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イスラーム研究その2


第4章 イスラームにおける生き方
 

8.自由

信仰の自由 アッラーフ・タアーラーはイスラームの教えにおいて、イスラームについて充分な説明を受けた後、ムスリム以外にイスラームの支配下に入った者には信仰の自由を与えられました。もしイスラームを選択したならば幸福と救済に預かることになります。もし今まで通り自分たちの宗教に留まることであれば、自ら不信仰と不幸とナール(業火)での罰を選択したことを自ら弁明したことになります。アッラーフ・タアーラーの前では言い訳はできません。この場合、かれらはジズヤと呼ばれる税を支払います。アッラーフ・タアーラーに対するシルク(多神崇拝)がまずあげられます。かつイスラームの支配に服し、ムスリムの前で自らの宗教儀礼を吹聴しないという条件でもって、ムスリムはかれらの宗教を信仰することを認めることになっています。

イスラームに入信後はもとの宗教に戻ることは出来ません。もしも元の宗教に戻るようなことがあれば、その報いは死刑なのです。それはハック(真理)を悟った後元の宗教に戻った場合、アッラーフ・タアーラーに赦しを求めてタウバ(改悛)してイスラームに戻る以外には生存の道はありません。イスラームから離反(リッダ)することはイスラームの教えではアッラーへの冒涜行為のひとつで、この場合、この冒涜行為を根から絶ち、アッラーフ・タアーラーに赦しを乞い改悛しなければなりません。

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(i) アッラーフ・タアーラーに対するシルク(多神崇拝)がまずあげられます。これはアッラーに対する最大の冒涜で、これはシャファーア(執成し)を求めて敬虔な人物を形作った偶像を崇拝していたジャーヒリーヤ時代の多神教徒のように、僕がアッラーにドアー(祈願)をあげたり、また少しでもアッラーに近づこうとしたりするさい、僕とアッラーとの間に仲介を定めて、アッラーをさしおいて他のイラー(崇拝の対象)を崇拝することです。そしてイラーとしてアッラーの唯一性を認めながらも、シルクとは「偶像の前で膝まずくことだ」とかあるいはアッラー以外のものに「これがわたしのイラーだと唱えることだ」と言っていても、実際はアッラーの唯一性を真剣になって説いている人達からの教えは受け入れようとしない人達がいることです。自らムスリムと称し多神崇拝をどんなに否定していても、このような行為をすること自体がシルク以外のなにものでもないのです。こういう人は酒以外の名前で呼んで酒を飲んでいるような人達です。アッラーフ・タアーラーは次のようにおっしゃっています。

((إِنَّا أَنزَلْنَا إِلَيْكَ الْكِتَابَ بِالْحَقِّ فَاعْبُدِ اللَّهَ مُخْلِصًا لَّهُ الدِّينَ 2 أَلَا لِلَّهِ الدِّينُ الْخَالِصُ وَالَّذِينَ اتَّخَذُوا مِن دُونِهِ أَوْلِيَاء مَا نَعْبُدُهُمْ إِلَّا لِيُقَرِّبُونَا إِلَى اللَّهِ زُلْفَى إِنَّ اللَّهَ يَحْكُمُ بَيْنَهُمْ فِي مَا هُمْ فِيهِ يَخْتَلِفُونَ إِنَّ اللَّهَ لا يَهْدِي مَنْ هُوَ كَاذِبٌ كَفَّار))

ディーン([真の]教え)としてアッラーを誠実に崇拝しなさい。*アッディーヌ・ル・ハーリス(純正な教え)はアッラーにのみ帰属するのではないか。そして、かれ[アッラー]を差しおいて[偶像を]アウリヤー(守護者)として定める者は「われらがかれら[アウリヤー]を崇拝するのはかれら[アウリヤー]がわれらをアッラーのズルファー(そば)に近づかせてくれるためである」と[言う(1)]。本当にアッラーはかれらの間で食い違っているところを裁決される。本当に、アッラーは嘘吐きで不信仰な者を導かれないのだ。
(Q39/2−3)

((يُولِجُ اللَّيْلَ فِي النَّهَارِ وَيُولِجُ النَّهَارَ فِي اللَّيْلِ وَسَخَّرَ الشَّمْسَ وَالْقَمَرَ كُلٌّ يَجْرِي لِأَجَلٍ مُّسَمًّى ذَلِكُمُ اللَّهُ رَبُّكُمْ لَهُ الْمُلْكُ وَالَّذِينَ تَدْعُونَ مِن دُونِهِ مَا يَمْلِكُونَ مِن قِطْمِيرٍ 13 إِن تَدْعُوهُمْ لا يَسْمَعُوا دُعَاءكُمْ وَلَوْ سَمِعُوا مَا اسْتَجَابُوا لَكُمْ وَيَوْمَ الْقِيَامَةِ يَكْفُرُونَ بِشِرْكِكُمْ وَلَا يُنَبِّئُكَ مِثْلُ خَبِير))

そのような[創造をされた]お方こそあなたがたのラッブ(主)アッラーであられる。かれ[アッラー]にこそムルク(主権)は属する。あなたがたがかれ[アッラー]を差し置いてあなたがたが祈るものには[ナツメヤシの種子を包む薄い皮(2)]キトゥミールほども[ムルク(主権)]は持ち合わせていない。*もしあなたがたがかれら[アスナーム(3)(偶像)]に祈っても、かれらはあなたがたの祈りには耳を傾けない。たとえ耳を傾けたとしてもあなたがたには応えられない。ヤウム・ル・キヤーマ(復活の日)、かれらはあなたがたの[行ってきた]シルク(多神崇拝)とは無縁なのである。あなたに[ドゥンヤー(現世)とアーヒラ(来世)について]知らせることの出来るようなハビール(通暁されたお方)は[アッラーの他に誰も]いないのだ。
(Q35/13−14)

(ii) 多神教徒及びそれ以外のユダヤ教徒やキリスト教徒や無神論者や拝火教徒や邪教徒などのような不信仰者の贖罪はないということです。こういう人達はアッラーの啓示によらずに政務を司ったりしてアッラーの下した法に満足しない者達なのです。
(iii) 魔法は多神崇拝の中でも大罪のひとつで大シルクと呼ばれているものです。魔法を行った者は不信仰者であるということを知りながら魔法を行ったり、これに満足したりした者は不信仰者なのです。
(iv) イスラーム法以外の法の方がイスラーム法よりも勝っているとか、預言者(アンナビーユ、サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)が規範として樹立されたウンマ(イスラーム共同体)の理念以外の方が勝っているとか、アッラーの法によらなくてもかまわないと信じること。
(v) 使徒(ラスールッラーヒ、サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)を憎み、そうすることがシャリーアの一部であるということを教えること。
(vi) イスラームのいかなる教えであろうと、これを少しでも嘲笑すること。
(vii) イスラームの勝利を嫌ったりイスラームの高揚の低下を喜んだりすること。
(viii) 不信仰者を友としたり援助者としたりして政権につくこと。
(ix) どんなことであろうとイスラーム法から離脱することは正しくないと知っていながら、イスラーム法から離脱しても構わないと信じていること。
(x) アッラーの教えに逆らうこと。信仰後何も学ばず実践もせずにイスラームに逆らう者は不信仰者なのです。
(xi) イスラーム法のいかなる規定をも拒むこと。

これらはすべてアッラーへの冒涜でこのことについてはアル・クルアーンやハディースに多く見受けられます。

言論の自由 イスラームの教えに反しないとう条件でイスラームでは言論の自由(1)が与えられました。アッラーは誰の前ででも誰からも非難されることなく、真実を言うことをムスリムに命じられました。これをもって最も徳のあるジハード(2)とされました。そして、ムスリムの諸事を司る者達に忠言をし、違反行為に対しては厳しく取り締まりかれらを監視するようアッラーはムスリムに命じられました。不正を行う者には毅然たる態度で立ち向かうことも命じられました。これこそ他の人の意見を尊重する最高の制度なのです。イスラーム法に反する意見はその主が公の場所に現れることを許しません。なぜならばハック(真理)に対する破壊であり、腐敗であり、戦いであるからです。

人格権の自由 イスラームではイスラーム法の範囲内で個人の人格権が与えられました。男性であろうと女性であろうと一個人は商売、贈与、寄進、赦免等のような行為において、個人と第三者との間に自由に振る舞うことが出来るよう権限を与えられました。男女それぞれに配偶者の選択の自由を与えられました。これは両者の一方が満足しない者に嫌悪を抱かせないことにあります。しかし、女性が男性を選択するさい、ディーヌ・ル・ハック(真理の教え)において男性は女性とは同等ではないのです。女性のイーマーン(信仰)や栄誉を守るために、女性自ら婚約者を勝手に選択することは許されないことなのです。それは彼女と彼女の家族のために禁じられているからです。

女性の後見人(代理人のことで、血縁関係で女性に最も近い男性がなる)が結婚の契約(3)に臨むのです。女性は不貞と間違われないように自分勝手に結婚してはならないからです。ふたりの証人の出席のもと、後見人は夫となる男性に「誰々をあなたに結婚させた」と言うと男性は後見人に「この結婚をお受けいたしました」と答えて結婚の契約が成立するのです。

イスラームはアッラーが定めた限界を超えることを許されません。個人及び個人がもっているすべてはアッラーの所有にあるからです。ムスリムの行動はアッラーの僕に対する慈悲のために定められたシャリーアの範囲内においてなされなければなりません。シャリーアを遵守するものはアッラーに導かれ幸福な人達なのです。それに反すれば不幸であり自滅しかありえないのです。故に、アッラーは姦通や姦淫(かんいん)や同性愛その他あらゆる淫らな行為を厳しく禁じていらっしゃいます。また、自殺やアッラーが創造なされた被造物の変形を非合法とされています。口髭(くちひげ)を剃ったり爪を切ったり、また陰毛や脇の下の毛を剃ったり割礼を施したりすることなどこれらすべてはアッラーが命じられたことなのです。

ムスリムはアッラーの敵の特徴をもった様々なことがらを真似することを禁止されました。かれらの外形を真似たりかれらに情愛をもつことはかれらの真似につながったりかれらに対し心に情愛をもつことになるからです。アッラーはムスリムに、人間の思想や考えの押し売りとなるのではなく、ムスリム自身が正しいイスラーム思想の源泉となるよう望んでいらっしゃるのです。アッラーはムスリムに人まねではなくイスラームの立派な規範となることを求めていらっしゃるのです。

良心的な産業や技術に関して言えば、たとえ非ムスリムが既に成し遂げたものであってもイスラームはそれらを奨励し採用することを命じています。アッラーこそ人類の教師だからです。アッラーフ・タアーラーは次のようにおっしゃっています。

((عَلَّمَ الإِنسَانَ مَا لَمْ يَعْلَمْ))

[アッラーは]人間が[なにも]知らなかったことを人間に教えた。
(Q96/5)

これこそ、自分自身の悪や他人の悪から人間の自由と尊厳を維持し遵守して下さることから得られる、人間に対する忠言と更生の最高の位階なのです。

居住権の自由 アッラーフ・タアーラーはムスリムに安心して生活できるよう居住権の自由を与えられました。許可なく何人も他人の家に入室することはできません。また許可なく室内をのぞくことも堅く禁じられています。

就労の自由 アッラーフ・タアーラーはムスリムにアッラーが定められた範囲で就労とその中から生活費を出費する自由を与えられました。また、自分自身と家族のためにまた慈善をするに足り得るだけの就労と収入を得ることを命じられました。また同時にアッラーは下記に記されたような非合法的な収入を禁じられました。たとえば、利子、賭、賄賂、窃盗によったり、あるいは占い、魔法、姦通や同性愛などによって得られた収入を禁じられました。また、動物が描かれた絵や酒や豚肉の売買やアッラーから見て非合法な遊び道具などの売買の禁止、また歌手や踊り子が受け取る賃金などです。これらすべてが非合法な収入にあたり、これらから得られた収入はすべて禁止されているだけではなく、これらの収入からの出費も禁止されています。ムスリムは合法的な手段によってのみ得られた収入の中からしか出費することはできません。これこそまさに、合法的な収入で幸福な生活を豊かに暮らすための収入と出費において考察する、人間にとって忠言と更生の最高の位階なのです。

 














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2004年 アラブ イスラーム学院