいつまで経っても「日本車を買う客は訪れなかった。そこで1台は自分が、2台目は頼んで友人に乗ってもらった。3台目は初日に街路樹にぶつかり廃車になった。その頃、日本車のディーラーになるなんて無謀だと友達から笑われたよ。

ところがどうだい、その後数年経つと、大勢が日本車のディーラーになりたいと名乗り出た。私をコケにし、笑ったやつは時既に遅かった。それでもしつこく代理店契約を取り交わそうとして画策したが、日本の会社がはっきり断ったね。私どもはX社とすでに契約関係にありますから、と、丁寧に断って来たそうだ。実際はまだX社とは契約もせずに成り行きで車を扱っていただけなのに。私はそれを聞いてから日本人は信義を大切にする国民だと知ってますます好きになったよ。勿論アラビア人も信義を大切にするがね。」それではお元気で。

執筆:片山 廣
アラブ イスラーム学院顧問

 

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