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第9章
【ジュワイリーヤ・ビント・アルハーリス―その2】
 

花嫁の恩恵

 預言者がアルハーリス・イブン・アブーダラールの娘と結婚したという知らせはすぐに広まった。この知らせを聞いて、教友たちは自分たちの預言者が、結婚によって名誉を与えたこの婦人へお祝いの贈物をしようと互いに呼びかけあった。それぞれが彼女の部族民で捕虜となった人びとを連れてきては、彼らを奴隷の身から自由に放してやった。「この人たちは預言者の身内となった民である」と言って……。

 花嫁は、預言者の家に嫁いだ。彼女は部落の人びとに、なんと大きな貢献をしたことであろう。彼女の結婚によって、ムスタリク部族の何百もの家族が自由の身となってこの恩恵に授かったのである。

 ジュワイリーヤは、預言者に会い、自分が奴隷の身から救われたうえ、自分の部族の人びとも自由の身とされ、なお人類の指導者である人物の妻という名誉まで受けた、あの時の幸運な瞬間のことをいつも忘れず感謝していた。

 一方アーイシャは、その同じ瞬間のことをにがく思い出していた。彼女は率直にこう言っている。「彼女は、優美な女性でした。見た人は誰でも虜(とりこ)になってしまうほどの美しさでした。彼女は書かれた契約のことで助けを求めて使徒様のところへ来たのです。私は戸口のところで彼女をひと目にて嫌ってしまいました。使徒様も、私の見たものを見るのであろうと直感したのです」

 戦争のとらわれ人となった女を、預言者が凝視したといってとがめる人がいるだろうか。もし自由の身(注4)の婦人であったら、結婚の意志ある場合を除いて、使徒も彼女をしげしげと見つめることなどなかったであろうし、それならばアーイシャの気持も安穏であったのだ。アッスハイリーが、アッラウド・アルウヌフに述べているように、使徒が彼女のすばらしさを知るほどに彼女を見つめたというのは、彼女が奴隷の身の女であったからで、もし、自由人であったらしげしげと見つめることはなかったろう。あるいはおそらく結婚する気があって、見つめていたのかもしれないが……。使徒は、結婚を目的の場合にはその女性をよく見よ、と言ったことがある。アルムギーラが、ある女性との結婚の件で相談したとき、使徒は彼にこう言った。「彼女をよりよく見れば、それは二人の間をよりよく保たせることにもなろう」またムハンマド・イブン・ムサルマがアッダッハーカの娘ブサイナとの結婚を望んだ際にも、使徒は同じようなことを言ったという。アーイシャが心配していたとおり、夫ムハンマドは美しいとらわれ人をじっと見つめたのである。その結果、ジュワイリーヤ・ビント・アルハーリスは、アーイシャと同じように預言者の家で暮すことになったのである。すでにイスラームに帰依し、良き信者となっていた彼女は同じように信徒の母となったのである。

 使徒が、まだ彼女との結婚を発表する前のこと、彼女の父親であるアルハーリスが、マディーナにムハンマドを訪ねて来て、こう言ったと伝えられている。「ムハンマドよ、あなた方は娘を捕虜としたが、これはその身代金である。私の娘はそのような身になるべきではない」

それを聞いて使徒は「では彼女に好きな道を選ばせてはどうか」と言った。そこで父親は「それはもちろんです」と答えた。娘のところへ父親はそのことを告げに行くと、彼女は「私は神(アッラー)とその使徒を選びます」と言ったという。また、つぎのようにも伝えられている。

 アルハーリスが、娘の身代金を持って来たときに、その結婚の話をムハンマドから聞いて声を高くしてこう叫んだ。「神(アッラー)以外に神(アッラー)はなし、まことあなたはムハンマドよ、神(アッラー)の使徒である」

 そこでムハンマドは父親に彼女との婚約を申し出て、彼はこれを認めて娘を結婚させた。このときのサダークは4百ディルハムであったという。

 アーイシャは、まもなくムスタリク族討伐の帰途、一行から遅れたことをあれこれ噂されて、ジュワイリーヤのことも、ジュワイリーヤ以外の夫人たちのことも、気にかけるどころではなくなった。

 やがて中傷事件が解決されて、アーイシャは神(アッラー)のみ言葉によって身の潔白が証されたことに誇りを持って、預言者の家に戻ってきた。そしてジュワイリーヤと顔を合わせたアーイシャは、ジュワイリーヤから他の夫人たちへ、ザイナブやウンムサラマ、ハフサ、そしてハディージャの幻の間を見渡しながら、誇らしげにこう言った。「使徒様と処女のまま結ばれたのは私ひとり」

 それはジュワイリーヤは、捕虜となる前はムサーフィウ・イブン・サフワーン(注5)の妻であった。彼女はウマイヤ朝が成立した時代まで生存し、ヒジュラ暦第一世紀の半ば過ぎに、マディーナで息をひきとった。イスラーム史のなかに、彼女はその部族が大きな恩恵を授かった信徒の母として知られることになった。

(注4) アラブでは婦人をしげしげと見つめるのは失礼なことであった。
(注5) アッタバリーの歴史書では、マーリク・イブン・サフワーンとなっている。

転載: 宗教法人日本ムスリム協会 「預言者の妻たち」
アーイシャ・アブドッラハマーン 著
徳増 輝子 訳

(2007年10月12日更新)














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2007年 アラブ イスラーム学院