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第1章
【家と夫−その1】
 

 預言者の妻たちについて述べる前に、この夫人たちの生活の場であった預言者の住まいそのものから語り始める必要があると思われる。

 預言者の家は二軒あった。一軒はマッカ(メッカ)の家で、預言者ムハンマドが最初に迎えた夫人ハディージャを、ただ一人の妻として睦まじく暮した家であり、ここで彼は子供たちに恵まれている。またそこは彼がその人生に、そしてアラブ民族、および人類全般の生涯に偉大な転換をせまる出来事に遭遇した場でもあった。この家の様子は、私の著書『預言者の娘たち』のなかで、すでに述べたので省略させていただきたいと思う。

 一方マディーナ(メディナ)に建てられた二軒目の家では、ハディージャを除いた預言者の夫人たち全員が、「信徒の母」と呼ばれて敬われながらそこでともに生活を送ったのであった。この様子は、本書ではアーイシャ夫人の章のところで簡単ではあるが説明されているのに読者は気がつかれることと思う。このアーイシャ夫人こそ、このマディーナの家で、第一夫人の地位をほしいままにした夫人であった。

 アーイシャ夫人のあとにあいついで夫人たちが嫁いで来ると、この家では使徒の結婚は社会的にも政治的にもまた立法といった面でも特別な意味を持つものとなってくる。それは25歳のまだアッラー(神)の使命が告示されないときの青年ムハンマドが入居したマッカの家にはみられないことであった。

 また、預言者の妻たちについて語る前に、この夫人たちを迎えたこの家の主(あるじ)について語らなければならない。

 ここではすでに使徒伝(注1)や歴史に語られている栄光に満ちた彼の偉業を読者が期待しているのではないと思うので、私はここではただ一つの観点からのみ彼をみつめてみたいと思っている。

 それは夫としてのムハンマド、これらの素晴らしき夫人たちを迎え入れた一人の男ムハンマドである。そしてこの夫との生活を通して満ち足りた生活を送った夫人たち、彼女たちは、夫の崇高な精神生活に、そして実践生活にともに参与する幸運に恵まれたのであった。

 ムハンマドの夫として、人間としての姿、および神(アッラー)の使徒たる預言者としての姿、この二つの像を個々に浮きぼりにしてみること、これは非常にむずかしいことである。神(アッラー)の他の使徒たちの生涯についてはみなそれぞれ人間であり神(アッラー)が彼らについてつぎのように言われているにもかかわらずこのようには語られていない……神(アッラー)は言われる「われが汝(ムハンマド)以前に啓示を授けて遣わした預言者たちはいずれも人間であった」と……クルアーン第12章(ユースフ)109節。

 イスラームの教えでは、ムハンマドの人間性を強く打ち出している。それはイスラーム信条の根本の一つでさえある。ムハンマドの出生も、少しも自然の域をはみ出たものではなかった。

 イエス・キリストにみられるごとく、聖母マリアが神(アッラー)のみ言葉により身ごもり、人間の誰も彼女に触れることのないまま、イエスの誕生を迎えたというような超自然的なものはそこには見られなかった。

 神(アッラー)の啓示は、彼の心から人間の感情を取り除こうとはしなかったし、また、通常の人間に到達可能な言動以上のことを彼に規制することもなかった。

 神(アッラー)が言われたように、彼は「あなた方と同じ人間」なのである。……クルアーン第18章(アルカハフ)110節。

 妻を迎え、子供たちを慈(いつく)しみ、すべての人間が陥ると同じように、彼もまた愛に憎しみに悩み、欲望にかられることも自制を迫られることも、恐怖におののくことも、希望に胸ふくらむことも、情に身を投じることもあった。すべての人間にやってくるように、疲労も、不幸も、病いも、死も、彼を追いかけてきた。

「ムハンマドは、ただ使徒にすぎない。これまでにも、多くの使徒が逝った。もしムハンマドが死ぬか、または殺されるかしたら、汝らは踵(きびす)を返すのか。汝らが踵を返すとも、いささかも神(アッラー)を害することはできないのだ」……クルアーン第3章(アール・イムラーン)144節。

 もし神(アッラー)が望まれたら、預言者をいかなる苦境からも守ったことであろう。子供たちの死を救うこともできたし、ハディージャの不幸をもぬぐうことができたろう。アーイシャが受けた偽りの中傷なども起らなかったことだろう。そして彼の生涯は勝利があい続き、攻撃を受けることも、失敗を嘆くこともなかったであろうし、敵の圧迫や裏切り行為、似非(えせ)信者の偽善などに悩まされることもなかったはずである。

 しかし神(アッラー)のみ言葉はこうであった。

「言え、神(アッラー)の思召しがないかぎりは、私は自分の利にも害にも無力な者である。私が、もし目に見えぬ世界のことを知る身ならば、私は善きをふやして災害にも会うこともなかったであろう。私はただの一警告者で、信仰する者への天の福音を伝達する使者にすぎないのだ」……クルアーン第7章(アルアアラーフ)188節。

 人類へ神(アッラー)の福音を告げる預言者の到来、これこそなんと人類への誉れある贈物であろう。神(アッラー)は以前にも我々に栄誉を与えて下さった。アダムに、天使たちがひざまずくように命じたのである。人間の父であるアダムに……。

 とは言え、ムハンマドは平凡な人間の一人と同じであるはずはなかった。神(アッラー)が最後の啓示を送るためにすべての被造物の中から選ばれた者なのである。

 彼は人間であり使徒である。これは彼の私生活上の姿を語るさいに微妙でむずかしい問題となっている。人間ムハンマドについて書こうとする者は、同時に彼が選ばれたる預言者であること、そしてイスラーム教徒の最も重要な証言が、「神(アッラー)の他に神(アッラー)なく、ムハンマドはその使徒である」という信仰の告白であることを無視することはできないのである。

 より問題がむずかしくなるのは、我々は使徒の中にこの二つの人間像が分れることなく溶けあっているのを見ること、また、神(アッラー)が使徒に対してその私生活では一般の人々が到達可能な範囲を越えた(聖職者としての)特殊な生き方など呼びかけなかったことである。

 ただ時には、特別に夫婦の問題に関して啓示が降されて、夫人たちと彼との関係は何度か天命に従って改められることがあった。たとえば、偽りの中傷事件を例にあげると、悪意のある人々のでたらめな噂話から、アーイシャ夫人の身の潔白を証した啓示が降りて、事件が解決されたこと、また、ザイナブ・ビント・ジャハシとの結婚の際には、ムハンマドが人々の噂を気にして神(アッラー)の許したもうことを心に隠し、ためらい続けるのを神(アッラー)は好まれず啓示を下してこの結婚を認可したのである。……神(アッラー)こそ畏れるにたるお方なのである。

 預言者の妻たちに課せられた厳しい生活は『クルアーン・アルアハザーブ章』のなかの神(アッラー)のみ言葉でなぐさめられるであろう。

「預言者よ、汝の妻たちに言うがよい。もしあなた方が束の間のこの現世とそのきらびやかさを望むなら来い。あなた方に補償金(注2)を与えて私は気持ちよく別れよう。だがあなた方がもし、神(アッラー)とその使徒ならびに来世の住まいを求めるならば、そのような善行にいそしむ者には偉大な報酬を神(アッラー)は準備しておられる」……クルアーン第33章(アルアハザーブ)28および29節。

 そして預言者の妻たちの振舞いは、彼女たち以外の人びとの生活ではとても普通でないような面まで天の直々の監視がなされている。神(アッラー)は言われた。「預言者の妻たちよ。汝らは他の普通の女たちと同じではない。もし汝らが神(アッラー)を畏れるならば心に病いある者がその欲望をかきたてられることのないよう言葉を軽くしてはならぬ。端正な言葉遣いをせよ。また汝らの家において誦(よ)まれている神(アッラー)のしるしと英智をよく心に留めよ。まことに神(アッラー)はすべてのことを悟り給う御方であられる」……クルアーン第33章(アルアハザーブ)32および34節。

 このような例のいくつかを見ても、預言者としてのムハンマドと、夫としてのムハンマドを切り離して見ることのむずかしさを示すに十分といえよう。


(注1) 預言者ムハンマドの伝記。イブン・イスハークとイブン・ヒシャームによるものが最も名高い。
(注2) イスラームでは離婚した女性は一定期間(3回の生理を経るまで)は再婚できない。その間の生活費を与えることである。


転載: 宗教法人日本ムスリム協会 「預言者の妻たち」
アーイシャ・アブドッラハマーン 著
徳増 輝子 訳

(2007年1月26日更新)














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