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イスラーム研究その2


第1章 偉大なる創造主アッラーを知る
 

1.アッラー(1)存在の証明

頭脳明晰な人間に告ぐ、あなたを無から創造なされ、恩寵をもってあなたを育てられたあなたのラッブ(主)こそ万有の主アッラーであられます。アッラーフ・タアーラーを信ずる頭脳明晰な人間は自分の目で直接アッラーを見るのではなく、アッラーフ・タアーラー(2)が存在する被造物すべての創造主であられかつ管理者であられることを示す様々な証を見て、アッラーの存在を知ることなのです。アッラーの存在を示す証を下記にいくつか示しておきました。

●第1番目の証 宇宙と人間と生命は生成された有限の事象で、これらはこれら以外のものを必要としています。生成し何かを必要とするものは常に被造物でなければなりません。そして、被造物は必ず、創造主(ハーリク)が存在していなければ、存在しません。この偉大なる創造主こそアッラーであられます。存在する被造物すべての創造主であられると同時に管理者であられることを神聖なご自身自ら伝えているのです。このことはアッラーフ・タアーラーご自身が遣わした使徒達に啓示された諸啓典(クトゥブ)の中で明らかにされています。
 
アッラーの使徒達は人々にアッラーのみ言葉を伝え、そのイーマーン(信仰)とアッラーのみへのイバーダ(崇拝)を説いてきたのです。アル・クルアーンの中でアッラーフ・タアーラーは次のようにおっしゃっています。

((إِنَّ رَبَّكُمُ اللّهُ الَّذِي خَلَقَ السَّمَاوَاتِ وَالأَرْضَ فِي سِتَّةِ أَيَّامٍ ثُمَّ اسْتَوَى عَلَى الْعَرْشِ يُغْشِي اللَّيْلَ النَّهَارَ يَطْلُبُهُ حَثِيثًا وَالشَّمْسَ وَالْقَمَرَ وَالنُّجُومَ مُسَخَّرَاتٍ بِأَمْرِهِ أَلاَ لَهُ الْخَلْقُ وَالأَمْرُ تَبَارَكَ اللّهُ رَبُّ الْعَالَمِين))

あなたがたのラッブ(主)こそアッラーであられる。[かれこそ]6日で天地を創造なされ、アルシュ(玉座)の高位にあられる。夜を昼に覆わせられ、一刻も途絶えることなく昼を夜に覆わせられる(1)。太陽や月そしてあまたの星はかれ[アッラー]のアムル(命)に服されている(2)。創造とアムル(命令)[の大権]はかれ[アッラー]にのみ属するではないか。ラッブ・ル・アーラーミーン(万有の主)アッラーにこそ祝福あれ。(Q7/54)

アーヤ(3)の意味 アッラーフ・タアーラーは人類を創造し、6日で天地を創造なされたラッブ(主)であられること(4)、アッラーフ・タアーラーがその玉座(アルシュ)よりもずっとはるかに高位であられること、玉座は天上にあり被造物の中で最も高い位置を占め最も広大であること、アッラーフ・タアーラーはこの玉座よりも高方にあられご自身の知覚と聴覚と視覚を通して人間のことに関して他のすべての被造物と同様に何もかも見通されていることなどが伝えられています。また、アッラーフ・タアーラーこそ夜をして闇で昼を覆わせられたこと、そして太陽や月や星を創造なされ、それらすべてをアッラーに服従せしめ、それぞれを軌道にお乗せになったことが伝えられています。また、実体とスィファート(属性)においてアッラーこそ絶えることのない多くの善をお授けになっる偉大で完璧なお方なのです。かれこそは万有のラッブ(主)であられます。人間を創造なされまたニウマ(恩寵)をもって人間を育成なされたお方であられます。アッラーフ・タアーラーは次のようにおっしゃっています。

((فَإِنِ اسْتَكْبَرُوا فَالَّذِينَ عِندَ رَبِّكَ يُسَبِّحُونَ لَهُ بِاللَّيْلِ وَالنَّهَارِ وَهُمْ لا يَسْأَمُون))

かれ[アッラー]のアーヤ(印)[のいくつか]には夜と昼、それに太陽と月がある。[だが]太陽や月にサジュダ(平伏)してはならない。これら(1)を創造なされたアッラーにサジュダしなさい。もしあなたがたがかれ[アッラー]のみイバーダ(崇拝)するならば。(Q41/37)

アーヤの意味 アッラーの存在を示す印し(アーヤ)として夜、昼、太陽、星が存在していることと、太陽や月は他の被造物同様被造物であるがため、人間がこれらに平伏することを禁止なされたことが伝えられています。被造物を崇拝の対象とすることは間違っており、平伏すること自身が崇拝の行為の一種であるからです。アッラーはこのアーヤにおいて、他のアーヤにおいても同様に、人々にアッラーにのみ平伏することをお命じになりました。アッラーこそ崇拝の対象に値する創造主で管理者であられるからです。

●第2番目の証 アッラーフ・タアーラーこそ雌雄(しゆう)の両性を創造なされ、両性の存在こそアッラーフ・タアーラーの存在を示す証なのです。

●第3番目の証 言葉や皮膚の色の違いを見ても分かるように同じ声や皮膚の色をしたものは存在しておらず、相違があること自体がアッラーフ・タアーラーの存在を示すものであります。

●第4番目の証 貧富の差や地位の違いなどをみても分かるように、幸運や不運の存在こそアッラーフ・タアーラーの存在を示すものであります。一方、人は各自それぞれアクル(理性)やフィクル(思惟)やイルム(知識)の持ち主であり、また得られない富や名誉や美人たる妻を得ることに関心を持っているものなのです。しかし、実はアッラーの力をもって以外は誰もこれらのものを得ることはできないのです。これこそアッラーフ・スブハーナが望まれた偉大なるヒクマ(英知)なのです。それはすべてのものの利益が損なわれないように、互いに試練し合い奉仕し合うことを意味しているのです。
 ドゥンヤー(現世)でアッラーから運がめぐみ与えられない者にも、アッラーへのイーマーン(信仰)をもって死んだ時の場合にそなえて、アッラーフ・タアーラーはさらなる恩寵をもってジャンナ(楽園)に運を蓄えてくださることを伝えていらっしゃいます。アッラーは大抵の場合貧しい者には富める者にはない多くの精神的にも健康的にも享受すべきいくつかの恩恵を与えていらっしゃいます。これはアッラーの英知であり、公正さからくるものであります。

●第5番目の証 ガイブ(不可知なるもの)の世界からの喜びあるいは警告を知らせる正夢はまさにアッラーの存在を示すものであります。

●第6番目の証 アッラーだけしか事実を知らないルーフ(魂)の存在もアッラーの存在を示すものであります。

●第7番目の証 身体にある感覚をはじめとする神経器官や脳及び消化器官やその他の臓器そして人間そのものの存在こそアッラーの存在を示すものであります。

●第8番目の証 枯渇した大地に雨が降ると、そこには様々な形や色をした味覚などの異なる有益な草木が芽を出しますが、アッラーフ・タアーラーがアル・クルアーンの中で語られているように、これこそアッラーの存在を示し、かつアッラーこそ宇宙の創造主であられ管理者であられることを示す証なのです。これは何百とある証のほんのわずかなものです。

●第9番目の証 アッラーが人間を創始なされたさい礎としたフィトラ(生得)の存在こそ創造主で管理者であられるアッラーの存在を信ずる証以外のなにものでもありません。それを否定する者は己を偽り不幸にするだけなのです。例えば、共産主義者はドゥンヤー(現世)において惨めな生活を送ってきた結果、恩寵をもって自分を無から創造なされ、自分を育成なされたラッブ(主)を偽ってきたジャザー(報い)として、死後の運命がナール(業火)に陥れられる共産主義者の例こそ最たる例です。但し、アッラーにタウバ(改悛)して、アッラーとその使徒を信仰さえすればナールから救われるのです。

●第10番目の証 被造物のなかには羊のように集団で生息するものと、これとは反対に犬や猫のように孤立して生息するものとが存在すること自体アッラーの存在を示すものであります。

 














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2004年 アラブ イスラーム学院