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イスラーム研究その2


第3章 真理の教え『イスラーム』を知る
 

3.五柱

アッラーが使徒ムハンマド(アライヒッサラート・ワッサラーム)に託された完璧なイスラームは五柱に基づいています。下記に示すこれらすべてを信仰し実践して初めて本当のムスリムということができるのです。

(i) 「「アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー、ワ・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(わたしはアッラーの他にイラー(2)は一切存在せず。ムハンマドはアッラーの使徒であることを証言する)」とシャハーダ(証言)すること。
(ii) サラー(礼拝)を行うこと。
(iii) ザカー(浄財の供出)を実践すること。
(iv) ラマダーン月にサウム(断食)をすること。
(v) もし可能であれば、マッカへハッジ(巡礼)を行うこと。

[1]第1の柱:シャハーダ(証言)

シャハーダの意味 このシャハーダにはムスリムが知り実践しなければならない意味が含まれています。口にして言うことは出来てもその意味も知らず実践もしない者は、この言葉から何も得られないのです。ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に崇拝すべき対象はない)という文言の意味はこの地上においても天空においても唯一無二のアッラー以外に真に崇拝の対象となるものは一切存在しないという意味なのです。アッラーこそ真の崇拝の対象なのです。アッラー以外のありとあらゆるイラー(崇拝の対象)はすべて偽りであります。イラーとは崇拝を受けるもの(マアブード)という意味なのです。

アッラー以外を崇拝するものは不信仰者(カーフィル )であり、多神教徒(ムシュリク(1))であります。たとえ崇拝の対象が預言者であったりあるいは敬虔な信者であったりしたとしても、またアッラーに近づくという口実として崇拝したとしてもアッラーにはその信仰は受け入れてもらえないのです。なぜなら使徒(ラスールッラーヒ、サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)と戦った多神教徒達はアッラーに近づくという口実で過去の預言者達や聖者と称される人たちを崇拝してきたからです。しかし、この口実は間違っていて決して受け入れることの出来ない口実でした。アッラーフ・タアーラーに近づいたりそのワスィーラ(手段)としたりすることがアッラーへの崇拝の証として、アッラーの名称とその属性を信じ、またサラー(礼拝)、サダカ(喜捨)、ズィクル(祈念)、サウム(断食)、ジハード(30頁の脚注参照)、ハッジ(巡礼)、親孝行などのようなアッラーが命じられた立派な行いや兄弟のためにドアー(祈願)をする際の信仰ある者のドアーをもってアッラーに近づくことでなければなりません。

<<イバーダ(1)の種類>>

(1)ドアー(祈願)

イバーダのひとつで、アッラーフ・タアーラーしか実現してもらうことができないことをどうしても実現してほしいことをアッラーにお頼みすることをドアーといいます。たとえば慈雨や病人の回復を願ったり悲しみを除去したりジャンナ(楽園)を求めたり、ナール(業火)からの救いを求めたり、子供や糧や幸福を求めたりするときにドアーをします。

これらのことはすべてアッラーのみにしか求めないのです。たとえ生きていようが死んでいようが被造物から何かを求めようとする者は被造物を崇拝したことになるのです。アッラーフ・タアーラーは僕にアッラーにのみドアーをすることを命じられています。ドアーはイバーダ(崇拝)であってアッラー以外にドアーをした者はナール(業火)の住人となるとアッラーフ・タアーラーは伝えて次のようにおっしゃっています。

((وَقَالَ رَبُّكُمُ ادْعُونِي أَسْتَجِبْ لَكُمْ إِنَّ الَّذِينَ يَسْتَكْبِرُونَ عَنْ عِبَادَتِي سَيَدْخُلُونَ جَهَنَّمَ دَاخِرِينَ))

あなたがたのラッブ(主)はおっしゃった。「われを呼べば、われはあなたがたに応える。」わがイバーダ(崇拝)をおごり高ぶる者は屈服して(2)ジャハンナム(地獄)に入るであろう。(Q40/60)

たとえどの預言者であろうと敬虔な信徒であろうと、益も害もないものにたいして、アッラー以外に誰もドアーの対象にしてはならないことを伝えて、次のようにおっしゃっています。

((قُلِ ادْعُواْ الَّذِينَ زَعَمْتُم مِّن دُونِهِ فَلاَ يَمْلِكُونَ كَشْفَ الضُّرِّ عَنكُمْ وَلاَ تَحْوِيلاً))

言え。「かれ[アッラー]を差し置いてあなたがたが主張している[神々を]呼びなさい。これらはあなたがたから災いをとってくれる[力も]なければ変える[力も]ないのだ。」(Q17/56)

また、アッラーフ・タアーラーは次のようにおっしゃっています。

((وَأَنَّ الْمَسَاجِدَ لِلَّهِ فَلَا تَدْعُوا مَعَ اللَّهِ أَحَدًا))

[すべての]マスジドはアッラーのもの。アッラーと一緒に[並べて他の]いかなるものをドアー(祈願)してはならない。(Q72/18)

(2)犠牲と誓い(ナズル)

人間はアッラー以外に屠畜をクルバーン(1)として捧げたり、また誓い(ナズル(1))を立てたりすることは許されていません。アッラー以外にたとえば故人やジン(22頁以下及び脚注参照)に捧げるかのように動物を犠牲にして屠畜をしてはなりません。もししたとしたならばアッラー以外に崇拝したことになり、アッラーの呪があるのは当然であります。アッラーフ・タアーラーは次のようにおっしゃっています。

((قُلْ إِنَّ صَلاَتِي وَنُسُكِي وَمَحْيَايَ وَمَمَاتِي لِلّهِ رَبِّ الْعَالَمِينَ 162لاَ شَرِيكَ لَهُ وَبِذَلِكَ أُمِرْتُ وَأَنَاْ أَوَّلُ الْمُسْلِمِين))

言え。「わがサラー(礼拝)とわがヌスク(宗教儀礼)とわがラッブ(生)とわが死はラッブ・ル・アーラミーン(万有の主)アッラーのためにある。*彼にシャリーク(同伴者)は一切存在しない。このようにわたしは命じられた。わたしはムスリムの筆頭者である。」(Q6/162−163)

次のようなハディースが伝えられています。

قال رسول الله : ((لعن الله من ذبح لغير الله ))

使徒(ラスールッラーヒ、サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)はおっしゃいました。『アッラー以外に[捧げて]ザブフ(屠畜)した者をアッラーは呪う。』(ムスリム(2))

「もしある人が私のためにこれこれをしてくれるならば、わたしはこれこれを喜捨する」とか、「これこれをするとその人に誓います」というこの誓い(ナズル)は多神崇拝(イバーダトゥッシルク)なのです。なぜならこのナズルは被造物に対するものだからです。しかしナズルはアッラーに対してのみ行うイバーダ(1)(行)です。また、ナズルはイスラーム法で定められています。正しくは次のように言うべきです。「もしアッラーが私のためにこれこれをして下さいましたならば、わたしはこれこれを喜捨します」あるいは「これこれをするとアッラーに誓います」というべきです。

(3)援助と庇護

唯一無二のアッラー以外からは援助や悪魔退散を求めてはなりません。アッラーフ・タアーラーはアル・クルアーンのなかで次のようにおっしゃっています。

((إِيَّاكَ نَعْبُدُ وإِيَّاكَ نَسْتَعِينُ))

われらはあなた[アッラー]のみ崇拝し、あなたにのみ助けを求める(Q1/5)

((قُلْ أَعُوذُ بِرَبِّ الْفَلَقِ 1 مِن شَرِّ مَا خَلَقَ))

言え。「わたしは暁のラッブ(主)にご加護を乞う。*創造されたもののシャッル(悪)から。(Q113/1−2)

次のようなハディースが伝えられています。

قال رسول الله : ((إنه لا يستغاث بي و إنما يستغاث بالله ))

使徒(ラスールッラーヒ、サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)はおっしゃいました。『わたしに助けを求めるのではなく、アッラーに求めるべきだ。』(アッタバラーニー(1))

また、次のようなハディースが伝えられています。

قال رسول الله : ((إذا سألت فاسأل الله و إذا استعنت فاستعن بالله ))

使徒(ラスールッラーヒ、サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)はおっしゃいました。『もしあなたが請うなら、アッラーに請え。助けを求めるならばアッラーに助けを求めよ。』(アッティルミズィー(2))

現に生きている人に助けを求めることは正しいのですが、人に助けを求めることはあくまでもその人の能力の範囲内として考えた場合です。加護を乞うこと(イスティアーザ)はアッラーしか求めてはなりません。死者などに助けを求めたりすることは一切してはなりません。たとえ預言者であろうと敬虔なムスリムであろうと王であろうとかれらに助けを求めたりすることは一切してはならないのです。かれらにはいかなる権威も持ち合わせていないからです。

ガイブ(不可知なる世界)はアッラーしか知りえないからです。ガイブを知っているなどと主張する者はカーフィル(不信仰者)で、もし知っているなどと主張すれば、それは偽りにほかならないのです。もしあることを占ったとしたらそれはいかさまのたぐい以外のなにものでもありません。

次のようなハディースが伝えられています。

قال رسول الله : ((من أتى كاهنا أو عرافا فصدقه بما يقول فقد كفر بما أنزل على محمد ))

使徒(ラスールッラーヒ、サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)はおっしゃいました。『巫女あるいは占い師のところへ行って言うことを信じた者はムハンマドに啓示されたもの[アル・クルアーン]を信仰しない者である。』(アフマド(1)及びアル・ハーキム(2))

(4)タワックル(委任)・期待・謙虚

人はアッラー以外にタワックルしてはなりません。アッラー以外からは何事も期待してはなりません。またアッラーにのみ畏れを抱かなければなりません。残念なことにムスリムと称する人たちの多くはアッラーをさしおいてシルク(多神崇拝)を行っています。アッラー以外に目上の者や墓の周りをまわり死者に様々なことを頼み事をすることはシルクの行為なのです。たとえムスリムと主張し「アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー、アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(アッラー以外に崇拝の対象はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である)」と証言しサウム(断食)やハッジ(巡礼)をしたとしても、この様な行為(3)をする者達はムスリムではありません。アッラーフ・タアーラーは次のようにおっしゃっています。

((وَلَقَدْ أُوحِيَ إِلَيْكَ وَإِلَى الَّذِينَ مِنْ قَبْلِكَ لَئِنْ أَشْرَكْتَ لَيَحْبَطَنَّ عَمَلُكَ وَلَتَكُونَنَّ مِنَ الْخَاسِرِينَ))

あなたとあなたよりも以前の人々に啓示された。「もしあなたがシルク(多神崇拝)を行ったならば、あなたの行為は地に落ち失敗者のひとりとなるであろう。」(Q39/65)

また、アッラーは次のようにおっしゃっています。

((لَقَدْ كَفَرَ الَّذِينَ قَالُواْ إِنَّ اللّهَ هُوَ الْمَسِيحُ ابْنُ مَرْيَمَ وَقَالَ الْمَسِيحُ يَا بَنِي إِسْرَائِيلَ اعْبُدُواْ اللّهَ رَبِّي وَرَبَّكُمْ إِنَّهُ مَن يُشْرِكْ بِاللّهِ فَقَدْ حَرَّمَ اللّهُ عَلَيهِ الْجَنَّةَ وَمَأْوَاهُ النَّارُ وَمَا لِلظَّالِمِينَ مِنْ أَنصَارٍ))

アッラーをさしおいて他のものを崇拝する者にはアッラーはジャンナ(楽園)を禁じられ、マーワー(行きつくところ)はナール(業火)である。不義をなす者にはアンサール(援助者)はいない。(Q5/72)

アッラーフ・タアーラーはその使徒ムハンマド(サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)に次のアーヤを人々に伝えるよう命じられました。アッラーは次のようにおっしゃっています。

((قُلْ إِنَّمَا أَنَا بَشَرٌ مِّثْلُكُمْ يُوحَى إِلَيَّ أَنَّمَا إِلَهُكُمْ إِلَهٌ وَاحِدٌ فَمَن كَانَ يَرْجُو لِقَاء رَبِّهِ فَلْيَعْمَلْ عَمَلًا صَالِحًا وَلَا يُشْرِكْ بِعِبَادَةِ رَبِّهِ أَحَدًا))

言え。「わたしはあなたがたと同じバシャル(人間)なのだ。あなたがたのイラー(崇拝の対象)はひとつのイラー[アッラー]しか存在しないのだとわたしに啓示された。ラッブ(主)に出会いたいと願う者は立派な行いをし、ラッブのイバーダ(崇拝)にさいし他のものをイバーダしてはならない。」(Q18/110)

これらのことについて無知なる者達は悪と迷いの虫に取り付かれた学者達によってだまされているのです。これらの学者達は枝葉的なものに詳しくディーン(教え)の基盤とも言うべきタウヒード(アッラーの唯一性)についてはまったく何も知らないのです。これらの学者達は無知からタウヒードを広めるつもりでシャファーア(執りなし)やワスィーラ(手段)の名においてシルクを語るようになったのです。かれらは古今を問わず使徒(ラスールッラーヒ、サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)にたいして偽ったある特定のハディースやシャイターンをこっそり入り込ませた夢物語を語ったり、シャイターンやハワー(誘惑)に追従したりしてきたのです。そして、かれらはこれに類似した昔の多神教徒達の時の状況と同じように先祖を盲目的に模倣する多神崇拝を肯定させる目的で、かれらの著作の中で蒐集した様々な誤った曲解でもって無知なる者達を論破したのでした。

(( و ابتغوا إليه الوسيلة ))

かれ[アッラー]にのみ[アッラーに近づく]ワスィーラ(手段)を求めよ。(Q5/35)

上述のアーヤにもあるようにアッラーが求めるよう命じられたワスィーラ(手段)とはタウヒード(アッラーの唯一性)からくる立派な行いのことです。サラー(礼拝)、サダカ(喜捨)、スィヤーム(断食)、ハッジ(巡礼)、ジハード(30頁の脚注参照)、善行を命じたり悪事を禁じたりすること、そして親類関係の維持などを指します。不幸や悲嘆に見舞われたさい、死者へのドアー(祈願)や死者を通して助けを求めたりすることは多神崇拝なのです。

アッラーがシャファーア(執りなし)を許されている預言者達や敬虔なムスリム、その他のムスリムのシャファーアはハック(真)でわれわれはそれを信じていますが、死者からは決して求めてはならないのです。それはアッラーフ・タアーラーの許しなくしては誰も得ることの出来ないアッラーの大権だからです。アッラーの唯一性を信仰している者は「アッラーよ、あなたの使徒及びあなたの敬虔な僕達の執りなしがわたしに授かれますように」とアッラーフ・タアーラーに祈るのであって、決して死者に向かって「誰々よ、わたしのために執りなしてください」と祈ってはなりません。死者には何も求めてはならないからです。アッラーフ・タアーラーは次のようにおっしゃっています。

((قُل لِّلَّهِ الشَّفَاعَةُ جَمِيعًا لَّهُ مُلْكُ السَّمَاوَاتِ وَالْأَرْضِ ثُمَّ إِلَيْهِ تُرْجَعُون))

言え。「シャファーア(執り成し)[の許しの大権]はアッラーにこそすべて属する。天と地のムルク(主権)もアッラーに属する。そして、あなたがたは[すべて]かれ[アッラー]の許に戻される。」(Q39/44)

アル・ブハーリーとムスリムの真正なハディース(1)及びその他のハディースのなかでラスールッラーヒ(サッラッラーフ・アライヒ・ワサッラム)が禁止され、イスラームではハラーム(非合法)とされているビドア(86頁の脚注参照)にマスジド(モスク)を墓場としたり墓の上に文字を彫ったプラスターをおいたり墓に幕を掛けたりするなどがあります。墓地でサラー(礼拝)を挙げたりする行為もビドアです。これらの行為はすべてラスールッラー(サッラッラーフ・アライヒ・ワサッラム)によって禁止されました。それは多神教徒達が崇拝の対象としていたことが最大の理由でした。

このことからシルクとは多くの国で見られる無知なる者達が墓場で行っている行為そのものなのです。たとえばエジプトのアル・バダウィーの廟、アッサィイダ・ザイナブの廟、またイラクのアル・ジーラーニーの廟、またイラクのアンナジャフやカルバラーにあるハーシム家のものとされる廟、その他多くの廟があげられます。墓の周りを回って死者に様々な必要なことを願ったり吉凶を占ったりしている例などこれら全ての行為は多神崇拝なのです。

このような行為をする者達こそ踏み迷う多神教徒達であることがお分かりになったと思います。たとえイスラームの教義を説きサラー(礼拝)とサウム(断食)とハッジ(巡礼)をし「アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー、アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(わたしはアッラー以外に崇拝の対象は存在しないことを証言します。わたしはムハンマドはアッラーの使徒であることを証言します)」と唱えても、その人は既に明らかにしたように、このシャハーダ(証言)の意味を充分に理解するまでアッラーの唯一性を信じているものとはみなされないのです。非ムスリムに関していえば、シャハーダの意味を充分に理解した者がこのシャハーダを唱えてイスラームに入信すれば、ムスリムと呼ばれるのです。このようなムスリムは、無知なる者達のようにシルク(多神教)にとどまったり、あるいはイスラームについて理解したあとでもイスラームの義務行為をなんらかの形で否定したり、あるいはイスラームの教えに反する教えを信ずることがいかにイスラームと矛盾しているかが理解できるほど信仰の厚い人達なのです。預言者や敬虔なムスリム(アウリヤー(1))は自分たちを讃えたりあるいは助けを求められたりする者達からはまったく無縁な存在なのです。アッラーフ・タアーラーはアッラーの唯一性を説くことと預言者あるいはアウリヤー(1)であろうとアッラー以外の崇拝を絶つことを伝えるために使徒を遣わしたことを決して忘れてはいけません。

使徒や使徒を手本としたアウリヤーを愛することはかれらを崇拝することではありません。彼らを崇拝することはかれらの敵としていた所以でもありました。かれらを愛することはかれらを手本としかれらの道程をたどることで崇拝とは無縁な存在なのです。本当のムスリムは預言者やアウリヤーを愛してはいても、決して崇拝はしていないのです。われわれのラスールへの愛は自分自身や妻や息子やすべての人々以上に義務であることは確かです。

救出される集団 
使徒(ラスールッラーヒ、サッラッラーフ・アライヒ・ワサッラム)とサハーバ(教友)がよりどころとしていたのは「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に崇拝すべき対象はない)」の意味を信じることとそれをもって実践することにつきました。ムスリムはドアー、犠牲、誓い、援助、悪魔退散などの行為もすべてアッラーにのみ捧げなければなりません。六信五柱についても全く同じ事が言えます。アル・クルアーンとスンナこそあらゆる分野における裁定の基準となります。アッラーの敬虔なムスリムを擁護し、アッラーの敵を敵とし、アッラーの道にジハードしなければなりません。ムスリム指導者が正しいことを命じたならば、それに従わなければなりません。またどこにいようと真実をつねに訴えなければなりません。各自の徳に応じて違いはあっても、預言者の妻達やその一族やサハーバ(教友)を等しく敬愛しなければなりません。預言者の妻達やその一族やサハーバの何人かに対する似非信者達の中傷を信じてはいけません。かれらたちが意図したこの中傷はムスリム達の間柄を裂くことにあるからです。残念なことに何人かの学者達や歴史家達はだまされ、その著書の中でこのことを記していますが、これは明らかに間違いです。

預言者の一族と称し「サィイド」と呼ばれる人達はその名前の由来の正しさを確認しなければなりません。家系を偽った者はアッラーに呪われるからです。もしその人が預言者の家系であるということが確かめられたならば、使徒及びその一族を模範として、アッラーの唯一性を信条とした規範を示し反抗的態度をすてなければなりません。自分たちに頭を下げさせたり、足に接吻をさせたり、特別な服を着て他の同胞ムスリムと区別したりしてはなりません。それは使徒の取った規範に違反するからです。使徒ご自身とそのこととはまったく無関係なのです。アッラーのみ許で最も尊厳のある者こそ最もタクワー(畏怖の念)あつい者なのです。我が預言者ムハンマドとその一族に祝福と平安あれ。

アッラーを信じ実践すべき『ラー・イラーハ・イッラッラー』の文言の意味には統治と立法はアッラーのみの権利であって、何人もどんな法令であれ法を制定するに際しては、シャリーア(アッラーの法)に違反して法を定めることは許されておりません。またいかなるムスリムでもアッラーが啓示されたアル・クルアーン以外の法をもって国を治めたり、シャリーアに違反して統治することはできません。アッラーがハラーム(非合法)としたものをハラール(合法)としたり、あるいはその逆にハラールとしたものをハラームとすることも何人にも許されていません。あえて違反と知っていてこれに違反したものはアッラーにたいする背信行為なのです。アッラーは次のようにおっしゃっています。

((إِنَّا أَنزَلْنَا التَّوْرَاةَ فِيهَا هُدًى وَنُورٌ يَحْكُمُ بِهَا النَّبِيُّونَ الَّذِينَ أَسْلَمُواْ لِلَّذِينَ هَادُواْ وَالرَّبَّانِيُّونَ وَالأَحْبَارُ بِمَا اسْتُحْفِظُواْ مِن كِتَابِ اللّهِ وَكَانُواْ عَلَيْهِ شُهَدَاء فَلاَ تَخْشَوُاْ النَّاسَ وَاخْشَوْنِ وَلاَ تَشْتَرُواْ بِآيَاتِي ثَمَنًا قَلِيلاً وَمَن لَّمْ يَحْكُم بِمَا أَنزَلَ اللّهُ فَأُوْلَـئِكَ هُمُ الْكَافِرُون))

アッラーが啓示された[法]をもって統治しない者こそカーフィル(背信の徒)である。(Q5/44)

アッラーが遣わされた使徒達の職務は『ラー・イラーハ・イッラッラー』という文言で言い表されているアッラーの唯一性を示す言葉を人々に呼びかけ、この言葉のもつ意味を実践することにあったのです。アッラーのみを崇拝し被造物崇拝から脱却することです。すなわち、シャリーアとは人為的利害を基盤とした実定法とは無縁で、創造主アッラーの意志を基盤とした時空を超えた法のことです。

アル・クルアーンを盲目的な習慣から遠ざかって熟考し読んだ者には誰でも、アル・クルアーンは著者が既に明らかにしてきたハック(真理)であり、人間とアッラーフ・スブハーナッラー(1)との関係、そして人間と人間との関係が定められていることがお分かりになったことと思います。アッラーはアッラーと信徒との関係をすべてのイバーダート(行)を通してアッラーを崇拝するようにと定められました。アッラー以外のいかなる崇拝も受け入れられないからです。アッラーは預言者達及び敬虔なアッラーの僕達とアッラーとの関係をアッラーへの愛につづくかれらへの愛と規範とされたのです。また、アッラーはアッラーと不信仰者であるアッラーの敵との関係を怒りの関係にされました。なぜならアッラーは彼らをお怒りになっているからです。しかしそうであってもアッラーはつねにかれらをイスラームへ招請し、おそらくかれらが導かれるであろうと願って、かれらにイスラームを説いているのです。もしかれらがイスラームを受け入れなければ、シルク(多神崇拝)がなくなり、ディーン(教え)がすべてアッラーに属しアッラーの統治に服すまでムスリムはかれらと戦わなければなりません。すなわち、タウヒードの文言『ラー・イラーハ・イッラッラー』のもっている意味をムスリム達が充分理解しなければなりません。また真のムスリムとなるにはこれに基づいて実践しなければなりません。


『ムハンマドはアッラーの使徒である(ムハンマドッラスールッラー)』というシャハーダ(証言)の意味はムハンマドは全人類にアッラーの遣わされた使徒であるということと、崇拝の対象とならず、一人のアッラーの僕として、また生涯一度も偽ったこともなく、服従され従われるべき対象であります。使徒に服従した者はジャンナ(楽園)に入れられると約束されています。使徒に反抗した者はナール(業火)に入れられるのだということを知り信じなければなりません。アッラーがお命じになったイバーダート(宗教的行為)である宗教儀礼にしても、あるいはすべての分野にわたる国家の政体や立法にしても、ハラール(合法)あるいはハラーム(非合法)に立脚した立法を制定するにはこのムハンマド(サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)によらなければなりません。なぜならばかれはアッラーからのシャリーア(法)を伝える使徒であるからです。ムスリムは使徒(ラスールッラーヒ、サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)以外によって得られた立法は受け入れることは出来ないのです。アッラーフ・タアーラーは次のようにおっしゃっています。

((مَّا أَفَاء اللَّهُ عَلَى رَسُولِهِ مِنْ أَهْلِ الْقُرَى فَلِلَّهِ وَلِلرَّسُولِ وَلِذِي الْقُرْبَى وَالْيَتَامَى وَالْمَسَاكِينِ وَابْنِ السَّبِيلِ كَيْ لَا يَكُونَ دُولَةً بَيْنَ الْأَغْنِيَاء مِنكُمْ وَمَا آتَاكُمُ الرَّسُولُ فَخُذُوهُ وَمَا نَهَاكُمْ عَنْهُ فَانتَهُوا وَاتَّقُوا اللَّهَ إِنَّ اللَّهَ شَدِيدُ الْعِقَاب))

ラスール(使徒)によってもたらされた[法]を受け入れなさい。あなたがたに禁止されたことはさけなさい。(Q59/7)

また、アッラーフ・タアーラーは次のようにもおしゃっています。

((فَلاَ وَرَبِّكَ لاَ يُؤْمِنُونَ حَتَّىَ يُحَكِّمُوكَ فِيمَا شَجَرَ بَيْنَهُمْ ثُمَّ لاَ يَجِدُواْ فِي أَنفُسِهِمْ حَرَجًا مِّمَّا قَضَيْتَ وَيُسَلِّمُواْ تَسْلِيمًا))

[啓示を信仰していると主張しているが実際は(1)]そうではない。あなたのラッブ(主)にかけて、かれらは自分たちの間で起きた[紛争]に関してあなたに裁定を仰ぎ、その後あなたが下した裁定に、かれら自身が満足し本当に納得するまでは、かれらは信じないのだ。(Q4/65)

アーヤの意味 最初のアーヤでアッラーはその使徒ムハンマド(アライヒッサラーム)に命じられたことはすべてムスリムが従うよう命じられています。もうひとつのアーヤはアッラーフ・スブハーナご自身がご自身に誓約されているアーヤです。アッラーは両者の間で起きた紛争に関して使徒に裁定を仰ぐことはアッラーと使徒を信仰することにほかならないと説いているのです。しかも、それは正しい行為であるとアッラーご自身誓約されていらっしゃるのです。これに関して次のようなハディースが伝えられています。

قال رسول الله : ((من عمل عملا ليس عليه أمرنا فهو رد))

使徒(ラスールッラーヒ、サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)はおっしゃいました。『われらの命に背く行ないをする者は受け入れられない。』(ムスリム)

呼びかけ 頭脳明晰な読者よ『ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドッラスールッラー(アッラー以外に崇拝の対象は存在せず、ムハンマドはアッラーの使徒である)』の意味を知ったならばこのシャハーダ(証言)こそイスラ?ムを知るカギでイスラ?ムを支えている礎であることがお分かりになったことと思います。アッラーに向かって誠実に心から「アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー、アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(わたしはアッラー以外に崇拝の対象は存在しないことを証言します。わたしはムハンマドはアッラーの使徒であることを証言します)」と唱えてみてごらんなさい。ドゥンヤー(現世)とアーヒラ(来世)における幸福を得るために、また死後アッラーの懲罰(アザーブ)から逃れるためにもこのシャハーダの意味を理解して実践することが重要です。

『ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドッラスールッラー』のシャハーダに基づいて、残りのイスラ?ムの柱を実践しなければなりません。アッラーフ・タアーラーのために正しく誠実にこれらの行(ぎょう)を果たすことによってアッラーを崇拝することにつながることから、アッラーはムスリムにこれらの五柱を課したのです。イスラ?ム法で定められた弁解以外にこれらの五柱のひとつでも怠った者は『ラー・イラーハ・イッラッラー』の意味をほごにしたも同様、その人のシャハーダは正しいとは見なされません。

 














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2004年 アラブ イスラーム学院