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第1章
【家と夫−その2】
 

 ではイスラームの預言者とはどんな人であったのであろうか。

 出身地も肌の色も違い、家柄も育ちもそれぞれに異なり、年齢も個性もまちまちなこの数多くの良き夫人たちを、どんな夫が一緒に住まわせたのであろうか。

 むずかしいことであるが、25歳のとき、二人のおじ、アブーターリブとハムザに付き添われて婚姻のため、ハディージャ・ビント・フワイリドの家におもむいたこのハーシム家の青年の特徴のいくつかを拾いあげることができる。そのとき、彼は預言者ではないただの人間であった。たとえ使徒として送られる準備はすでにできていたとしてでもある。

 彼はハーシム家の出身で、血筋のよい生まれの青年であった。父親はアブドッラー・イブン・アブドルムッタリブ・イブン・ハーシムで、この人は親の誓いに従って犠牲に捧げられた話(注3)でマッカに記憶されている人で、この話はアラブの先祖であるイブラーヒーム(アブラハム)の息子イスマーイールが最初に犠牲に捧げられた記憶を呼び起させる興味ある話である。

 母はアーミナ・ビント・ワハブ・イブン・アブドマナーフでクライシュ族の良き婦人であったと言われている。

 ムハンマドはその幼年時代に、サアド部族という遊牧民(ベドウイン)の中で、何年かを過ごしたことがあったが、この遊牧民の生活は、彼の性格に独特な影響を残している。また、その生活は精神と肉体との健康につながり、けじめの正しい態度、正しい言葉遣いもその間に身についたものと思われる。また、その後迎えたみよりのない孤児としての年月を通して、彼は注意深く物ごとをこなし、早くから責任感にめざめる力を得たのであった。

 シリアへの旅は、物の見方を深め、広く世間と接することによって彼の人生により一層豊かな知識と経験を供することになった。そしてまだ若い青年のうちに、彼は忍耐強いできあがった人間になっていた。彼のなかには遊牧民(ベドウイン)の名残りがのぞかれるし、また、アラブ巡礼の地マッカの聖地をめぐる文明度の高い生活から身についた洗練された言動もみられ、旅の経験で得た見聞は彼の知性のうちに光を放っていた。クライシュ族のハーシム家から受けついだ育ちの良さも、その行動のうちに目立っていた。無駄もなく、贅沢もなく、無気力な生活におぼれることもなかった。

 ハディージャがムハンマドについて耳にしたとき、彼はこのような人物であった。

 部族の人びとが噂する彼の誠実さ、信頼度の深さ、寛容さ、この人徳に今までのすべての男性に閉じられていた彼女の心は開いたのであろう。実際に彼女は彼に出逢い、自分の目で確かめる以前から彼に思いをめぐらしていたのである。

 ……彼は典型的なアラブであり、肌の色は美しく、背は高すぎず低すぎず、頭は大きく額は広く、あごは長く、首は高く、胸は堂々として手足はたくましく、濃い豊かな頭髪がおおい、黒い大きな瞳が長いまつ毛の下で魅了するように輝いている。話したり笑ったりするたびに白い歯があらわれて光り、体を前に傾けて急ぎ足に歩き、人の話は全身に注意を傾けて聞き、気さくな快い態度で人びとを迎え、ときおり歯を出して笑いころげる。

 また、怒った時も、けっしてどなり散らすことなどなく、ただ眉をひそめて怒りをあらわす……素晴らしい青年である……と。

 そのころハディージャはあどけない娘であったわけでなく、すでに世を渡り、世を知り、豊かに人生の経験をつんだ婦人であった。

 以前に二人のクライシュ族の男性と結婚をしたこともあり、また、シリアへの商いを依頼したときに、何人もの男を雇用したほどの婦人であった。

 彼女のムハンマドに寄せた関心と、結婚への強い望みは、彼女に再婚を求めた多くの男性のなかにはみられなかったものをムハンマドのなかに見出して魅了されたためであるといえよう。ここで繰り返し述べるまでもなく、彼女が当時知ったムハンマドは、理想的な男性でこそあれ、けっして待たれている預言者ムハンマドではなかった。

 この人生経験の豊かな婦人が、使徒として送られる以前の15年という歳月を、彼とともに暮したのである。15年間、これは実に、この結婚の真髄を知り、外部には知られない人間の内面を認識するに十分な長い歳月であった。実に結婚生活とは夫を最も正確で精密な尺度で測る試験のようなものともいえるであろう。夫に授けられた啓示にハディージャ夫人は、深い信仰を捧げたのだった。彼女が選んだ青年、愛した夫、ともに暮して知り尽したその人に少しの疑いも持たなかった彼女、ハディージャ夫人のその夫に寄せたこの信頼の深さが、その人間の偉大さの証(あかし)ともいえたのであろう。初めて啓示を受けた時の彼の不思議な話を聞いた際にも、彼女はすぐに確信と情熱をこめて力強く叫んだという。

「神(アッラー)は常にあなたを見守っていらっしゃる。あなたは親しく人びとと交わり、深い愛でつながれている方、けっして偽りをいわず、あわれな人びとを助け、客人を大切にもてなす方、正しい真理をかかげる方ですから!」

 これが長い年月をともに生活した妻の夫に寄せた言葉であった。そこに神(アッラー)の使徒とし遣わされる以前のムハンマドの人柄がしのばれるのである。それはまた、アリー・イブン・アブーターリブの語っていることでも確証されよう。アリーは、ムハンマドの従弟(いとこ)で、二人はアブーターリブの家で長年共に育ち、ムハンマドがハディージャと結婚したのちには、少年アリーは彼について一緒にハディージャの家に移っている。

「彼は非常に立派な人物だ。心の広い人、正直、かつ誠実で、理解が深く、親切で、この点では比類をみない人だ。ちょっと見ただけの人は彼をおそれるが、よく知った人は必ず彼を好きになる……」

 アルイスティーアーブ(注4)のなかのアーティカ・ビント・ハーリドの話では、彼女は、まだムハンマドを知る前に彼を見てつぎのように話している。

「清潔な感じの男性に出会いました。立派な顔つきで姿もよく整った人でした。目は黒くてまつ毛が濃く、首が長く雄々しい声の人でした。髭は濃く、黙っても威厳があり、話すと荘厳さがあり、非常に素晴らしい人、遠くから見ていると美しく、近くで見ているとなおさら美しい人でした。話し方もはっきりとわかりやすく立派で、肩幅は広く、背丈は高すぎもせず低すぎもせず……。

 彼のまわりを仲間がとり囲んでいて、彼が何か言えば皆その言葉を聞き、彼が一言命じれば、すぐ命じられたことにおもむくのでした……」

 ハディージャ夫人は数多い預言者の夫人たちの中でも一人別格とされている。それは彼女一人が、預言者としての使命を授かる前のムハンマドを男性として、夫として知っていたからである。

 我々はここから二人の結婚生活をみることによって、夫ムハンマドの人間像を求めることができるであろう。だからもしこの二人の結婚生活を、その後に預言者の家に嫁いで来た夫人たちの生活と一緒にすることは、ここで彼女たちの生活を正しく描くこともできなくしてしまうであろう。

 彼女たちは例外なく、みな夫を預言者と認めていたし、二つの人間像が一体となったムハンマドとの生活の中にはいっていったのであったから……。

 我々が安心する点は、それは選ばれたる神(アッラー)の使徒との結婚という名誉に力づけられて、預言者のもとに嫁いで来たどの妻も、家に落ち着き、夫の他の夫人たちに会うやいなや、彼を神(アッラー)の使徒としてよりも、まずは自分の夫として意識するという点である。それゆえ、ここに不満や、競争が、時おりは限度を越えた嫉妬が生じるのであった。もし夫人たちが、夫を預言者として意識して見ていたら、このような争いが、その生活の中に顔を出すことはまずなかったはずであった!

 ムハンマドの家庭での生活は非常に人間らしいものであったと思われる。

 彼は情にあつく感情豊かに生きようとした。ほんとうに必要に迫られた、止むに止まれぬ場合を除いては預言者としての厳格な態度で夫人に接することはなかったといえる。

 今日、我々がその結婚生活に関して歴史の語ることを読んでみても、精神の不毛や、感情の枯渇など少しもない、生き生きと溢れくる生命力をその生活に見るのである。それは彼の完璧に正しい人間性ゆえであり、それゆえに夫人たちは情熱にもえて意欲的に家庭生活を築き、生活の中から陰りや乾きを追い払うことができたのである。

 イスラーム史は、これらの良き夫人たちが、常に夫とともにいて、神(アッラー)の使徒の生涯に力を添えてきたことを認めている。戦いにはともに出陣し、人間ムハンマドを勇気づけ、慰めてきたことを、また重荷を背負う夫をいたわり、イスラームの普及のためにさまざまな苦労を重ねる夫を励ましてきたことを知っている。

 預言者は心いつも若々しく、感情豊かに生き、そして最も愛する妻の部屋で目を閉じながらこの大地から旅立って行ったのである。

 カディード(注5)を食べるクライシュ族の一婦人から生れた息子に下された偉大な神(アッラー)の印(アーヤ)を否定するような信仰を掲げる人びとを、神(アッラー)がお許し下さるように……、また、神(アッラー)の使徒は心が愛に高鳴ることなどなく、妻たちと結ばれる際にも感情を持たなかったなどと主張する人びとを、神(アッラー)がお許し下さるように……。神(アッラー)も、その使徒もそれを否定し、我々がムハンマドの中にみるこの完璧なる正しき人間性もそれを否定する。また潤いある豊かな結婚生活を告げる歴史の記録もそれを否定するのである。

(注3)  イブン・ヒシャームの使徒伝によるとアブドルムッタリブは10人の子供に恵まれたら、そのうちの一人をカアバ神殿で神に捧げると宣言していた。子供をフバル神(当時のカアバ神殿に祭られていた偶像神の名)の前に集め、矢軸をひかせると(当時のおみくじのようなものだった。矢軸を使った占いのようなものである)そのとき、一番幼かったアブドッラーの名が出た。しかし、クライシュの人びとの反対にあって、結局は百頭のラクダが、アブドッラーの代わりに犠牲に捧げられたという。
 この出来事が旧約聖書(創世記)のアブラハムの話と比較されている。旧約聖書ではアブラハムが犠牲に捧げようとした息子はイスマーイールではなくイサク(イスハーク)である。
(注4)  イブン・アブドルバッルによる書名
(注5)  乾燥させた肉、(あるいはパン)のことで当時の主要な食糧であった。


転載: 宗教法人日本ムスリム協会 「預言者の妻たち」
アーイシャ・アブドッラハマーン 著
徳増 輝子 訳

(2007年2月2日更新)














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