トップ | イスラーム研究1 | イスラーム研究2 | イスラームと女性 | 預言者の妻たち | イスラーム世界とキリスト教 | イスラームと教育

 

第3章
【サウダ・ビント・ザムア-その1】
 

侘(わび)しさ

 毎日が重苦しく過ぎていった。布教のために、戦いにあけくれる日は、彼には重くのしかかっている重荷を運んでいるような毎日であった。母であり主婦であり、イスラームの宰相であり、戦う彼の片腕であった妻ハディージャを失った後の一人暮しのムハンマドは、暗い眠られぬ夜を送りながら、亡き人の思い出に沈むのであった。部族の人びとからの冷たい仕打ちに悩まされるたびに、孤独のなかで、いつも彼の生活を充実させてくれたその人の面影を思い浮かべるのであった。

 教友たちは預言者の上に深い悲しみの跡を見ては、その一人暮しを憂い、再婚をしてくれればと願うのであった。おそらく新しい結婚によって、亡きハディージャにかわって、彼の侘(わび)しさを慰めてくれる人を得ることができるのではないかと願っていた。しかし誰一人として、喪の期間に、再婚の話をうち出す勇気ある者はいなかった。

 喪中の期間が過ぎたある晩、ハウラ・ビント・ハキームが預言者のもとにやって来て、同情を寄せてこう言った。
「使徒様よ、あなたがハディージャを亡くして悲しんでいらっしゃる様子が私にもよくわかります」

 するとムハンマドは答えた。
「その通り、彼女は子供たちの母であり、我が家の主婦であった」

 ハウラは遠く視線を移していたが、再び預言者に向かうと突然に縁談の話を持ち出した。預言者は何も言わなかった。今も亡き人の思い出が生きている心の奥の鼓動にじっと耳を傾けていた。二十数年前、ナフィーサが訪ねて来て、ハディージャとの結婚の話をきり出したときのことを思い出していた。

 ハウラにその申し出を断わると、とがめるような気持で、
「いったいハディージャのあとに誰がいるだろう」と言った。

 ハウラはすぐに、まるでその質問を予期していたかのように答えた。
「アーイシャです。あなたの一番愛する友アブーバクルの娘です」

 その名を聞いたとき、ムハンマドの心は動いた。アブーバクルとは、アリー、そしてザイドに続いて最も初期に彼を信じてくれた友、常に忠実に深い理解を寄せ、肉親以上に献身的にその身を高価な財物を、惜しみなく投げうって尽してくれた人である。

 ムハンマドは、アブーバクルとともに、彼の娘、アーイシャのことを想った。あのかわいらしい少女、長い間持ちまえの明るさ、朗らかさで彼を慰めてくれた愛らしい少女のことを……。

 彼には、ハウラの言葉を返すことができなかった。たとえ「否」と答えるつもりでも、彼の舌が彼の思いのままにならなかったであろう。アブーバクルの娘を拒否するなんてできようか。長い間の忠実な友愛が、彼にとっては大切なアブーバクルの立場が、またあのかわいらしい知的で朗らかな幼い少女の愛くるしさが、それを拒んでしまうのであった。

「だが彼女はまだ幼いよ、ハウラ」

 しかしハウラの答えは用意できていた。
「今日、婚約を父親に申し込みに行き、そして大人になるまで待ちましょう」

 大人になるまで待つとすれば、ムハンマドの家の娘たちや、彼の身のまわりの世話を誰がするのであろうか。

 そして、ハウラは、何年も先でないと成立しないような、そんな遠い先の話をきり出しにやって来たのであろうか。

いやいや、彼女は二つの縁談を同時に勧めに来たのである。一人は少女アーイシャ・ビント・アブーバクル、そしてもう一人は、未亡人となっていたサウダ・ビント・ザムアであった。

 ムハンマドはこの二人との縁談を承諾した。そこでハウラはさっそく、アブーバクルを訪ね、婚約の申し込みを伝えると、そのままザムアの家に向かい、娘サウダの件をこう言って伝えた。
「サウダよ、神(アッラー)からの素晴らしい知らせを持ってきたのです。なんだと思いますか」

 サウダは何のことかさっぱりわからなかった。

 ムハンマドの結婚の申し込みだと聞いたサウダは、驚きのあまり、しかし気をしっかりと持ちながら震える声で言った。
「それは願ってもないことです。父のところへ行って話して下さい」

 ハウラは彼女の父の部屋へ案内された。彼はハッジュ(巡礼)もできぬほどの高齢であった。ハウラはジャーヒリーヤの風習であいさつをかわしてからこう告げた。
「ムハンマド・イブン・アブドッラーが私をサウダとの婚約のために遣わしました」

 その老人は叫んだ。
「なんと素晴らしいことか。それで本人の意志は?」

 ハウラは答えた。
「それを願っています」

 そこで娘を呼び、こう言った。
「サウダよ、この婦人が言うには、ムハンマド・イブン・アブドッラーがおまえとの婚約のためにこの人を送ったという。それはこの上もないことだ。彼との結婚を望むのか」

「はい」

 この一言以外は彼女はなにも言わなかった。そこでザムアはハウラにムハンマドを呼んで来るようにと頼み、彼女はこの結婚の成立のためにムハンマドを呼びに立ち上がったのであった。


転載: 宗教法人日本ムスリム協会 「預言者の妻たち」
アーイシャ・アブドッラハマーン 著
徳増 輝子 訳

(2007年3月30日更新)














日本語トップ | リンクについて | サイトマップ | ヘルプ



2007年 アラブ イスラーム学院