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【第5章 食卓】
(5:1〜5:5)
 

マディーナ啓示。
120または122、または123節。

この章はアッラーの御使いがフダイビーヤから戻られた時に下された。この章の中には、別れの巡礼の時に下された節、『今日、われはおまえたちにおまえたちの宗教を完成させ・・・』(第3節)があり、マッカ開城の年に下された節、『信仰する者たちよ、アッラーの諸儀礼を解除してはならず・・・』(第2節)がある。(・・・)
この章はヒジュラ(聖遷)後に啓示されたものだが、そのうちいくつかはマッカにおいて啓示された。
この章はマディーナで下されたが、『今日、われはおまえたちにおまえたちの宗教を完成させ・・・』は別で、この節は別れの巡礼の際にアラファの地で下され、預言者はアラファでの説教でこの節を読まれ、「人々よ、食卓章はクルアーンの啓示の最後である。それが許したものを許し、それが禁じたものを禁じよ」と言われた。
(・・・)預言者が特にこの章についてそう言われたのは、そこにはクルアーンの他の章にない18の規定があるからだとも言われる。(・・・)

信仰する者たちよ、契約を果たせ。おまえたちには家畜の四足動物が許された。ただし、おまえたちに読み聞かせられるものは別で、禁忌の状態ではおまえたちは狩猟が許されない。まことにアッラーは御望みのままに定め給う。(5:1)

『契約を』 おまえたちの間の、また、アッラーと人間の間の固い約束を。

『契約( uqūd)』とは、紐の結び目(aqd)のように堅い約束のことである。

『おまえたちには家畜の四足動物が許された』 ラクダ、牛、羊が。屠殺した後で食べることが。

『おまえたちに読み聞かせられるもの』 、『おまえたちには死肉・・・』(第5章[食卓]3節)で禁止されたもの。

『・・・は別で』 『別で(illā)』はそこで文章を切った除外句である。「・・・ものであるものを(an yakūna)除き(許された)」と文章の繋がった除外句とすることも可能である。禁止は死肉など提示されたものに向けられる。

『禁忌の状態ではおまえたちは狩猟が許されない』 (巡礼の)イフラーム(禁忌)の状態では。『許されない(gaira muhillī)』の「gaira(ない)」が対格となっているのは、『おまえたちには』の代名詞の副詞的修飾句だからである。

『まことにアッラーは御望みのままに定め給う』 許すことなど。そして、それに異議を差し挟むことはできない。

信仰する者たちよ、アッラーの諸儀礼を解禁してはならず、聖月も、捧げ物も、首飾りも、主からの恩恵と御満悦を求めて聖なる館に身を寄せる者もいけない。おまえたちは禁忌を解いたら、狩猟せよ。聖なるマスジドからおまえたちを追放したことで民への憎しみがおまえたちに敵意を示すよう仕向けることがあってはならない。互いに善行と畏怖のために助け合い、罪と不正のために助け合ってはならない。アッラーを畏れ身を守れ。まことにアッラーは応報に厳しい御方。(5:2)

『アッラーの諸儀礼を』 『諸儀礼を(sha ‘ā’ir)』は「sha ‘ īrah」の複数形。つまり、彼の宗教の標識(導きの上にあることを証しするもの)を。

『解禁してはならず』 イフラームにおいて狩猟をすることによって。

多神教徒たちは巡礼を行い、犠牲を捧げていたため、ムスリムは彼らを襲撃しようとした。そこでアッラーはそれを禁じ給うた。
「sha ‘ ā’ir」とは、印をつけた犠牲のことであるとも言われる。ラクダのコブの平らなところを血が出るほど鉄棒で刺し、それを犠牲のラクダである印とした。そうすることはラクダと牛についてはスンナであったが羊については違った。

『聖月も』 その月に戦闘することによって。

『捧げ物も』 聖殿に家畜を捧げることを妨害することによって。

『首飾りも』『 首飾り(qalā’id)』は「qalādah」の複数形で、聖地の木の皮の首飾りによって首をくくられたもの(犠牲に捧げられる動物)のことである。そうすることによって、それは(危害から)安全なものとされた。つまり、そのため彼らはそれ(その犠牲動物)とその持ち主に手出しができなかった。

ジャーヒリーヤ(イスラーム以前の無明時代)のアラブ人は、聖地から外に出る時、自分と自分のラクダに聖地の木の皮をくくりつけることによって身の安全を確保し、誰も彼らに危害を与えることはなかった。そこで、アッラーは信仰者にこの行いを禁じ、聖地の木からなにかを剥ぎ取ることを禁じ給うた。

『主からの』 商売による。

『恩恵と』 糧と。

『御満悦を求めて』 そこ(聖地)を目指すことによって、彼(アッラー)からの。だが、それ(多神教徒が聖地を目指すことによってアッラーからの御満悦が得られると考えること)は、堕落した者たちの勝手な主張であった。

『聖なる館に身を寄せる者も』 そこを目指す者たちをも、彼らと戦うことによって。

『いけない』 (その不可侵を)解禁してはならない。これは、第9章によって破棄された。

聖なる月における戦闘を禁じた『・・・アッラーの諸儀礼を解禁してはならず、聖月も・・・』は、『・・・多神教徒たちは見つけ次第殺し・・・』(第9章[悔悟]5節)によって破棄され、聖なる館を目指す多神教徒の妨害を禁じた『・・・聖なる館に身を寄せる者もいけない』は、『・・・それゆえ彼らが聖なるモスクにこの年以降近づくことがあってはならない・・・』(第9章[悔悟]28節)によって破棄された。

『おまえたちは禁忌を解いたら』 (巡礼の)イフラームから。

『狩猟せよ』 許可を表す命令文である。

イフラームを解いた者に狩猟を義務付けるものではない。これは、『礼拝が終えたら、大地に散らばれ』(第62章[合同礼拝]10節)が許可を表す命令文であるのと同じである。

『おまえたちに・・・仕向けることがあってはならない』 おまえたちに・・・にさせることがあってはならない。

『追放したことで』 ・・・せいで。

『憎しみが』 憎悪が。「憎しみ」には、「ヌーン(n)」を母音「a」で「shana’ānu」と読む読誦法とヌーンを無母音で「shan’ānu」と読む読誦法がある。

『敵意を示すよう』 彼らに対して。殺害その他によって。

『善行』 なすようにおまえたちが命じられたことをなすこと。

『畏怖のために助け合い』 禁じられたことを避けることによって。

『罪と』 反逆と。

『不正のために』 アッラーの法を越えることのために。

『助け合ってはならない』 『助け合って(ta awanū)』は元の(動詞派生形第5形「tataawanū」の挿入文字)「ターゥ(t)」が省略されたもの。

『アッラーを畏れ身を守れ』 彼に従うことによって彼の懲罰を恐れよ。

『まことにアッラーは応報に厳しい御方』 彼に背く者に対し。

おまえたちには死肉、血、豚肉、アッラー以外のものに声を上げ捧げられたもの、絞め殺されたもの、打ち殺されたもの、投げ殺されたもの、角で殺されたもの、獣が食べたもの—ただし、おまえたちが止めを刺したものは別である— 、また、列石に対して犠牲として屠られたものは禁じられた。また、占い矢で神託を求めることも。それは違背である。今日、信仰を拒絶する者たちはおまえたちの宗教を諦めた。それゆえ彼らを恐れず、われを恐れよ。今日、われはおまえたちにおまえたちの宗教を完成させ、おまえたちにわれの恵みを全うし、おまえたちに対して宗教としてイスラームを是認した。罪に逸れたわけでなく空腹から余儀なくされた者、まことにアッラーはよく赦す慈悲深い御方。(5:3)

『おまえたちには死肉』 それを食べること。

『血』 つまり、流血。第6章[家畜](145節)にあるように。

『アッラー以外のものに声を上げ捧げられたもの』 彼以外の名において屠殺されたもの。

『声を上げ捧げられた(ahalla)』とは声を上げることで、多神教徒は犠牲の動物を屠る際に偶像の名を唱え、「アッラートとアル=ウッザーの名において」と言っていた。

『絞め殺されたもの』 絞め殺された死肉。

『打ち殺されたもの』 打って殺されたもの。

『投げ殺されたもの』 高いところから下に落ちて死んだもの。

『角で殺されたもの』 他のものの角によって殺されたもの。

『獣が食べたもの』 その一部。

『ただし、おまえたちが止めを刺したものは別である』 これらのもの(『絞め殺されたもの』以降の5つ)でも、息が残っているところにおまえたちが間に合い、おまえたちが屠殺したもの。

息があるかどうかの判断の決め手は、まばたきがある、尻尾が動く、などである。
『アッラー以外のものに声を上げ捧げられたもの』から『獣が食べたもの』までの6つは死肉の種類である。ジャーヒリーヤの時代にはこれらを食べていた。

『列石』 「列石(ヌスブ nusb)」とは、「nisāb(石柱)」の複数形で、(崇拝目的で立てられた)石のことである。

『・・・に対して犠牲として屠られたものは禁じられた』 ・・・の名前に対して犠牲として屠られた。

つまり、屠殺の時に偶像(に捧げること)を意図したものである。屠殺の時にその名は唱えなかったが、意図することによってそれを称えたのである。(『列石に対して』の)「・・・対して(alā)」とは「・・・のために(li)」という意味である。これは、前の文(『アッラー以外のものに声を上げ捧げられたもの』)の繰り返しではない。なぜなら、そちらは偶像の名を唱えたものであるが、こちらは屠殺の際に名を唱えずに偶像を称えることを意図したものだからである。

『占い矢で神託を求めることも』 占い矢によって運や決断を求めることも。

『占い矢( azlām)』とは、「zalam」と「zulam」の複数形で、羽もやじりもついていない小さな矢(qidh)のことで、7本あり、カアバの門番が保管していた。そこにはそれぞれ印があり、それに判断を求めた。そして、それが命じれば実行し、それが禁じれば、止めた。

『それは違背である』 服従行為からの逸脱である。

占い矢で神託を求めることはアッラーへの服従から外れた行為である。なぜなら、それは賭けのようなもので、見えない世界の知識に立ち入ることだからである。『・・・人は明日なにを稼ぐかを知らず・・・』(第31章[ルクマーン]34節)、『・・・見えない世界のことを知る者は天と地の間でアッラーのほかにない』(第27章[蟻]65節)とあるようにそれはハラーム(禁じられたこと)である。
『それは違背である』 イブン・アッバースによれば、これは占い矢にのみかかるが、前述部分すべてにかかるとも考えられる。

『今日・・・』 この部分は別れの巡礼のアラファの日に啓示された。

アッラーの御使いはこの日より81日生きられ、この後に啓示されたのは、『アッラーに帰される日を恐れよ・・・』(第2章[雌牛]281節)のみで、この後、21日生きられた。

『おまえたちの宗教を諦めた』 おまえたちが(イスラームの)信仰を捨てることを。彼らはそれを望んだが、その(イスラームの)力を見て(諦めた)。

『おまえたちの宗教を完成させ』 その(宗教の)規定と義務を。この節以降、ハラールとハラームに関する規定は下されなかった。

完成したということは、それ以降は規定や義務に関する啓示はもはや必要ないということである。(・・・)この宗教(イスラーム)は決して不完全だったことはない。至高なる御方は使徒を遣わされた最初の時点で、ある日において完全であるものが、その翌日には完全でないことを知っておられた。

『おまえたちにわれの恵みを全うし』 それを完成させることによって。一説によれば、安全にマッカに入城させることによって。

『おまえたちに対して宗教としてイスラームを是認した』 つまり、選んだ。

ユダヤ教徒のある男がウマル・ブン・アル=ハッターブに言った、「信者の長よ、あなたがたが読むあなたがたの啓典の節のひとつは、もしそれがわれらユダヤ教徒に下されていたら、われらはその日を祭日としたであろう」。それはどの節か、と尋ねると彼は言った、「『今日、われはおまえたちにおまえたちの宗教を完成させ、おまえたちにわれの恵みを全うし・・・』である」。ウマルは言った、「われらはこれが預言者に下された日と場所を知っている。彼はアラファの丘に立ち、金曜のアスル(昼下がりの礼拝時刻)の後であった」。ウマルは、その日がわれらの祭りの日であり、祭りの場であると言わんとしたのである。
この節が下されると、ウマルは泣いた。預言者が彼に、「ウマルよ、どうして泣くのだ」と尋ねられると、ウマルは、「われらはわれらの宗教の増加の途中にあったが、それは完成してしまった。そして、完成したものは欠けずにはすまない」と言った。すると、アッラーの御使いは、「おまえは正しい」と言われた。この節はアッラーの御使いの死が近いことを告げるものであった。実際、彼はこの後21日しかこの世に留まられなかった。

『罪に』 反逆に。

『逸れたわけでなく』 傾いたわけでなく。

『空腹から余儀なくされた者』 空腹から、禁じられたものを食べることを余儀なくされ、それを食べた者。

『まことにアッラーはよく赦す』 彼に対し、彼が食べたことを。

『慈悲深い御方』 彼にはそれを許可し給うことにおいて。ただし、罪に傾いた者、つまり、それに染まった者、例えば、追いはぎや、不正な者などは別で、そのような者には(飢えても)それらを食することは許されない。
これと同種の文節は第2章[雌牛]173節、第6章[家畜]145節、第16章[蜜蜂]115節にもあるが、条件節の帰結節(『それは彼の罪にはならない』)があるのは第2章173節だけで、ほかの節はそれが隠れている。それ(その隠れた帰結節)は「それは彼の罪にはならない」である。

彼らは、なにが彼らに許されているかをおまえに問う。言え、おまえたちには良いものと、捕食動物のうちおまえたちが教え込み、アッラーがおまえたちに教え給うたものから教え込んで調教の済んだものが許された。それらがおまえたちに捕らえたものは食べ、それにアッラーの御名を唱えよ。アッラーを畏れ身を守れ。まことにアッラーは清算に素早い御方。(5:5)

『彼らは・・・おまえに問う』 ムハンマドよ。

『なにが彼らに許されているかを』 食べ物のうち。

『良いものと』 おいしいものと。

『捕食動物のうち』 犬、肉食獣(例えばヒョウ)、鳥(例えば、鷹)などの狩猟動物のうち。

アブー・ラーフィウは言った、「ジブリールが預言者の許に訪れ、(家に入る)許しを乞うた。彼はジブリールに許しを与えられたが、彼は家に入らなかった。そこで、預言者は言われた、『アッラーの使徒よ、私は入る許可をあなたに与えました』。すると、ジブリールは言った、『確かに。だが、私は犬のいる家には入らないのである』。そこで、彼は私にマディーナにいる犬をすべて殺すよう命じられ、私はそうしたが、ある女の家に行くと、犬がいて彼女に吠えていた。それで彼女がかわいそうになってそれを見逃した。私はアッラーの御使いの許に行って、それを告げると、彼はその犬も殺すよう命じられた。そこで私は戻ってそれを殺した。それから人々がアッラーの御使いの許を訪ね、『アッラーの御使いよ、犬を殺すようあなたが命じられたこのウンマのわれらにはなにが許されているのか』と尋ねた。すると、アッラーの御使いは黙られ、アッラーはこの節を下し給うた」。
アブー・フライラによると、アッラーの御使いは言われた、「犬を飼う者は、毎日彼の行いから1キーラート(カラット)を損なう。ただし、耕作犬や牧羊犬は別である」。また、ムスリムによると、アッラーの御使いは言われた、「猟犬、牧羊犬、耕作犬でない犬を持つ者は毎日報奨を2キーラート損なう」。

『アッラーがおまえたちに教え給うたものから』 狩猟の作法から。

『・・・教え込んで』 『調教の済んだ』の代名詞(「-hunna」)の状態の副詞節。つまり、おまえたちはそれらをしつける。

『調教の済んだ』 (『おまえたちが教え込み』にかかる)状態の副詞的修飾句。『調教の済んだ(mukallibiīn)』とは、動詞派生形第2形「犬(kalb)が調教を受けた(kullibat)」の受動分詞複数形対格。つまり、おまえが狩猟に放った。

『・・・ものが許された』 その獲物が。

『それらがおまえたちに捕らえたものは食べ』 たとえそれらがそれ(獲物)を殺したとしても、それを食べていないならば。一方、調教されていないものであれば、その獲物は許されない。その(調教されているかどうかの)印は、放てば飛んでいき、呼び止めれば止まり、獲物を捕らえても食べないものである。それを見分ける最低の回数は3回である。それらがそれ(捕らえた獲物)から食べたら、それは主人のために捕えたものではないので食べることは許されない。(アル=ブハーリーとムスリムの)正ハディース集にある通りである。それによると、弓矢による狩猟も、アッラーの御名を唱えて放てば、調教された狩猟動物による狩猟と同じである。

『それにアッラーの御名を唱えよ』 それを放つ時に。

イブン・アッバースによれば、これは動物を放つ時に「ビスミッラー(アッラーの御名において)」と言うことであり、それを言い忘れたとしても罪にはならない。アッラーの御使いは言われた、「もしおまえがおまえの犬を放ち、アッラーの御名を唱えれば、食べよ」。『それ』とは調教した動物を指す。あるいは、それは動物が捕えた獲物を指すとも考えられる。つまり、捕えた獲物をおまえたちが殺す時に「ビスミッラー」と言え、ということである。あるいは、これは、食べる時に「ビスミッラー」と言うことであるとも言われる。

今日、おまえたちに良いものは許された。啓典を授けられた者たちの食べ物はおまえたちにとって許され、おまえたちの食べ物は彼らに許された。また、信者のうち淑女とおまえたち以前に啓典を授けられた者のうち淑女も。もし、おまえたちが彼女らに彼女らの報酬を与え、おまえたちが貞潔で、放蕩でなく、また愛人を持つのでなければ。信仰を拒絶する者は己の行為を無駄にしたのであり、彼は来世で損失者のひとりとなる。(5:5)

『良いものは』 おいしいものは。

『啓典を授けられた者たちの食べ物は』 つまり、ユダヤ教徒とキリスト教徒が屠殺したものは。

『おまえたちの食べ物は彼らに』 彼らへの。

この意味は、おまえたちがおまえたちの食べ物から彼らに食べさせることは、おまえたちには許された、ということである。

『許された』 合法である。

『おまえたち以前に啓典を授けられた者のうち淑女も』 おまえたちが彼女らと結婚することは、おまえたちに許された。

『淑女』 自由人女性。

『彼女らの報酬を与え』 彼女らのマフル(婚資)を。

『おまえたちが貞潔で』 結婚し(つまり、結婚を望み)。

『放蕩でなく』 彼女らと公然と姦通を犯す者(でなく)。

『また愛人を持つのでなければ』 彼女らから。彼女らと密かに姦通を犯す(のでなければ)。

『信仰を拒絶する者は』 つまり、棄教した者は。

『己の行為を無駄にしたのであり』 それ以前の善行を。それは計算に入れられず、それに対し報いられることはない。

『彼は来世で損失者のひとりとなる』 その状態で死んだならば。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2006年 アラブ イスラーム学院