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第2章
【ハディージャ・ビント・フワイリド-その6】
 

永遠のハディージャ

 ハディージャ夫人は、本当に死んだのであろうか?

 彼女はいつも夫の心のなかに生きていた。彼女の分身は常に夫とともに歩み、彼の周囲から暗い闇をとり払うのであった。

 その後ムハンマドは、何人もの妻を迎えるわけであるが、彼の心のなかに占める彼女の存在は、生涯永遠に初めての妻、4分の1世紀もの間二人だけの生活を築いてきた愛する人として、他の誰一人としてゆるがすことのできない地位を保っていた。

 やがて彼女のあとに数多くの夫人たちが嫁いできた。

 なかには、若く美しい妻や、誉れ高い妻もいた。しかし、彼女たちの誰一人として、ハディージャ夫人のその地位を奪うことはできなかった。彼女の幻は、永遠に夫の心に生きていた。そしてその面影を夫から遠ざけることは誰にもできなかった。

 何年かの後、バドルの戦いの勝利がもたらされたとき(注8)、マディーナでは、クライシュ軍の捕虜たちの償還がおこなわれたが、その際、預言者の娘ザイナブが捕虜となった夫(注9)のアブールアース・イブン・アッラビーウの身代品として差し出した母親ハディージャのネックレスを見た父、預言者の心は悲痛な憐れみの感情にふるえ、ザイナブの手もとにネックレスを返し、彼女の捕虜を放すよう、教友たちに頼むのだった。

 また幼い妻として預言者に嫁いだアーイシャは、預言者の深い愛を一身に受けていたにもかかわらず、自分より先に夫の心に住み、ただ一人の妻として最期の日まで夫を独占していたハディージャその人、しかも死後にも夫の心に生きているその彼女に、非常な嫉妬の感情をいだくのだった。

 ハディージャの姉妹のハーラがマディーナを訪れたとき、中庭で彼女の声を聞いたムハンマドが、あまりにも亡き人の声に似ているので「ああハーラよ」と深いため息をついたという。そのときアーイシャは、感情を押えきれずこう言った。
「クライシュ族のお年寄りのなかから、お年寄りを思い出すのはおやめなさい。赤い口もとが色あせてしまったような……。神(アッラー)はかわりにもっと良い者をお与えになったでしょうに」

 表情を変えたムハンマドは、アーイシャにこう答えた。
「神(アッラー)にかけて、神(アッラー)は彼女以上の人を与えてはくださらなかった。人びとが背(そむ)いたときには忠実に私に従い、人びとが偽り者呼ばわりしたときにも、あの人は私を信じ続けた。人びとが拒絶したとき、あの人は私にすべてを投げ出してくれた。そして神(アッラー)は彼女だけから子供を私に授けて下さった……」

 アーイシャは口をつぐんだ。心では、
「今後、私は絶対に彼女のことは考えまい」
と思った。

 それ以前、アーイシャは、ハディージャについて絶えずいろいろと言っていた。ある日も、彼女をしのんでいる夫を見てこう言ったことがあった。
「まるでこの世にハディージャ以外に女性がいないみたい!」

 すると夫ムハンマドはこう答えた。
「そうだ彼女は……だったし……だったし、その上に彼女からのみ子供を授かったのだ……」と。

 また、神(アッラー)の使徒が羊をザバハしたとき、「ハディージャの友人たちに送りなさい」と言った。

 それに関してアーイシャが何か言ったことがあったが、彼はこう言った。
「私は、彼女の愛した人びとが好きなのだ……」

 このように何度もアーイシャは、神(アッラー)の使徒が彼女について語るのを耳にしていた。

「ハディージャはなんとうらやましい女性なのでしょう。私は彼女が亡くなってから後に使徒様と結婚して本当によかった」

 そしてまた、
「彼女ほどに嫉妬を覚える夫人はほかにいません。ハディージャのことを夫が思い出しているのを見るたびに、私はとても嫉妬を覚えるのです。彼女が死んで三年経ってから結婚してくれて本当によかった」……と。

 ハディージャ夫人が死んでから、マッカ・ファトフ(注10)の日まで、いろいろな出来事のあった十数年であった。

 我々は、神(アッラー)の使徒が、そのマッカのファトフの栄誉を飾るため、またその宿営地として、そこに天幕を打ち建てるために、ハディージャの眠る墓所の隣を特に選んだことも知っている。ハディージャの分身は、彼を見守り、その後も彼に寄り添っているのであった。彼はカアバを回り、偶像を打ち倒しながら、ときどき懐かしい妻の住み家をふり仰いだ。そこは、長かった戦いの日々、ムハンマドを力づけ励まし続けてくれたその人の愛と慈しみの泉があふれ出る所であった。

 ハディージャに続いて、それこそ数知れぬ女性たちがイスラームに入信するのだが、預言者の生涯に重大な役割を全うするため、神(アッラー)が選ばれた最初のムスリマとして、彼女は一人特別の存在とされたのである。

 歴史家たちは、ムスリム(注11)であろうと非ムスリムであろうと彼女のその役割について認めている。ボドレー(R.V.E..Bodley)はこう述べている。
「愛したゆえに結婚した夫に捧げた彼女の信仰こそ、今日その信者が世界の人々の7人に1人と数えられるほどになったイスラームの、その初期の時点での信仰を支えたものなのであった」

 マルゴリウス(D.S.Margoliouth)はムハンマドの伝記を書くにあたって、ハディージャに会ったその日、彼女が手をさしのべたその日に使徒の生涯の始まりをみ、ハディージャの死んだ日、マッカにハディージャが消えた日をもって、ヤスリブへのヒジュラ(移住)の出来事を語っている。

 デルマンゲム(Emile Dermenghem)は、ヒラーの洞窟から、恐れおののきながら異様な目つきで戻った夫を迎えたときのハディージャを、「落着きとやすらぎを与えた人、深い愛情と信頼を寄せ、母のように優しく夫を胸にかかえ、そこにどんな敵からも彼を守ってくれる大きな母の慈しみを見る」と記している。

 また、彼女の死については、
「ムハンマドは、最初の帰依者であり、彼の心にやすらぎを与えてくれた人、妻としての愛と、母の優しさを投げかけてくれたハディージャを失った」
と書いている。

 デルマンゲムは、ここで金持の未亡人との結婚について語る際に、多くの学者たちが気づかなかった点、孤児として育った青年にとっての母性愛の重要性に触れている。

 一方、マルゴリウスは、ハディージャの資産を、この結婚の第一の成因とみなし、「貧しい青年と二人の夫に死にわかれてかなりの財産を受けついだ中年の未亡人を結んだもの」
と述べた。

 なお彼は毒のある敵意をこめた言葉でつぎのように書き続けている。
「ムハンマドのところへハディージャからの申し込みがあったとき、彼が以前おじのアブーターリブの娘、ウンム・ハーニーとの婚約を願ったときに、おじは貧しいゆえに、娘は金持の男と結婚させたいと答えたことがあったが、そのとき耳に残った言葉を彼は思い起した。貧しいということに劣等意識を持っていたムハンマドは、ハディージャからの申し込みを受けるやいなや、その財力に魅了されて受入れたのであった。それこそ、彼にとっては貧しさゆえの傷をいやし、名誉を得るすべであった」

 このマルゴリウスのハディージャの資産がムハンマドをひきつけ、年齢の差を越えさせたとする見解は誤りである。ムハンマドをひきつけたものは、彼女の人柄、性格の美しさ、優しさであった。二人の間の年齢の差の問題を語るには、6歳の幼いときに母の愛情を失っていらい辛い日々を送ってきた彼に、ただ一つの必要であったものが母の愛であるということに尽きるであろう。

 マルゴリウスのこの発言よりも、もっとおかしなムュワー(William Muir)の言葉がある。「ムハンマドのハディージャへの忠誠の裏には彼女の経済力、社会的地位に対する恐れがあり、彼女から離婚されることを恐れたゆえである」

 ではムュワーはつぎの点を我々に説明すべきである。
 なぜハディージャの亡きあとまで、彼女への忠誠は続いていたのか。本当に神(アッラー)の使徒が、彼女から離婚されるのを恐れていたのか。彼はアーイシャと、彼女のことで死後何年も経っているのになおも争ってその思い出に他人が触れることを好まなかったのはなぜか。

 事実、ハディージャは、生きていても亡くなったあとも、預言者の生涯を充実させてくれる存在であった。

 アーイシャが「まるでこの世の中にハディージャ以外に女がいないみない」と不満を述べたほどである。アーイシャでさえも、その意味ではハディージャを越えることはできなかった。

 実際、ハディージャ以外に誰が彼の昔の傷跡……目前で母を亡くしたその心に奥深く残されたその傷をいやすことができたのであろう。瞑想にふける夫のために良き環境を整え、ことごとく神(アッラー)の啓示を授かるべく夫に貢献する貴重な婦人が、いったい彼女のほかにどれだけいたであろう。ヒラーの洞窟から帰宅した際の歴史的な出来事を、彼女が迎え受けたように、落着きと、いたわりと深い信頼を寄せて迎え受ける妻がほかにもいたであろうか。

 ハディージャ以外の恵まれた婦人に、信じる真理のため、迫害を受ける夫を励まし、またその迫害の時期を夫とともに耐えるため、慣れ親しんだ平和な生活、豊かな生活を快く捨て去ることができるであろうか。とうてい出来ないであろう。そればかりでなく、孤児の身には母となり、英雄の身には激励となり、戦士には心の安らぎを与える人、また預言者には宰相となって、約束されたその人間の生涯を充実させるために、運命は彼女を準備していたのであった。

 イブン・イスハークは言った。
「神(アッラー)の使徒に人々が反発的なことばを投げたり、偽り者呼ばわりして彼を悲しませるたびに、神(アッラー)はハディージャをしてそれを慰める。ハディージャは辛い気持で帰宅した夫をいたわり、勇気づけ、深い信頼を寄せてそんな問題を和らげては、死に至るまで彼に尽した」

「神(アッラー)の使徒であり、また父親であったムハンマドの生涯を満たし、イスラーム史を充実させてくれた4人の娘たちを残して、彼女は逝った……」

 すでに娘たちについては、私の著書『預言者の娘たち』で言及したが、そこにはハディージャが最初の信徒の母と呼ばれるに全くふさわしい美しい母親像が説明されている。

 一方、預言者の養子となっていた彼女の前夫の息子、ヒンド・イブン・アブーハーラに関しては、彼はウフドの戦いに活躍し、またバドルの戦いにも参加していたと言われている。

 また同じように、駱駝の戦いの際にも、アリーを助けて戦ったと言われている。人びとの伝える話では、彼はそのときに戦死したとも、あるいはバスラでペストにかかり、死んだとも聞いているが、彼の葬儀には、人びとは自分たちの親族の葬儀を置きざりにしてまでも「預言者の娘のファーティマの兄が死んだ……」と騒ぎながら集まってきたと伝えられている。

(注8) 西暦624年のことである。マディーナ軍(イスラーム教徒)対マッカ軍(多神教徒)の最初の合戦であった。
(注9) 当時ムハンマドの娘、ザイナブの夫はマッカの多神教徒であった。
(注10) 630年。ムハンマドによるマッカ征服(マッカ開放)のことである。
(注11) 神(アッラー)への帰依者。すなわちイスラーム教徒のことであり、女の信徒をムスリマ、男の信徒をムスリムという。

転載: 宗教法人日本ムスリム協会 「預言者の妻たち」
アーイシャ・アブドッラハマーン 著
徳増 輝子 訳

(2007年3月23日更新)














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