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第4章
【アーイシャ・ビント・アブーバクル-その11】
 

別れ

 中傷の事件が、誉れある終局を迎えてから、何年かが過ぎていった。その間アーイシャは夫が数々の偉業を成していくのを見てきた。異教徒との戦いの数々から、勝利の帰還をするのを迎えてきた。イスラームの教えが、まるで暗い闇の夜を切りくずす朝の光のように、すさまじい勢いで発展していくありさまをながめてきた。

 そして、ついに英雄が栄光の生涯を閉じて眠りにつくときがやって来た。人間ムハンマドが、いろいろな出来事のあった長い生涯を終える瞬間であった。

 別れの巡礼(注18)からマディーナに戻ってまもなく、ムハンマドはある晩真夜中にアルバキーウに墓参し、そこに眠っている人びとの霊をなぐさめた。

 朝になって、アーイシャを訪ねると、彼女はひどい頭痛を訴えていた。「ああ、頭が!」そのとき、預言者は、その言葉で自分の痛みを覚えて言った。「私もだよ、アーイシャ。頭が痛い」

 しかし、彼女があまりにも訴え続けるので、彼は彼女にこんな冗談を言った。
「悲しむことはないよ、もしあなたが先に死んだら、私はあなたのために立ち上がり、あなたを白布に包んで、あなたの死を悼み、祈りを捧げて埋葬してあげるよ」

 すると彼女は嫉妬にかられたような声で叫んだ。
「それは私以外の人にとってなんと運のいいこと! たとえそうしてくださっても、私の家に戻って来られたら、また、そこに奥さんを迎えるのでしょう!」

 預言者は思わず笑い出し、少し頭の痛みが静まった。

 それからつぎつぎと夫人たちの訪問を始めたが、痛みはその間に一層激しくなり、ついにマイムーナの家についたとき、あまりの苦痛に動けなくなってしまった。

 病床に伏した彼を囲んで集まった妻たちを見回して、彼はこう聞いた。
「私はあしたはどこなのだ? あさっては誰のところなのか」

 夫人たちはすぐにこの質問の裏に、アーイシャの順番の日を聞いていることを悟った。そしてみな、夫が一番愛している夫人のもとで看護を受けさせてあげたいと願い、こう言った。
「使徒様よ、私たちの日はアーイシャに譲りました!」

 彼は最愛の妻の部屋に移された。彼女は、一睡もせず看護を続けながら、できることなら自分の命を捧げたいと願うのであった。

 やがて別れの瞬間が訪れた。彼の頭は、愛妻の膝の上に置かれていた。

 アーイシャは、この恐ろしかった瞬間をこう語っている。
「使徒様が、私の膝の上で重くなっていきました。お顔をみつめると目を開いて一点をじっとみつめてこうつぶやかれました。“天国の至高の友が……”と。

 私は“真理であなたを遣わされたお方にかけて、あなたは選択を与えられて(注19)、みずからそれをお選びになったのですね”と言いました。

 私の胸元で使徒様は首をたれたのです。年若い私には、どうしたらよいのかわかりませんでした。使徒様は息をひきとり、そのまま私の膝の上にいらっしゃいました。私は使徒様を抱いたままどうしたらよいのかわからず頭を枕の上に置いて立ち上がると、私は夫人たちと一緒になって声をあげて顔をぶちつづけて体中を波打たせて泣きわめいたのでした」

 世の中が、あたかも混乱に陥りそうになったが、神(アッラー)はムスリム同胞にそれを制された。アブーバクルは信徒の中に立ってこう声をあげた。
「人びとよ、ムハンマドを崇(あが)める者には、ムハンマドはすでに死んだのだ。神(アッラー)を崇める者には、神(アッラー)は今も生きておられる」

 そして最後の預言者、ムハンマド・イブン・アブドッラーに降された神(アッラー)のみ言葉を読みあげた。
「ムハンマドはただ使徒にすぎない。これまでにも多くの使徒が逝った。もし、彼が死ぬか、または殺されるかしたら、汝らは踵を返すのか。汝らが踵を返すとも、いささかもアッラーを害することはできないのだ。アッラーは感謝の心を忘れぬ人びとを報い給う」……クルアーン第3章(アールイムラーン)144節。

 人びとはこの一節(アーヤ)が下されたことは、アブーバクルがそれを読みあげるそのときまで知らなかったという。

 ムハンマドはアーイシャ・ビント・アブーバクルの家に埋葬された。そして彼女の父アブーバクルがその後継者(カリフ)となった。

 アーイシャ夫人は、ハディースやスンナ(注20)に関しては第一の権威者とされている。イスラーム教徒は、預言者の命じた教えの半分を彼女から受け継いだともいわれている。

 イマーム・アッザハリーは、アーイシャの知識を集めればそれは全預言者夫人のものと等しいし、それは全女性の知識を集めたものにあたるが、それでもなおかつアーイシャの知識の方がより好ましいと言っている。

 ヒシャーム・イブン・オルワが父親のオルワから受けついだ伝承によると、オルワはこう言った。
「フィクヒ(イスラーム法学)・医学および詩においては、アーイシャ以上の知識者はいなかった」と。

 彼女は、アラブのイスラームの女性について人びとの見解を正してくれた人でもある。生命力あふれる女性の本来の姿を、彼女たちに示してくれた人である。アーイシャ夫人は、きっと、いつの世にも人びとに明るい光を与えてくれることであろう。

 彼女は、深くイスラームの発展に寄与した。またそのなかに没頭し過ぎた人であった。オスマーン・イブン・アッファーンが殺害されて以後のイスラーム史が直面した動乱の争いに加わり、カリフであるアリー・イブン・アブーターリブに対抗する軍を率いてみずから指揮をとった。彼女は、中傷の事件以来、絶対にアリーを許すことはできなかったのである。また同様にアリーが最初の信徒の母、ハディージャの娘ファーティマの夫であったことも忘れることのできない一つであった。

 そして、アーイシャは66歳で生涯を閉じた。深い影響をイスラームのフィクヒ学、社会学の上に、また政治上に残しながら……。

 彼女の死は、参考文献によると、ヒジュラ暦58年のラマダーン月(第9月)17日火曜日の晩となっている。アブーフライラが彼女のために祈祷をあげ、葬列は、アルバキーウに向かって夜道を進んだという。燈火をともしながら大声をあげて泣き叫びながら、棺のあとに従って人びとはぞろぞろと歩いた。その晩は実に大勢の人々が参列したという。

 遺体は他の信徒の母たちと並んで埋葬された。死は、彼女たちの間におきた小さな争いをすでに解消してくれた。この可愛らしい人の中で何年も燃えつづけていたその炎も時が吹き消したのであった。

 サヒーフ・アルブハーリーの書によると、アーイシャは姉のアスマーの息子アブドッラー・イブン・アッズバイルに、自分が死んだら仲間の夫人たちと一緒にアルバキーウに埋めてくれるようにと遺言を残していたという。

 彼女の遺体を墓穴の中に降ろしたのは彼女の甥たちで、アブドッラーとオルワ(姉のアスマーの二人の息子)、そしてアルカースィムとアブドッラー(弟ムハンマドの二人の息子)、それにアブドッラー(兄アブドッラハマーンの息子)であった。

 ついに彼女は永遠の眠りについた。人々は、その後も彼女のことを語りつづけている。6歳の年を迎えて以来、充実した60年の生涯を送った彼女、その間の彼女の言動のあとを追い求めようと歴史は彼女のほんの小さな出来事にまで気をとめるのである。

(注18) 632年、預言者は巡礼者を率いてマッカにはいった。これが預言者にとって最後の巡礼となった。
(注19) イブン・イスハークによると、このときムハンマドは生と死の選択を与えられた。そして彼は死(すなわち天国に入ること)を選んだのだという。
(注20) スンナは預言者の言行および黙認した行為であり、ハディースはそれらを伝承したものである。

転載: 宗教法人日本ムスリム協会 「預言者の妻たち」
アーイシャ・アブドッラハマーン 著
徳増 輝子 訳

(2007年6月29日更新)














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