マッカ啓示。165、あるいは166節。ただし、『彼らはアッラーに彼の価値に見合った評価をせず・・・』(第91節)からの3節、そして、『言え、「来るがよい」・・・』(第151節)からの3節は別である。
マディーナで下された 6節を除き、この章は一時に下され、7万の天使がそれに付き添った。特に『彼の御許には見えないものの鍵があり、彼のほかにそれを知る者はない。・・・』(第59節)には1万2千の天使が連れ添った。天使たちはタスビーフ(「スブハーナッラー(アッラーは超越せしかな)」と言うこと)とタフミード(「アルハムドリッラー(アッラーに称えあれ)」と言うこと)を声を上げて唱えながらこの節を夜に下し、アッラーの御使いは書記を求め、彼らはその夜のうちにそれを書き留めた。
アナス・ブン・マーリクによると、アッラーの御使いは言われた、「第6章[家畜]が下った時、それと共に天使の従者がタスビーフを唱えながら東と西の間を塞ぎ、大地は震えた」。そして、アッラーの御使いは、「スブハーナラッビヤルアズィーム(大いなるわが主こそ超越せしかな)」と3回唱えて平伏された。
ジャービルによると、預言者は言われた、「第6章[家畜]の最初の3節、『彼はおまえたちが稼ぐものを知り給う』までを3回読んだ者にはアッラーが4万の天使を派遣し、彼らは彼に審判の日まで彼らのなすイバーダ(崇拝行為)と同じものを書き留める。そして第7天から鉄棒を持った天使が下り、シャイターンが彼にささやいたり、心になにかを吹き込もうとすると、それを打ち、彼とシャイターンの間には70の覆いがある。そして審判の日になると、至高なるアッラーは仰せられる。『わが陰のほかに陰のない日に、わが陰の中を歩め。そして、わが楽園の果実から食べ、カウサルの池の水から飲み、サルサビールの泉の水で洗浄をせよ。おまえはわがしもべであり、われはおまえの主である』」(アル=クルトゥビーの伝える伝承)。
学者によれば、この章は2つの徳によって抜きん出ている。1つは一度に下されたこと、もう1つは、7万の天使に連れ添われたことで、それは、この章がタウヒード(唯一神信仰)、公正さ、預言者性、復活を証しすると共に、虚言の輩と無神論者を論駁するものだからである。
称賛はアッラーに属す、天と地を創り、諸々の闇と光をなし給うた御方。だが、拒絶する者たちは彼らの主に同位に並べる。(6:1)
『称賛』 とは、美質による描写である。それは(アッラーのものと)確定している。
『・・・アッラーに属す』 この意味は、それに対する信仰を促す告知であるか、それに対する賛美であるか、それともその両方であるか、複数の可能性があるが、第3の意見が最もよい。第18章[洞穴]においてシャイフ(アル=ジャラール・アル=マッハッリー)はそう述べる。
『天と地を創り』 特に天と地に言及があるのは、それらが見る者にとって最も大きな被造物だからである。
天が地よりも先に来ているのは、天は天使たちの崇拝の場であり、そこでは不服従行為はなされないからである。また、天の方が地よりも先に創られたからである。
『諸々の闇と光を・・・』 すべての闇と光を。一方(『諸々の闇(al-zulmāti)』)は複数形で、他方(『光(al-nūra)』)がそうではないのは、闇には様々な原因があるからである。このことはアッラーの唯一性の証しの一つである。
これには、無知の闇、不信仰の闇、夜の闇など、また知識の光、信仰の光、昼の光などあらゆる闇と光が含まれる。
『・・・なし給うた』 創り給うた。
『拒絶する者たちは』 そのような証しがありながら。
『彼らの主に同位に並べる』 アッラーにほかのものを並べて崇拝する。
『彼らの主に(bi-rabbi-him)』を『拒絶する』にかかるものとして読むことも可能で、その場合には『同位に並べる(ya‘dilūn)』は、「逸れる」という意味になる(つまり、「彼らの主を拒絶する者たちは、逸れる」)。『彼らの主に』を『ya‘dilūn』にかかるものとすれば、この場合2つの意味が可能となり、1つによれば、「彼らの主から逸れる」という意味であり、もう1つによれば、「彼らの主にほかのものを同位に並べる」という意味で、後者の場合には目的語(つまり、「ほかのものを」)が省略されている。
彼こそはおまえたちを泥土から創り、それから期限を定め給うた。そして期限は彼の御許に定められている。だが、おまえたちは疑うのである。(6:2)
『おまえたちを泥土から創り』 おまえたちの父アーダムをそこから創り。
『期限を定め給うた』 おまえたちに。おまえたちはそれが尽きた時に死ぬ。
『期限は・・・定められている』 固定されている。それはおまえたちの復活のためである。
最初の期限は誕生から死までの期限で、後の期限は死から復活までの期限である。
『おまえたちは』 不信仰者たちよ。
『疑うのである』 彼がおまえたちの創造を始め給うた御方であると知りながら、再生を疑うのである。だが、最初の創造が可能な御方にはそれを繰り返すことなどさらに可能なことである。
彼こそは天においても地においてもアッラーであり、おまえたちの秘密とおまえたちの外見を知り、おまえたちが稼いだものを知り給う。(6:3)
『彼こそは・・・アッラーであり』 崇拝に値する御方であり。
『おまえたちの秘密とおまえたちの外見を知り』 おまえたちが隠すものも、おまえたちの間で公にするものも。
『おまえたちが稼いだものを知り給う』 おまえたちがなす良いことも悪いことも。
彼らの主の御印のうちどんな印が彼らの許に来ても、必ず彼らはそれから背を向けた。(6:4)
『彼らの主の御印のうちどんな印が』 クルアーンの(印)。「min’ āyatin(どんな印が)」の「min」は虚字。
『彼らの許に来ても』 つまり、マッカの住民(の許に来ても)。
彼らは真理を、それが彼らの許に来ると、嘘と否定した。いずれ、彼らが嘲笑していたものの知らせが彼らにもたらされるであろう。(6:5)
『真理を』 クルアーンを。
『・・・知らせが』 結末が。
われらが彼ら以前にどれほど多くの世代を滅ぼしたか、彼らは見なかったか。われらは地上において、おまえたちにも可能ならしめたことのなかったことを彼らに可能ならしめた。そして、われらは空を彼らの上に頻繁に送り、彼らの下にいくつもの川をなした。だが、われらは彼らの罪ゆえに彼らを滅ぼし、彼らの後に他の世代を作り出した。(6:6)
『どれほど多くの』 『どれほど多くの(kam)』は、叙述詞としての「kam」であり、その意味は「多数の」
『世代を』 過去の共同体を。
「世代(qarn)」には多くの意味があるが、(同時代に生きた)人々の集団、および、期間の長さの双方を指す。どれほどの期間かについては見解が分かれるが、大多数によれば100年である。なぜなら、預言者は、アブドッラー・ブン・ビシュル・アル=マーザニーについて、「あなたは1カルン生きるであろう」と言われ、彼は100年生きたからである。
『・・・彼らは見なかったか』 シリアやその他の土地を旅行する中で。
『地上において』 力と豊かさによって。
『おまえたちにも』 三人称から転じている。
『可能ならしめたことの・・・』 与えたことの・・・。
『可能ならしめた』 地位を彼らに与えた。
『空を』 雨を。
『頻繁に』 断続的に。
『彼らの下に』 彼らの住居の下に。
『われらは彼らの罪ゆえに彼らを滅ぼし』 預言者たちを嘘だと否定したゆえに。
もしわれらがおまえに紙に書いたものを下し、彼らがそれを手で触れても、信仰を拒絶する者たちは、「これは明白な魔術にほかならない」と言うであろう。(6:7)
『紙に』 彼らが求めるままに、羊皮紙に。
『書いたものを』 書かれたものを。
『彼らがそれを手で触れても』 (それは)目で見るよりもさらに明白である。なぜなら、触れれば疑いをより一層打ち消すからである。
『これは明白な魔術にほかならない』 人を困らせるために、また、頑強に反抗して(そう言う)。
『・・・ほかならない』 『・・・ほかならない(’in...’illā)』の『ない(’in)』は(否定の「’in」で)「mā」(の意味)である。
また、彼らは、「どうして彼には天使が下されなかったのか」と言った。もしわれらが天使を下したなら、事は決定され、彼らは猶予されなかったであろう。(6:8)
『どうして・・・なかったのか』 『どうして・・・なかったのか(law lā)』は、「 hallā(・・・ないのか)」の意味である。
『彼には』 ムハンマドには。
『天使が』 彼の正しさを証明する(天使が)。
『もしわれらが天使を下したなら』 たとえ彼らの要求に応じて(天使を下して)も、彼らは信じない。
『事は決定され』 彼らの破滅は。
『彼らは猶予されなかったであろう』 悔悟や弁明の猶予は与えられない。要求したものを出されても信じなかった時に滅ぼされるのが彼ら以前の民に対するアッラーの慣わしであった。
また、もしわれらが彼を天使としたとすれば、きっと彼を男とし、そして彼らが惑乱しているように彼らを惑乱させたであろう。(6:9)
『彼を天使としたとすれば』 彼らの許に下す者を。
『きっと彼を』 その天使を。
『男とし』 つまり、男の姿とし。彼らが彼を目にすることができるようにするためである。なぜなら、人間には天使を見ることができないからである。
『そして』 もしわれらが彼(天使)を下し、彼を男とした場合には。
『彼らが惑乱しているように』 「われらと同じ人間に過ぎない」と言って彼らが自分自身を惑乱させているように。
『惑乱させたであろう』 曖昧なものとしたであろう。
おまえ以前の使徒たちも嘲笑されたが、彼らのうち嘲笑した者は、その嘲笑したものが取り囲んだ。(6:10)
『おまえ以前の使徒たちも嘲笑された』 預言者に対する慰めの言葉である。
『その嘲笑したものが』 それは懲罰である。
『取り囲んだ』 下った。おまえを笑いものにする者たちも、同様にそれが取り囲む。
言え、「大地を旅し、そして嘘だと否定した者たちの末路がどのようなものであったかを見よ」。(6:11)
『言え』 彼らに。
『嘘だと否定した者たち』 使徒たちを。
『末路がどのようなものであったかを見よ』 懲罰による滅亡という末路を。そして、教訓を得よ。
言え、「天と地のものは誰に属すか」。言え、「アッラーに属す」。アッラーは御自身に慈悲を書き留め給うた。必ず彼は疑いの余地のない復活の日におまえたちを集め給うであろう。自分自身を損なった者、彼らは信じない。(6:12)
『言え、「アッラーに」』 たとえ彼らがそう言わなくても、他の返答はない。
『御自身に慈悲を』 アッラーの恩寵として。ここには、彼らを信仰に呼び招く優しさが込められている。
おまえたちの不信仰にもかかわらず、おまえたちに猶予を与え、寿命を延ばし、糧を与え給うのである。
『書き留め給うた』 定め給うた。
『疑いの余地のない』 疑念のない。
『おまえたちを集め給うであろう』 おまえたちの行いに応じた報いをおまえたちに与えるために。
『自分自身を損なった者』 懲罰に身を晒すことによって。主部であり、その述部は『彼らは信じない』。
夜と昼に住むものは彼に属す。彼はよく聞き、よく知り給う御方。(6:13)
『夜と昼に・・・もの』 つまりあらゆるもの。
『住む』 居住する。
『彼に』 至高なる御方に。
『属す』 彼はその主であり、創造者であり、主宰者である。
『彼はよく聞き』 語られるものに対し。
『よく知り給う御方』 なされることについて。
言え、「アッラーのほかに私が庇護者を持つというのか、天と地の作り主のほかに。彼こそは養い、養われることのない御方であらせられる」。言え、「私は帰依服従する最初の者となるよう命じられた。また、多神教徒のひとりとなってはならないと」。(6:14)
『言え』 彼らに。
『アッラーのほかに私が庇護者を持つというのか』 私が仕えるというのか。
『天と地の作り主』 天と地の創始者。
『彼こそは養い』 糧を与え。
『養われることのない御方であらせられる』 糧を与えられることのない御方。(そのような御方のほかに私が庇護者を持つことは)ない。
『帰依服従する最初の者となるよう』 アッラーに。この共同体の中で。
『また』 私は言われた。
『多神教徒のひとりとなってはならないと』 彼(アッラー)に多神を並べる者の。
言え、「もし私が私の主に背いたら、大いなる日の懲罰を恐れる」。(6:15)
『もし私が私の主に背いたら』 彼以外のものに仕えることによって。
『大いなる日の懲罰』 復活の日のことである。
その日、それを遠ざけられる者は彼が慈悲をすでにかけ給うたのである。そして、それは明白な成功である。(6:16)
『それを遠ざけられる者』 受動態で「yusraf(遠ざけられる)」、つまり「それ(懲罰)を遠ざけられる」と読む読誦法と、能動態で「yasrif(遠ざける)」、つまり主語はアッラーであり、動詞の目的語の代名詞(「yasrif-hu」の「hu=懲罰」)が省略されているものとする読誦法がある。
『彼が慈悲をすでにかけ給うた』 至高なる御方がその者に善を望み給うた。
『それは明白な成功である』 明らかな救済である。
もしアッラーが災厄でおまえに触れ給うたなら、それを除く者は彼のほかにない。また、もし彼が幸福でおまえに触れ給うたなら、彼はすべてのことに全能なる御方。(6:17)
『災厄で』 病気や貧困などの苦難で。
『それを除く者』 それを取り上げる者。
『幸福で』 健康や富裕などで。
『すべてのことに全能なる御方』 災厄や幸福で触れることもそれに含まれる。そして、それを退けることは彼以外の誰にもできない。
彼は彼のしもべの上に立つ支配者である。また、彼は英明にして精通し給う御方。(6:18)
『彼のしもべの上に立つ』 優越し給う。
『支配者である』 上位にあって、彼にはなにごとも可能で、できないことはない。
『英明にして』 彼の被造物について。
『精通し給う御方』 被造物の内面も外面同様に。
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