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【第4章 女】
(4:155〜4:170)
 

だが、彼らの約束の破棄のゆえに、そしてアッラーの印の拒絶、不当に預言者を殺したこと、「われらの心は覆われている」という言葉ゆえに。いや、アッラーが彼らの不信仰ゆえにそれを封じ給い、それで彼らはわずかしか信じないのである。(4:155)

『彼らの約束の破棄のゆえに』 「mā(の)」は虚字。前置詞「バーゥ(b)」(「bi-(・・・ゆえに)」)は理由の「バーゥ」であり、それは省略された句「彼らの破約ゆえにわれらは彼らを呪った」にかかっている。

第5章[食卓]13節に、『だが、彼らの約束の破棄ゆえにわれらは彼らを呪い・・・』とある。

『われらの心は覆われている』 おまえの言葉を理解しない。

『・・・という言葉』 預言者に向けた。

『不信仰のゆえに』 それゆえ訓戒を理解しないのである。

『それを封じ給い』 (ユダヤ教徒の心を)封印し給い。

『それで彼らはわずかしか信じないのである』 彼らのうちの。例えば、アブドッラー・ブン・サラームと彼の仲間など。

『わずかしか』 とは、わずかな信仰しか、あるいは、わずかな期間しか、という意味でもありうる。

また、彼らの不信仰、マルヤムに対する酷い中傷の言葉ゆえに。(4:156)

『彼らの不信仰』 第2に(第1はムーサーと律法の書に対する)。イーサーに対する。前置詞「バーゥ」(「bi-(・・・ゆえに)」)が繰り返されているのは、これとその同格のもの(第155節の「破棄のゆえに」)との間に挿入句(つまり『いや、アッラーが彼らの不信仰ゆえにそれを封じ給い・・・』)があるせいである。

『マルヤムに対する酷い中傷の言葉』 彼女に姦通の罪を着せた時の。

彼らは、アッラーには父親なしに子供を創ることが可能であることを認めなかった。

「われらはマスィーフ・イーサー、マルヤムの子、アッラーの使徒を殺した」という言葉ゆえに。だが、彼らは彼を殺したのでも、磔にしたのでもなく、彼らは彼と混同させられたのである。まことにこのことについて見解を異にする者はそれについて疑念のうちにある。彼らにはそれについての知識はなく、ただ憶測に従っていただけである。彼らは確かに彼を殺しはしなかった。(4:157)

『われらはマスィーフ(メシア)・イーサー、マルヤムの子、アッラーの使徒を殺した』 彼らの主張によれば。

彼らは、イーサーのことを魔女の息子で魔法使いだ、と言っていたが、嘲笑のためにここでは、「アッラーの使徒」と呼んでいる。

『・・・という言葉ゆえに』 つまり、それらすべてゆえにわれらは彼らを懲らしめた。

以上の前置詞「・・・ゆえに( bi-)」にかかる7つの属格名詞のすべては、省略されている動詞「われらは彼らを懲らしめた」、あるいは「われらは行った」、あるいは「われらは彼らを呪った」にかかっている。

『だが』 至高者は彼(イーサー)の殺害について、彼らを否定して仰せられた。

『彼らは彼を殺したのでも、磔にしたのでもなく、彼らは彼と混同させられたのである』 殺害され、磔にされた者をイーサーと。それは彼らの仲間であった。アッラーがその者に彼の似顔を付与し給うたため、彼らは彼をイーサーだと思ったのである。

『このことについて』 イーサーについて。

『それについて疑念のうちにある』 彼の殺害について疑いのうちにある。それで、ある者は殺された者を見て、「顔はイーサーの顔だが、体は彼の体ではない。彼はイーサーではない」と言い、またある者は、「いや、これは彼だ」と言った。

『それについての知識はなく』 彼の殺害についての。

『ただ憶測に従っていただけである』 接続詞「illā(ただ)」は前文と断絶した除外表示。つまり、「しかし、彼らはそのことでは彼らの想像による思い込みに従っていただけである」。

『確かに』 殺害の否定を強調するための状態の副詞的修飾句。

また、「殺す」にかかるものとして、彼らはイーサーであることに確信をもって彼を殺したわけではなかった、と分析することも可能である。
イブン・アッバースによると、ユダヤ教徒の一団がイーサーと彼の母を罵り、彼が彼らに対して祈ると、アッラーは彼らを猿と豚に変化させ給うた。そこでユダヤ教徒は彼を殺すために集まり、アッラーは彼に、彼を天に召し上げることを告げ給うた(アル=ナサーイーの伝える伝承)。
アル=ダッハークによると、ユダヤ教徒の学者たちはイーサーの殺害を企んだ時、12弟子たちは部屋に集まった。イーサーは部屋の明りとりから中に入り、それをイブリースがすべてのユダヤ教徒たちに伝えた。そこで4万人の男が来て、部屋の扉に迫った。すると、イーサーは弟子たちに、「あなたがたのうち誰が外に出て、殺され、楽園で私と共にいる者となるか」と言った。すると、一人が、「私がなりましょう、アッラーの預言者よ」と言った。そこでイーサーは彼に羊毛の上着とターバンを与え、杖を渡した。そして、アッラーは彼にイーサーの似顔を与え給うた。そこで彼は外に出ると、ユダヤ教徒たちは彼を殺し、磔にした。一方、アッラーはイーサーに見事な服を着せ、光をまとわせ、飲食の欲望を断ち、彼は天使と共にいる者となった。
あるいは、身代わりになったのは彼の信者を装っていたユダヤ教徒の男で、人々がイーサーを殺そうとした時、彼は、「私があなたがたにイーサーを教えよう」と言って、イーサーの家に入ると彼に挨拶をした。すると、その偽信者にイーサーの似顔が与えられ、人々は彼の許に押し入り、彼をイーサーと取り違えて殺した。

そうではなく、アッラーが彼を彼の御許に召し上げ給うたのである。アッラーは威力比類なく、英明なる御方であらせられた。(4:158)

『アッラーは威力比類なく』 彼の主権において。

『英明なる御方であらせられた』 御業において。

だからこそ、イーサーを天に召し上げ給うたのである。人間にはそのようなことはできないが、アッラーの御力と英知にとっては困難ではない。

啓典の民で彼の死の前に彼を信じない者はない。そして、審判の日、彼は彼らの証人となる。(4:159)

『彼の死の』 啓典の民の。死の天使を目にした時に。その時、信仰は彼の役に立たない。

シャフル・ブン・ハウシャブは言った。ユダヤ教徒に死が訪れると、天使たちが彼の顔と背を叩き、言う、「アッラーの敵よ。おまえに預言者イーサーが訪れたが、おまえは彼を嘘と否定した」。すると、彼は言う、「私は、彼がアッラーのしもべであり、使徒であることを信じた」。また、キリスト教徒には言われる、「おまえに預言者イーサーが訪れたが、おまえは彼を神と言い、神の子だと言った」。すると、彼は言う、「私は彼がアッラーのしもべであると信じた」。こうして、啓典の民はそれを信じるが、その時にはその信仰は彼らの役には立たない。
あるいは、イーサーの死の前に。ハディースにあるように、最後の時が近づき、彼が降臨した時に。
イブン・アッバースによると、『彼の死の前に』とは、イーサーのことで、これは最後の時に彼が空から下った時のことである。その時、2つの啓典の民の誰もがイーサーを信じる。そして、宗派は1つとなる。それは、イスラームの宗派である。

『彼を』 イーサーを。

『信じない者はない』in(ない)」は否定詞「mā」の意味。誰もいない。

『審判の日、彼は』 イーサーは。

『彼らの証人となる』 彼が彼らの許に送られた時に、彼らがなにをしたかの。

それから、戻った者の一部の不正ゆえにわれらは彼らに許されていた良いものを禁じた。また、彼らがアッラーの道について多く妨害したがゆえに。(4:160)

『戻った者の』 それはユダヤ教徒である。

つまり、彼らは子牛の崇拝から悔い改めて戻った。

『不正ゆえに』 不正が原因で。

『われらは彼らに許されていた良いものを禁じた』 律法の書の中で。これは、第6章[家畜]146節に言及されるものである。『ユダヤ教徒にわれらはすべての爪のあるものを禁じ、牛と羊はその脂を禁じた』

ユダヤ教徒が反逆行為をなす度に、それ以前には許されていた良いものをアッラーは1つずつ懲罰として禁じ給うた。それでも彼らは、「それが禁じられたのはわれらが最初ではない。イブラーヒーム、ヌーフ、そして2人の後の者たちに禁じられたのがわれわれに伝わっただけである」と虚偽を語った。そこでアッラーは彼らの嘘を暴き、『すべての食べ物はイスラーイールの子孫に許されていた、律法が下される以前にイスラーイールが自分に禁じたもの以外は。言え、「律法を持って来てそれを読め。おまえたちが正しければ」』(第3章[イムラーン家]93節)を啓示し給うた。

『アッラーの道』 彼の宗教。

『多く』 多くの妨害で。

「多く」には3つの解釈がある。
もっとも明解なものによれば、それは目的語である。つまり、「多くの人々、集団、一群」を妨害した、ということである。
また、それは同属目的語の動名詞の対格だとも言われる。つまり、「多くの妨害によって妨害した」の意味(『タフスィール・アル=ジャラーライン』説)。
あるいは時の副詞句で、多くの期間にわたって、の意味である。

『妨害したがゆえに』 人々に対して。

また、彼らの利子の搾取ゆえに。だが、それは禁じられたものであった。また、人々の財産を偽って貪ったがゆえに。われらは彼らのうち不信仰者には痛烈な懲罰を用意した。(4:161)

『それは禁じられたものであった』 律法の書の中で。

『人々の財産を偽って貪ったがゆえに』 裁判における収賄によって。

『痛烈な懲罰を』 痛みを与える。

だが、彼らのうち知識に精通した者、おまえに下されたものとおまえ以前に下されたものを信じる者—礼拝を守る者である— 、そして、法定喜捨を払う者、アッラーと最後の日を信じる者、それらの者にはわれらがいずれ大きな報酬を与えよう。(4:162)

『知識に精通した者』 確かな者。アブドッラー・ブン・サラームのように。

『おまえに下されたものとおまえ以前に下されたものを』 諸啓典を。

『信じる者』 ムハージルーン(マッカからマディーナに移住した者)とアンサール(マディーナで彼らを迎え、助けた者)。

啓典の民の中の信仰者であるとも言われる。

『礼拝を守る者である』 称賛の対格。主格として「muqīmūna」と読む読誦法もある(意味は同じ)。

『おまえに下されたもの』と同格で接続されており、その意味するところは、預言者たちであるとも言われる。

『それらの者にはわれらがいずれ・・・与えよう』 一人称複数の接頭辞「ヌーン(n)」で「sa-nutī-him(われらは彼らにいずれ与える)」と読む読誦法と、三人称単数の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「sa-yutī-him(彼は彼らにいずれ与える)」と読む読誦法もある。

『大きな報酬を』 それは楽園である。

まことにわれらは、おまえに啓示した。ちょうどわれらが、ヌーフと彼以降の諸預言者に啓示したように。また、イブラーヒーム、イスマーイール、イスハーク、ヤゥクーブ、その子孫たち、イーサー、アイユーブ、ユーヌス、ハールーン、そしてスライマーンに啓示した。また、われらはダーウードに詩篇を授けた。(4:163)

イブン・アッバースによると、ミスキーン・ワアディー・ブン・ザイドが言った、「ムハンマドよ、われらはアッラーがムーサー以降の人間になにかを啓示し給うたことを知らない」。それに対してこの節が下された。あるいは、これは、啓典の民がアッラーの御使いに天から啓典を一度に下すように求めたことに対する返答である。
つまり、ユダヤ教徒たちよ、おまえたちはこの節に言及された預言者たちのことを認めるであろう。アッラーは彼らの誰ひとりに対しても一度に啓典を啓示し給うたことはなかった。そのことが彼らの預言者性を損ねるものでないのに、どうしてムハンマドについてはそれが彼の預言者性を損ねるものとなるのか、と問い掛けているのである。

『また、・・・スライマーンに啓示した』 また、ちょうど・・・スライマーンに啓示したように(おまえに啓示した)。

『ヌーフと』 ヌーフから言及が始まっているのは、彼が聖法を携えて遣わされた最初の預言者であり、多神教に対する最初の警告者だからである。アッラーはヌーフに10の書き物を与え給うた。彼の民は、預言者の呼びかけを拒んで懲罰を受け、滅ぼされた地上で最初の民であった。ヌーフはアーダム同様、人類の祖である。彼は預言者の中で最も長生きし、1000年生き、少しも衰えを見せず、白髪にならず、歯も抜けず、長い生涯にわたって自分の民からの迫害に耐えた。

『イブラーヒーム、イスマーイール、イスハーク』 (後者2人は)彼(イブラーヒーム)の2人の息子である。

『ヤゥクーブ』 イスハークの息子。

イブラーヒームはターリフの息子で、彼の後、息子のイスマーイールが遣わされ、彼はマッカで死に、その後彼の兄弟であるイスハークが遣わされた。彼はシリアで死に、次いで、ヤゥクーブが遣わされた。

『その子孫たち』 彼の子供たち。

ヤゥクーブの子12人で、預言者にして使徒であったユースフはその一人であったが、そのほかについては見解が分かれる。

『イーサー、アイユーブ、ユーヌス、ハールーン、そしてスライマーンに啓示した』 それから、ユースフ・ブン・ヤゥクーブ、シュアイブ・ブン・ヌアイブ、それから、フード・ブン・アブドッラー、サーリフ・ブン・アーシフ、そして、イムラーンの息子の兄弟ムーサー、ハールーンが遣わされた。それから、アイユーブ(ヨブ)、アル=ヒドゥル、ダーウード・ブン・イーシャー、スライマーン・ブン・ダーウード、ユーヌス、イリヤース(エリヤ)、ズー・アル=キフル(エゼキエル)が遣わされた。ムーサーとマルヤムの間には1700年(第3章[イムラーン家]の冒頭の説明では1800年)の隔たりがある。
アル=ズバイル・ブン・バッカールによると、クルアーンに言及された預言者は、イドリース(エノク)、ヌーフ、フード、ルート(ロト)、サーリフを除きみなイブラーヒームの子孫で、アラブ人の預言者はフード、サーリフ、イスマーイール、シュアイブ、そしてムハンマドの5人だけである。この5人のほかはアラビア語を話さなかったということである。

『ダーウードに』 彼(スライマーン)の父である。

『詩篇を授けた』 第1語根を母音「u」で「zabūr(詩篇)」と読めば(ダーウードに)授けられた書の名前であるが、「zubūr」と第1語根を母音「u」で読むと、書き写されたもの、という意味の動名詞である。つまり、書かれたものである。

ザブールは150の章からなり、そこには法規定についての言及はなく、ただ、アッラーへの賛美と警告があった。

また、われらがすでにおまえに語った使徒たちと、まだおまえに語っていない使徒たちを。また、アッラーはムーサーに言葉を語りかけ給うた。(4:164)

『またわれらがすでにおまえに語った使徒たちと、まだおまえに語っていない使徒たちを』 われらは遣わした。伝承によれば、至高なる御方は、8000の預言者、4000をイスラーイールの子孫から、また、4000をその他の人々から遣わし給うた。第40章[ガーフィル](78節)でシャイフ(アル=ジャラール・アル=マッハッリー)はそう言っている。

つまり、使徒の数はこの述べられた数だということだが、有名な説と異なる。それで、解説者はこの言葉を自分とは無関係であるとしている。
有名な伝承では、預言者は12万4千、あるいは22万4千人で、そのうち使徒は330、あるいは340、あるいは350人である(cf., al=Sāwī, Hāshiyah al=Sāwī, vol.1, p.259)。

『アッラーはムーサーに言葉を語りかけ給うた』 仲介なしに。

吉報伝達者であり警告者である使徒たちで、それは、使徒たちの後で人々にアッラーに対して異議のないようにするためである。アッラーは威力比類なく、英明なる御方であらせられた。(4:165)

『吉報伝達者であり』 信仰する者の報償の。

『警告者である』 信仰を否定する者の懲罰の。

『使徒たちで』 前節の『使徒たちを』の言い替え。

『それは』 われらが彼らを遣わしたのは。

『使徒たちの後で』 (使徒たちの)彼らへの派遣の(後で)。

『異議の』 申し立てられる異議の。

『ないようにするためである』 「われらの主よ、もしあなたがわれらに使徒を遣わし給うていれば、われらはあなたの印を信じ、信仰者となったでしょう」と彼らは言ったであろう。そこで、われらは彼らの弁明を断つために彼ら(使徒)を送ったのである。

『われらがそれ以前に彼らを滅ぼしていたら、彼らは、「主よ、どうしてあなたはわれらに使徒を送り給わなかったのか。そうであればわれらは屈辱を被る前にあなたの印に従ったでしょうに」』(第20章[ターハー]134節)とある通りである。
これは、もし使徒が遣わされていなければ、唯一神信仰を退け、服従行為をしない言い訳となるということであり、また、アッラーは使徒を遣わし給うた後でなければ被造物に懲罰を加え給うことはないということである。アッラーは仰せられた、『われらは使徒を遣わすまでは懲罰を与える者ではない』(第17章[夜の旅]15節)。この節は、スンナ派の信奉者にとっては、アッラーを知ることは啓示の伝承によらなければ確定しないことを裏付けるものである。なぜならば『使徒たちの後で人々にアッラーに対して異議のないように』との御言葉は、使徒の派遣以前には諸々の服従行為と崇拝行為を退ける根拠があることを示しているからである。
「どうして使徒が遣わされる前には言い訳が立つのか。創られた者には、神の存在とその唯一性に至らざるを得ない根拠(すべてのものにはアッラーの唯一性を証しする印がある)が証明済みであるのに」と問われたら、こう答えよう、「使徒とは、そうしたアッラーの唯一性を裏付ける根拠を考察するよう被造物(人間)に注意を促し、動機付けを与え、それを明白にする者であり、また、アッラーと創られた者との媒介役を果たし、しもべに課せられたアッラーの律法を解明し、便りを彼らに伝える者である」。

『アッラーは威力比類なく』 彼の主権において。

『英明なる御方であらせられた』 彼の御業において。

だが、アッラーはおまえに啓示し給うたものによって証言し給う。彼はそれを御自分の知識と共に啓示し給うた。そして、天使たちも証言する。証言者としてはアッラーで十分であらせられた。(4:166)

ユダヤ教徒たちが彼の預言者性について尋ねられ、それを否認したことに対して啓示し給うた。

この文は、訂正文であるので、訂正を要する省略された文がなければならない。その省略された文とは、『まことにわれらは、ヌーフと彼以降の諸預言者に啓示したように、おまえに啓示した・・・』が啓示された時に彼らが言ったと伝えられる「われらは決してそのようなことは証言しない」という文である。それに対して、『だが、アッラーは・・・証言し給う』が下された。これは、「彼らは証言しない。だが、アッラーは・・・証言し給う」という意味である。
イブン・アッバースによると、アッラーの御使いがユダヤ教徒の一団の許に行き、「アッラーに誓って、あなたがたが私がアッラーの使徒であることを知っていることを、私は知っている」と言われると、彼らは、「そのようなことは知らない」と言った。それに対してこの節が啓示された。
同じく、イブン・アッバースによると、マッカの長たちがアッラーの御使いの許に来て、「ムハンマドよ、われらはユダヤ教徒に彼らの啓典のうちにあるおまえとおまえの記述について尋ねたが、彼らはおまえのことは知らない、と答えた」と言った。すると、この節が啓示された。
つまり、たとえこれらのユダヤ教徒たちが、ムハンマドよ、おまえを否認し、われらがおまえに下したものを否定し、「アッラーは人には何も啓示し給わない」と言ったとしても、彼らは嘘をついているのであり、アッラーがおまえの預言者性を証言し給う、という意味である。

『おまえに啓示し給うたものによって』 奇跡のクルアーンによって。

アッラーによる証言とは、クルアーンという奇跡、昔の人々から後世の人々にいたるまで真似の出来ない、それと同じようなものを持ってくることのできない、ずばぬけた雄弁さをもった書を下すという方法によるものであった。

『証言し給う』 おまえの預言者性について明らかにし給う。

『それを御自分の知識と共に』 つまり、それについて知り尽くして。あるいは、その(クルアーンの)中には彼の知識がある。

『啓示し給うた』 (「知」の属性を)帯びて。

アッラーは、誰も知らない、どんな雄弁な者も真似のできない文体でクルアーンを啓示し給うた。あるいは、啓示を受ける者がどういう状態にあるかを知った上で、彼が聖なる光を受ける準備ができていることを知った上でクルアーンを啓示し給うた。
この場合、『御自分の知識と共に』は、主体の状態を表すものである。あるいは、人間の現世と来世のために必要なものの知識が詰まったクルアーンを啓示し給うた。この場合、『御自分の知識と共に』は『それ』にかかる。

『天使たちも証言する』 おまえに対して。(彼らも)また。

『証言者としては』 そのことの。

まことに拒絶し、アッラーの道について阻害する者は遠く迷い去ったのである。(4:167)

『拒絶し』 アッラーを。

『アッラーの道について』 イスラームの教えについて。

『阻害する』 人々を。ムハンマドの記述を隠蔽することによって。

『・・・者は』 つまり、ユダヤ教徒は。

『遠く迷い去ったのである』 真理から。

まことに拒絶し、不正をなす者、アッラーは彼らを赦し給わず、彼らを道に導き給うこともない。(4:168)

『まことに拒絶し』 アッラーを。

『不正をなす者』 彼(アッラー)の預言者に対し。彼の記述を隠すことによって。それはユダヤ教徒である。

『彼らを道に導き給うこともない』 様々な道の中で。

ただ火獄の道のみで、彼らはそこに永遠に住まう。それはアッラーには容易いことであった。(4:169)

『ただ火獄の道のみで』 つまり、そこに至る道のみで。

『彼らはそこに』 一旦入ったが最後。

『永遠に住まう』 永遠(に留まること)が定められている。

多神崇拝の状態で死んだ者に。『まことにアッラーは彼に同位の者を置く者を赦し給わない』(第4章[女]48節)。

『それはアッラーには容易いことであった』 取るに足らないこと。

人々よ、使徒がおまえたちの許におまえたちの主から真理と共にやって来た。それゆえ、信仰せよ。おまえたちにとってより良い。もしおまえたちが拒絶しても、まことにアッラーに天と地にあるものは属す。アッラーは全知にして英明なる御方であらせられた。(4:170)

『人々よ』 つまり、マッカの住民よ。

『人々よ』という呼びかけは大概の場合、マッカの住民に向けられ、「信仰する者たちよ」という呼びかけは、マディーナの住民に向けたものであるが、教訓はその言葉の意味するところであり、普遍的である。

『使徒がおまえたちの許に』 ムハンマドが。

『信仰せよ』 彼を。

『真理と共に』は、真理を帯びた使徒が、または真理と共に語る使徒が、と『使徒』の状況説明と考える説と、真理の樹立のために、と『やって来た』にかかるものと考える説がある。
『おまえたちの主から』は、『真理』にかかるとする説と、『やって来た』にかかるとする説がある。つまり、彼はアッラーから遣わされた預言者であって、自称の預言者ではない、ということである。

『おまえたちにとってより良い』 ・・・ことを意図せよ。おまえたちの今の状態よりも。

『より良い』は目的語で、動詞「そして、もたらせ」、「そして、なせ」などが省略されていると考えられる(そして、おまえたちにとってもっと良いことをもたらせ)。なぜなら、『信じよ』にはつながらないからである。あるいはまた、『より良い』は述語であり、「それは・・・のである」が省略されているとも考えられる(「信じよ、それはおまえたちにとってもっと良いのである」)。または、それは同属目的語の動名詞の形容詞で「信仰」が省略されているとも考えられる(「おまえたちにとってより良い信仰で信じよ」)。

『アッラーに天と地にあるものは属す』 所有物として、被造物として、しもべとして。それゆえ、おまえたちの不信仰は彼を害することはない。

『アッラーは全知にして』 彼の被造物について。

『英明なる御方であらせられた』 彼らに対する御業において。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2006年 アラブ イスラーム学院