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【第5章 食卓】
(5:83〜5:95)
 

使徒に下されたものを彼らが耳にすると、真理と認めたがために彼らの目が涙をあふれさせるのをおまえは見る。彼らは言う、「われらが主よ、われらは信じた。われらを証言する者たちと共に書き留め給え」。(5:83)

アッラーは仰せられた。

『使徒に下されたものを』クルアーンを。

『われらは信じた』 われらは、あなたの預言者(ムハンマド)とあなたの啓示(クルアーン)を真実と認める。

『われらを証言する者たちと共に書き留め給え』 双方の真実性を承認する者と。

「どうしてわれらがアッラーとわれらに訪れた真理を信じず、われらの主がわれらを正しき民と共に入れ給うことを望まずにいられようか」。(5:84)

『どうして・・・いられようか』 彼らは、彼らをイスラームゆえに責めるユダヤ教徒の者たちへの返答の中で言った。

『われらに訪れた真理を』 クルアーンを。

『われらの主がわれらを正しき民と共に入れ給うことを』 信仰者と共に、楽園に。

『望まずにいられようか』 『信じず』につながる。つまり、われらの信仰に障害はない。その(信仰することの)必然性があるのだから。

そこでアッラーは、彼らの言ったことに対し、下に川が流れる楽園を報い給い、彼らはそこに永遠に留まる。それが善を尽くす者の報奨である。(5:85)

『それが善を尽くす者の』 信仰において。

一方、信仰を拒絶し、われらの印を嘘だとする者、それらの者は火獄の住人である。(5:86)

信仰する者たちよ、アッラーがおまえたちに許した良いものを禁じ、法を越えてはならない。まことにアッラーは度を越す者を愛し給わない。(5:87)

教友の一団が斎戒と夜の礼拝を義務付け、女と良いものに近づかず、肉は食べず、寝台で寝ない、と決めたことに際して、下し給うた。

ある日、預言者が人々に説教をし、人々が分けられる復活の日の描写をされた。すると、人々は涙を流し、教友のうち10人がウスマーン・ブン・マズウーン・アル=ジャムヒーの家に集まった。その10人とは、アブー・バクル、アリー、イブン・マスウード、イブン・ウマル、アブー・ザッル、サーリム・マウラー・アビー・フザイファ、アル=ミクダード、サルマーン、マウキル・ブン・ムクリン、そして、ウスマーンである。彼らは話し合い、修行生活を送り、毛織布を着、去勢し、生涯断食し、夜は礼拝して過ごし、寝台で寝ず、肉や脂肪を食べず、女と香水に近づかず、地を流浪することに同意した。その話が預言者に達すると、彼はウスマーンの家に行かれた。しかし、彼に会えなかったため、預言者は彼の妻に言われた、「あなたの夫と仲間たちについて私の許に達した知らせは本当か」。彼女は、嘘をつくのを嫌い、かといって夫の秘密を告げることも嫌だったので、「アッラーの御使いよ、ウスマーンがいたら、あなたに伝え、本当のことを言ったでしょう」と言った。そこでアッラーの御使いは立ち去られた。ウスマーンがやって来ると、妻は彼にこのことを告げた。そこで彼と彼の仲間と10人でアッラーの御使いの許へ行った。彼は彼らに言われた、「あなたがたがこれこれのことに同意したことを私は告げようではないか」。彼らは、「そのとおりです。アッラーの御使いよ。私たちは良いことを望んだだけです」と言った。すると、アッラーの御使いは言われた、「私はそのようなことは命じられていない」。それから続けて言われた、「まことにあなたがた自身にはあなたがたに対して権利がある。それゆえ、断食をし、また断食を解き、礼拝に立ち、また眠れ。私は礼拝に立つし、眠りもするし、断食をするし、断食を解きもする。肉や脂肪を食べるし、女の許にも行く。私のスンナ(慣行)に逆らった望みを持つ者は私の仲間ではない」。それから彼は人々を集め、説教して言われた、「女と食べ物と良いものと現世の欲望を禁じる者たちはどうしたことか。私はあなたがたに司祭や修道士になれとは命じていない。私の宗教には肉や女を退けることも、修道士の庵に篭ることも含まれていない。私のウンマ(民)の遍路と修行はジハードである。アッラーに仕え、彼になにものをも並び置いてはならない。大巡礼、小巡礼をし、礼拝に立ち、喜捨を払い、ラマダーン月に斎戒し、身を正せ。アッラーもおまえたちを正当に処される。あなたがた以前の者たちは度を越した厳格さによって滅びたのである。彼らは自分自身に度を越して辛くあたり、それゆえアッラーは彼らに厳しく当たり給うた。彼らの生き残りが修道院や庵に居るのである」。そこでアッラーはこの節を下し給うた。

『法を越えてはならない』 アッラーの命令を犯してはならない。

アッラーがおまえたちに糧と与え給うたもので許された良いものを食べ、おまえたちが信じるアッラーを畏れ身を守れ。(5:88)

『アッラーがおまえたちに糧と与え給うたもので許された良いものを食べ』 『許された良いもの(halālantayyiban)』は目的語。属格を従えた前置詞(つまり、『(おまえたちに糧と与え給うた)もので(min mā)』)は、それにかかる状態の副詞的修飾句。

アッラーは、おまえたちの誓言における軽はずみに対してはおまえたちの責任を問い給わないが、おまえたちが誓言を締結したものにはおまえたちの責任を問い給う。その贖罪は、おまえたちが家族に食べさせるものの中くらいのものから十人の貧しい者に食べさせることか、彼らに一揃いの服を着せることか、奴隷一人を自由にすることである。ないものには三日間の斎戒である。これがおまえたちが誓った時の誓約の贖罪である。おまえたちの誓約を守れ。こうしてアッラーはおまえたちに彼の印を解明し給う。きっとおまえたちは感謝するであろう。(5:89)

『おまえたちの誓言における軽はずみ』 誓うつもりもなく、舌が滑って、誓言の形式になったもの。例えば、「アッラーに誓って、そうではない」とか「アッラーに誓ってそうだ」などの、人の言葉。

『おまえたちが誓言を』 それについて。意図して誓うことによって。

『締結したもの』 第2語根を撥音無しに原形で「aqadtum」と読む読誦法と、派生形第2形で撥音で「aqqadtum」と読む読誦法と、派生形第3形で第1語根を長母音で「‘ āqadtum」と読む読誦法がある(意味はどれもほぼ同じ)。

『その贖罪は』 誓約の。それを破った時の。

『おまえたちが家族に食べさせるものの』 そのうちからおまえたちが家族に食べさせるものの。

『中くらいのものから』 その最も標準的で、通常のものから。最高のものでも最低のものでもなく。

『十人の貧しい者に食べさせることか』 それぞれの貧者に、1ムッド(約675g)。

『彼らに一揃いの服を着せることか』 シャツ、ターバン、腰布など、「キスワ(衣類一式)」と呼ばれるもので。アル=シャーフィイーによると、上記のものを1人の貧者に支払うことは充分ではない。

『奴隷一人を』 つまり信仰者の。非限定を限定に解し、殺人やズィハール婚(「おまえは私の母の背のようなものだ」と言って妻を離縁すること)の贖罪の場合と同じである。

(信者の奴隷1人の解放が義務。アブー・ハニーファによると、ここでは「奴隷」は限定されていないので、不信者の奴隷の解放でも可。第4章[女]92節参照)。

『自由にすること』 解放。

『ないものには』 上記のうちのどれかが(食べ物、着物、奴隷が)。

『三日間の斎戒である』 贖罪が。外面的には(斎戒の)連続性は条件になっていない。アル=シャーフィイーはこれに依拠する。

アブー・ハニーファにおいては、殺人の贖罪からのキヤース(類推)によって(斎戒が)連続することが義務となる。

『これが』 上記のことが。

『おまえたちが誓った時の』 そしてそれを破った時の。

『おまえたちの誓約を守れ』 第2章[雌牛]にあったように、それ(破ること)が敬虔な行いや人々の間の和解にならない限り、誓約を破ることのないように。

破ることがより敬虔である場合とは、例えば、「ドゥハー(午前)の礼拝をしない」と誓った場合で、この場合には誓いを破って礼拝をした方がよい。また、「ハラーム(禁じられたこと)をする」と誓った場合には破ることが義務となるし、「マクルーフ(忌避行為)をする」と誓った場合も破ることがスンナである。また、「口を利かない」と誓った場合にも、争いを避けるために口を利くべきである。アブー・ムーサー・アル=アシュアリーによると、アッラーの御使いは言われた、「アッラーに誓って、私は何かを誓った後、それよりも良いことに気づいた時には必ずその誓いの(破約の)カッファーラ(償い)をし、そのより良いものをなした」。
『おまえたちの誓約を守れ』という命令のうちには、頻繁に誓うことの禁止も含まれる。

『こうして』 上記のことがおまえたちに明示したように。

『きっとおまえたちは感謝するであろう』 それ(恩恵)について彼に。

信仰する者たちよ、酒と賭け矢と立柱と占い矢は忌まわしいシャイターンの行いにほかならない。それゆえ、これを避けよ。きっとおまえたちは成功するであろう。(5:90)

『酒と』 『酒(al-khamr)』とは、理性を覆う(yukhāmir)酔わせるものである。

『賭け矢と』 賭博と。

『立柱と』 偶像。

「立柱(ansāb)」は「nasab ナサブ(または nusb)」の複数形で、崇拝のために立てられた偶像のことである。

『占い矢は』 神託を伺うための羽のない矢は。

『忌まわしい』 不潔で、汚らわしいもの。

『シャイターンの行いにほかならない』 彼(シャイターン)が美しく飾った(行い)。

『これを避けよ』 これらのものを表す『忌まわしいもの』を行うことを。

『信仰する者たちよ、アッラーがおまえたちに許した良いものを禁じ、法を乗り越えてはならない・・・』(第87節)、『アッラーがおまえたちに糧と与え給うたもので許された良いものを食べ・・・』(第88節)が下された時、彼らにとって酒と賭け矢は『良いもの』であったため、アッラーはこの節で、それらが良いもの、許されたものには含まれないことを明示し給うた。
『酒と賭け矢と立柱と占い矢』この節の目的は酒と賭博の禁止であり、立柱と占い矢が共に言及されているのは、酒と賭け矢がハラーム(禁じられたもの)であることを強調するためである。

シャイターンは酒と賭け矢によっておまえたちの間に敵意と憎しみを起こし、おまえたちをアッラーの唱念と礼拝から逸らそうとしているにほかならない。それでもおまえたちは止めないか。(5:91)

『シャイターンは酒と賭け矢によっておまえたちの間に敵意と憎しみを起こし』 おまえたちがそれらをする時に。そこには悪と誘惑が起こるため。

『おまえたちをアッラーの唱念と礼拝から』 唱念(ズィクル)が特記されているのは、それに対する敬意の表れである。

『逸らそうとしているにほかならない』 それらに夢中になることによって。

『それでもおまえたちは止めないか』 それらをすることから。つまり、止めろ。

疑問文の形を取っているが、意味は命令である。これだけ悪い点を述べればおまえたちは止めるか、それともまだ止めようとしないか、と言っているのであり、命令文よりも意味はさらに強い。預言者がウマルにこれを読み聞かせられると、彼は、「主よ、われらは止めました」と言った。

アッラーに従い、使徒に従い、警戒せよ。もしおまえたちが背を向けるなら、われらの使徒には明白な伝達が課せられているにすぎないことを知れ。(5:92)

『警戒せよ』 反逆を。

『もしおまえたちが背を向けるなら』 服従から。

『われらの使徒には明白な伝達が課せられているにすぎないことを知れ』 はっきりとした伝達が。そして、おまえたちの報いはわれらのすることである。

信仰し善行をなす者には食べたものについての罪はない。彼らが畏れ身を守り、信仰し、善行をなし、次いで畏れ身を守り信仰し、次いで畏れ身を守り、より良くするならば。アッラーは善を尽くす者を愛し給う。(5:93)

『信仰し善行をなす者には食べたものについての罪はない』 禁止の前に口にした酒など。また賭け矢も。

『彼らが畏れ身を守り』 禁じられたことを。

『次いで畏れ身を守り信仰し』 畏怖(タクワー)と信仰の上にしっかりと立ち。

『より良くするならば』 行いを。

『アッラーは善を尽くす者を愛し給う』 彼らに報償を与え給う、という意味である。

酒と賭け矢の禁止が下されると、教友は、「アッラーの御使いよ、われらの兄弟たちで酒を飲み、賭け矢で得た金で食べ、すでに死んでいる者はどうなるのか」と尋ねた。それに対してこの節が下された。
畏れ身を守り、信仰し、という表現が3回繰り返されているが、これは人生の初めにおいて、また中間において、そして終焉において、ということである。あるいは、懲罰を恐れて禁じられたことを避け、禁じられたことに落ち込むことを用心して疑いのあるものを避け、さらに許されたことも自分を卑しめることから身を守るために避けることであるとも考えられる。あるいはまた、これは自分自身との間で畏れ身を守ること、人との間で畏れ身を守ること、そしてアッラーとの間で畏れ身を守ることであるとも考えられる。

信仰する者たちよ、アッラーは必ずやおまえたちを、おまえたちの手や槍が狩る獲物のなんらかによって試み給う。それはアッラーが、誰が不在のまま彼を恐れるかを知るためである。その後に法を乗り越える者には痛烈な懲罰がある。(5:94)

『おまえたちの手や槍が狩る獲物の』 そのうち(手で狩る)小さなもの、そして(槍で狩る)大きなもののうち。

『なんらかによって』 彼(アッラー)がおまえたちに送り給う(なんらか)。これはフダイビーヤの遠征の時のことである。彼らはイフラーム(巡礼の禁忌状態)にあった。そこに野生動物と鳥が旅路にある彼らに向かってやって来たのであった。

『なんらかによって』とは、とるにたらないもの。なぜなら、イフラームにおける狩猟は安息日の漁同様、さしたる誘惑ではないからである。アッラーはムハンマドの民をその罪から守り給うたが、安息日の民は守られず、漁を行い、猿と豚に変えられた。

『試み給う』 試し給う。

『それはアッラーが、誰が不在のまま彼を恐れるかを知るためである』 そして、それを避けるかを(知るためである)。(『不在のまま(bi-al-gaybi)』は)状態の副詞的修辞句。つまり、いないところで。彼(アッラー)を見たことがないのに。

『不在のまま』は動詞『彼を恐れる』にかかる状態の副詞的修辞句。つまり、アッラーから不在の状態で彼を恐れる、ということである。しもべがアッラーから不在であるとは、至高なる御方を彼が見たことがない、という意味である。『不在のまま』を目的語(彼、つまりアッラー)にかかる状態の副詞的修辞句とする解釈もある。つまり、しもべからは不在の、つまり見えない御方であるのに、そのアッラーを恐れる者、ということである。

『その後に法を乗り越える者には』 その禁止の後に。狩猟をする者には。

信仰する者たちよ、おまえたちが禁忌の時には獲物を殺してはならない。おまえたちのうち意図的にそれを殺した者には、代償—おまえたちのうち公正な二人がそうと判定する彼の殺した家畜の等価物で、カアバに達した犠牲動物— 、あるいは、贖罪 —貧しい者への食べ物または斎戒でそれに相当するもの—。それは彼が自分の行為の悪い結果を味わうためである。アッラーは過去になしたことは許し給う。だが、繰り返す者にはアッラーは応報をなし給う。アッラーは威力並びなく、報復をなし給う御方。(5:95)

『おまえたちが禁忌の時には』 巡礼かウムラのイフラームの状態にある時には。

『代償』 『代償(jazā’un)』は不定名詞の語尾撥音(タヌウィーン)を伴う。それに続くもの(『・・・等価物』)は主格。つまり、彼には代償が課され、それは(以下のものである)。

『・・・彼の殺した家畜の等価物で』 形態が類似したもの。『等価物』を『報い』の属格として「jazā’u mithli(等価物の代償)」と読む読誦法もある。

『公正な二人が』 2人の男が。その2人には物に類似したものを量る聡明さがある。

『そうと判定する』 等価物と。イブン・アッバースとウマルとアリーはダチョウには雌カモシカが相当すると判定し、イブン・アッバースとアブー・ウバイダは野生の牛、野生ロバには雌牛が相当すると判定し、イブン・ウマルとイブン・アウフは小鹿には羊が相当すると判定した。また、イブン・アッバース、ウマル、その他の者は鳩について水の飲み方が似ているので羊が相当すると判定した。

『カアバに達した』 それを連れて(マッカの)聖域に至り、そこで屠り、それをそこの貧者に施すことである。(狩猟をした)その場で屠ることは認められない。対格になっているのは、帰属せしめられてはいても(īn udīfa)、その前の部分の形容だからである。なぜならばその帰属(idāfah)は文字上のものであって、限定名詞化を帰結しないからである。雀やイナゴのように獲物に相当する家畜がない場合には、それに相当する額が課せられる。

『犠牲動物』 『代償』の状態の副詞的修飾句。

『あるいは、贖罪』 代償でなければ。

『貧しい者への食べ物』 もしあるならば。その土地の主食から、代償の価値に相当するものをそれぞれの貧者に1ムッドずつ。『食べ物(ta‘ āmu)』(主格)を『贖罪』の属格として「kaffāratu ta‘āmi masākīna(貧しい者の食べ物の贖罪)」と読む読誦法もある。その場合、説明のための属格である。

『斎戒でそれに』 食べ物に。

『相当するもの』 等価のもの。それが課せられる。1ムッドにつき、1日斎戒する。食べ物がある場合は食べ物が課せられる。

『自分の』 自分のなした。

『悪い結果を味わうためである』 重い代償を。

『アッラーは過去になしたことは許し給う』 禁じられる以前の獲物の殺害は。

『繰り返す者には』 それ(獲物の殺害)を。

『アッラーは威力並びなく』 彼の御業において支配的で。

『報復をなし給う御方』 彼に反抗する者に。意図的に殺害することに関連したもので、過失についての言及はない。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2006年 アラブ イスラーム学院