アッラーが導こうと望み給う者は、彼がその心をイスラームに開き給い、彼が迷わそうと望み給う者は、彼がその心をまるで空に昇るかのように狭く、苦しいものとなし給う。こうしてアッラーは信仰しない者たちに恥辱を加え給う。(6:125)
『彼がその心をイスラームに開き給い』 彼の心に光を投じ給うため、彼はそれ(信仰)に安んじ、彼は信仰を受け入れる。ハディースに伝えられる通りである。
この節が下された時、「心を開く」とはどういうことかと尋ねられ、預言者は言われた、「それはアッラーが信仰者の心に投じ給う光で、信仰へと心が開き、くつろぐのである」。「それには印があるか」と尋ねると、言われた、「ある。永遠の住処に立ち戻り、虚偽の住処を遁れ、死が訪れる前に死の準備ができることである」。
『彼が惑わそうと・・・』 アッラーが。
『まるで空に昇るかのように』 信仰を課せられると、その厳しさに。
『昇る』は、「yass(ss?) a‘‘adu」「yassā‘adu」とする読誦法もある。どちらも元の動詞(派生形第5形「yatasa‘‘adu」、第6形「yatasā‘adu」)の接頭字「ターゥ(t)」が「サード(s)」に吸収・同化したもの。他に、原形で「yas‘adu」とする読誦法もある。意味はどれも同じ。
『狭く』 受け入れが難しく。『狭く』は(「dayqan」と)第2語根を促音なしで読む読誦法と、(「dayyqan」と)促音を伴って読む読誦法がある。
『苦しいものとなし給う』 ひどく狭いものに。『苦しいものと』は「ハリジャン」と読めば形容詞。「ハラジャン」と読めば動名詞で、それによる形容は強意を表す。
『こうして』 この行為(その心を狭く苦しいものとすること)のように。
『アッラーは信仰しない者たちに恥辱を加え給う』 懲罰を。あるいは、シャイターンを。つまり、彼(シャイターン)に彼らを支配させ給う。
これがおまえの主の真っすぐな道である。われらは訓戒を受け入れる者に印を明示した。(6:126)
『これが』 ムハンマドよ、おまえの現状が。
『おまえの主の真っすぐな』 曲がったところのない。指示代名詞によって、文意の強調のための状況の対格となっている。
『道である』 道路である。
『訓戒を受け入れる者に』 つまり、訓戒を聞き入れる者に。(訓戒を受け入れる者に)言及を特定しているのは、それらの者だけが益を得るからである。『訓戒を受け入れる(yadhdhakkarūna)』は、元の動詞の第5形接頭字「ターゥ(t)」が第1語根「ザール(dh)」に吸収・同化したもの。
『明示した』 明らかにした。
彼らには、彼らの主の許に平安の住まいがある。そして、彼は彼らがなしたことゆえに彼らの援護者であらせられる。(6:127)
『平安の住まい』 安全な。それは楽園である。
彼らを一斉に集め給う日、「ジンの者どもよ、おまえたちは人間の多くを得た」。彼らの友である人間たちは言った、「われらが主よ、われらは互いに楽しんだ。そして、われらにあなたが定め給うたわれらの期限が訪れた」。彼は仰せられた、「獄火がおまえたちの住居であり、そこに永遠に留まる」。ただし、アッラーが御望みになったものは別である。まことにおまえの主は英明にして全知なる御方。(6:128)
『彼らを』 アッラーが被造物を。
『集め給う』 接頭辞を一人称複数の接頭辞の「ヌーン」で「nahshuru-hum(われらが彼らを集め)」と読む読誦法、三人称の接頭辞の「ヤーゥ」で「yahshuru-hum(彼が彼らを集め給う)」と読む読誦法がある。
『・・・日』 思い起こせ。
彼らは言われる。
『おまえたちは人間の多くを得た』 おまえたちの欺きによって。
『彼らの友である人間たち』 彼らに従ったところの者たち。
『われらは互いに楽しんだ』 人間はジンに自分たちの欲望を美しく飾らせることで利用し、ジンは人間を彼らに従わせることで(利用した)。
『われらにあなたが定め給うたわれらの期限が訪れた』 それは復活の日である。これは彼らの後悔(の言葉)である。
『彼は仰せられた』 至高なる御方は彼らに天使の口を通じて。
『獄火がおまえたちの住居であり』 定住地であり。
『アッラーが御望みになったものは別である』 彼らが熱湯を飲みに出る時は。『それから彼らが帰るのは火獄に向かってである』(第37章[整列者]68節)とあるように、彼らはそこから出るのである。また、イブン・アッバースによれば、これ(この例外)は、信仰する者であることをアッラーがご存知の者たちである。『アッラーが御望みになったもの(mā shā’a Allāh)』の「mā(もの)」は「man(者)」の意味である。
『まことにおまえの主は英明にして』 彼の御業において。
『全知なる御方』 彼の被造物について。
こうしてわれらは、不正な者たちに彼らがなしたことゆえに互いに互いの管理を任せる。(6:129)
『こうして』 われらが人間とジンの反逆者の一方を他方によって長く楽しませたように。
『われらは、不正な者たちに・・・互いに互いの管理を任せる』 『われらは・・・管理を任せる(nuwallī)』は「wilāyah(管理)」から派生する。一方が他方に対して。
『彼らがなしたことゆえに』 反逆ゆえに。
ジンと人間の者どもよ、おまえたちにはおまえたちの中から使徒が来て、われの印をおまえたちに語り、おまえたちのこの日の会見をおまえたちに警告しなかったか。彼らは言った、「われらはわれらに反して証言する」。現世の生活が彼らを欺き、彼らは不信仰者であったことをわが身に反して証言をした。(6:130)
『おまえたちの中から』 おまえたちの集まりの中から。つまり、それが当てはまる一部の人間の中から。あるいは、ジンのうちの使徒とは、人間の使徒の言葉を聞いて、それを仲間のジンに伝える警告者のことである。
預言者が人間とジンの両方に遣わされた者であることについてはイジュマーゥ(学者の見解の一致)がある。
『われらはわれらに反して証言する』 確かにわれらにそれが届いたことを。
審判の日は長く、不信仰者たちは、信仰者に与えられた良きもの、特典、栄光を目にした時、多神教を否定し、否定すればなんとかなるかもしれないと考える。そこで彼らは『アッラーに誓って、われらの主よ、われらは多神教徒ではなかった』(第23節)と言う。すると彼らの口は封じられ、彼らの四肢が多神教と不信仰を証言する。『彼らは不信仰者であったことをわが身に反して証言した』とはそのことである。
至高なる御方は仰せられた。
『現世の生活が彼らを欺き』 それで彼らは信仰しなかった。
それは、おまえの主が、町を不正ゆえにその住民の知らないうちに滅ぼし給う方ではないからである。(6:131)
『それは』 使徒の派遣は。
『・・・からである』 『・・・からである(’an)』には(理由の前置詞)「ラーム(l)」が隠れている。辞詞「’an」は促音なし。つまり、「li-’anna-hu(というのは・・・だからである)」。
『不正ゆえに』 その(町の)。
『おまえの主』 にかかり、不正に町を滅ぼす方ではない、とする解釈も可能である。
『その住民の知らないうちに』 彼らに明示する使徒を送り給わずに。
各自、自分のなしたことに応じてそれぞれ段階がある。おまえの主は彼らのなすことを見損じ給うことはない。(6:132)
『各自』 行為をなす者は。
『自分のなしたことに応じて』 善、または悪に応じて。
『段階がある』 報いが。
『おまえの主は彼らのなすことを見損じ給うことはない』 三人称複数の接頭辞「ヤーゥ( y)」で「ya‘malūna(彼らのなす)」と読む読誦法と、ニ人称複数の接頭辞「ターゥ(t)」で「ta‘malūna(おまえたちのなす)」と読む読誦法もある。
おまえの主は自足し、慈悲を備え給うた御方。彼が御望みなら、おまえたちを去らせ、おまえたちの後に御望みの者を継がせ給う。ちょうど別の民の子孫からおまえたちを作り給うたように。(6:133)
『おまえの主は自足し』 彼の被造物と、彼らの崇拝から。
『おまえたちを去らせ』 マッカの住民たちよ。破滅によって。
『御望みの者を』 被造物のうち。
『ちょうど別の民の子孫から』 彼らを去らせ。
『おまえたちを作り給うたように』 だが、彼は、おまえたちへの慈悲からおまえたちを残し給うた。
まことに、おまえたちに約束されたことは必ず来る。そして、おまえたちは逃れることはできない。(6:134)
『おまえたちに約束されたことは』 (最後の)時と懲罰は。
『必ず来る』 不可避である。
『おまえたちは逃れることはできない』 われらの懲罰を免れることはできない。
言え、「私の民よ、おまえたちの場所で行為せよ。私も行為者である。そしていずれおまえたちは究極の住まいが自分のものとなる者を知るであろう。まことに不正な者は成功しない」。(6:135)
『言え』 彼らに。
『おまえたちの場所で行為せよ』 おまえたちの状態で(つまり不信仰と敵意の上で)。
『私も行為者である』 私の状態で(つまり、イスラームの上で)。
『究極の住まいが』 来世における祝福された結末が。
『自分のものとなる者を知るであろう』 われらか、それとも、おまえたちか。(『・・・者(man)』は)関係代名詞で、『知る』の目的語。
「man」を疑問代名詞とすれば、それは主語で、その後が述語となる(つまり、『誰が、究極の住まいが自分のものとなる者かを』)。
『不正な者は』 不信仰者は。
『成功しない』 幸せにならない。
彼らはアッラーに、彼が作り給うた作物と家畜から分け前を定め、言った、「これは —彼らの主張によれば—アッラーに。またこれはわれらの神々に」。彼らの神々のものはアッラーに届かず、アッラーのものは彼らの神々に届く。彼らの判定することのなんと悪いことか。(6:136)
『彼らは』 マッカの不信仰者は。
『彼が作り給うた』 創造し給うた。
『作物と』 穀物と。
『分け前を定め』 客と貧者に費やし、彼らの神々への分け前はその門番に費やした。
『彼らの主張によれば』 『彼らの主張によれば』は、第1語根を母音「a」で「bi-za‘mi-him」と読む読誦法と、母音「u」で「bi-zu‘mi-him」と読む読誦法がある。
『これはわれらの神々に』 アッラーへの分け前に偶像への分け前から落ちたものがあれば、それを拾って戻し、偶像への分け前にアッラーへの分け前から落ちたものがあれば、それをそのままにし、「アッラーは満ち足りており、そのようなものはいらない」と言った。至高なる御方が(次のように)仰せられた通りである。
『彼らの神々のものはアッラーに届かず』 アッラーの方には(達しない)。
『彼らの判定することのなんと悪いことか』 彼らのこの判定がいかにひどいものか。
こうして、多くの多神教徒に彼らの神々は、子供たちの殺害を美しく飾った。彼らを滅ぼし、彼らの宗教を混乱させるためである。もしアッラーが望み給うていれば、彼らはそうはしなかった。それゆえ彼らと彼らが捏造するものを放っておけ。(6:137)
『こうして』 前述したものを彼らに美しく飾ったように。
『彼らの神々は』 ジンの。動詞『美しく飾った(zayyana)』の主語である。受動態とし、『殺害』を主格とし「zuyyina...qatlu’awlāda-hum shurakā’i-him(・・・彼らの神々による子供たちの殺害が美しく飾られた)」と読む読誦法もある。その場合、『子供たち』は対格で、『彼らの神々』はその属格的関係から属格である。被限定名詞(mudāf、ここでは「殺害」)と後続属格名詞(mudāf’ilai-hi、ここでは「彼らの神々」)の間は目的語(「子供たち」)によって仕切られているが、それは差し障りない。「殺害」が「彼らの神々」に附加されているのは、彼らの命令による(殺害)ということである(つまり、「彼らの神々の命令による子供たちの殺害は美しく飾られた」となる)。
『子供たちの殺害を』 生き埋めによる。
『彼らを滅ぼし』 破滅させ。
『彼らの宗教を混乱させるためである』 混同させるため。
彼らの宗教に疑念を入り込ませるためである。彼らはイスマーイールとイブラーヒームの宗教の上に在ったが、シャイターンの介入によってそこから後戻りしてしまったのである。