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第12章
【コプトのマーリヤ―その3】
 

吉報

 ムハンマドとの生活は2年目を迎えた。マーリヤは相変わらず、ハージルとイスマーイールの話に思いをめぐらしていた。

 すると突然に、彼女は妊娠のきざしを感じたのである。まさかと思い、夢でも見ているのではないか驚いた。ハージルとその息子のことばかりを思いつめ、母となることを願ったあまりこうなったのかとも考えた。

 1か月、そして2か月、事を恐れて秘密にしていた。彼女には一体それが本当の出来事なのか、気のせいか、夢なのか、わからなかった。

 とうとう、おなかが大きくなり始め、妊娠は明らかになった。彼女はスィーリーンを訪ねて体の変調を告げると、それは、紛れもない確かな新しい生命の芽生えであることが確認されたのであった。

 あまりの喜びに、マーリヤは気も転倒せんばかりであった。彼女の祈りを天が聞き届けてくださるとは……そしてこの夢のような望みがかなえられたとは……まるで思いもかけないことであった。

 使徒が訪れて、このおなかの赤ん坊の吉報を打ちあけるまで彼女は夢見心地であった。

 ムハンマドは、以前に妻ハディージャが妊娠した際、その初期にいつも見られた嗜好の変化や、気分の変動などを思い出して、マーリヤに気を遣ったが、マーリヤの場合はそれは軽く終った。

 喜びをいっぱいにたたえた顔で天をふり仰ぐと神(アッラー)が与えてくださったその深い恵みに感謝を捧げた。使徒は、娘ザイナブを亡くした後であった。そしてその前にはルカイヤを、そしてウンムクルスームを、それ以前に二人の息子アブドッラーとアルカースィムを失っている。

 マーリヤが妊娠の疑いを告げたとき、彼はザカリーヤ(注10)にちなんだ主(アッラー)の御言葉(アーヤ)を思い起した。「彼は言った。主(アッラー)よ、わたしにどうして息子ができましょう。わたしの妻は石女(うまずめ)であり、そのうえ私はこのように高齢になりました。するとその人は言った。そうであろう。だが汝の主(アッラー)が仰せられるには、それはわしにとっては容易なことだ。以前、汝が無であったのをわしがつくったのではないか…と…」……クルアーン第19章(マルヤム)8および9節。

 また、同じようにイブラーヒーム(注11)にちなんだ神(アッラー)の御言葉を読んだ。
「汝はイブラヒームの尊い賓客たちの物語を聞かなかったか。客人は彼のところに入って、平安あれと言った。彼も平安あれと挨拶を返したが、見かけぬ人びとであった。そこで彼は、(奥の)家族のところへ行き、肥えた子牛(の肉)を持って出てそれを客人の前に差し出し、召しあがりませんかと言った。彼はこの客人をうす気味悪く感じて心配になってきた。するとかれらは言った。恐れることはないと。

 そして、彼にやがて賢い男子が生まれるという吉報を告げたので、彼の妻は大声をあげて進み出て、顔を打ってわたしは老婆で石女(うまずめ)でありますのに……と言った。かれらは言った、あなたの主(アッラー)がそう仰せられたのだ。まことに主(アッラー)は全知全能の御方であられる」……クルアーン第51章(アッザーリヤート)24?30節。

 するとマーリヤは笑い出して若々しい声でこう言った。「使徒様、でも私は老婆ではありませんわ」二人の世界はあふれんばかりに幸せに満ちていた。

 預言者が、エジプト女のマーリヤから子供の誕生を待っているこの吉報は、すぐにマディーナ各地に伝わった。預言者の夫人たちを襲った苦しみは言うまでもない。

 夫ムハンマドの家で、すでに何年も暮している夫人たちでさえ妊娠することないままなのに……まだマディーナに来て1年余りしか経たない彼女が、この早い妊娠の幸運に恵まれるとは? 神(アッラー)が特別に彼女を選んでこの大きな恵みを授けたのであろうか? アブーバクルの娘も、オマルの娘も、ザード・アッラキブの娘も、アブドルムッタリブの孫娘もいる信徒の母たちのその誰も子供に恵まれないのに……。

 夫人たちは、嫉妬に燃えた。何といってよいのか、どうしてよいのかわからなかった。またまた以前信徒の母アーイシャが受けたような悪口がマーリヤの件で流れささやかれた。

 アーイシャ夫人が、かつてその無実を神(アッラー)の啓示で証明されたように、マーリヤもまた彼女の潔白を神(アッラー)の証に願うのであろうか?

 意外なところで、神(アッラー)の慈悲が彼女に示された。偽りの噂に、決定的な証明がなされたのであった。これはムハンマド・アッザハリーが、アナス・イブン・マーリクから伝承を受けた話である。「イブラーヒームの母(マーリヤ)は預言者の保護を受ける少女であった。そして、しばしばコプト男が彼女のもとにやって来ては、水やたき木を運んでいた。そのことを人びとは“コプト男がコプト女のもとへ入る”と噂していた。それが預言者の耳にはいったので、預言者はアリー・イブン・アブーターリブを送ったところ、彼はそこでコプト男がシュロの木の上に登っているのを見つけた。アリーが刀に手をかけると、すっかり驚いた男は服を投げ捨ててしまい、裸体をあらわにした。すると、なんと彼は去勢された者であった。アリーは預言者のもとに戻って自分の見たコプト男のことをありのまま告げると、やがて現れた大天使(ジブリール)がこう挨拶を送ったのであった。“平安あれ、イブラーヒームの父よ。そこで使徒の心は安らいだ」

 マーリヤのことを気にかけたムハンマドは、彼女と赤ん坊の健康を考えて、また、マーリヤの静養と安全のためにも、彼女をマディーナ郊外のアーリヤに移し住まわせた。

 アーイシャが言った。
「マーリヤには、最高に嫉妬を覚えました。それは彼女は巻毛の美女であったし、使徒様が大そうお気に召していらしたから……最初のうちは、彼女をハーリサ・イブン・アッヌアマーンの家に預けたので、私たちのすぐそばに住んでいたわけだけど、使徒様が夜も昼も彼女のところにいらっしゃるので、私はとても悲しかった。そのうち、彼女をアーリヤに移して、しばしばそこに通っていらっしゃる。それは、私たちには耐えがたいことなのに、その上私たちに恵まれない子供を授かったのだから……」

 出産の日には、ムハンマドは夜どおし眠らず彼女を見守った。スィーリーンも同じであった。出産のときがきた。それはヒジュラ暦8年のズルヒッジャ月(第12月)のある晩であった。

 ムハンマドは、産婆としてアブーラーフィウの妻サルマーを呼ぶと、家の片隅にこもって一人祈り続けていた。

 産婆のサルマーが、喜びの知らせを告げに来ると、彼女にできるかぎりのお礼をして、ムハンマドはマーリヤのもとへ飛んで行き、男子の誕生を祝して、彼女を直ちに自由の身の夫人としたのであった。そして、預言者たちの先祖の名にちなんでイブラーヒームと名付けた。

 使徒は、マディーナの貧しい人びとに子供の毛の量に等しい銀貨をほどこすのであった。アンサールの人びとは、誰がその子を育てるかでもめていた。マーリヤへの使徒の愛の深さを知って、彼らはマーリヤを預言者のためにも育児から自由の身にしようと思った。父親ムハンマドは、息子の乳母を選ぶと、彼女の乳が十分でないときのために、7匹のやぎを与えた。

 そして日ごと子供の成長ぶりを見に出かけるのであった。そこにこのうえない喜びを見出して、彼はできることならこの喜びを彼をとりまくすべての人びとと分ちあえるものならと願った。

 ある日のこと、赤ん坊を抱いたムハンマドは、この父親似の赤ん坊を見て、喜んでもらおうとアーイシャを訪ねた。しかし、アーイシャにとってみれば矢が彼女の心臓を貫き通ったかのように感じた。目に映ったものを見て、泣き出したい思いに駆られていた。じっと、胸の中の怒りをこらえているようであった。預言者はすぐにアーイシャの気持を察し子供を連れて立ち去った……。

 取り繕われた美しい表情の灰の下で、いまだ火はくすぶっていた。ムハンマドがハフサの家でマーリヤと会った日には、とうとう火の気の残る灰の下から炎が噴き上がった。これがクルアーンのアッタハリーム章の一節の話であった。

 その後のマーリヤには、自分の目的は達成されたと思った。

 それは、彼女が預言者の息子を産んだからであった。ハージルがイブラーヒームにイスマーイールを授かったように……。

 この辛い嫉妬の受難は、素晴らしい結末で結ばれることになった。いったん彼女との結婚の解消を決意したのち、預言者は再び彼女との縁を戻したのだ。そしてアラブの預言者イブラーヒームの父(ムハンマド)に下された聖典(クルアーン)の一節に、この出来事は詠み込まれたのである。ハージルがサーラの嫉妬に会い荒地のワーディーに送られたときのことが、同じように聖典(旧約聖書)の一節となったように。高齢で、すでに子を持つ望みを捨てていた使徒に息子を授けて、ハディージャ夫人からの息子を失ったそのさみしさを慰めたこと、このことほどマーリヤにとって幸せに生きがいを感じたことはなかったろう。

(注10) 新約聖書(ルカによる福音書)を参照。
(注11) 旧約聖書(創世記・18章)を参照。

転載: 宗教法人日本ムスリム協会 「預言者の妻たち」
アーイシャ・アブドッラハマーン 著
徳増 輝子 訳

(2007年12月28日更新)














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