アラブとの30年 その2
 

【日本は友好国なのか?】
 

依然としてイラクでは不法滞在の状態でした。居住許可に必要な保健所での血液検査の結果は2週間以上かかりますが結果はまだです。総ての役所は機能を失って混乱状態です。そんなある日、M社の支店長に「社員を5、6台の車に分乗させ、陸路ヨルダンの国境に向かわせるので同行して欲しい。うまくいったらそのまま帰国してください」と決心を告げられました。「やるだけは、やってみましょう」その日は朝4時ごろ、おにぎりと、スイカを積んでもらい、車で8時間くらいの距離を飛ばしました。

一行はようやくヨルダン国境に近い検問所にたどり着きました。誰もが国境を通過できると信じていました。提示したパスポートを見て日本人とわかると、あごをしゃくりあげて舌打ちし、手で、ぐるりと、Uターンを指示しました。つまり出国は許可しないとのことです。兵隊ではらちがあかないと、上官を探し説明を求めました。トレーナー姿の上官が「確かに昨夜までは、日本人は出国できた。今日からは、出国は許可するなとの命令だ。日本は友好国ではないから。」とメモの紙を広げ言いました。メモには友好国17カ国がリストされていました。それを覗き見るとえらい剣幕でどなり、たたんでポケットにしまいました。

「日本は友好国ではない。」のだ。何故か? 少なからずショックを受けました。アラブ諸国ではどの国でも親切に迎えてもらいましたが、今は様子が違います。同行したフィリピン人を乗せた車は、ヨルダンの国境に向けて走り去って行きました。日本はイラクの敵国なのだ。

朝、ヨルダン国境に向かった時は全員希望に満ち溢れていたのに、無言のままバグダッドにUターンしました。窓から見る景色は何の感動も与えません。バクダットに戻ったのは真夜中に近い時間でした。同僚のフィリピン人を乗せた車が走り去った情況を思い起こしながら国家とは何か、国民とは何か、そして日本政府の要人が何気なく発言する一言が及ぼすイラク政府の反応などを思いながら、長い一日の終わりを待ちました。希望を持とう。明日は良い日が来るように。うとうとするまもなく日の出前の礼拝を呼びかけるアザーンが聞こえました。

事態が深刻になるに従い、周りの若い日本人達はあせり始めます。「北のトルコ国境を突破できないか」と真剣に議論し始めました。外国人が国境を越えようとして射殺されたとニュースが伝えます。「あせるな、機会を待とう。必ず帰国できる。希望を持つことが肝腎だ」と、年配が若者を諭します。犬死は避けねばなりません。日本の家族が悲しみます。

(次回(3)「そしてイラク出国」に続く)


執筆:片山 廣
アラブ イスラーム学院顧問

 

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