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【第9章 回帰[アル=タウバ]】
(9:1〜9:6)
 

マディーナ啓示。ただし、最後の2節は別。130節、または129節。

『おまえたちの許におまえたち自身の中から使徒がやって来たのである。・・・』(128節)(以下、章の最後の節までの2節)はマッカ啓示。
この章には、『アッラーは預言者と移住者と援助者の許に確かに顧み戻り給うた』(117節)という御言葉の中に「タウバ(顧み戻ること)」の語が述べられていることから、そう名づけられた。
この章には「解約」章、「治癒」章、「追求」章、「放擲」章、「調査」章、「扇動」章、「詮索」章、「侮蔑」章、「醜聞」章、「みせしめ」章、「追放」章、「殲滅」章、「懲罰」章などの別名がある。
預言者によると、「私にはクルアーンは1節、1節、1文字、1文字下されたが、バラーァ(解約)の章(第9章のこと)と『クル フワ アッラーフ アハド』章(第112章)は別である。この2つが下された時、7万列の天使が一緒であった」。

この章にはバスマラ(「慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において」)は書かれていない。アル=ハーキムの伝えるハディースから理解されるところ、彼はそれを命じられなかったからである。また彼はその意味について、アリーから「バスマラは安全保障(アマーン)であるが、それ(第9章)は剣によって安全保障を取り上げるために下された」と、またフザイファから「あなたがたはこれをタウバの章だと名づけているが、これは懲罰の章なのである」との言葉を伝えている。
アル=ブハーリーによると、これは章として下された最後のものである。

アル=ハーズィンによると、「戦利品」章と「解約」章が2つの章か、それとも1つの章かについては教友の間で見解が分かれる。ある者は、どちらも戦闘について下されたもので1つの章であり、合計205節であり、その合計は「長い7つの章」の7章目である、と言った。また、ある者は、これらは2つの章である、と言った。こうした見解の相違が教友の間に生じたため、2つの章であると言う説に沿って2つの章の間を空け、1つの章であるとする説に沿って、間にバスマラを書かなかったのである。
アル=クルトゥビーによると、バスマラのない理由については5説ある。
第1説:ジャーヒリーヤ時代のアラブ人は、盟約を結んだ民とその破棄を望んだ時には、相手にバスマラを書かない書簡を書き送る慣習があった。そこで、預言者と多神教徒との間の盟約の破棄に関してこの章が下された時、彼はその書簡をアリー・ブン・アビー・ターリブに持たせて送り、彼はそれを巡礼の時期に彼らに読んだが、バスマラを書かないという盟約破棄の彼らの慣わしに従って、バスマラを唱えなかった。
第2説:アル=ナサーイーが伝えるところによると、イブン・アッバースは言った。私はウスマーンに、「『アル=マサーニー(100節以下の章)』である「戦利品」章と『アル=ミゥーン(100節あまりの章)』である「解約」章について、その2つを並べ、『慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において』によって仕切らず、それを7つの長い章の1つとしたのはなぜか」と尋ねた。すると、ウスマーンは言った、「アッラーの御使いはクルアーンの節が啓示されると、書き留める者を呼び、『この章は、これこれの章に置け。この節はこれこれの章に置け』と言われた。「戦利品」章はマディーナで啓示された最初のもので、「解約」章は最後に啓示されたものであり、一方の内容は他方の内容と似ていた。アッラーの御使いはこれ(第9章)がそれ(第8章)の一部だとわれらに明言されないまま亡くなられた。それで、これらを一組とみなしたため、私は2つの章の間に『慈悲あまねく・・・』の行を書き込まないのである」。
第3説:同様にウスマーンによると、彼がその前部を削除した時、「慈悲あまねく慈悲深き・・・」もまた削除された。イブン・アジュラーンによると、当初「解約」章は「雌牛」章に匹敵するか、それに近いものであったと伝えられた。
第4説:ハーリジャ、アブー・アスラなどによると、ウスマーンのカリフ時代にクルアーンの滋本を書いた時、アッラーの御使いの教友たちで見解が分かれた。ある者たちは、「解約」章と「戦利品」章は一つの章である、と言い、また、ある者たちは、それらは2つの章だ、と言った。そこで、2つの章だという者の言葉に合わせて、2つの間に隙間を開け、1つの章だという者の言葉に合わせて、「慈悲あまねく慈悲深い・・・」と書かなかった。そこで双方とも、自分たちの主張の証しが滋本に確定されたことに満足した。
第5説:アブドッラー・ブン・マスウードが言った。私はアリー・ブン・アビー・ターリブに、「どうして、『解約』章には『慈悲あまねく慈悲深いアッラーの御名において』と書かないのか」と尋ねたところ、彼は言った、「『慈悲あまねく慈悲深いアッラーの御名において』は安全保証であるが、『解約』章は剣と共に啓示され、そこには安全保障がないからである」。

アッラーと彼の使徒からおまえたちが盟約を結んだ多神教徒たちへの解約である。(9:1)

『アッラーと彼の使徒から』 これは。
主語が省略されている。つまり「これは・・・解約である」(al=Wahbah al=Zuhailī, al=Tafsīr al=Munīr, vol.10, p.98)。

『多神教徒たちへの』 ・・・に届けられた。

『おまえたちが盟約を結んだ・・・』 無期限の盟約、あるいは4ヶ月以下の、あるいはそれ以上の契約を。この盟約は次の節の中に言及されていることによって破棄された。

『解約である』アル=ハーズィンによると、『解約』の原義は「不可侵性の断絶」である。

解説者たちによると、アッラーの御使いがターブークに出陣されると、偽信者たちは偽りのうわさを広め、多神教徒たちにアッラーの御使いとの間にあった盟約を破棄させた。そこで、アッラーは彼らとの盟約の破棄を命じ給うたのである。それが、『また、もしもおまえが民の中に裏切りを恐れるならば・・・』(第8章58節)である。そこで、アッラーの御使いは命じられたことを実行し、彼らとの盟約を解消された。

四ヶ月地上を往来せよ、そして知れ、おまえたちはアッラーを頓挫させるものではなく、アッラーは不信仰者に屈辱を与える御方であると。(9:2)

『四ヶ月』 その最初は、後述の根拠によって、シャゥワール月である。その後は安全保証はない。

『地上を往来せよ』 多神教徒たちよ、安全に行き交うがよい。

許可を意味する命令文である。
ムスリムたちよ、多神教徒たちに言え、4ヶ月地上を往来せよ・・・と。これは、彼らに対する4ヶ月の安全保証について言及したものである。つまり、おまえたちは彼らに対して、無条件の盟約を破棄した後も、4ヶ月、あるいはそれ以下かそれ以上の休戦協定を結んでも構わない。つまり、彼らとの盟約の破棄はそれだけで彼らに対する協定を更新することを禁じるものではない。むしろ、3つの形においてそれを更新することが許される。
4ヶ月に期間を限定しているのは、ムスリムが優勢だったためで、それに対し、フダイビーヤの和睦の時にはムスリムが劣勢だったために10年であった。つまり、ムスリムが劣勢な場合には休戦協定は10年、またはそれ以下でもかまわないが、優勢でない場合には、4ヶ月を超えることは認められない。
この猶予の目的は、彼らが慎重に考え、この期間の後にはイスラーム入信もしくは殺害しか彼らにはないことを悟り、それが彼らにとってイスラームを受け容れる誘因となり、またムスリムが裏切りと破約の非難を蒙らないためである。
この期限の始まりは「大巡礼の日(犠牲祭の日)」で、終わりはラビーウ・アル=アーヒル月の 10日であった。また、盟約のなかった者に関しては、彼の(猶予)期限は聖なる月の終了まで、つまり50日であった。アル=ズフリーによれば、この4ヶ月とは、シャゥワール月、ズー・アル=カアダ月、ズー・アル=ヒッジャ月、アル=ムハッラム月であった。なぜなら、この節はシャゥワール月に啓示されたものだからである。第1説の方がより正しく、大半の者がこれを支持する。
ムハンマド・ブン・イスハーク、ムジャーヒドなどによると、この節はマッカの民について下された。アッラーの御使いは、フダイビーヤの日にクライシュ族の者たちと10年間は戦争を止め、その間は人々が安全であるとする契約を交わされた。フザーア族の者もアッラーの御使いとの契約に入った。一方、バクル族の者はクライシュ族との契約に入った。その後、バクル族はフザーア族に対して敵対し、攻撃し、クライシュ族は剣をもって彼らに加勢した。バクル族とクライシュ族がフザーア族に対して勝ち、彼らの盟約を破棄すると、フザーア族のアムル・ブン・サーリムはアッラーの御使いの許まで出掛け、彼にこの知らせを告げた。すると、アッラーの御使いは、「私がおまえたちを助けなければ、私に勝利はない」と言われ、マッカ討伐の準備を整え、ヒジュラ暦8年にマッカを征服された。
9年に、アッラーの御使いは、巡礼を望まれたが、多神教徒が裸で館(カアバ)の周りを回っている、と彼に言う者があり、「それがなくなるまで私は巡礼はしたくない」と言われ、その年は巡礼の時期に、アブー・バクルを人々の巡礼のリーダーとして派遣された。そして、彼と共に『バラーアトゥン』(第9章1節)から40節を送り、彼にそれを巡礼の参加者に読み聞かせさせられた。
その後、アッラーの御使いはアリーを彼の耳の裂けたラクダに乗せて派遣し、彼に人々に第1節から読み聞かせさせ、マッカとミナーとアラファで、あらゆる多神崇拝に対するアッラーの庇護とアッラーの御使いの庇護は既に終了したこと、館を裸の者が回ることはないことを告げるよう命じられた。そこでアブー・バクルは戻って言った、「わが両親よりも大切なアッラーの御使いよ、私のことでなにか啓示があったのでしょうか」。「いや、ない。ただ、私の家族の者でなければこれは伝えることができないのである。アブー・バクルよ、あなたは洞穴で私と共にいたことで満足していないのか。(楽園の)池に私と共にいることに満足しないのか」と言われた。すると、アブー・バクルは、「そのとおりです、アッラーの御使いよ」と言って、巡礼のリーダーとなった。そして、アリーは解約を伝えた。タルウィヤの日(アラファの日の前日)の1日前になるとアブー・バクルは立って人々に説教をし、巡礼の儀式について説明し、人々のために巡礼を執り行った。この年、ベドウィンたちは巡礼についてジャーヒリーヤの時代に守っていた決まりに則っていた。やがて犠牲の日になると、アリーは立って、人々に命じられたことを告げ、彼らに「解約」章の最初を読み上げた。すると、ヤズィード・ブン・タビーウはアリーに、「巡礼について何を携えて遣わされたのか」と尋ねた。アリーは言った、「私は、4つのことと共に遣わされた。すなわち、裸の者は館を回ってはならない。預言者との間で契約のある者はその期限までである。契約のない者には4ヶ月を期限とする。信仰する魂以外は楽園には入らない。今年以降、巡礼において多神教徒とムスリムは一緒にはならない」。
その後、アッラーの御使いはヒジュラ暦10年に別れの巡礼をなされた。

『おまえたちはアッラーを頓挫させるものではなく』 つまり、それゆえ彼の懲罰に見舞われる。

『アッラーは不信仰者に屈辱を与える御方である』 現世においては殺害によって、また、来世では獄火によって彼らを卑しめ給う。

大巡礼の日におけるアッラーと彼の使徒から人々への、アッラーは多神教徒たちとは無関係であり、彼の使徒もまた、との知らせである。もしおまえたちが悔いて戻れば、それはおまえたちにとって一層良いが、もしおまえたちが背き去るなら、おまえたちはアッラーを頓挫させるものでないと知れ。信仰を拒んだ者たちには痛苦の懲罰の吉報を伝えよ。(9:3)

『大巡礼の日』 犠牲の日。

この日をもって巡礼の大半の行事は完了するため、巡礼の日と呼ばれる。『大巡礼(al-hajj al-‘akbar)』と巡礼に「大(al-‘akbar)」という形容が付されているのは、『小巡礼(al-hajj al-‘asgar)』であるウムラと区別するためである。

『アッラーは多神教徒たちとは無関係で』 そして、彼らとの盟約とも。

『彼の使徒もまた』 同様に、無関係である。預言者はこの年、つまり、(ヒジュラ暦) 9年にアリーを遣わし、犠牲の日にミナーでこの節について告げさせ、この年以降、多神教徒は巡礼をすることはなく、裸で館を回ることはないことを告げさせられた(アル=ブハーリー)。

アブー・バクルはアリーより前に出掛け、アリーは彼にアルジュというマディーナから76マイルの村で追いついた。アッラーの御使いが人々に解約を伝えるのにアリーを遣わされ、アブー・バクルだけでは十分とされなかったことについては、盟約の締結や破棄の代理は部族の長か、親族の者でなければならないというアラブの慣わしがあったからであると学者は答える。なぜなら、彼(アリー)は彼の父方のおじの息子であり、彼の縁者だったので、アブー・バクルより預言者に近かったからである。・・・
多神教徒たちは、「われらはアッラーに背いたときに着ていた服では回らない」と言って、裸で館を回っていたのである。

『・・・との』 つまり「・・・ということの( bi-‘anna)の」。

『知らせ』 通告。

『もしおまえたちが悔いて戻れば』 不信仰から。

『もしおまえたちが背き去るなら』 信仰から。

『痛苦の』 苦痛を与える。

『懲罰』 それは、現世での殺害と捕虜、そして、来世での獄火である。

『吉報を伝えよ』 告げよ。

ただし、多神教徒のうちおまえたちと盟約を交わし、その後おまえたちをわずかにも不当に扱うことなく、おまえたちに敵対してだれかを援助したことのない者は別である。彼らには彼らとの盟約を期限まで全うせよ。まことにアッラーは畏れ身を守る者を愛し給う。(9:4)

『わずかにも』 盟約の条件のうち。

『だれかを』 不信仰者のうち。

『援助したことのない』 加勢したことのない。

『期限』 おまえたちが合意した。

『・・・まで』 ・・・が尽きるまで。

『畏れ身を守る者』 盟約を履行することによって。

聖なる月が経ったら、多神教徒を見つけ次第殺し、捕らえ、包囲し、あらゆる道で彼らを待ち伏せよ。だが、もし彼らが悔いて戻り、礼拝を守り、喜捨を払うなら、彼らの道を空けよ。まことにアッラーはよく赦す慈悲深い御方。(9:5)

『聖なる月』 それは猶予期間の終わりである。

『経ったら』 過ぎたら。

『多神教徒を見つけ次第』 イフラーム(巡礼の潔斎)状態にあろうとなかろうと。

『捕らえ』 捕虜として。

『包囲し』 砦と要塞に。殺害かイスラーム(受容)かのいずれか(の選択)を余儀なくされるまで。

『あらゆる道で』 行き着く道路で。『あらゆる(kulla)』が対格になっているのは、前置詞の省略による(bi-kulliのbiの省略)。

『彼らを待ち伏せよ』彼らが町中に広がらないように。・・・これは、彼らがマッカに入らないようにマッカに至るあらゆる道で待ち伏せよ、という意味だとも言われる。

『もし彼らが悔いて戻り』 不信仰から。

『彼らの道を空けよ』 彼らに対抗するな。

『まことにアッラーはよく赦す慈悲深い御方』 悔いて戻る者に。

もし多神教徒のひとりがおまえに庇護を求めたなら、彼がアッラーの御言葉を聞くまでは彼を庇護し、それから安全な場所に送り届けよ。それは、彼らが知らない民だからである。(9:6)

『もし多神教徒のひとりが』 『ひとりが(‘ ahadun)』が主格になっているのは、それを解説する(潜在的な)動詞のためである。

「もしおまえに庇護を求めるなら、(多神教徒の)ひとりが(‘in istajāra-ka ‘ahadun)・・・」が潜在的な文節である。なぜなら条件節導入詞「‘in(もし)」は動詞にしか接続しないので、上記のように仮定して補う必要があるからである(cf.,Wahbah al=Zuhailī, al=Tafsīr al=Munīr, vol.10, p.111)。

『おまえに庇護を求めたなら』 殺害からの安全保障をおまえに求めれば。

『アッラーの御言葉を』 クルアーンを。

『彼を庇護し』 彼に安全を保証し。

『安全な場所に』 彼の身が安全な地、すなわち、彼の民の地である。

『送り届けよ』 たとえ彼が信仰しなくても。(『アッラーの御言葉を聞くまでは』)彼の状態を見極めるために。

アリーによると、多神教徒の男が彼の許に来て、言った、「もしわれらの一人がこの期限の満了の後、アッラーの御言葉を聞くため、あるいは用事があってムハンマドを訪ねたら、彼はその男を殺すであろうか」。そこでアリーは答えて言った、「そんなことはない。なぜなら、アッラーは『もし多神教徒のひとりがおまえに庇護を求めれば・・・彼を庇護し』と仰せられたからである」。

『それは』 既述のことは。

「既述のこと」とは、2つのこと、つまり、『彼を庇護し』と『彼を送り届け』である。

『彼らが知らない民だからである』 アッラーの宗教について。それゆえ、彼らにはクルアーンを聞き、(ムスリムになった時の報奨になにがあるか、また、ならなかった時の懲罰としてなにを被るかを)知る必要があるのである。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版

(2008年3月14日更新)



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2008年 アラブ イスラーム学院