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第12章
【コプトのマーリヤ―その4】
 

沈む三日月

 しかし、この幸せも、1、2年しか続かなかった。子供を失う嘆きの日がやって来たのだ。

 2歳になったとき、イブラーヒームは病気になった。悲嘆にくれて、母親のマーリヤは姉妹スィーリーンを呼び、二人は幼児の枕辺で、徹夜の看病を続けるのだった。心配のあまり二人は、気を失いそうであった。

 しかし、小さな生命は徐々に消えつつあった。父親は悲しみにうちひしがれて、アブドッラハマーン・イブン・アウフの腕に抱きかかえられるようにしてやって来た。幼い息子を、母の膝からとりあげると自分が身代わりになれるものならとさえ願うのであった。膝の上にのせ、悲しみでいっぱいの心で、ただ悲しく祈り、こう言うよりほかになかった。
「イブラーヒームよ。私たちはあなた以上のものはなにも神(アッラー)に望まないのだ」

 死を迎えて、最期のその寸前にいる一人息子をながめる使徒の目は、涙にくれて、母親マーリヤとその姉妹の泣き叫ぶ声にまじって、子供の最後の息の音を、悲痛な思いで聞くのであった。

 彼は、死体に身をかがめて息子にしがみつき、口づけをした。涙は目からほとばしり落ちた。やがて気をもち直して、
「涙をさそい、胸を苦しませる。だが私たちは、神(アッラー)の望まれないことは口にするまい。イブラーヒームよ、我々はあなたのことを悲しむ。しかし我々はみな、神(アッラー)のみもとに帰るのだ」と言った。

 そして思いやりをこめた目でマーリヤを見つめ、こう慰めた。
「彼のために、天に養育所が用意されているのだよ」

 預言者の従兄弟(いとこ)アルファドル・イブン・アッバースがやって来て、小さな死体を洗った。悲しみにうちひしがれて、父は坐ってそれを眺めるだけであった。

 イブラーヒームの遺体は、小さな寝台にのせられて、母の家からアルバキーウに向かった。遺体のあとには、父と教友たちが従って歩いた。預言者は祈りを捧げると、みずからの手で子供の遺体を墓穴のなかに横たえた。そして土を盛り、水をかけた。

 太陽は隠れ、空のかなたは暗雲におおわれた。悲しみに沈んだ人びとは、「太陽までがイブラーヒームの死を悼んでいる」……とつぶやきながらマディーナへ戻って行った。

 この言葉を聞いた使徒は、教友たちに向かってこう言った。
「太陽も、月も、神(アッラー)の創造された二つのしるしにすぎない。人が死んだから、生まれたからといって消ゆるものではない……」

 悲しみに傷ついた心を秘めて、彼は忍耐づよく冷静に運命に従っているのであった。マーリヤは子供を失った父親の気持をかき乱すまいとじっと家に閉じこもって辛抱していた。ついに我慢できなく、アルバキーウに亡き息子の墓標を訪ねると、そこで彼女は思いきり、心ゆくまで泣きあかした。

 ヒジュラ暦の10年に息子イブラーヒームを失ってから、ムハンマドの寿命は長くはなかった。明くる年のラビーウルアッワル月(第3月)の三日月が登ったとき、使徒は苦痛を訴え、まもなく神(アッラー)に召されたのであった。

 残されたマーリヤは孤独のまま、姉妹のスィーリーンのほかにはつき合う人もなく、ただマスジドの愛する人の墓と、アルバキーウに眠る息子の墓参のほかには外出することもないままに、その後5年の年月を生きたのである。

 ヒジュラ暦16年、ひっそりと息をひきとった彼女のために、カリフ・オマルは人びとを葬儀に呼び集め、祈りを捧げアルバキーウに埋葬した。

 人はみな死ぬ運命にある。マーリヤは最期の預言者の生涯に貢献したことと、夫人たちの騒動の際にも、神(アッラー)に見守られたこと、そして神(アッラー)がときわけ彼女を選んでイブラーヒームの母という栄誉を授けられたことを思えば、悔いのない生涯であったに相違ない……。


預言者の残した教訓

 マーリヤはまた、エジプトとヒジャーズの間を結ぶ古来の関係を支える存在ともなったのである。この絆(きずな)は、ずっと昔ハージルのときにさかのぼって始まったものであったが、それがイスラームの預言者によって明確にされ、エジプトのコプトであるマーリヤの民族も、その母国民とみなされたのである。

 預言者はこう言い残した。
「契約の民よ、黒い沃土の民、巻き毛の黒い髪の民、彼らは我々と血のつながりを持ち、縁者でもある」

 血のつながりとはアラブの祖先となったイスマーイールを産んだエジプトの女、ハージルを起源としてのことであり、縁者とは、エジプトのコプトのマーリヤの民である故である。

 預言者はこう言った。「コプトを良く遇せよ。彼らは契約の民であり、血縁を持つ民である」

 神(アッラー)の使徒は、これを後の世の人びとが引き継ぐ教訓として残したのである。イマーム・アルハッサン・イブン・アリーは、アラブとコプト両者間の条約の協議の際に、ムアーウィアにイブラーヒームとのつながりを持つハフサの村人からは税を徴収しないよう頼んだという。

 また、イバーダ・イブン・アッサーミトがエジプト征服の後にエジプトにやって来たとき、その村を捜しマーリヤの生家のあった場所を訪ねて、そこにマスジドを建立したともいわれている。

転載: 宗教法人日本ムスリム協会 「預言者の妻たち」
アーイシャ・アブドッラハマーン 著
徳増 輝子 訳

(2008年1月11日更新)














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2008年 アラブ イスラーム学院