アラブとの30年 その2
 

【かくして黄金のマスクは日本へ】
 

1965年ツタンカーメン展が日本で開かれたとき、当時学生だった私は、主催のA新聞社のためにカイロ博物館で宝物送り出しの手伝いをしました。担当のE文化部長は、前年モナリザ展を日本で開催したやり手部長と聞かされました。ご本人もノルマンデー作戦を見た唯一の日本人だと赤のフィヤットを走らせてヨーロッパを駆け巡った若い頃の話をしてくれました。交渉の末、ハテム文化相からナーセル大統領の許可が下りた旨のメッセージが電話で伝えられたときは関係者は大喜びでした。黄金のマスクは本当に日本に行くのだ。興奮しました。

ツタンカーメン王は10歳で即位し、18歳で謎の死を遂げたと言われる少年王です。「多神教であった当時のエジプトは、ツタンカーメン王の父王アクナトンのとき、一神教にした。それに反抗する神官達がツタンカーメン王を殺害した」といった謎めいた話や、「カーターが発掘した後、“ファラオの呪い”が多くの発掘関係者の命を奪った」などの話は一層興味を涌かせます。幸い墓泥棒の被害に遭わずにすんだために、今日私たちはエジプトのカイロ博物館の2階で、王の遺品を見ることができます。その周りはいつも大勢の見物客でごった返しています。

黄金のマスクが3200年後、(ソヴィエトに次いで?)日本に向け海外旅行に出るという事でエジプトでも大変な反響でした。A社は著名な写真家Kをエジプトに派遣し、展示物の写真を撮りました。
有名な写真家Kは、ピラミッドやツタンカーメン王の墓があるルクーソルの王家の谷を訪問し、金の納棺等を写真に収めました。展示会用のカタログを作るためであり、また借用した財宝をきちんと元の姿で返すための証拠写真です。展示品は黄金のマスク、ベッド、錫、胸飾り、椅子などすべてが眩い黄金で覆われていました。私は写真家Kを手伝いました。

小物の展示品は、地下の博物館長の部屋で撮影しました。カラーのフェルトを敷き、ライトを当て、展示物の写真を幾つかの異なる角度から撮影しました。撮影は毎日行われました。アブドルラハマン館長は、「動かしてください」と頼むと、大きな体をゆすって撮影台に寄り、写真家Kの言うポジションに従って、気さくに宝物の位置を変えてくれました。

あるとき、どうした事か私が、無意識に王の錫に触れて、勝手に動かしてしまいました。それを見つけた館長に「歴代の名誉有る館長のみに許される行為を、君は何と心得える」と叱られました。その日は館長の機嫌を損ねてしまい、撮影の作業は中止となりました。モタアッセフ ジッダン「大変申し訳ない」と平謝りでした。

一方、金張りのベッドは綿布でぐるぐる巻き、木箱に詰めて飛行機に乗せられるように荷造りします。箱は飛行機の乗降口の大きさに限定されるので、箱と、ベッドの間は5cmの隙間しかありません。エジプトの大工さんを叱咤し、木箱ぎりぎりに収めました。今から約3200年前の宝物は、金の釘や黄金のマスクのカラフルな宝石類が動いて外れそうになります。館長は不安を隠せず、やがて指示に従い、日本から専門家Kを呼び、金のくぎや、宝石が落ちないように、処置することになりました。専門家の秘密の武器はセメダインでした。

さて、その日、最大のイベントが訪れました。在エジプト日本大使ご臨席の元にツタンカーメンの黄金のマスクが梱包されることになりました。薬局から買って来た、脱脂綿を薄い柔らかい紙に包みスタンドにまきつけ丸いボール状にして、それにマスクをかぶせました。マスクの周りは柔らかい紙で覆った綿の蒲団をかぶせました。そして約11kgのマスクは箱に収まりました。

ホッとしていると、博物館長は「カナダからはるばる観に来たグループのために、もう一度梱包を開けて見せてくださらないか」、同じ事を2、3繰り返した末、「もういいでしょう」と最終的に梱包を許可しました。

総ての展示品が梱包されたとき、財宝はパトカーに先導され、飛行場につきました。誰にも気づかれずに飛行機に積まれ、日本に向かいました。無事に日本に着くことを願いながら、空港からカイロに戻りました。歴史的事業は日本航空でとA社は考えましたが、ベッドが大きすぎて無理でした。当時のBOAC(英国航空)に積まれました。

あれから何回かカイロ博物館に訪れていますが、いつも観光客でごった返しています。ツタンカーメン王のマスクが展示されているときも、いないときも、ツタンカーメン王のマスクの輝きと、セメダインで固定した胸飾りの宝石の数々と、梱包にてこずったベッドを懐かしく思い起こします。あるとき、博物館を訪れ館長の消息を尋ねました。すでに館長はAから何代も経っていました。

日本でのツタンカーメン展は成功し、入場料の一部はユネスコに寄付され、アブーシンベルの、ラムセス2世の像の移設プロジェクトに使われたと現地の新聞が報じました。アスワンハイダムが出来る事で、危うく湖底に沈むところをツタンカーメン王に救われたわけです。ツタンカーメン王の墓がある王家の谷も、アブーシンベルも、カイロの博物館に劣らずいつも多くの観光客を魅了しています。

文化遺産を大切にする日本国民は、平和を愛する民族だとアラブ人は言います。日本人の若者が世界中の若者と手を取り合って、人類のために文化財産を残してくれた祖先の業績を称え、尊敬し、それを保護するとともに、現在生きている人達に優しさと、生きる誇りと、尊厳をもたらし、生きる希望をもてる世界を築いてくれることを、アラブ人は心から願っています。


執筆:片山 廣
アラブ イスラーム学院顧問

 

(→バックナンバー
(→週刊アラブマガジンのトップ


 
↑UP↑

前に戻る


アラブマガジンへもどる

 

アラビア語カフェ | アラブ イスラーム学院 | サイトマップ | ヘルプ



2004年 アラブ イスラーム学院