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第11章
【ウンムハビーバ―その5】
 

夫と父の間で―その2

 信徒の母は、父に起きたこの話を聞いた。彼女はひたすら願いを込めて夫の勝利を祈るのであった。彼女は、夫がすでにマッカへ征戦の用意を整えているのを知っていた。

 おそらく預言者の夫人たちは、みなこのむずかしい立場に立たされた彼女に注目していたであろう。すでに、マディーナ軍勢が市中に集まる準備を始めているのを目の前にしているラムラであった。また、マッカの人びとが事態にうろたえているのを、そして何の成果も得られぬまま話し合いに失敗して帰った父親がつぎのように言っているのを彼女は耳にしたのであった。

「ムハンマドのところへ行ったが、奴はなにも答えない。アブーバクルのところへ行っても助けてはくれず、オマルのところに行ったら奴は全く敵対視している!」……と。

 その立場は、微妙に苦しいものであった。ムハンマドの勝利は身内の滅亡を意味するのである。信徒の母は、自分の身内に戦いをいどむことで神(アッラー)とその使徒に対しては罪はないであろうが、しかし彼女の身の中を流れる血のつながりを断ち切ることができようか、心のうちのその悲しみの感情から無罪となることができようか。

 彼女は、悩みに疲れ果てながらも、希望の光を見出すのであった。

 アブースフヤーンは、どうしても改宗することができないのだろうか。オマル・イブン・アルハッターブや、ハーリド・イブン・アルワリードや、預言者の女婿アブールアース・イブン・アッラビーウが改宗したように……。

 それは、望み薄い希望であった。はかない夢ともいえるものであった。しかしながらこの信徒の母は、そこにこの悩みと苦しみからの慰安を求めて、それにしがみつき、天を仰いでは主(アッラー)がアブースフヤーンを、イスラームに導いてくれるようひたすら祈るのであった。そこに気持の安らぎをおぼえて、神(アッラー)の使徒ムハンマドに下されたクルアーンの一節(アーヤ)を唱えたのであった。

「神(アッラー)は今まで仇敵であった人びとと、汝らたちとの間に真に友情を起させ給うこともできよう。神(アッラー)は寛大で慈悲深い方であられる」……クルアーン第60章(アルムムタヒナ)7節。

 これが信徒の母、アブースフヤーンの娘が父とその家族のためにできうるかぎりのものであった。

 バドルの勇士であり、ムハージルであり、教友の一人に数えられている男が、悲嘆にくれたときのことであった。彼はサーラと呼ばれるマッカの女に手紙を託し、多額な謝礼金を約束してその手紙をクライシュに届けさせ、彼らをまさに攻撃せんとするこの危機を伝えようとしたのである。

 預言者は、この男ハーテブ・イブン・アブーバルタアの手紙の件を知った。そこでアリー・イブン・アブーターリブと、アッズバイル・イブン・アルアッワームの二人を送り、サーラを待ちうけて彼女の髪のなかからその手紙を見つけ出した。

 預言者は、友を呼びなぜそのようなことをしたのか問いただした。ハーテブは言った。「神(アッラー)の使徒よ、私は神(アッラー)とその使徒を信じています。それに変りはありません。しかし私はここに家族も身内もいないのです。妻も、子供たちも彼らの中にいるのです。そのためにやってしまいました」

 逆上したオマル・イブン・アルハッターブは、刀を振りかざして飛びかかり、使徒に彼を死刑に処するよう許しを求めた。しかし、ムハンマドは彼がバドルの戦友であるが故にそれを押し止めたのだった。

 ここにこのハーテブの話を持ち出したのは、夫ムハンマドがヒジュラ暦8年に、一万のイスラーム軍を率いてマッカをめざし出陣した際の、信徒の母アブースフヤーンの娘の苦しい胸の内を我々が憶測するためである。

 マッカは征服された。神(アッラー)がその使徒に与えた勝利の吉報はマディーナにとんだ。

 マディーナの人びとは、またムハンマドがアブースフヤーンと会ったときの出来事を聞いた。マッカの近郊に、兵舎の灯がゆれているのを見たとき、マッカに向かって来るこの大軍の様子をさぐるため、マッカの人びとがその野営陣地にアブースフヤーンを送ってきた。

 アルアッバース・イブン・アブドルムッタリブは、アブースフヤーンを見つけてこう告げた。「困った人だ。アブースフヤーンよ、あのお方は人類に送られた神(アッラー)の使徒なのだ。力ずくでマッカに入れば、クライシュ族はそれはひどい目に会うことだろう。イスラームに帰依しなさい。あなたはあなたの母や家族を身寄りのない遺族とさせたいのか」

 アブースフヤーンはつぶやいた。「一体どうすればよいのだろう」

 そこで使徒のおじアルアッバースは、彼を連れて陣地のなかを回った。二人は一万の兵舎にもえる燈火の前を通過して行った。これはまさに、多神教徒の心に恐怖をふきこむ威力であった。

 オマル・イブン・アルハッターブの兵舎の前を通ったとき、いち早くアブースフヤーンの姿をみとめたオマルは、預言者のテントに急ぎ彼を討つ許しを願った。アルアッバースが後を追って来てこう言った。「使徒よ、私はすでに彼と和解したのです」人びとは使徒が口を開くまで自制していたが、使徒がこう言うのを聞いた。「アッバースよ。彼を連れてあなたの持ち場に戻り、朝になったら彼を連れて来てください」

 アブースフヤーンは、クライシュ族の最高権力者に対するムハンマドの裁決を思いめぐらせながらその晩を眠れずに過ごしたのであった。

 朝になると、アブースフヤーンは預言者の前にひき出された。そこにはムハージルーンの大物や、アンサールの大物たちも同席していた。預言者は口を開いた。「アブースフヤーンよ、困ったことだ。あなたには神(アッラー)が唯一の御方であることを知る時が来ないのか」彼は答えた。「あなたは私の身内のような方、寛大で慈悲深い方よ、もし神(アッラー)がほかにもいるなら最高に豊かであろうと私は思ったのです」

 ムハンマドは言った。「困った者だ。アブースフヤーンよ、あなたは私が神(アッラー)の使徒であるとは信じないのかね」

 ラムラの父アブースフヤーンはこう言った。
「それについては私にはまだ少しばかり心にひっかかるものがあって……」

 しかしアブースフヤーンはほどなくイスラームへの改宗を明言した。アルアッバースはこの男をはずかしめずに、その気持をやわらげ、また彼の社会的地位を守るようにと預言者に処置を頼んだのであった。寛大なる預言者はそれに応えた。

「そうである。アブースフヤーンの家に入る者は安全であり、その戸を閉める者は安全である。そして聖なる神殿に入る者は、安全である」

 アブースフヤーンは人を送ってマッカの人びとにこう告げさせた。「アブースフヤーンの家に入る者は、神(アッラー)に忠実なる者……」

 いまだその叫び声が響き渡っているうちにも、ウンムハビーバにその知らせが届いた。彼女は喜びに震えて叫んだ。
「父の家に入る者は安全!」

 夫ムハンマドはなんと寛大であることか、気高く立派なこと! 神(アッラー)に感謝を捧げてひざまずいた彼女であった。

 そして、彼女はこの素晴らしい知らせを、他の夫人たち、アーイシャやハフサやウンムサラマたちがどう受けとめたか見るために立ちあがった。

 彼女には、肩の重荷がほどかれたように感じた。そしてその瞬間からアーイシャの我が儘や、自分本位の態度を絶対に受け入れることにしなかった。そして、アーイシャの行動を見守る立場に立って、彼女が行き過ぎるたびにブレーキをかけてきた。

 運命のときが訪れると、彼女はアーイシャを呼び、死の床でこう言った。「私たちの間は同じ一人の夫をもつ妻同士そしてふさわしくない関係にあったけれど、それを許してくれますか」あるいは「私たちの間柄は、同じ夫を持つ妻としては好ましいものではなかったけれど、神(アッラー)が私とあなたの間のことを許して下さいますように……」と言ったという。

 アーイシャは、彼女と仲なおりをし、彼女のために許しを願った。彼女の顔は満足を示し、晴れやかに輝き、こうささやいたという。「私はうれしいのです。あなたが私に喜びを与えてくれたように神(アッラー)があなたに喜びを授けて下さいますように……」

 そしてウンムサラマとも同様なことを行なったという。

 彼女は、平和なねむりについた。遺体は、夫預言者の町のアルバキーウの土の下に埋められた。ヒジュラ暦44年、ムアーウィヤ・イブン・アブースフヤーン(注3)の時代であった。

(注3) ウマイヤ朝の初代カリフとなったムアーウィヤは彼女の実の兄弟である。

転載: 宗教法人日本ムスリム協会 「預言者の妻たち」
アーイシャ・アブドッラハマーン 著
徳増 輝子 訳

(2007年12月7日更新)














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