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第12章
【コプトのマーリヤ―その2】
 

夢と希望

 およそ1年が過ぎていった。マーリヤは使徒の寵愛を受けて幸福であり、その保護のもとで平穏な生活を送っていた。信徒の母、預言者の夫人である証(あかし)としてヒジャーブを着用させられたことにも満足であった。

 彼女は、その人に彼女の心を傾けていた。いや、その偉大なる人物に彼女の存在のすべてを傾けていたといえる。彼女はこの偉大なる人物と予期しない運命で結ばれたのである。

 その人は彼女にとっては主人であった。友人であった。家族であり、祖国であった。いまの彼女はただこの人の保護のもとにずっとこのままの身でいられるようそればかりが望みとなった。

 彼女は、エジプトの魅惑をたたえていた。ナイルのワーディーの如くうねった身体に、同時にイシス女神(注3)の激しい愛が、ネフェルティティ(注4)の絢爛たる美しさが、ハトシェプスト女王(注5)の威力が、またクレオパトラの鮮烈な魅力が幻の如く生彩を放って彼女をとりまいているかのようであった。

 預言者がマーリヤに、事あるごとに語り聞かせてくれる素晴らしい話のなかには、あふれるばかりの喜びの泉が汲みつくせぬほどに、湧き出ているかのようであった。彼女は、特に、エジプトのはした女の身であったハージル(注6)の話にひかれていた。ハージルはナイルの地に生れた女で、御主人のイブラーヒーム(アブラハム)の子を宿し、その妻サーラの激しい嫉妬をかったので、やむなく夫イブラーヒームがハージルとその子(イスマーイール)をマッカの近くまで連れて行ったときの話である。

 マーリヤはハージルを、ザムザムの泉(注7)に導いた天の救いについて信徒が話すのを、とりわけ喜んで聞いたのであった。また、その幸ある泉の湧水によって、このアラビア半島がいかに新しい生命の誕生を迎えたか、またハージルが歴史上いかに大切な存在であったかを熱心に聞きたがった。そのときハージルが、マルワとサファー(注8)の間を走り回ったことに起源を発してこの二つの丘の間を走ることは今もハッジュ(巡礼)の神聖な重要行事の一つとなっている……。

 マーリヤは一人になると、エジプトの女であり、またアラブの祖先(注9)イスマーイールの母となったそのハージルのことを思いめぐらすのであった。自分とよく似た境遇である。二人ともエジプトのはした女であった。ハージルはサーラから預言者イブラーヒームに贈られた女であり、マーリヤはムカウキスから預言者ムハンマドに贈られてきた。そして二人とも預言者(イブラーヒームあるいはムハンマド)の妻たちの激しい嫉妬を受ける身となったのである。

 しかし、ハージルはイブラーヒームの息子を生んだ。果して、マーリヤもムハンマドの子を賜る母となれるであろうか? それは遠い望みであり、不可能ともいえることであった!

 ハディージャ夫人を亡くして以来、ムハンマドは10人の夫人たちを迎えている。そのなかには年若い婦人も、中年の婦人もいた。また、子供を連れた夫人もいた。しかし、その夫人たちのなかの誰ひとりとして、ムハンマドの子供を宿した人はいなかった。ハディージャ夫人の生んだ子供たちも夭折し、彼には愛娘ファーティマ夫人がただ一人残っただけであった。

 そして預言者はすでに60歳に達していた。子供に恵まれることはあきらめのように見えた。

 ハージルがイスマーイールの母となったように、マーリヤが母となれる運命であるはずはなかった。母となる夢は遠くはかない望みであった!

(注3) エジプト神話の女神。
(注4) 古代エジプトのアクナトン王の妃。
(注5) 古代エジプトの女王で、B.C1503年?1428年の間、統治した。
(注6) 旧約聖書(創世記・16章)を参照。
(注7) ハージルのこの伝説にもとづいて聖地となった、マッカにある名高い泉である。
(注8) マッカのふたつの丘。
(注9) アラブ民族はイスマーイール→アドナーンの子孫であるとされている。

転載: 宗教法人日本ムスリム協会 「預言者の妻たち」
アーイシャ・アブドッラハマーン 著
徳増 輝子 訳

(2007年12月21日更新)














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2007年 アラブ イスラーム学院