ビジュアル学習 | 注釈 | 響き | 研究 | 朗誦者紹介 | 章名一覧
 

【第7章 高壁】
(7:171〜7:187)
 

また、われらが山をおまえたちの上で天蓋のように揺すぶり、彼らの上に落ちてくると思った時のこと。おまえたちに授けたものを力強く掴め。そして、その中にあるものを銘記せよ。きっとおまえたちも畏れ身を守ろう。(7:171)

『われらが山をおまえたちの上で天蓋のように揺すぶり』 われらはそれを根元からもち上げた。

山とは、ムーサーが彼の主の言葉を聞き、書板を与えられたシナイ山だとも、パレスチナのある山だとも、エルサレムの山だとも言われる。ムーサーが律法を持ってイスラーイールの子孫の許に来て、それを彼らに読み聞かせた。彼らはそこに書かれた厳しいことを聞くと、それは彼らには重すぎ、それを受け入れることを拒んだ。そこでアッラーは山に命じ、根こそぎにし、それを彼らの上に立て給うた。それは彼らの野営の大きさで、長さ1ファルサフ(3マイル)幅1ファルサフであった。彼らは頭上の山を眺め、ひれ伏した。誰もが左の頬と左眉を付けて跪拝し、山が自分たちの上に落ちてこないかと右目で山を眺めた。それでユダヤ教徒は顔の左半分でしか跪拝をしないのである。

『彼らの上に落ちてくると』 律法の規律を受け入れなければ落とすというアッラーの彼らへの約束によってそれが彼らの上に落ちてくると。彼らはそれが重過ぎるため拒んだのであったが、それを受け入れた。そして、われらは彼らに(次のように)言った。

『思った・・・』 確信した。

『・・・時のこと』 思い起こせ。

『力強く掴め』 厳粛に、努力して。

『その中にあるものを銘記せよ』 それを行うことによって。

また、おまえの主がアーダムの子孫から、彼らの腰からその子孫を取り出し、彼ら自身の証人とならせ給うた時のこと。「われはおまえたちの主ではないか」。彼らは言った、「いかにも。われらは証言します」。彼らが復活の日に、「まことにわれらはこれについて見落としていた」と言うためである。(7:172)

ハフス&アースィム版:また、おまえの主がアーダムの子孫から、彼らの腰からその子孫を取り出し、彼ら自身の証人とならせ給うた時のこと。「われはおまえたちの主ではないか」。彼らは言った、「いかにも。われらは証言します」。おまえたちが復活の日に、「まことにわれらはこれについて見落としていた」と言うためである。(7:172)

『おまえの主がアーダムの子孫から、彼らの腰から』 『彼らの腰から( min zuhūri-him)』はその前のもの(アーダムの子孫)を、前置詞(『から(min)』)の反復と共に内包によって言い換えている(バダル・イシュティマール)。

『その子孫を』 アーダムの背骨から子孫を次々と、ひとりがまたひとりを生むように、原子のようなもので引き出すことによって。それは、アラファの日のヌウマーン(アラファ近くの涸川)でのことであった。彼らには彼の主性を証しする証拠が見せられ、彼らには理性が与えられる。

『・・・時のこと』 ・・・時を思い起こせ。

『われはおまえたちの主ではないか』 仰せられた。

『いかにも』 あなたはわれらの主である。

アル=ハーズィン(のタフスィール)に書かれた伝承によると、至高なるアッラーは彼らすべてに仰せられた、「われのほかに神はなく、われはおまえたちの主であり、われのほかにおまえたちには主はないことを知れ。それゆえ、われになにものをも並び置いてはならない。われに共同者を置き、われを信じなかった者にわれはいずれ報復する。われはおまえたちに使徒を送り、彼らはおまえたちにわれの約束、われの契約をおまえたちに思い起こさせ、またわれはおまえたちに書を下す。それゆえいっせいに語れ」。彼らは言った、「われらはあなたがわれらの主であり、あなたのほかにわれらに主はいないことを証言します」。こうしてアッラーは彼らの約束を取り付けた。それからアッラーは彼らの寿命と糧と不運を書き給う。アーダムが彼らを眺めると、彼らの中には金持ちもあれば貧しい者もあり、姿の美しい者もあればそうでない者もいた。そこで彼は言った、「主よ、どうして彼らの間を同じにし給わないのか」。すると仰せられた、「われは感謝されることを好むのである」。彼らが彼の唯一性を断言すると、彼らは互いに互いの証人となり、それから彼は彼らを彼(アーダム)の腰に戻し給うた。最後の時はアッラーがその者から約束を取り付け給うた者すべてが生まれるまで来ない。

『われらは証言します』 そのことを。

これには2説の解釈がある。1つによれば、彼らが断言すると、至高なる御方は天使たちに「証言せよ」と仰せられ、彼らは、「われらは証言します」と言った。つまり、彼らの断言について(証言するということである)。この見解に立つ場合には『いかにも(balā)』で休止することが良い。なぜなら、子孫の言葉は終わり、途切れて、『われらは証言する』は新たな、天使たちの言葉だからである。

別の説によれば、これは子孫の言葉である。つまり、われらはわれら自身に対して断言したことを証言する、という意味である。この見解に立てば、『いかにも』での休止は良くない。なぜなら、彼らの言葉はまだ終わっておらず、途切れていないからである。

『彼らが』 つまり、不信仰者である。

『これについて』 唯一性について。

『見落としていた・・・』 われらはそれを知らなかった。

『・・・と言う・・・』 二人称複数の接頭辞「ターゥ( t)」で「taqūlū(おまえたちが・・・言う・・・)」と読む読誦法と、三人称複数で「yaqūlū(彼らが・・・言う・・・)」と読む読誦法がある。(次の節も合わせ)2箇所においてそうである(監訳者注:ハフス&アースィム版では、二人称複数とする読誦法を採る)。

『・・・ためである( an)』「li-an(・・・のためにである)」の意。「an」の後に否定詞「 lā」を補って「言わないように、である」

あるいは、彼らが、「われらの父祖が以前から多神を拝し、われらは彼らの後の子孫である。虚偽をなす者たちがなしたことでわれらを滅ぼし給うのか」と言うためである。(7:173)

ハフス&アースィム版:あるいは、おまえたちが、「われらの父祖が以前から多神を拝し、われらは彼らの後の子孫である。虚偽をなす者たちがなしたことでわれらを滅ぼし給うのか」と言うためである。(7:173)

『以前から』 われらの以前より。

『われらは彼らの後の子孫である』 それゆえ、われらは彼らに従ったのである。

『・・・われらを滅ぼし給うのか』 われらに懲罰を与え給うのか。

『虚偽をなす者たちがなしたことで』 われらの祖先の。多神教の基礎を作ったことによって。

『・・・と言うためである』 「・・・と言わないように、である」。つまり、彼らは(アッラーの)唯一性を自分自身に対して証言したからには、こうした言い訳をすることができないのである。そして、奇跡の持ち主(使徒)の舌を通じてのその想起が、心中の記憶の代わりとなる。

『・・・と言う・・・』 不信仰者たちが。『言う』は2箇所において二人称複数の接頭辞「ターゥ(t)」で「taqūlū(おまえたちが・・・言わない)」と読む読誦法と、三人称複数で「yaqūlū(彼らが・・・言わない)」と読む読誦法がある(監訳者注:ハフス&アースィム版では、二人称複数とする読誦法を採る)。

アル=ハーズィンによると、もしあなたが「この約束は今日、誰も覚えていない。それなのに、それがどうして彼らにとって明証となるのか。どうやって彼らは復活の日にそれを思い出し、それが彼らに不利な明証となるのか」と尋ねるなら、私は、こう答える、「アーダムの腰から子孫が引き出された時、彼らには理性が与えられる。そして、彼らに対し約束が交わされる。それから彼らが彼(アーダム)の腰に戻されると、彼らに与えられたもの(理性)も消失する。そして、神の英知によって定められた忘却によってその約束を忘れた状態で生まれるのである。それから彼らは使徒と律法を携えた者たちの舌を通じて改めて語りかけられる。そして、それが記憶の代わりとなる。なぜなら、この世は義務賦課と試みの世であるが、それ(約束)を忘れていなければ、試みも義務賦課にもならないからである。それで、使徒による警告と、彼らに対する約束の有効性の告知によって彼らに対する明証は確定するのである。また現世においてこの約束を使徒が告知したことによって、復活の日の彼らに対する明証が確定するのである。それゆえ、これを否定する者は、約束に頑迷に反抗しているのであり、真実を語る者によって告げられ、言及されたからには、彼らが忘れていたとしてもそれは言い訳にならないのである」。

こうしてわれらは印を解説する。きっと彼らも戻るであろうと。(7:174)

『こうしてわれらは印を解説する』 彼らが反省するように約束のことを解明したようにわれらはそれを解明する。

『きっと彼らも戻るであろうと』 彼らの不信仰から。

彼らに語れ、われらがわれらの印を授けたが、それを脱ぎ捨て、シャイターンが付きまとい、誘惑者のひとりとなった者の便りを。(7:175)

『彼らに』 ユダヤ教徒に。

『語れ』 ムハンマドよ。

『それを脱ぎ捨て』 不信仰によって出て、ちょうど蛇が皮から脱け出るように。この者とはイスラーイールの子孫の学者の1人バルアム・ブン・バーウーラーゥのことである。彼はムーサーに対して(災いを)祈るよう求められ、(その見返りとして)なんらかのものを贈られ、祈った。すると、それは転じて彼の上に降りかかり、彼の舌は胸にだらりと垂れた。

『シャイターンが付きまとい』 そしてシャイターンは彼を捕え、彼はシャイターンの相棒となった。

『・・・便りを』 知らせを。

もしわれらが望んだならば、われらは彼をそれによって引き立てたであろう。だが、彼は地上に落ち着き、己の欲望に従った。それゆえ、彼の譬えはまるで犬の譬えで、もしおまえが彼を叱りつければ舌を垂らし、また、放っておいても舌を垂らす。これはわれらの印を嘘だと否定した民の喩えである。それゆえ、物語を語れ。きっと彼らも反省するであろう。(7:176)

『それによって』 彼を行いに導くことによって。

『引き立てたであろう』 学者の地位に。

『だが、彼は地上に落ち着き』 現世に執着し、それに傾倒し。

『己の欲望に従った』 欲望のそれ(現世)への招きに。そこでわれらは彼を卑しめた。

『彼の譬えは』 彼の特徴は。

『もしおまえが彼を叱りつければ』 追い立て、追い払うことによって。

『舌を垂らし』 彼の舌を垂らし。

『また』 「もし( in)」。

『放っておいても舌を垂らす』 そのような動物はほかにはいない。それと同じである。2つの条件節は状態の副詞的修飾句である。つまり、いずれの場合も舌を卑しく垂らしているのである。狙いは、現世への傾倒と欲望への追従という前述のものに対する後述のものの順序を知らせる接続詞「fa-(それゆえ)」の結合によって、さらに「これは( dhālika)」という言葉による結合によって、卑しさと下劣さにおいて譬えているのである。

『これは』 この比喩は。

『物語を語れ』 ユダヤ教徒たちに。

『きっと彼らも反省するであろう』 それについて反省し、信じるであろう。

われらの印を嘘だと否定し、自分自身に不正をなした民のなんと悪い譬えか。(7:177)

『自分自身に不正をなした・・・』 嘘だと否定することによって。

『・・・民の』 ・・・民の譬えの。

『なんと悪い・・・』 なんと酷い。

アッラーが導き給う者、彼は導かれた者であり、彼が迷わせ給うた者、それらの者は損失者である。(7:178)

われらは火獄のために多くのジンと人間を創った。彼らには心があるが、それで悟らず、彼には目があるが、それで見ず、彼らには耳があるが、それで聞かない。それらの者は家畜のようである。いや、彼らはさらに迷っている。それらの者、彼らは見落とした者たちである。(7:179)

『われらは・・・創った』 創造した。

『それで悟らず』 真理を。

『それで見ず』 アッラーの力の証拠を。見るとは、考えることである。

『それで聞かない』 印と訓戒を。反省し、訓戒を聞き入れることである。

『それらの者は家畜のようである』 悟り、見、聞くことができないことにおいて。

『いや、彼らはさらに迷っている』 家畜よりも。なぜなら、家畜は自分の役に立つものを求め、自分の害になるものから逃げるが、これらの者は強情に獄火に向かって突き進むからである。

アッラーに最も美しい名は属す。それゆえ、それによって彼を呼べ。彼の御名において冒涜する者たちは放っておけ。いずれ彼らは彼らのなしたことを報いられるであろう。(7:180)

『アッラーに最も美しい名は属す』 ハディースが伝えるところでは99ある。『最も美しい(al-husnā)』とは、(最上級=比較級)「al-ahsan(最も美しい)」の女性形である。

預言者の言葉に、「まことにアッラーは奇数の御方で奇数を好み給う」というものがある。その意味は、唯一で共同者も似た者もない至高なる御方の特徴の中にある。

『・・・彼を呼べ』 彼を名付けよ。

『彼の御名において』 そこから彼らの神々の名前を派生して作ることにおいて。例えば、「 Allāh」から作った「al-lāt」、「al-azīz」からの「al-uzzā」「al-mannān」からの「manāt」など。

『冒涜する者たち』 『冒涜する(yulhidūna)』は、動詞派生形第4形「 alhada」からのもので、「lahada」とは、真実から外れることである。

『放っておけ』 放置せよ。

『いずれ・・・報いられるであろう』 来世において。報いを。
これは戦闘の命令以前のものである。

また、われらの創造した者の中には真理によって導き、それによって公正をなす一団がある。(7:181)

『・・・一団がある』 これは、ハディースにあるように、ムハンマドの共同体である。

「私の共同体のある集団は、アッラーの命令が訪れる時に至るまで真理の上にあり続ける」(アル=ブハーリーとムスリムの伝えるハディース)。

一方、われらの印を嘘だと否定する者たち、いずれわれらは彼らが知らないうちに彼らを徐々に陥れるであろう。(7:182)

『われらの印を嘘だと否定する者たち』 クルアーンを。マッカの住民のうちで。

『いずれわれらは彼らが知らないうちに彼らを徐々に陥れるであろう』 彼らを少しずつ少しずつ捕えるであろう。

至高なる御方は彼らの上に恵みを開き、彼らはそれで張り合い、それに安住し、それから彼らが自分たちの状態を忘れ不注意にあるところで突然彼らを捕え給うのである。(・・・)

われは彼らに猶予する。まことにわが策謀は強固である。(7:183)

『われは彼らに猶予する』 われは彼らを猶予する。

『まことにわが策謀は強固である』 厳しく、耐えられない。

彼らは反省しないのか。彼らの仲間は狂人ではない。彼は明白な警告者にすぎない。(7:184)

『彼らは反省しないのか』 そして、悟らないのか。

『彼らの仲間は』 ムハンマドは。

『狂人ではない』 気の触れた者( junūn)。

伝承によると、預言者はサファーの丘に登り、「某族の者よ、某族の者よ」と彼らを部族ごとに呼び、至高なる御方の災難を彼らに警告された。すると彼らのある者が言った、「おまえたちの仲間は狂人である。朝まで夜通し叫んでいた」。するとこの節が下された。

『彼は・・・すぎない』 (「 in...illā(・・・にすぎない)」)の「 in」は否定詞「mā」の意。

『明白な警告者に・・・』 警告内容の明らかな。

彼らは天と地の大権と、なんであれアッラーが創造し給うたものを眺めたことがないのか。彼らの期限がすでに近づいたかもしれないと。この後どのような話を彼らは信じるのか。(7:185)

『天と地の大権と』 王権。

(「大権(malakūt)」とは、天使や(アッラーの)玉座や台座など不可視界のことである。cf., al=Sāwī, Hāshiyah al=Sāwī, vol.2., p.110.)

『なんであれ(min shayin)』 『mā([創造し給うた]もの)』の解明である。

『アッラーが創造し給うたものを』 「・・・のうちを(fī)」。

『眺めたことがないのか』 そして、そこから彼の創造の力と唯一性を演繹しないのか。

『・・・すでに近づいたかも』 近くなった。

『・・・しれないと』 「fī(・・・ということについて)」。接続詞「 an」は、接続詞と代名詞「 anna-hu」の意。

『彼らの期限がすでに近づいたかもしれないと』 そして不信仰者として死に、獄火に連れていかれるかもしれないと(いうことを眺めたことがないのか)。(そうすることによって)信仰へと急ぐために。

『この後・・・』 クルアーンの後で。

もしこの言葉を信じないとすれば、どうしてほかのものを信じよう。

アッラーが迷わせ給うた者、彼には導きはない。彼らを彼らの横暴の中に当てもなくさ迷うがままに放置し給う。(7:186)

『彼らを・・・放置し給う』 『彼らを・・・放置し・・・』は、三人称単数の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「 yadharu-hum(彼は彼らを任せ給う)」と読む読誦法と一人称複数の接頭辞「ヌーン(n)」で「nadharu-hum(我らは彼らを任せる)」と読む読誦法があり、新たな文節として直説法で語末を母音「u」で読む「yadharu」「 nadharu」読誦法と、「fa-」の後のものに掛かるものとして短形で語尾を子音で「 yadhar」と読む読誦法がある。

彼らはおまえに時について、その投錨地はいずれかと尋ねる。言え。その知識は私の主の許にのみある。その時刻にそれを示すのは彼のほかにない。それは天と地において重い。それはおまえたちに不意にしか訪れない。彼らは、まるでおまえがそれについて熟知するかのようにおまえに尋ねる。言え。その知識はアッラーの御許にしかないが、人々の大半は知らない。(7:187)

『彼らはおまえに・・・尋ねる』 マッカの住民は。

『時について』 復活の。

『その投錨地はいずれかと』 いつかを。

『言え』 彼らに。

『その知識は』 それがいつかは。

『その時刻に』 この(「li-waqti-hā(その時刻に)」の)前置詞「ラーム(l)(に)」は前置詞「 fī(において)」の意味である。

『それを示すのは』 明らかにするのは。

『それは・・・重い』 重大である。

『天と地において』 双方に住むものにとって。

その恐怖ゆえに。

『不意にしか』 突然にしか。

『まるでおまえが・・・熟知するかのように』 この質問について通じているかのように。

『・・・おまえに尋ねる』 おまえがそれを知ってさえいるかのように。

『その知識はアッラーの御許にしかない』 強調である。

『人々の大半は知らない』 その知識が至高なる御方の許にあることを。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



↑UP↑








日本語トップ | リンクについて | サイトマップ | ヘルプ



2007年 アラブ イスラーム学院