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【第7章 高壁】
(7:150〜7:159)
 

ムーサーは、彼の民の許に怒り、悲嘆して帰ると、言った、「私の後におまえたちが私を引き継いだことのなんと悪いことか。おまえたちは主の命令を急ぐのか」。そして、書板を投げ、兄弟の頭を掴んで自分に引き寄せた。彼は言った、「母の息子よ。まことに民は私を弱い者とみなし、私を殺しそうになったのである。それゆえ、私のことで敵たちを喜ばせるな。また、私を不正な民と一緒にするな」。(7:150)

『ムーサーは・・・怒り』 彼らに対して。

彼らがアッラー以外のものを崇拝したことについて。第20章[ター・ハー]にあるように、アッラーはムーサーに戻る前にそのことを告げ給うたのである。

『悲嘆して』 深く悲しんで。

『言った』 彼らに。

『私の後に』 おまえたちが多神崇拝に陥った時の。

『おまえたちが私を引き継いだことの』 おまえたちのこの引継ぎの。

『なんと悪いことか』 なんと悪い引継ぎか。

『書板を投げ』 律法の書板の束を主に対する怒りのあまりに。すると、それはこなごなに壊れた。

『兄弟の頭を掴んで』 右手で髪を、左手で髭を。

『自分に引き寄せた』 怒って。

『母の息子よ』 なあ(呼びかけ)。「私の母の(ummī)」ということである。母への言及はムーサーの心により憐憫の念を起こさせる。『母の』は語末母音を「i」で「ummi」と読む読誦法と「a」で「umma」と読む読誦法がある。

『私を殺しそうになったのである』 殺さんばかりであった。

『私のことで敵たちを喜ばせるな』 おまえが私を侮辱することで(敵を)喜ばせるな。

『喜ばせるな(lā tushumit)』の(動名詞)「shamātah」の原義は、敵対する者の不幸を喜ぶことである。

『私を不正な民と一緒にするな』 子牛を崇拝したことを責めることで。

彼は言った、「私の主よ、私と私の兄弟を赦し、われらをあなたの御慈悲のうちに入れ給え。あなたは慈悲深い者のうち最も慈悲深い御方」。(7:151)

『私・・・を赦し』 私が兄弟に対してなしたことに対し。

『私の兄弟を赦し』 祈りの中で彼のことも一緒に祈っている。彼を喜ばせるため、また、敵を喜ばせないためである。

子牛を奉った者たちは、彼らの主からの怒りと現世での屈辱が彼らに達するであろう。こうしてわれらは捏造する者たちに報いる。(7:152)

『子牛を奉った』 神として。

『彼らの主からの怒りと』 懲罰と。

『現世での屈辱が彼らに達するであろう』 彼らは自分たちの仲間を殺すよう命じられることで懲罰を受けた。また、彼らは復活の日に至るまで屈辱を被った。

『こうして』 彼らに報いを与えたように。

『われらは捏造する者たちに報いる』 アッラーに対し、彼に共同者を置くことなどによって。

だが、悪をなし、それからその後で悔いて戻り、信仰した者は、まことにおまえの主はその後ではよく赦し慈悲深い御方。(7:153)

『その後で悔いて戻り』 そこから帰り。

『信仰した者は』 アッラーを。

『その後では』 悔いて戻った後には。

『よく赦し』 彼らに対して。

『慈悲深い御方』 彼らに。

ムーサーから怒りが静まると、彼は書板を取り上げた。その写本には彼らの主に対し慄き恐れる者への導きと慈悲がある。(7:154)

『ムーサーから怒りが静まると』 止まると。

『彼は書板を取り上げた』 投げた書板を。

『その写本には』 そこに写された、つまり書かれたものには。

『彼らの主に対し慄き恐れる者への』 恐れる者への。『彼らの主に対し(li-rabbi-him)』と目的語に前置詞「ラーム(l)」が挿入されているのは、それが(倒置されて)動詞の前に置かれているためである。

『導きと』 誤りから。

そして、ムーサーは、われらとの期日のために彼の民を七十人選んだ。彼らを大地震が捕えると、彼は言った、「主よ、もしあなたが望み給うていたなら、彼らを、また私をも以前に滅ぼし給うていたであろう。あなたはわれらのうちの愚か者がなしたことゆえにわれらを滅ぼし給うのか。これはあなたの試みにほかならない。あなたはそれによって御望みの者を迷わせ、御望みの者を導き給う。あなたはわれらの援護者であらせられる。それゆえ、われらを赦し、われらに慈悲をかけ給え。あなたは赦す者のうち最良の御方」。(7:155)

『われらとの期日のために』 彼らの仲間の子牛の崇拝に対する謝罪のために来るようにとわれらがムーサーに約束した時のために。そこでムーサーは彼らと共に出かけた。

アル=スッディーによると、アッラーはムーサーにイスラーイールの子孫から70人を引き連れて来て、彼らに子牛の崇拝の謝罪をするように命じ、彼らに約束の日を定め給うた。そこでムーサーは彼の民から70人の男を選び、謝罪をするために主の約束の期日に彼らと共に行った。その場所に来ると、彼らは言った、「ムーサーよ、われらはアッラーをはっきりと見るまでは信じない。おまえはすでに彼と話をした。それゆえわれらに彼を見せよ」。そこで彼らを雷が捕え、彼らは死んだ。ムーサーは泣きながら立って、アッラーに祈って言った、「私の主よ、もしあなたが望み給うていたら、彼らも私も以前に滅ぼし給うていたであろう」。

『彼の民を七十人選んだ』 彼の民から。至高なる御方の命令に従って、子牛を崇拝しなかった者の中から。

『彼らを大地震が捕えると』 激しい地震が。イブン・アッバースは言った、「彼らの民は子牛を崇拝することから離れていなかったためである」。彼によれば、これらの者は(アッラーを)見ることを求め、雷に打たれた者たちとは別である。

『彼は言った』 ムーサーは。

『主よ、もしあなたが望み給うていたなら、彼らを、また私をも以前に滅ぼし給うていたであろう』 私が彼らと出かける以前に。イスラーイールの子孫がこれを目にし、私を(殺人者と)疑うことのないように。

『あなたはわれらのうちの愚か者がなしたことゆえにわれらを滅ぼし給うのか』 同情を誘うための問いかけである。つまり、われら以外の者の罪によってわれらを罰し給うな。

『これは』 愚か者たちが落ち込んだ試練は。

『あなたの試みに』 あなたの試練に。

『・・・にほかならない』in...illā(・・・にほかならない)』の辞詞「in」は否定詞「mā」の意。

『御望みの者を迷わせ』 迷わせることを(望み給うた者を)。

『御望みの者を導き給う』 導きを(望み給うた者を)。

『あなたはわれらの援護者であらせられる』 われらの諸事の管理者であらせられる。

「また、われらにこの現世において善を、また来世においても書き留め給え。まことにわれらはあなたの許に立ち返った」。仰せられた、「わが懲罰、われはそれでわれが望む者を襲う。だが、わが慈悲はすべてを広く包む。それゆえ、われはそれを、畏れ身を守り、喜捨を払う者たち、また、われらの印を信じる者たちに書き留めるであろう」。(7:156)

『また来世においても』 善を。

『書き留め給え』 必定とし給え。

『われらはあなたの許に立ち返った』 悔いて戻った。

『われらは・・・立ち返った(hudnā)』の(動名詞)「hūd」の原義は親密に立ち返ることで、そこから、「ユダヤ人(yahūd)」は名づけられた。それは、彼らの律法が破棄されるまでは称えられるべき名であったが、その後は非難されるべき名となった。それは彼らの付帯属性である。

『仰せられた』 至高なる御方は。

『われが望む者を』 われが罰しようと望む者を。

『すべてを』 現世の。

『広く包む』 包括する。

『わが慈悲はすべてを広く包む』 この節が下された時、イブリースは喜んで言った、「私もすべてのうちの1人である」。すると、アッラーはそれ(慈悲)を彼から遠ざけ給い、『それゆえ、われはそれを、畏れ身を守り、喜捨を払う者たち、また、われらの印を信じる者たちに書き留めるであろう』を啓示し給うた。すると、ユダヤ教徒たちは言った、「われらは畏れ身を守り、喜捨を払い、われらの主の印を信じている」。そこでアッラーは彼らをそれから締め出し給い、この共同体(ムスリムのウンマ)に確定し給い、次節『彼らは、使徒にして文盲の預言者に従う者たちである』を啓示し給うた。

『書き留めるであろう』 来世において。

「彼らは、使徒にして文盲の預言者に従う者たちである。その彼は、彼らの許にある律法の書と福音書の中に書かれているのを彼らが見出す者で、彼らに良識を勧め、悪行を禁じる。また、彼らに良いものを許し、彼らに悪いものを禁じ、彼らから彼らの負担と彼らの上にあった枷を除く。それで、彼を信じ、彼を誉め、彼を援助し、彼と共に下された光に従う者たち、それらの者は成功者である」。( 7:157)

『使徒にして文盲の預言者に』 ムハンマドに。

「文盲」とは、文字を読み書きしない者のことで、ムハンマドの特徴を描写したものである。なぜなら、預言者の多くは読み書きができたからである。

『彼らの許にある律法の書と福音書の中に書かれている』 彼の名前も、特徴も。

アル=ハミースィーは彼の歴史書の中で述べている。「ムハンマド」という言葉は律法の書の中にはシリア語で「アル=ムンハミンナー」という言葉で言及されている。この言葉のその言語における意味は、ムハンマドという語の意味である。それは、人々がたくさんの称賛をする者というものである。また、彼は述べる。福音書の中に述べられている「アフマド」という単語はまさにアラビア語のアフマドという語である。

『彼らに良いものを許し』 彼らの律法の中で禁じられたもののうち。

『悪いものを禁じ』 死肉など。

『彼らの負担と』 重荷と。

『彼らの上にあった枷』 苦難。たとえば、悔悟のために仲間を殺すことや不浄の跡を切り落とすこと。

『彼を信じ』 彼らのうちで。

『彼を誉め』 賞賛し。

『彼と共に下された光に』 クルアーンに。

言え、「人々よ、まことに私はおまえたちすべてへのアッラーの使徒である。その御方には天と地の主権が属す。彼のほかに神はなく、生かし、また殺す御方。それゆえアッラーと彼の使徒にして文盲の預言者を信じよ。彼はアッラーと彼の御言葉を信じる者である。彼に従え。きっとおまえたちは導かれるであろう」。(7:158)

『言え』 預言者に向けた言葉である。

『彼の御言葉を』 クルアーンを。

『きっとおまえたちは導かれるであろう』 正しい道に導かれるであろう。

ムーサーの民の中には真理によって導き、それによって公正に行う一団がいる。(7:159)

『導き』 人々を。

『公正に行う』 裁判において。

『一団が』 集団が。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2006年 アラブ イスラーム学院