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第5章
【ハフサ・ビント・オマル-その3】
 

尊い保管品

 預言者の夫人たちは、深く身にしみてこの教訓を学んだ。死ぬほど悩みぬいたハフサの心も、安らかな落着きを取り戻した。そのときいらい、彼女が預言者の家で問題を起したり、預言者の好まぬことの原因にあえてなったりしたことは聞いていない。

 そして預言者が神(アッラー)のみもとに召されたとき、アーイシャも含めた夫人たちのなかから、聖典クルアーンを保存する最初の人として彼女が選ばれたのであった。

 それはオマルが初代カリフのアブーバクルに各所に散り散りに書きとめられているクルアーンを、時がたって初期のハーフィズ(暗誦者)達が絶えてしまう前に結集を行なってはと提案したからであった。

 アブーバクルはそれに応えて聖典をまとめ、信徒の母ハフサ・ビント・オマルのもとに保管させたのである。ハフサのもとで安全に保管されていた聖典は、オスマーン・イブン・アッファーンがカリフの時代に彼の手に渡され、オスマーンはそれから4部のクルアーンをつくって各都市に配布し、それ以外の各種の異本を焼却させた。イスラームの聖典が誤った読み方で伝わり、ムスリムの間に相違が生じるのを恐れたためである。

 その後ハフサは、信仰の生活に勤しんだ。内乱(注7)が起きると、オスマーンの復讐を求める軍を引き連れ、マッカ出発を決意していたアーイシャは、ハフサも彼女とともに出陣することを望んでいた。ハフサは夫のムハンマドのもとでともに暮した時代の友情を思い、友の頼みをむげにことわることはできないので、出発の準備を始めた。しかし兄弟のアブドッラー・イブン・オマルがこの出陣をいさめると、彼女はその争乱に出陣する考えを改めた。

 この信仰深く敬虔に斎戒を守り、礼拝に精進していた夫人ハフサはムアーウィアの時代(ウマイヤ朝)の初期まで生存し、死後はアルバキーウの信徒の母たちの墓に埋葬された。

 イスラームと預言者の書、最初の聖典クルアーンを保管した信徒の母として彼女の名は歴史の上にその栄誉とともに残されたのである。

(注7) 656年の駱駝の戦いであろう。

転載: 宗教法人日本ムスリム協会 「預言者の妻たち」
アーイシャ・アブドッラハマーン 著
徳増 輝子 訳

(2007年7月20日更新)














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2007年 アラブ イスラーム学院