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イスラーム研究その2


第4章 イスラームにおける生き方
 

13. 高尚な目的と幸福な生活

アッラーフ・スブハーナがその僕であるムスリムに向けられている高尚な目的とはドゥンヤー(現世)の生活やつかの間の誘惑(ムグリヤート)ではなく、死後のアーヒラ(来世)すなわち永遠なる真の未来に対して準備を怠らないことです。誠実なムスリムはドゥンヤーをアーヒラへの手段あるいは耕地としてドゥンヤーで働くのです。

((يَا أَيُّهَا الَّذِينَ آمَنُوا اتَّقُوا اللَّهَ وَلْتَنظُرْ نَفْسٌ مَّا قَدَّمَتْ لِغَدٍ وَاتَّقُوا اللَّهَ إِنَّ اللَّهَ خَبِيرٌ بِمَا تَعْمَلُونَ 18 وَلا تَكُونُوا كَالَّذِينَ نَسُوا اللَّهَ فَأَنسَاهُمْ أَنفُسَهُمْ أُوْلَئِكَ هُمُ الْفَاسِقُونَ 19 لا يَسْتَوِي أَصْحَابُ النَّارِ وَأَصْحَابُ الْجَنَّةِ أَصْحَابُ الْجَنَّةِ هُمُ الْفَائِزُون))

信仰に入った者達よ、アッラーを畏れよ。明日のために既に行ったことについて各自考えよ。アッラーを畏れよ。本当にアッラーはあなたがたのしていることに通暁されていらっしゃる。*アッラーを忘れた者達のようにはなるな。[アッラーは]あなたがた自身を忘却させたのである。こういう人達こそファースィクーン(不服従な者達)である。*アスハーブンナール(業火の仲間)とアスハーブ・ル・ジャンナ(楽園の仲間)は同じではない。アスハーブ・ル・ジャンナこそ凱旋者である。
(Q59/18−20)

また、アッラーフ・タアーラーは次のようにおっしゃっています。

((فَمَن يَعْمَلْ مِثْقَالَ ذَرَّةٍ خَيْرًا يَرَهُ 7 وَمَن يَعْمَلْ مِثْقَالَ ذَرَّةٍ شَرًّا يَرَهُ))

どんなに微量であってもハイル(善行)をしてきた者は誰でもそれを見る。どんなに微量であってもシャッル(悪行)を働いた者は誰でもそれを見る。
(Q99/7−8)

誠実なムスリムであれば誰しもがアッラーフ・タアーラーのみ言葉であるこれらのまた他の素晴らしいアーヤを思い起こすでしょう。僕達を創造した目的と彼らを待っている避けることの出来ない未来のために僕達に向けられたアッラーのみ言葉です。唯一無二のアッラーへの誠実な崇拝とアッラーが満足される行為をもって永遠なる本当の未来に備えることです。それはドゥンヤー(現世)ではアッラーへの服従をもって報われ、死後においてはジャンナ(楽園)に入れてもらえるということにほかなりません。アッラーはよい生活環境の中で僕達を蘇生させ僕達を常に優しく扱っていらっしゃいます。それはアッラーの保護と庇護によって暮らし、アッラーの光で見て、アッラーの命じられたイバーダート(行)を果たすことなのです。そしてアッラーフ・タアーラーへの語りかけ(ムナージャー)を求め心と舌でアッラーを念じることによって心が安らぐのです。

言行をもって人々に善行を行うと、その善行に嫉妬する人もいますが、たとえ忘恩を見てもこういう人に対しても善行を惜しまないことです。それはアッラーのみ顔と報酬(サワーブ)を望むだけだからです。ディーヌ・ル・ハック(真理の教え)であるイスラームとその追従者達であるムスリム達を嫌う悪漢どもから受けた使徒達の受難について話を聞くとき、イスラームに対する愛着をより強く感じ、こういった受難こそアッラーの道のためであることを知り、イスラームの教えがしっかりと身に付くようになるはずです。ムスリムはイスラーム及びムスリムが益するように生産に励み、アッラーと会える日を期待してアッラーからのアジュル(報酬)が得られるようにと誠実に働くことです。また、自らと家族を支えるだけの合法的な収入を得るためにしっかりしたニーヤ(意志)をもってオフィスや畑や店や工場などの職場で自ら汗を流して働くことです。得た収入の一部をサダカ(喜捨)し、アッラーからの報酬を望んで心豊かにしかも栄誉と満足感をもってその日その日を大切に暮らすことです。アッラーは信仰心の強い信徒を愛されるからです。アッラーへの服従心を強めるために適度に飲食を取り、休むことです。アッラーが禁止されたことに対し妻や自らの赦しをこい、アッラーを崇拝し、立派な仕事が続きますようにとまた生前中はもとより死後もドアー(祈願)する子供達を生むために妻と結婚生活をおくることです。ムスリムの数は増えアッラーからのアジュルも得られ、アッラーへの服従の助けをこうのです。そして、それがアッラーからのみであることを知ることによって得られたニウマ(恩寵)に対しアッラーフ・タアーラに感謝しなければなりません。飢餓や恐怖や病気など時折降り懸かってくる災難はアッラーからの試練であることを知らなければなりません。これは降り懸かってきたアッラーのカダル(定命)に忍耐しまた満足しその限界をアッラーに知ってもらうためにあるからです。とにかく、忍耐した者に用意され与えられるアッラーからの報酬に期待し満足しアッラーを讃えることです。病気の回復を願っていやな薬を病人が受け入れるように、災難はそれほどでもなく受け入れられるはずです。

ムスリムはドゥンヤー(現世)で遭遇する混乱に見舞われることもなければ死によってさえぎられることもない永遠なる幸福を得るために、本当の永遠なる未来に向かって働き、アッラーが命じられたようにこの高潔な精神をもってドゥンヤー(現世)を送ることができたならば、それは確かにドゥンヤーと死後のアーヒラ(来世)における至福であります。アッラーフ・タアーラーは次のようにおっしゃっています。

((تِلْكَ الدَّارُ الْآخِرَةُ نَجْعَلُهَا لِلَّذِينَ لا يُرِيدُونَ عُلُوًّا فِي الْأَرْضِ وَلَا فَسَادًا وَالْعَاقِبَةُ لِلْمُتَّقِينَ))

われらはかのアーヒラ(来世)の住みか[であるジャンナ〈楽園〉]をこの地上で傲慢や腐敗を望まない者達に授けるのだ。アーキバ〈善き終焉〉はムッタクーン([アッラーを]畏れる者達)のもの。
(Q28/83)

さらに、アッラーフ・タアーラーは次のようにおっしゃっています。

((مَنْ عَمِلَ صَالِحًا مِّن ذَكَرٍ أَوْ أُنثَى وَهُوَ مُؤْمِنٌ فَلَنُحْيِيَنَّهُ حَيَاةً طَيِّبَةً وَلَنَجْزِيَنَّهُمْ أَجْرَهُم بِأَحْسَنِ مَا كَانُواْ يَعْمَلُونَ))

男女に関わらず信仰をもって立派な行いをした者には[ドゥンヤー(現世)では]われらは善き生活を授け、[アーヒラ(来世)では]かれらが行っていた最高の善行を[評価して]報いよう。
(Q16/97)

上述のアーヤでアッラーフ・タアーラーは、アッラーフ・タアーラーに服従し、かつひたすらアッラーのご満悦のみを求めて働く敬虔な者には男女に関わらずそれ相当の報酬を授けることを伝えていらっしゃいます。それはドゥンヤー(現世)で幸福な素晴らしい生活が送られるという早急に実現されるジャザー(報い)の他に、死後アーヒラ(来世)でも永遠のジャンナ〈楽園〉をもって報われるジャザーがあることです。次のようなハディースが伝えられています。

((قال رسول الله : (( عجبا للمؤمن إن أمره كله له خير إن أصابته سراء شكر فكان خيرا له ، و إن أصابته ضراء صبر فكان خيرا له))

使徒(ラスールッラーヒ、サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)はおっしゃっています。『信徒にとってこんな素晴らしい話がある。信徒に関することすべては信徒にとってよいことである。もしなにかよいことがあったならば感謝し、それは信徒にとってよいこととなろう。なにか悪いことが身に降り懸かってきたならば、忍耐し、それは信徒にとってよいこととなろう。』

これからも明らかなように、イスラームだけが健全な考えと善悪に対し唯一正しい尺度を持ち完璧で公正な指標をもっていることがお分かりになったことでしょう。心理学、社会学、教育学、政治学、経済学などにおけるあらゆる思想や理論及び人類の制度とその指標はイスラームに照らして修正され、イスラームから採用されなければならないということです。イスラームに反する成功は不可能で、ドゥンヤー現世)とアーヒラ(来世)において、採用した者にとっては不幸の源泉以外の何ものでもないということです。

 














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2004年 アラブ イスラーム学院