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第4章
【アーイシャ・ビント・アブーバクル-その5】
 

花嫁

 約1か月後、預言者の娘たちを連れに、ヤスリブから、ザイド・イブン・ハーリサがやって来た。ザイドは、アブーバクルからの、息子アブドッラーにあてた手紙も託されていた。それにはウンムルーマーンと、二人の娘、アーイシャとアスマーを連れてヤスリブに出発するようにと指示されていた。

 旅立ちの準備が始まった。今やマディーナ(預言者の町)と呼ばれるようになったヤスリブに向かって一行は出発した。

 二、三日、アーイシャはうれしさのあまりにはしゃぎどおしであった。そのうち彼女のラクダが道をはずれて行ったので、驚いたウンムルーマーンは、「娘が、花嫁が!」と助けを求めた。

 アブドッラー、そしてタラハ・イブン・オバイドッラー、ザイド・イブン・ハーリサは、急いで駆け寄って、道をはずれたラクダをもとに戻した。それ以後アーイシャは、ラクダの背の上で静かに目を閉じて、まもなく会える愛する人々のことを想った。

 マディーナで、ムハンマドは、アーイシャのための住まいの準備を始めた。

 伝承によると、彼は4日間クバー(注11)に滞在した。その間に、イスラーム史上最初のマスジドの建立が始められたと言われている。そこはアンサールのクルスーム・イブン・アルハラムのミルバド(ラクダ等をつないでおいたり、あるいはなつめやしの乾燥場に用いていた空地)であった。

 金曜日に、愛用のラクダ、カスワーに乗った預言者は、サーリム・イブン・アウフ一族のもとに出かけ、ここで昼の礼拝(注12)のときを迎えたが、これが彼のマディーナでの最初の金曜礼拝(注12)であった。

 その後、ラクダの歩を進めた預言者を、あちこちから迎え出た人びとは、
「さあどうか、私たちのところへご滞在ください。私たちは、人数も多く、あなたさまをお守りする装備は、十分にできています」と言って歓迎の意を表わした。

 ムハンマドは、人びとに感謝しつつ、「私のラクダに道を開けてください」と答えていた。

 ラクダはミルバドまで来ると、そこに止まった。その近くには、アンサールのアブーアイユーブの館があり、預言者はミルバドにマスジドと住居ができあがるまで、この館に滞在していたといわれる。ムハージルーンもアンサールたちも一致協力してその建立に精出した。

 ついにマディーナにマスジドが建ち、そのまわりに9つの住まいができ上がった。あるものはシュロの葉と土で作られており、またあるものは積み重ねられた石造りの、9戸の家(注13)であった。各家の戸口は全部マスジドの広場に向けて開かれていた。このうちの一棟にサウダが住んで、ムハンマドや、その二人の娘、ウンムクルスームとファーティマの世話にあたっていた。

 預言者の4人の娘のうち、ルカイヤは、夫のオスマーン・イブン・アッファーンとともに暮し、ザイナブは、夫のアブールアース・イブン・アッラビーウとともにマッカに残っていた。このザイナブの夫は、いまだに多神教徒であったが、この夫婦の間は、イスラームによって切り離されることもなかった。

 預言者のマスジドと住まいが完成されて、ムスリムたちは、マディーナに居が定まり、敵の圧迫のないこの地に安住できることになった。

 マディーナに移って数か月を経たいま、アブーバクルは3年前に、マッカで結んだアーイシャとの結婚の約束を遂げるようにとムハンマドに話しかけた。

 ムハンマドは快くそれに答えた。アンサールの人びとは、男たちも女たちもこぞってこの縁組で預言者の義父となったアブーバクルのもとにお祝いに駆けつけた。当時彼は、ハズラジ(注10)のハーリス家に身を寄せていた。

 アーイシャは結婚の当日をこう述懐している。
「使徒様が家にみえると、アンサールの人びとが、使徒様をとり囲んで集まっていました。私は揺りかごのようなブランコに乗って遊んでいたのですが、母が呼びに来て、私を降ろし、私の髪を結い直して、顔を洗わせたのです。それから私を連れて入口の前まで来ると、そこで私の息のはずみが整うまで、少し時間をみてから、私を中に入れました。使徒様はベッドの端に腰をかけておられて、母は私を彼の膝の上に乗せるとこう言ったのです。“あなたの家族となる人びとですよ。あなたにも、そして皆さんにも、神(アッラー)の祝福がありますように”……と。

 人びとは立ち上がり、部屋を出て行きました。使徒様は、私たちの家で私を妻となさったのでした。ラクダも、羊のザバハも行なわれませんでした。ただ、サアド・イブン・イバーダが、いつも使徒様に届けていた大盆を私たちのために送ってくれただけでした」また二人に、ミルクの壷が届けられ、ムハンマドはそれを飲み、続いて花嫁も恥じらい、とまどいながらそれを飲んだ。

 アーイシャは可愛い花嫁であった。小柄な身体に大きな瞳と波つった髪、色白でほおの赤いきれいな花嫁であった。

 花嫁は新しい住まいに移った。そこはマスジドの周りに建てられた住まいの一つであり、日ぼし粘土と、シュロの葉の組み合せでできていた。部屋にはリーフでとり巻かれた皮のふとんが置かれただけで、ふとんと床の間にムシロが一枚敷かれているだけであり、戸口には毛でできたカーテンが下がっていた。

 この質素な家で、アーイシャの栄誉ある結婚生活が始められたのである。それは今日の時代でも、また明日も歴史上に語り続けられるところとなり、またここにイスラームと、その預言者にとっても重要な彼女の地位が築かれたのである。

 彼女は若かった。若い彼女を西欧の東洋学者たちは、子供として扱っているが、しかし某東洋学者が証明するように、「預言者の家に足を踏み入れたその瞬間から、全員が彼女の存在を意識したほどである。もしそこに、自分がこれから何をするべきなのか、何に向かって行くべきなのか熟知した娘がいたとすれば、それはアブーバクルの娘アーイシャにほかならない。彼女の人柄は、マスジドの続いたこのムハンマドの家にやってきた最初の日から形成されていったのである……」

 アーイシャ・ビント・アブーバクルは、この家で成長し、この家で完成されたと言われている。

 夫が彼女のために、遊び仲間を連れてきたり、また肩に乗せて、窓の外で戦争ゴッコをして遊ぶハバシャから帰還した子供たちを見せてやったりした。そんなあどけない時代から、むずかしい化粧の問題を問われるほどの知識豊かな婦人となるまで、預言者の手許で彼女は成長を続けたのである。

 化粧の問題を問われたとき、彼女はこう答えている。「あなたに夫がいるなら、(夫のためにはできる限り美しくなりなさい)仮に、あなたの目を取り除いて、もしもそれ以上に美しく置きかえられるものならそうおやりなさい」

 彼女はまた、妻がいつまでも夫に悲しい顔をみせているのを嫌った。

「敬虔(けいけん)な婦人は、たとえ身内の不幸に悲しんだとしても、三日を越さないように。夫の死を悲しむときは別ですが」と言ったという。

 サウダは彼女と等しい存在ではなかった。アーイシャが心身を注いで愛した夫のもう一人の妻の存在は、多かれ少なかれ気にはなったが、その人が夫の心の中に大きな位置を占めているとは思えなかった。しかしアーイシャを絶えず悩ましたものは彼女が夫の心に入り込む以前に、すでに夫ムハンマドの心の中で確固たる地位を占め、4分の1世紀もの間、誰にも荒らされることなくその地位を保っているハディージャへの変ることのない夫の深い愛であった。

 若い花嫁は、今は亡きハディージャが、いまだに夫の愛を自分とともに分けあっていることにひどく妬みを感じるのであった。彼女は遠くマッカの土の下に眠っている人である。たとえアーイシャが皮肉な冗談を言ったとしても、かたきもとれない。たとえ自分の若さを誇ろうとしても、また自分だけが処女のまま夫に嫁いだのだと誇ろうとしてもそれもできないのだ。

 アーイシャは、亡き夫人のことは無視しようと心がけたが、それはできないことであった。ハディージャの面影は、永遠に夫ムハンマドの心に残り、彼女の名は、彼女の声は、夫の舌に、耳に、彼女の思い出は夫の家にも生活にも生きているのであった。

 なによりも苦しいことは、何か月かが過ぎ、何年も過ぎてもアーイシャは、一人の子供も孕(はら)まなかった。あのクライシュ族の老女が(アーイシャはハディージャのことをそう呼んでいた)二人の息子と4人の娘に恵まれているのに……。

 アーイシャは、夫もまた部族の男性たちもみな子供を誇りとし、その出生を願っていることを知っていた。夫がハディージャとの間に生れた娘たちを、目の中に入れても痛くないほど可愛がっている様子を見ている。

 もし夫が、その深い愛で彼女を守ってくれなかったら、また彼女の手にはおえないこの運命に対して、彼女の信仰心が忍耐を与えてくれなかったとしたら、この辛い苦しみに、どうすることもできなかったであろう。

 彼女は愛する夫の娘たちに、自分の母性の渇きをなぐさめてくれるものを見、できることなら養女しようと願うときさえあった。しかしながら、すぐに彼女たちはハディージャの娘なのだと思い出され、自分と娘たちの間には厚い壁がたちふさがっているように感じてしまうのであった。しかも、どの娘にもハディージャの面影が残されているように思われ、子供に恵まれない苦しい感情に心をかき乱されるのであった。

 アーイシャはこの悲しい思いに浸らないためにも、自然、自分の甥(おい)や姪(めい)に押えられた母性の愛情を向けていった。

 ことに姉のアスマーの息子アブドッラー・イブン・アッズバイルを、自分の実の息子のように愛育し、ウンム・アブドッラー(アブドッラーの母)と呼ばれることさえあった。兄のアブドッラハマーンが死んだときには、その息子のアルカースィムと娘のアッティフラを引き取った。

 アルカースィムは、「彼女は最高の母であった」と言っている。

 また同じように、彼女はハディージャ夫人の亡きあと、誰もが達することのできなかった夫の深い愛情を得ることにより、子供に恵まれない心の痛手をなぐさめようとした。

(注10) マディーナの二大部族であるアウスとハズラジの人々をさしている。この二部族の共通の祖先の名がカイラである。
(注11) マディーナの南の郊外。
(注12) イスラームでは一日5回の礼拝が定められている。日の出前の礼拝、昼の礼拝、午後の礼拝、日没直後の礼拝、そして夜の礼拝である。また、金曜日の昼にはマスジドにおいて合同礼拝が行なわれる。
(注13) この9戸の家とは、棟つづきの独立した9つの部屋であったようである。

転載: 宗教法人日本ムスリム協会 「預言者の妻たち」
アーイシャ・アブドッラハマーン 著
徳増 輝子 訳

(2007年5月18日更新)














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