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【第6章 家畜】
(6:111〜6:124)
 

たとえわれらが彼らに天使を下し、死者が彼らに語り、われらが彼らにあらゆるものを部族ごとに集めたとしても、彼らは信じない。ただし、アッラーが望み給えば別である。だが、彼らの多くは知らない。(6:111)

『たとえわれらが彼らに天使を下し、死者が彼らに語り』 彼らが求めたように。

『われらが・・・集めたとしても』 寄せ集めたとしても。そして、それらがおまえの真実性を証言しても。

『彼らにあらゆるものを部族ごとに』 『部族ごとに(qublan)』は「qabīl」の複数形。つまり、諸集団に。これを「qībalan」と読めば、「目の当たりに」という意味である。

『彼らは信じない』 アッラーの知識の中に(定命として)先行しているものゆえに。

『アッラーが望み給えば』 彼らの信仰を。そうすれば、彼らは信じるであろう。

『彼らの多くは知らない』 そのことを。

こうしてわれらはどの預言者にも敵である人間とジンのシャイターンを作り、彼らは欺いて、互いに嘘で飾った言葉を吹き込む。もしアッラーが望み給うたなら、彼らはそれをしなかった。それゆえ彼らと彼らが捏造するものを放っておけ。(6:112)

『こうしてわれらはどの預言者にも敵である人間とジンのシャイターンを作り』 これらの者をおまえの敵としたように。
これは、クライシュ族の敵意と虚偽の言葉を受けた預言者に対し、そのような試練は彼だけでなく、彼以前の預言者たちの誰もが受けたものであることを明らかにすることによって彼を慰めるものである。

『シャイターン』 『敵』を言い替えたもの。反逆者。
あるいは、『敵』は動詞の第二目的語で、第一目的語である『シャイターン』の前に置かれたものである。つまり、「シャイターンを敵となし」ということである。

『シャイターン』の意味については学者の見解は2つに分かれる。一説によれば、シャイターンとはジンと人間のうち高慢な反逆者すべてのことである。これはイブン・アッバースが言ったことである。ムジャーヒドとカターダによると、人間のシャイターンはジンのシャイターンよりも一層反逆的である。なぜなら、ジンのシャイターンは、義人の信仰者を欺くことができない時には、人間のシャイターンがその義人を欺き誘惑するのを助けるからである。マーリク・ブン・ディーナールは言った、「人間のシャイターンはジンのシャイターンよりも一層やっかいである。なぜなら私が『アッラーに守護を求める(a‘ūdhu bi-Allāh)』と言えばジンのシャイターンは逃げるが、人間のシャイターンは私を連れ出し、不服従に至らせるからである」。
別の説によれば、シャイターンとはイブリースの子であり、シャイターンを人間に含めるのは、それらが人間を過ちに引きずり込むからである。これは、イクリマ、アル=ダッハーク、アル=カルビー、アル=スッディーの見解である。

「人間のシャイターン」とは「人間と共にいるシャイターン」、「ジンのシャイターン」とは「ジンと共にいるシャイターン」であるとも言われる。

『彼らは・・・吹き込む』 彼らはささやく。

『欺いて』 相手を欺くために。

『嘘で飾った言葉を』 虚偽の混ぜ込まれた。

『彼らはそれをしなかった』 上述のようなささやきを。

『それゆえ彼らと』 不信仰者と。

『彼らが捏造するものを』 不信仰や、その他の彼らに美しく飾られたものを。

『放っておけ』 これは戦闘命令以前のものである。

それは、来世を信じない者の心がそれに傾き、彼らがそれを喜び、そして彼らが犯しているものを彼らも犯すためである。(6:113)

『それは・・・ためである』 『欺いて』に接続する。

『来世を信じない者の心が』 心情が。

『それに』 装飾に。

『傾き』 もたれかかり。

『そして彼らが犯しているものを』 罪など。

『彼らも犯すためである』 得るためである。そして、その罰を受けるためである。

アッラーのほかに私が裁定者を望むというのか。彼こそはおまえたちに、詳細に分けるものとして啓典を下し給うた御方であるのに。われらが啓典を授けた者たちはそれがおまえの主から真理と共に下されたものであると知っている。それゆえ、疑う者のひとりとなってはならない。(6:114)

この節は、彼らが、彼らと彼の間に裁定者を立てるように預言者に求めたことに対して下された。
クライシュ族の多神教徒は預言者に、彼と彼らの間を裁く者をユダヤ教徒の学者かキリスト教の司祭の中から選び、預言者について彼らの啓典に書かれたことを彼らに告げるよう求めたのである。
言え。

『アッラーのほかに私が裁定者を』 私とおまえたちの間の判事を。

『望むというのか』 求めるというのか。

『詳細に分けるものとして』 その中で真理を虚偽から明解にするものとして。

『啓典を』 クルアーンを。

『われらが啓典を授けた者たちは』 律法の書を。アブドッラー・ブン・サラームと彼の仲間のような。

『それが・・・下されたものであると』 『下されたもの』は派生形第2形受動分詞で第2語根を促音なしに読む読誦法(「munzalun」)と、第4形で第2語根を促音を伴って読む読誦法(「munazzalun」)がある。

『疑う者のひとりとなってはならない』 それについて疑念を持つ者の。これは不信仰者に対し、それ(クルアーン)が真理であることを断定するものである。

おまえの主の御言葉は真実と公正さにおいて完成した。彼の御言葉に変更はない。彼はよく聞き、よく知り給う御方。(6:115)

『おまえの主の御言葉は・・・完成した』 規定と警告によって。

『真実と公正さにおいて』 弁別の副詞的修飾句。

『彼の御言葉に変更はない』 欠損や改竄による。

『彼はよく聞き』 言われることに対して。

『よく知り給う御方』 なされることについて。

もしおまえが地上の大多数の者に従うなら、彼らはおまえをアッラーの道から迷わせるであろう。まことに彼らは憶測に従っているにすぎない。彼らは嘘をでっち上げているにすぎない。(6:116)

『地上の大多数の者に従うなら』 つまり、不信仰者に。

『アッラーの道から迷わせる』 彼の宗教から。

『まことに・・・ない』 「まことに・・・・ない(in...illā)」の「in」は、否定詞「mā」の意味。

『彼らは憶測に従っているにすぎない』 死肉に関する彼らのおまえに対する議論において。彼らは、『アッラーが殺し給うたものはおまえたちが殺したものより一層食べるにふさわしい』と言った。

『彼らは嘘をでっち上げているにすぎない』 そのことにおいて嘘をついているにすぎない。

まことにおまえの主、彼こそ彼の道から迷い去る者を最もよく知り給い、導かれた者について最もよく知り給う御方。(6:117)

『最もよく知り給い』 知り尽くし給い。

『導かれた者について最もよく知り給う御方』 そして、両者にそれぞれ報いを与え給う。

それゆえアッラーの御名が唱えられたものを食べよ。もし、おまえたちが彼の印を信じるのであれば。(6:118)

『アッラーの御名が唱えられたものを食べよ』 彼の御名において屠殺された。

アッラーの御名が唱えられたものを食べないとは、おまえたちはどうしたのか。おまえたちには禁じられたものがすでに明示された。ただし、それを余儀なくされた場合は別である。まことに多くの者は知識もないまま自分たちの欲望によって迷妄に陥っている。まことにおまえの主、彼こそ無法者について最もよく知り給う御方。(6:119)

ハフス&アースィム版:アッラーの御名が唱えられたものを食べないとは、おまえたちはどうしたのか。彼はおまえたちに禁じ給うたものをすでに明示し給うた。ただし、それを余儀なくされた場合は別である。まことに多くの者は知識もないまま自分たちの欲望によって迷わせている。まことにおまえの主、彼こそ無法者について最もよく知り給う御方。(6:119)

『アッラーの御名が唱えられたもの』 屠殺されたもののうち。

『おまえたちには禁じられたものが』 死肉がおまえたちに禁じられた節の中で。

『すでに明示された』 2つの動詞は、「hurrimat(禁じられた)」、「fussilat(明示された)」と受動態で読む読誦法と、「harrama(禁止し給うた)」、「fassala(明示し給うた)」と能動態で読む読誦法がある(監訳者注:ハフス&アースィム版は後者の読誦法を採る)。

『それを余儀なくされた場合は別である』 そのうち(禁じられたもののうち)。その場合、それはおまえたちにとって許されたものである。つまり、おまえたちが言及されたものを食べることに問題がない。彼は食べることが禁じられたものについて明らかにし給うたが、それはそこには含まれない、ということである。

『知識もないまま』 そのことについて頼るべき。

『自分たちの欲望によって』 死肉を食べてもよいとするなど自分の欲望に従うことによって。

『迷妄に陥っている』 動詞原形で「la-yadillūna(迷妄に陥っている)」と読む読誦法と派生形第 4形で「la-yudillūna(迷わせている)」とする読誦法がある(監訳者注:ハフス&アースィム版は後者の読誦法を採る)。

dalla」は自分自身を迷わせるのに対し、「adalla」は人を迷わすという意味であると考えられ、後者の場合には目的語が省略されている。

『無法者について』 ハラール(許されたもの)を越え、ハラーム(禁じられたもの)を犯す者を。

罪は公然のものも内密のものも避けよ。まことに罪を稼ぐ者たちは、彼らが犯したものの報いをいずれ受けるであろう。(6:120)

『罪は公然のものも内密のものも』 公けのものも密かなものも。罪とは、姦通のことであると言われる。あるいは、罪とは不服従行為すべてを含む。
アラブ人は姦通を好み、身分の高い者はそれを恥じ、密かに行い、身分の低い者は恥じずにおおっぴらに行った。そこでアッラーはこれを禁じ給うた。

『避けよ』 放棄せよ。

『彼らが犯したものの』 得たものの。

『報いをいずれ受けるであろう』 来世で。

アッラーの御名が唱えられていないものは食べてはならない。それは違背である。まことにシャイターンは彼の友を唆し、おまえたちと議論させるのである。もしおまえたちが彼らに従うなら、おまえたちは多神教徒である。(6:121)

『アッラーの御名が唱えられていないものは』 死肉やアッラー以外のものの名において屠殺されたものは。ただし、ムスリムが故意に、あるいは失念によりアッラーの名を唱えずに屠殺したものは許される。これはイブン・アッバースの見解で、アル=シャーフィイーはこれに依拠する。
学者のある者たちは、故意であろうと失念であろうとアッラーの御名が唱えられなかったものは禁じられるとする。アル=ナワウィー、アブー・ハニーファによれば、故意に唱えなかったものは許されないが、失念によるものは許される。預言者は御名を唱えることをしなかったことについて尋ねられ、言われた、「食べなさい。まことにアッラーの御名はすべての信仰者の心にあるから」。

『それは』 それを食べることは。

『違背である』 許されたものから外れること。

『彼の友を』 不信仰者を。

『唆し』 ささやき。

『おまえたちと議論させるのである』 死肉が許されることについて。

『もしおまえたちが彼らに従うなら』 そのことにおいて。

『おまえたちは多神教徒である』 これはアブー・ジャフルその他の者について下された。
アッラーが禁じ給うたものを許し、許し給うたものを禁じる者は多神教徒である。なぜなら、その者はアッラー以外を裁定者と認めたからである。

死んでいたのにわれらが生かし、人々の間を携えて歩く光をわれらが与えた者が、暗闇にいて、そこから出られない者のようであろうか。このように、不信仰者には彼らがなしていることは美しく飾られたのである。(6:122)

『死んでいたのに』 不信仰によって。

『われらが生かし』 導きによって。

『人々の間を携えて歩く光をわれらが与えた者が』 それによって真理をそれ以外のものから見分ける(光を)。それは信仰のことである。

『暗闇にいて、そこから出られない者』 不信仰者。

『・・・者のようであろうか』 『・・・者のようで(ka man mathalu-hu)』の「mathalu」は虚字。「ka man huwa(・・・者のようで)」のことである。そのようなことはない。

『このように』 信仰者に信仰が美しく飾られたように。

『不信仰者には彼らがなしていることは美しく飾られたのである』 不信仰と反抗など。

この節が特定の2人のことに関するものか、信仰者と不信仰者一般についてのものかについては学者の見解が分かれる。イブン・アッバースによると、『人々の間を携えて歩く光をわれらが与えた者』とは、預言者の叔父ハムザ・ブン・アブド=アル=ムッタリブであり、『暗闇にいて、そこから出られない者』とはアブー・ジャフルである。アブー・ジャフルは預言者に動物の胃の中身を投げつけた。それを知ったハムザは怒ってアブー・ジャフルのところに行った。ハムザは猟から戻ったところで、手に弓を持っていた。当時彼はまだムスリムではなかった。ハムザは彼にのしかかり、弓で彼を打ったので、アブー・ジャフルは彼に嘆願して言った、「アブー・ヤアラーよ、おまえは彼が携えてきたものがわれらの理性を愚かにし、われらの神々を中傷し、われらの祖先に背いているのを見ないのか」。するとハムザは言った、「おまえたちほど愚かなものがどこにいる。おまえたちはアッラーのほかに石を拝んでいる。私はアッラーのほかに神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒であると証言する」。こうしてハムザはこの日、ムスリムとなった。そこでアッラーはこの節を下し給うた。
アル=ダッハークによればこれはウマル・ブン・アル=ハッターブとアブー・ジャフルについて下されたもので、イクリマとアル=カルビーによればアンマール・ブン・ヤースィルとアブー・ジャフルについて下されたもので、ムカーティルによれば、預言者とアブー・ジャフルのことで下された。

また、このようにわれらはすべての町にその中で罪深い者を有力者とし、彼らにそこで欺かせた。だが、彼らは自分自身を欺いているにすぎず、気づいていない。(6:123)

『このように』 マッカの悪人をその有力者としたように。

『彼らにそこで欺かせた』 信仰から逸らすことによって。

『彼らは自分自身を欺いているにすぎず』 なぜなら、災いは彼らに降りかかるからである。

『気づいていない』 それに。

ムジャーヒドによると、マッカの道という道に4人の者が座り込み、人々をムハンマドへの信仰から遠ざけようとし、「彼は嘘つきで魔法使いで占い師だ」と言った。これが彼らの策謀であった。

そして、彼らに印が訪れると、「アッラーの使徒に与えられたと同じものがわれらに与えられるまでわれらは信じない」と言った。アッラーは彼の使信を下すところを最もよく知り給う御方。罪を犯す者たちはいずれ、アッラーの許における不面目と、彼らが欺いたことへの厳しい懲罰に襲われるであろう。(6:124)

『彼らに』 マッカの住民に。

『印が』 預言者の真実性を証しする。

『アッラーの使徒に与えられたと同じものがわれらに与えられるまで』 使信と啓示がわれらに。なぜなら、われらの方が財産が多く、年齢が上だからである。

『われらは信じない』 それを。

至高なる御方は仰せられた。

『アッラーは彼の使信を下すところを最もよく知り給う御方』 (『使信』には)複数形「risālāti」と単数形「risālata」の読誦法がある。『・・・ところを(haithu)』は、『alamu(最もよく知り給う御方)』が示す動詞の目的語である。つまり、彼こそはそのための正しい場所を知り給い、それを置き給う。彼らはそれにはふさわしくないのである。

『罪を犯す者たちは』 こうした彼らの発言によって。

『アッラーの許における不面目と』 屈辱と。

『彼らが欺いたことへの厳しい懲罰に襲われるであろう』 つまり、彼らの欺きゆえに。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2006年 アラブ イスラーム学院