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【第5章 食卓】
(5:96〜5:108)
 

海の獲物とその食べものはおまえたちに許された。おまえたちにとって、また隊商にとっての楽しみとして。おまえたちには禁忌にある限り陸の獲物は禁じられた。おまえたちがその許に集められるアッラーを畏れ身を守れ。(5:96)

『海の獲物と』 それを食べることは。それ(海の獲物)とは、海にしろ川にしろ、魚のようにその中にしか生息しないものである。カニ、カエル、ワニのように海と陸に生息するものは別である。

『その食べものは』 それ(海)が死体を吐き出したものは。

『おまえたちに許された』 人々よ。おまえたちがイフラーム(巡礼の禁忌)の状態にあろうとなかろうと。

『おまえたちにとって』 それを食べることは。

『隊商にとっての』 おまえたちのうち旅人はそれを旅の糧として備える。

『楽しみとして』 楽しむために。

『おまえたちには・・・陸の獲物は禁じられた』 それは、そこ(陸)に棲み、狩猟によって捕える野生の食用動物である。

『禁忌にある限り』 禁忌にない者が捕えた場合には、イフラーム(巡礼の禁忌)にある者がそれを食べることは許される。

アブー・カターダ・アル=アンサーリーは言った、「私はマッカに向かう途中、預言者の仲間の者たちと一緒に停留していた。アッラーの御使いはわれらの前におられ、人々はイフラームにあったが、私はイフラームになかった。これはフダイビーヤの年のことである。すると、彼らは野生のロバに気づいた。ところが、私はちょうどサンダルを繕うのに忙しく、彼らは私の邪魔をしなかった。彼らは私がそれに気づくことを願った。すると私はそちらの方を向き、それに気づいた。そこで私は立ち上がって馬のところに行き、鞍を付けた。それから馬に乗ったが、鞭と槍を忘れた。そこで彼らに向かって、私にそれらを手渡すように言った。すると、彼らは、『だめだ、アッラーに誓って、われらにはおまえを助けることはできない』と言った。そのため私は腹を立て、馬を下り、それらを手に取ると馬に乗って、ロバに狙いを定めた。そしてそれを撃ち取り、持って戻るとそれは死んでいた。彼らはそれを食べたが、イフラームの状態でそれを食べることについて苦情を訴えた。そこでわれらは出掛け、獲物の上肢を取って置き、アッラーの御使いのところに行ってそれについて尋ねた。すると彼は、『そのいくらかをあなたがたは持っているか』と尋ねられた。そこで、私は、『はい』と言って、上肢を差し出した。すると、彼はイフラームにあったが、それを食べられた」。別の伝承によると、預言者は、「これはアッラーがあなたがたに食べさせ給うた食べ物にほかならない」と言われた。ある伝承によれば、アッラーの御使いは、「あなたがたのうち誰かそれを捕えるように命じたり、指を差した者がいるか」と尋ねられ、「いない」と人々が答えると、「その肉の残りを食べよ」と言われた。

アッラーは聖なる館カアバを人間の拠り所となし給い、聖なる月と捧げ物と首飾りもまた。それは、アッラーが天にあるものも地にあるものも知っておられ、アッラーがすべてのことを知った御方であることをおまえたちに知らせるためである。(5:97)

『聖なる館カアバを』 神聖な。

『カアバ』とは四角形の家のことで、それゆえカアバはカアバと名付けられた。

『人間の拠り所となし給い』 彼らの宗教事項はそこへの巡礼によって果たされ、彼らの現世のことは、その中が安全で、攻撃に晒されることなく、すべての収穫がそこに集められることによって果たされていた。『拠り所(qiyāman)』は、「qiyaman」と長母音なしで読む読誦法もある。「qāma(立つ)」の動名詞で、(ワーゥ(w)からヤーゥ(y)への)子音変化なしである(āmはqiwāmのwがyに子音変化したもの)。

『聖なる月と』 聖なる月々と。(これは『カアバを』に接続する。)ズー・アル=カアダ(ヒジュラ暦11月)、ズー・アル=ヒッジャ(12月)、アル=ムハッラム(1月)、ラジャブ(7月)は、それらの月には戦闘から安全であることによって人間が拠り所とするものとされた。

ベドウィンは部族同士襲撃しあい、戦闘をしていたが、これらの月に入ると襲撃と戦闘を止めた。

『捧げ物と首飾りもまた』 人々が依拠するものとされ、その持ち主は攻撃から守られた。

『捧げ物』 それらの持ち主は聖地で犠牲に捧げられ、貧者に施される家畜のことである。
『首飾りもまた』ベドウィンは聖地の木の皮で自分をくくり、マッカから戻った。首にそれを付けた者は聖地からの帰還者であることがわかり、敵からの危害から守られた。捧げ物を連れて聖地に向かう者はそれによって安全が守られ、首飾りを付けて聖地から戻る者もまたそれによって安全が守られたのである。

『それは』 既述のことは。

『アッラーが天にあるものも地にあるものも知っておられ、アッラーがすべてのことを知った御方であることをおまえたちに知らせるためである』 実際に起きる前に、おまえたちが益を得、受ける害を未然に防ぐために、それらをそのようなもの(人間の依拠するもの)となされたことは、それはこの世に存在するもの、起きることをアッラーがご存知であることの証しである。

アッラーは懲罰に厳しく、アッラーはよく赦す慈悲深い御方であることを知れ。(5:98)

『アッラーは懲罰に厳しく』 彼の敵に対しては。

『アッラーはよく赦す』 彼の友(awliyā’)に対しては。

『慈悲深い御方であることを知れ』 彼ら(アッラーの友)に対しては。

使徒に課せられたものは伝道だけである。アッラーはおまえたちが顕にすることも隠すことも知り給う。(5:99)

『伝道だけである』 おまえたちへの伝達だけである。

『おまえたちが顕にすることも』 行いでおまえたちが明らかにするものも。

『隠すことも知り給う』 そのうち隠すものも。

そして、それに応じておまえたちに報い給う。

言え、「忌まわしいものと良いものとは同じではない。たとえ、忌まわしいものの多さがおまえを魅了しても」。それゆえ、アッラーを畏れ身を守れ、賢慮ある者よ。きっとおまえたちは成功するであろう。(5:100)

『忌まわしいものと』 ハラーム(禁じられたもの)と。

『良いものとは』 ハラール(許されたもの)とは。

『たとえ、忌まわしいものの多さがおまえを魅了しても』 おまえを喜ばせても。

『アッラーを畏れ身を守れ』 それを退けることにおいて。

『きっとおまえたちは成功するであろう』 勝ちを得るであろう。

信仰する者たちよ、いろいろなことについて尋ねてはならない。もしそれがおまえたちに明かされれば、おまえたちを困らせるであろう。もしおまえたちがそれについてクルアーンが下される時に尋ねれば、それはおまえたちに明かされるであろう。アッラーはそれを大目に見給うた。アッラーはよく赦す寛容なる御方。(5:101)

これは、人々がたくさんの質問をアッラーの御使いに尋ねた際に啓示された。

たとえば、巡礼について、「それは毎年か」と尋ねたり、父親について、「私の父はどこにいるか」と尋ねることである。預言者はそれに対して、「おまえの父親は獄火の中にいる」と答えられた。

『もしそれがおまえたちに明かされれば』 明らかにされたら。

『おまえたちを困らせるであろう』 そこにある困難ゆえに。

『もしおまえたちがそれについてクルアーンが下される時に尋ねれば』 預言者の時代に。

『それはおまえたちに明かされるであろう』 いろいろなことをクルアーンが啓示されているその時に尋ねれば、それを明らかにすることによって。そして、それを明かせば、それはおまえたちを困らせる。それゆえ、それを尋ねてはいけない。

『アッラーはそれを大目に見給うた』 すでに。おまえたちの問いについては。それゆえ、繰り返してはならない。

おまえたち以前の民もそれを尋ねた。それからそれによって不信仰者となり果てた。(5:102)

『おまえたち以前の民もそれを尋ねた』 彼らの預言者に。そうした事柄を。そして、彼ら(預言者)は、その規定を明らかにすることによって答えた。

『それによって不信仰者となり果てた』 なった。それを実行することを怠ったことによって。

アッラーはバヒーラも、サーイバも、ワスィーラもハーミーも定め給わなかったが、信仰を拒絶した者たちがアッラーについて虚偽を捏造しているのである。だが、彼らの大半は理解しない。(5:103)

『アッラーはバヒーラも、サーイバも、ワスィーラもハーミーも定め給わなかった』 ジャーヒリーヤ(イスラーム前の無知の時代)の民がしていたような。アル=ブハーリーが伝えているが、サイード・ブン・アル=ムサイヤブによると、「バヒーラ」とは、その乳が偶像のために禁じられ、人間は誰も飲むことができないもの(雌ラクダ)、「サーイバ」は、神々のために自由の身とし、なにもその上に荷を負わせることのないもの(雌ラクダ)、「ワスィーラ」は、初産で雌を産み、続いて雌の後に雌を産んだ若い雌ラクダで、彼らはそれを偶像に捧げ自由の身とした。2頭の(雌の)一方が他方につながり、その間に雄がいない場合である。「ハーミー」は、決まった回数を打ち、打ち終わると、偶像に捧げ、荷を負うことを免じた雄ラクダである。それは背になにも負わない。彼らはそれをハーミーと呼んだ。

『アッラーについて虚偽を捏造しているのである』 そのことにおいて。そして、それを彼(アッラー)に帰するものとしている。

『彼らの大半は理解しない』 それが捏造であることを。なぜなら、彼らはそのことについて、彼らの祖先に盲従しているからである。

「アッラーが啓示し給うたものと使徒の許に来たれ」と言われると、「われらの父祖がその上にあるのを見たもので、われらには十分である」と言った。たとえ彼らの父祖がなにも知らず、導かれていなかったとしても。(5:104)

『アッラーが啓示し給うたものと使徒の許に来たれ』 おまえたちが禁じるものを許す彼の規定に。

『われらの父祖がその上にあるのを見たもので』 宗教(dīn)も聖法(sharī‘ah)も。

『われらには十分である』 われらにはそれで足りた。

『たとえ・・・』 ・・・か。非難の疑問文である。

『導かれていなかった・・・』 真理に。

信仰する者たちよ、おまえたちにはおまえたち自身に責任を負う。おまえたちが導かれたなら、迷った者はおまえたちに害をなすことはない。アッラーにこそおまえたちすべての帰り処はあり、彼はおまえたちがなしたことをおまえたちに告げ給う。(5:105)

『おまえたちにはおまえたち自身に責任を負う』 おまえたち自身を守れ。そして、その益の上に立て。

服従行為をすることによって自分を正すことを保て。
『おまえたち自身に(anfusa-kum)』と対格になっているのは教唆(ighrā’)が対格を取るためで、「お前たち自身に賦課せよ(’ ālzimū)」ということである。
これを、善を勧め、悪を禁じることができるにもかかわらずしないことを許可するものと考えてはならない。能力がなくても悪を嫌うのが導かれた者である。アッラーの御使いは言われた、「あなたがたのうち悪いことを目にした者でそれを変えることができる者は手で変えよ。それができなければ舌で、また、それができなければ心で」。
アブー・バクルはある時ミンバル(説教台)の上で言った、「人々よ、あなたがたはこの節を読むがそれを本来の場所でない場所に置き、その意味を理解していない。私はアッラーの御使いが次のように言われるのを聞いた、『もし人が悪いことを見てもそれを変えなかったなら、アッラーは懲罰において彼らを一括し給う。それゆえ善を命じ、悪を禁じよ。「おまえたちにはおまえたち自身に責任がある」というアッラーの御言葉を誤解して、私は私に責任があるだけであると言ってはならない。アッラーに誓って、あなたがたは善を勧め、悪を禁じるべきである。さもなければアッラーはあなたがたをあなたがたの最悪の者に統治させ、彼らはあなたがたを懲罰しめる(せしめる?する?)であろう。そして、あなたがたの最良の者が祈っても聞き届けられないであろう』」。

『迷った者はおまえたちに害をなすことはない』 啓典の民で迷った者はおまえたちに害を与えることはない、という意味だと言われる。あるいは、他の者たちのことだとも言われる。アブー・サアラバ・アル=フシャニーの伝えるハディースによると、私がこれについてアッラーの御使いに尋ねると、彼は、「善行に従事し、悪行を禁じ合え。ただし、強欲が従われ、欲望が従われ、現世が好まれ、自分の見解を持った者が自分の見解に自惚れるのを目にするようになったら、おまえはおまえ自身に責任を負え」と言われた(アル=ハーキムなどの伝承による)。

これは、信仰者がアッラーの啓示と使徒へと誘っても、不信仰者たちがそれを拒み、「われらにはわれらの父祖が従っていたもので十分である」と言った時に、信仰者が彼らの信仰の欠如を悲しんだことに対して、慰めとして下された。あるいは、『迷った者』とは信仰者のうち不従順をなす者たちのことで、おまえたちが善を勧め、悪を禁じてもそれが効をなさないようになった時には自分自身の状態に責任を負え。それができなければ、迷う者の迷誤はおまえに害をなすこととなる。なぜなら迷誤を認めることもまた迷いだからである。

『彼はおまえたちがなしたことをおまえたちに告げ給う』 そして、それについておまえたちを報い給う。

信仰する者たちよ、おまえたちの誰かに死が臨んだ時、遺言の際にはおまえたちの間の証言はおまえたちのうちの公正な二人によるものとし、おまえたちが地上を旅していてそこに死の苦悩が降りかかったのであれば、おまえたち以外の者からの、礼拝の後で二人を引き留めた、その別の二人である。おまえたちが疑う時には、両者はアッラーに誓わせられる。「われらは彼を代価で売り払うことはない。たとえ、それが近親であっても。また、われらはアッラーの証言を隠しはしない。その時には、われらはまさしく罪人のひとりである」。(5:106)

この節とこれに続く 2節はクルアーンのうち規定、構文解析、解説において最も曖昧な節で、学者たちはこれについて疑い、避けている。

『死が臨んだ時』 つまり、その(死の)原因が。

『遺言の際にはおまえたちの間の証言はおまえたちのうちの公正な二人によるものとし』 『おまえたちのうちの公正な二人によるものとし』は叙述文であるが、命令の意味を持つ。つまり、証言させよ。『証言』の『おまえたちの間の(bayni-kum)』との属格関係は、拡張表現である。また、『(遺言の)際には』は『(・・・臨んだ)時』の言い替え、あるいは、『臨んだ』にかかる副詞である。

『地上を旅していて』 旅行をしていて。

『おまえたち以外の者からの』 おまえたちの宗派でない者から。

ムスリムであったバズィール・アル=サフミーと2人のキリスト教徒アディーユ・ブン・バッダーゥとタミーム・アル=ダーリーがマディーナからシリアに旅行したが、バズィールに死が臨み、彼は自分の荷物を文書に書き残した(cf., al=Sāwī, Hāshiyah al=Sāwī, vol.1, p.311)。

『礼拝の後で』 つまり、アスル(午後後半)の礼拝の。

どの礼拝の後でという特定はないが、アスルの時間は人々が集まり、夜の天使と昼の天使が出会う時間であり、この時間に虚偽の誓いをすることを人々は避けるからである。

『二人を引き留めた』 2人を呼び止めた。(次の句)『その別の二人』の形容である。

『おまえたちが疑う時には』 それに疑念がある時には。

『両者はアッラーに誓わせられる』 両者は誓って、(次のように)言わせられる。

『われらは彼を』 アッラーを。

『代価で売り払うことはない』 それ(誓い)を破ったり、それ(見返り)のために偽証することによって、彼に替えて現世の見返りを受け取ることはしない。

『たとえ、それが』 誓いをする相手、証言をする相手が。

『近親であっても』 彼の血縁であっても。

『アッラーの証言を隠しはしない』 彼が命じ給うた(証言を)。

『その時には』 もしわれらがそれを隠したならば。

もし二人が罪に値することが判明したなら、権利のある者のうち最も縁の近い別の二人がその二人の代わりに立ち、アッラーに誓う、「われらの証言はこの二人の証言よりも真実である。われらは法を犯したことはなく、その時には、われらはまさしく不正な者のひとりである」。(5:107)

『もし二人が罪に値することが』 証人 2人の許に、両者が容疑をかけられたものが見つかり、2人がそれ(罪)に当たる不実、あるいは偽証を行ったことが(判明したなら)。
そして両者が、それは死者から買い取ったものだ、とか、死者から自分たちに遺言で譲られたものであるなどと主張したなら。

『判明したなら』 誓った後で、知らされたなら。『権利のある者のうち』 遺言に。それは相続者である。これは、(次の句)『別の二人』を言い替えるものである。

『最も縁の近い』 死者に。つまり彼の血縁である。『最も縁の近い(al-awlayāni)』は、「al-awwalīna」と「awwal(第一人者)」の複数形として読む読誦法もある。『・・・者のうち』の修飾、あるいは置換である。

『別の二人が』 その2人に対する誓いのために。

『アッラーに誓う』 2人の証人の不実について。
そして(次のように)言う。

『われらの証言は』 われらの誓いは。

『この二人の証言よりも』 2人の誓いよりも。

『真実である』 より正しい。

『われらは法を犯したことはなく』 誓いにおいて真実を犯したことはなく。

この節の言わんとするのは以下のことである。死に臨んだ者は自分の遺言に2人の証人を立てる。または、2人を遺言管理人に指定する。その2人は宗教を同じくする者から選ぶが、旅行などで同じ宗教の者がいない場合にはそうでない2人を立てる。その2人について相続人が疑いを持った時には、「彼らが裏切ってなにかを横領したか、死者の遺言であると言って誰か別の者にそれを渡したりした」と主張し、2人に(前節の誓いの言葉を)最後まで(「われらは彼を代価で売り払うことはない。たとえ、それが近親であっても。また、われらはアッラーの証言を隠しはしない。その時には、われらはまさしく罪人のひとりである」と)もう一度誓わせよ。彼らの偽証の印が告げられた場合には、彼らの偽証に対して相続人に最も近い者にその証言に反対する証言をさせ、自分たちの主張が正しいことを誓わせよ。
この規定(誓言させること)は、2人の遺産管理人については確定したが、2人の相続人を証人とすることについては破棄され、同じ宗教の者でない者の証言もまた破棄された。
アスル(午後後半)の礼拝の後、と言うのは、強調のためで(義務ではなくスンナである)、証人を相続人に最も近い2人と限定しているのは、この節が下される契機となった実際の出来事に関連しているからである。アル=ブハーリーの伝えるところによると、サフム家の男バディール(あるいはバズィール)がタミーム・アル=ダーリーとアディー・ブン・バッダーゥと共に旅に出た。2人はキリスト教徒であった(これは有名な教友であるタミームがムスリムとなる以前のことであった)。アル=サフミー(サフム家のバディール)はムスリムの居ない地で死去した(そこで彼は2人に戻ったら彼の家族に彼の所持品を渡すように命じた)。2人が彼の遺留品を遺族に差し出したところ、(遺族は)金の飾りの付いた銀のカップを紛失した(つまり、あるはずのそれを見出さなかった)。そこで2人は(そのことを)預言者に訴えた。するとこの節が下され、彼は2人に誓わせられた。その後カップはマッカで見つかり、彼(それを持っていた者)はタミームとアディーから買ったものであると言った。そこで次の節が下され、アル=サフミーの親族から2人の者が証人に立ち、(自分たちの証言の方が彼らの証言よりも正しく、そのカップは彼らの近親に所属するものである、と)誓った。アル=ティルミズィーによれば、それは彼の近親であったアムル・ブン・アル=アースともう1人の男であった。別の伝承によれば、彼(アル=サフミー)は病気となり、2人に彼の残した物を彼の家族に届けるよう命じた。彼が死ぬと、2人はカップを取り、残りを家族に届けた。
アル=ハティーブ(Ahmad bn Alī al=Baghdādī, 463/1072年没) によると、遺族は遺留品の中に所持品の品目を記した記録を見つけた。そこで遺族はタミームとアディーの許に行き、「家の者は何かを売ったか」「何かの取引をしたか」「長患いでお金がかかったか」と尋ね、「そんなことはなかった」と2人は答えた。そこで遺族は、「われらは遺留品の中に所持品目を記した記録を見つけたが、そのうち重さ300ミスカール(1ミスカール=4.25g)の金飾りのついた銀の器が紛失していた」と言った。すると2人は、「われらにはわからない。われらはあなたがたに渡すように命じられ、それを渡しただけで、器については知らない」と言った。そこで彼らはアッラーの御使いのところに訴えたが、彼らはそれを否定しつづけた。するとこの節が下され、その啓示の後、アッラーの御使いはアスルの礼拝をあげられ、それからタミームとアディーを呼び、ミンバルのところで唯一の神であるアッラーに誓って背信行為をしていないことを誓わせられた。2人はそれを誓ったため、預言者は2人を去らせられた。その後、その器が彼らの手にあることがわかり、それがサフム家の者の耳に届くと、彼らは2人のところに行った。すると、彼らは、「これは彼から買い取ったものである」と言った。そこで遺族は、「われらの家の者は持っていたものをなにも売らなかった、とおまえたちは言ったではないか」と言った。すると、2人は、「われらの手元には証拠がなかったため、それを告白するのを嫌い、隠したのである」と言った。そこで遺族はこのことをアッラーの御使いに告げた。すると、この節(第107節)が下され、身内から2人の証人が立てられた。

それは、彼らが証言をその本来の形でもたらすこと、あるいは彼らの誓約の後で誓約が差し戻されることを彼らが恐れることにより近い。アッラーを畏れ身を守り、聞け。アッラーは違背者を導き給わない。(5:108)

『それは』 既述の規定は。つまり、誓いを相続者に戻すこと。

『彼らが』 証人、または、遺言管理人。

『証言をその本来の形でもたらすこと』 改竄や裏切りなしにおまえたちがもたらす形で。

『誓約が差し戻されることを彼らが恐れることに』 告訴する相続人に。そして、彼らが彼ら(証人)の裏切りと嘘について誓い、面目を潰され、罰金を支払わされることを(恐れることに)。そうすれば、彼らは嘘をつかないであろう。

『より近い』 それに一層近いものとなる。

『アッラーを畏れ身を守り』 不実と嘘を退けることによって。

『聞け』 おまえたちが命じられたことを。聞くとは、聴従の意。

『アッラーは違背者を導き給わない』 彼への服従から外れる者を、良いものへの道に。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2006年 アラブ イスラーム学院