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イスラーム研究その1


アッラーの存在証明
 

「かれは真理をもって天地を創造なされ、
 夜をもって昼を覆いまた昼をもって夜を覆わせ、
 太陽と月を服従させてそれぞれ定められた周期に運行させる。
 本当にかれは、偉力ならびなくよく赦される方である。
 かれはあなたがたを一つの魂から創り、それからその配偶者を創り、
 またかれは8頭の家畜を雌雄(編註、ヒツジ、ヤギ、ラクダ、ウシ)で
 あなたがたに遣わされた。
 かれはあなたがたを母の胎内に創られ、3つの暗黒の中において、
 創造につぐ創造をなされた。
 このように、あなたがたの主アッラーに大権は属する。
 かれの外に神はないのである。
 なのにあなたがたはどうして背き去るのか。」


〔『クルアーン』第三十九章(集団章):第五〜第六節〕

「かれこそは太陽を輝かせ、月を灯明とされ、その軌道を定め、
 年数(と時日)の計算をあなたがたに教えられた方である。
 アッラーがこれらを創造されたのは、只真理(を現わすため)に外ならない。
 かれは知識ある人びとに印を詳しく述べられる。
 本当に夜と昼との交替、またアッラーが天と地の間に
 創られる凡てのものの中には、主を畏れる者への印がある」


〔第十章(ユーヌス章):第五節〕


『「絵の作者」のたとえ』

 ドイツの学者のネオタンにはイギリスの物理学者の友人がいました。その友人は異教徒(編註、非イスラーム教徒)でした。

 ネオタンは地球が巡る宇宙の運行の絵を描きました。それは、太陽や月や星々が地球のまわりをどのように巡るかというものでした。この絵の出来栄えは素晴らしく、異教徒のイギリス人はその絵を見ると「この見事な絵は一体誰が描いたんだ」と尋ねました。

 すると、ネオタンは「誰も描いていない」と答ました。これを聞くと、その異教徒は「あなたは私が何を尋ねたのかお分りにならなかったのですか?私は、誰がこの絵を描いたのかと尋ねたのですよ」。

 そこで、ネオタンは次のように言いました。「この絵に描かれているものは、誰によるのでもなく、皆それ自身によって生じ、自然にそこに存在しているのです」。その異教徒は、その説明を信じることが出来ず、当惑し、こう言いました。「あなたは私がそんな理屈にならない説明を受け入れる程愚かな人間だと思っているのですか?当然この絵は誰かによって描かれていて、私はそれが誰かを知りたいのです」。

 実はネオタンは、彼に創造主アッラーの存在について教えようと、今までこのような答をしていたのです。そして最後にこう言いました。「この絵は、地球の周囲を太陽や月、星が巡ることのようなものです。その運行は『大いなる力』によって創り出されました。私たちは自分自身に、この創造主とは誰なのかを問うてみなくてはなりません。この絵が、自らによって存在し創られたのだということを信じないとしたならば、創造主の存在を否定して、どうしてこの地球がそれ自身によって創られたと信じることが出来ますか」。

 それを聞いて、その異教徒は深く考え始めました。


『全ては創造主によって創られた』

 創造主アッラーの存在を信じる者と、アッラーの存在を信じない者との間に、今まで多くの議論がありました。しかし結局は、どちらの側がより道理にかない、論理的であるかということで判断が下されます。そして、実際のところ、創造主が存在するとした方がより合理的なのです。

 イスラームの学者、イブン・ハニーファは、ある時何人かの異教徒と討論をすることになりました。彼は、その異教徒達の創造主の存在についての考えが誤っていると論理的に示そうと考えました。討論は公開の場で行なうことになり、その場所と時間が取り決められました。

 当日、異教徒達がその場所で待っていましたが、イブン・ハニーファは待ち合わせた時間になってもやって来ませんでした。彼等は、イスラームの学者が自分の説を裏付ける理論に自信をなくしたに違いないと考え、自分達は討論に勝ったと思いました。

 しかしその時、彼が現われました。彼等がイブン・ハニーファの遅刻を非難すると「ちょっと待って下さい」と彼は言いました。「私は、そこに流れる川を渡ってここに来ようと、向こう岸の港までやって来ました。しかし、いつまで経っても渡し船が現われず、もうダメだと思いました。すると、何と驚くべきことが起こったのです。木が何本かひとりでにやって来て、さらにひとりでに船を作ったのです。そこで、私はその船に乗り込んで、ここにやって来れたのです」。

 それを聞いた異教徒達は言いました。「あなたは気は確かですか。そんなことを言うなんてまともではありませんよ」。

 すると、彼はこう答ました。「あなた方はこの地球や天を創造した者など存在しないと言っています。しかし一方で、木がひとりでに船を作ったという話を否定しました。船がひとりでに作られるのを否定するならば、この世界も創造主なしには創られないのではありませんか。あなた方はアッラーの存在を認めるべきです」。

 それを聞くと、彼等は深く考え込んでしまいました。そしてその後、彼等のうちの何人かはイスラームに改宗したということです。

 イスラームは、物はそれ自身によっては創り出されないことを説いています。それは、人間が自らを創り出せないのと同じです。これは教えの中でも大変大事なことです。

 さらに、イスラームは人間に、誰によってこの地上と天にある全ての物が創り出されたのかを論理的に導き出すようにさせました。

 また、アッラーは万能であり、誰の助けも必要としません。アッラーは御自身の子供を生み出すことはなく、アッラーが誰かによって生み出されたということもありません。イスラームとキリスト教、ユダヤ教が違うところは、まず、キリスト教はイエス・キリストが神の子であるとしているところです。そして、どちらもがイスラームは神の啓示ではないとしているところです。

 アッラーは、人間を創り出したのはアッラー御自身であることを明らかにしています。『クルアーン』第五十二章(山章)第三十五〜第三十六節に次のようにあります。

  「かれらは無から創られたのか。それともかれら自身が創造者なのか。
   それともかれらが、天と地を創造したのか。
   いや、かれらにはしっかりした信仰がないのである」


 また、第四十章(ガーフィル章)第六十七節〜第六十八節にはこう書かれています。

  「かれこそは、泥からあなたがたを創られ、
   次いで一滴の精液から、次いで一かたまりの血から赤ん坊にされて、
   あなたがたを出生させ、それから十分な力量を備えさせ、
   それから老いさせられる方である。
   あなたがたの中(老いる)前に死ぬ者もいるが
   既定の時期にまで達せられることは、あなたがたに反省させるためである。
   かれこそは生を授け、また死を授ける方である。
   かれが一事を決められそれに対し「有れ。」と仰せになれば、即ち有るのである」


 異教徒や信仰を持たない人との議論は次のようなものになります。

 ・人類は、始まりから今日までずっと自分自身を創り出して来たのか。
  また人類には、自分の限界を超える力を持っているのか。
 
 ・それとも、人類は創造主の力によらず、また、創造主の意思もなく、
  突然現われたのか。

 ・それとも、創造主アッラーによって創られたのか。
  また、全能であるアッラーが人間に限られた力を御与えになったのか。

 実際のところ、創造主アッラーは天と地にあるあらゆるものを創造されました。もし、地球や天体が運行するシステムについて真剣に、また深く考えるならば、創造主アッラーの存在の大きな証拠となること、そして人間がアッラーの奴隷であることが分かります。

 人間が自らを創り出したと考えるのは大変に不合理なことです。ある時突然、人間が現われたと考えるのは存在するものの実態から全くかけ離れたものです。人間はアッラーによって創られたものとして、アッラーを崇拝するのが我々にとって最も正しい姿勢です。


『創造主を見ることが出来るか』

 ある人々は、創造主を見たいとか、創造主は一体どこにいるのかと言います。これについて答えるならば、創造主アッラーは人間に御自分の姿を見る力を御与えになりませんでした。

 しかし、審判の日の後の来世の世界で、真に信仰のあった人々は天国において、アッラーに見えるという恩恵に浴することが出来るということです。

 我々人間は、現世でアッラーの御姿を拝見することは出来ません。しかし、そのことで創造主が存在しないことにはなりません。

 また、存在していることは理解出来るが、それを見たり触ったりすることが出来ないものが実際にあります。それには、例えば物質の間に働く「重力系」というものがあります。重力を触ることは出来ませんが、それがあるという根拠を理解することは出来ます。

 別の例を挙げますと、我々はよく「愛」について話をします。愛も触ったり見たりすることは出来ません。しかし、それは確かに存在し、我々は自分の妻や息子を愛するというように、我々の生活にいつも影響を与えています。

 一方、この世界には創造主の存在を示す証拠が無数にあります。先ほどの例のように、太陽や月、星々のことなどをずっと考えていけば、たとえ、姿が見えなくても、アッラーの存在を知ることが出来ます。












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2002年 アラブ イスラーム学院