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【第4章 女】
(4:92〜4:101)
 

信仰者には信仰者を殺すことがあってはならない。ただし過失は別である。過失により信仰者を殺した者は信仰ある奴隷を自由にすることと、彼の遺族に手渡す血の代償である。ただし、遺族が免じる場合は別である。もしそれがおまえたちの敵の民の者で、信仰者であれば、ひとりの解放。また、もしそれがおまえたちとの間に盟約のある民の者であれば、遺族に手渡す血の代償と信仰ある奴隷を自由にすることである。それがない者は連続二ヵ月の斎戒である。アッラーからの恩顧として。アッラーは全知にして英知ある御方であらせられた。(4:92)

『信仰者には信仰者を殺すことがあってはならない』 彼に彼(信仰者)の殺害が起こるようなことはあるべきでない。

『ただし過失は別である』 意図せず、誤って殺した場合は。

『過失により信仰者を殺した者は』 獲物や木など彼以外のものに矢を投げたらそれが彼に当たってしまったり、普通なら人を殺さないもので彼を殴ることによって。

『信仰ある奴隷を』 ひとり。

『自由にすることと』 解放と。

『彼の遺族に』 死者の相続者に。

『手渡す』 支払う。

『血の代償である』 彼に課せられる。

『遺族が免じる場合は別である』 遺族が支払いを免じることによって彼に喜捨を施した場合は。
スンナによれば、血の代償は100頭のラクダで、その内訳は子ラクダ20頭、同数の2才ラクダの雄、雌、3才ラクダ、そして4才ラクダである。これは、殺人者の血の代償を払う者、すなわち父方の血縁者に課せられる。ただし、分割払いの場合は、金持ちなら半ディーナールずつ3年間、中くらいの者なら毎年4分の1ディーナール支払い、彼らがそれを果たさなければ、バイト・アル=マール(国庫)より支払う。また、できない場合は、殺人者にそれが課せられる。

『もしそれが』 殺された者が。

『おまえたちの敵の民の者で』 戦争における敵の。

『信仰者であれば、信仰ある奴隷ひとりの解放である』 彼を殺した者には。贖罪として。戦争関係ゆえに遺族に支払う血の代償はない。

過失による殺人には 3種類ある。信仰者の殺人と不信仰者の殺人である。信仰者の場合、その遺産相続者が信仰者である場合と、不信仰者である場合がある。遺産相続者が信仰者の場合には血の代償と贖罪であり、不信仰者が殺され、相続者が信仰者の場合にも同様であり、信仰者が殺され、相続者が不信仰者の場合には、贖罪のみである。

『また、もしそれが』 殺された者が。

『おまえたちとの間に盟約のある民の者であれば』 庇護協定など。

『遺族に手渡す』 それは、ユダヤ教徒、キリスト教徒であれば信仰者の3分の1、ゾロアスター教徒であれば15分の1である。

『血の代償と』 彼(殺された者)の。

『信仰ある奴隷を自由にすることである』 殺した者に課せられる。

『それがない者は』 奴隷がいなかったり、手に入らなかったことによって。

『連続二ヵ月の斎戒である』 贖罪として彼に課せられる。ズィハール(おまえの背中は母の背中だ、と言って妻を離縁すること)の贖罪とは違って(第58章[抗弁する女]4節)、ここでは斎戒の代わりに食事を提供することについてアッラーは言及し給うていない。アル=シャーフィイーは彼の2つの見解のうち、より正しい方の中でそれを採用している。

『アッラーからの恩顧として』 省略された動詞(「彼は戻り顧み給うた」)の同属目的語のため対格となっている。

『アッラーは全知にして』 彼の被造物について。

『英知ある御方であらせられた』 彼らに対し彼が取り計らい給うことにおいて。

信仰者を故意に殺した者、彼の応報は火獄で、彼はそこに永遠に留まる。彼にはアッラーからの怒りと呪いがあり、彼には大いなる懲罰が用意された。(4:93)

『信仰者を故意に殺した者』 彼の信仰を知り、通常なら人を殺す兇器によって彼の殺人を意図し。

『彼にはアッラーからの怒りと呪いがあり』 彼の慈悲から遠ざけられ。

『彼には大いなる懲罰が用意された』 獄火の中に。
これは殺人を合法とした者の報いである。あるいは、彼が応報を得るとすれば火獄に永遠に留まることが彼の応報である。『彼はそれ以外のことは御望みの者には赦し給う』(第4章[女]47節)との御言葉の後には新説はない。
イブン・アッバースによれば、これは文字通りの意味であり(彼は、「信仰者を故意に殺した者の悔悟は受け入れられない」と述べる)、これは、赦しの節(『われは悔いて戻る者にとって赦す者である』(第20章[ターハー]82節)、『彼はそれ以外のことは御望みの者には赦し給う』(第4章[女]47節)など)を破棄するものである。
第2章[雌牛]178節は、故意の殺人者はそのために殺され、それが免じられた場合には彼に遺族に対する代償が課されることを明らかにしており、その額についてはすでに述べている。
スンナは故意の殺人と過失致死の間に、「未必の故意」という範疇があることを明らかにしている。それは通常は死に至らないものによって人を殺してしまうことである。その(未必の故意)の場合には同害報復はなく、故意(の殺人)の場合に準ずる代償が課され、過失の場合に準じて猶予され、支払いは代償支払い責任者(父方の血縁)に課せられる。未必の故意と故意の殺人のほうが過失の殺人よりも一層重い代償を課されるべきである。

大罪を犯した信仰者でも獄火に永遠に留まることはないのに、ここでは「永遠」と規定されるのはどういうことか。アル=バイダーウィーは「永遠に」とは長く留まることを意味すると考える。あるいは、これは、イクリマなどが述べるように殺人を合法とみなした者に限られたものである。いくつもの根拠が、ムスリムが不服従をなしても、その懲罰は永遠に続かないことを示している。

信仰する者たちよ、おまえたちがアッラーの道において旅をした時には、事を明瞭にし、おまえたちに挨拶を送った者に対して、「おまえは信仰者ではない」と言ってはならない。おまえたちは現世の生活の財産を求めるが、アッラーの御許には多くの戦利品がある。おまえたちも以前はそうであったが、アッラーがおまえたちに恵みを垂れ給うた。それゆえ、事を明瞭にせよ。まことにアッラーはおまえたちのなすことに精通し給う御方であらせられた。(4:94)

スライム族の男が羊を連れて教友の一団のところを通り掛かり、彼らに(「あなたに平安がありますように(al- salām alai- kum)」と言って)挨拶をしたのは、自分の身を守るために違いない」と言って、彼を殺し、彼の羊を追い立てた。彼らがアッラーの御使いの許に行くと、この節が下された。

イブン・アッバースによると、この節はミッラ・ブン・アウン族のミルダースという男について下された。男はファダク家の者で、彼の一族は彼を除きイスラームに入っていなかった。アッラーの御使いの軍勢が彼らに向かっていると耳にした。軍勢はガーリブ・ブン・ファダーラという男が指揮し、ファダク一族は彼から逃げたが、このムスリムの男は残った。彼は馬を目にした時、ムスリムたちでないことを恐れ、羊を駆り立てて山に避難した。馬の一団がやって来ると、彼らが「アッラーは至大なり」と唱えるのが聞こえ、それがアッラーの御使いの仲間であることがわかった。そこで彼は「アッラーは至大なり」と唱えながら山を降りた。そして、「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である。あなたがたに平安あれ」と言った。すると、ウサーマ・ブン・ザイドは剣で彼を打ち殺し、彼の羊を引率した。彼らがアッラーの使徒の許に戻り、そのことを告げると、アッラーの御使いはそれを深く悲しまれ、言われた、「あなたがたは、彼の持っているものが欲しくて彼を殺したのか」。それから、ウサーマにこの節を読んで聞かせられた。ウサーマは、「アッラーの御使いよ、私のために赦しを乞うてください」と言った。すると、彼は、「どうしてあなたは、『アッラーの他に神はない』と言う者を」と 3回言われた。ウサーマは伝えている。「アッラーの御使いはそう言い続けられ、私はその日までムスリムでなかったらよかったものをと思うほどであった」。それからアッラーの御使いは彼のために赦しを乞われ、「奴隷を解放せよ」と言われた。別の伝承によると、ウサーマは言った、「私が、『アッラーの御使いよ、彼は剣の恐怖からそう言ったに過ぎません』と言うと、彼は、『恐怖からそれを言ったのかどうかを知るために彼の心を裂いてはいないではないか』と言われた」。

『おまえたちがアッラーの道において旅をした時には』 ジハードのために旅をした時には。

『事を明瞭にし』 2箇所(もう1箇所は第49章[部屋]6節)において、別の読誦法では、(ここでの第1語根を下に点1つの「バーゥ(b)」、第2語根を、下に2つの点の「ヤー(y)」、第3語根を上に点1つの「ヌーン(n)」で「tabaiyanū(明瞭にし)」と読む読誦法に対して)第1語根を上に3つの点の「サー(th)」(第2語根を下に点1つの「バーゥ(b)」、第3語根を上に点2つの「ターゥ(t)」)で「 tuthabbitū(確認する)」と読む読誦法もある。

『おまえたちに挨拶を送った者に対して』 「サラーム(平安の挨拶)」と長母音をつけて読む読誦法と、「アリフ」なしで「サラム」と読む読誦法がある。後者はイスラームを示す信仰告白の言葉を唱えることによる服従。

『「おまえは信仰者ではない」と言ってはならない』 「おまえはただ、自分の身と財産を守るためにそう言っているだけだ」(と言って)、彼を殺してはならない。

『現世の生活の財産を』 戦利品という現世の楽しみを。

『求めるが』 それ(相手に「信者ではない」と言うこと)によって(求めるが)。

『アッラーの御許には多くの戦利品がある』 そのような者をその財産目的に殺す必要などないほどの。

『おまえたちも以前はそうであったが』 ただ口で信仰告白を唱えただけでおまえたちの命と財産は守られた。
おまえたちも以前は彼と同じようなもので、彼が見せたイスラームの挨拶ほどのものしか人々に対して見せてはいなかった。

『アッラーがおまえたちに恵みを垂れ給うた』 信仰を公言し、真っすぐに立つことによって。

『事を明瞭にせよ』 信仰者を殺すことのないよう。そして(新しく)イスラームに入信した者に対して、かつておまえたちが扱われたのと同じように扱え。

『まことにアッラーはおまえたちのなすことに精通し給う御方であった』 そして、そのことでおまえたちに報い給う。

信仰者のうち、支障もないのに座り込む者と自分の財産と命をかけてアッラーの道において闘う者とは同じではない。アッラーは、自分の財産と命をかけて闘う者たちに座る者たちよりも一階層上を恵み給うた。どちらにもアッラーは良いものを約束し給うた。だが、闘う者には座る者よりも大きな報酬を恵み給うた。(4:95)

『支障もないのに』 修飾語で主格。除外の対格として読む読誦法もある。身体障害、盲目などの。

『座り込む者と』 ジハードに行かず。

『座る者たち』 支障があって。

『一階層上を恵み給うた』 特別の恵みを。両者はニーヤ(意図)においては同じであるが、ジハードに行った者には実際行動ゆえの追加がある。

『どちらにも』 その両者の。

『良いものを』 楽園を。

『座る者よりも』 支障なしに。

彼からのいくつもの階層、そして、御赦しと御慈悲を。アッラーはよく赦す慈悲深い御方であらせられた。(4:96)

『彼からのいくつもの階層』 「いくつもの階層」は前節の「大きな報酬」の置換。ある者は誉れによってある者よりも高い場所(に置かれる)。

7層とも70層とも、700層とも言われ、それぞれの階層は天と地ほど離れている。イブン・ムハイリーズによると、階層には70層あり、それぞれの階層の間は秘蔵の駿馬で70年の道程である。
アブー・サイード・アル=フドリーによると、アッラーの御使いは言われた、「アッラーを主とし、イスラームを宗教とし、ムハンマドを使徒として喜んで認めた者には楽園が約束された」。それに驚いたアブー・サイードは言った、「アッラーの御使いよ、楽園は私に用意されたのですか」。すると、彼はその言葉を繰り返され、それから言われた、「アッラーがしもべをそれぞれの階層の間がまるで天と地ほどである100の階層に上げ給う別のものがある」。「なんですか、それは、アッラーの使徒よ」と尋ねると、「アッラーの道におけるジハードである」と言われた。
第95節では『一階層』とあるのに対して、第96節では『いくつもの階層』となっているのはなぜか、と尋ねられたなら、前者の階層は、ジハードに赴いた者たちが障害があって家に留まった者よりも恵まれる階層で、後者の階層は、ジハードに赴いた者たちが理由もなく家に留まった者よりも恵まれる階層のことである、と答えられる。あるいは、前者の一階層は、称賛と誉れのことを意味し、後者の階層は、楽園の階層のことを指す、とも言われる。

『御赦しと御慈悲を』 省略された動詞(つまり、彼らを赦し、彼らに慈悲をかけ)によって、どちらも対格となっている。

『アッラーはよく赦す』 彼の友(awliyā’)に対し。

『慈悲深い御方であった』 それに相応しい者に。

自分自身に不正をなすところを天使たちに召し上げられた者たち。彼らは言った、「おまえたちはどんな状態にあったのか」。彼らは言った、「われらは大地で抑圧されていた」。彼らは言った、「アッラーの大地は広く、おまえたちは移住できたのではなかったか」。それらの者の居留地は火獄である。なんと悪い行き先であろうか。(4:97)

イスラームを受け入れたが、ヒジュラ(移住)をせず、バドルの戦いの日に不信仰者と共に殺された者たちについて下された。

預言者のヒジュラ以降、マッカ開城まではヒジュラはイスラームの構成要件、あるいは条件であったにもかかわらず(彼らはヒジュラしなかった)。それゆえ彼らは不信仰者、あるいは反逆者であった。ただしヒジュラ(の義務)はマッカ征服後、破棄された。
預言者のヒジュラ以降、彼の許にヒジュラしない限り、誰のイスラーム入信も受け入れられなかったが、それはマッカ開城の後に廃棄された。

『自分自身に不正をなす』 不信仰者と共に留まり、ヒジュラを怠ったがゆえに。

『天使たちに召し上げられた者たち』の述語は、「彼らは滅びた」「彼らに向かって言われた」などの句が省略されているとも、「まことに(彼らは)」を補って直後の句『まことに彼らは言った。おまえたちはどんな状態にあったのか』であるとも、後の句『それらの者の居留地は火獄である』とも言われる。

『天使たち』とは、死の天使とその使いで、使いは信仰者の魂を召し上げる 3人と不信仰者の魂を召し上げる3人の合計6人である。あるいは、死の天使はひとりだが、敬意を表して複数形になっているとも言われる。

『彼らは言った』 その者たちに非難を込めて。

『おまえたちはどんな状態にあったのか』 おまえたちの宗教のことにおいておまえたちはどういう状態にあったか。
「おまえたちは預言者の仲間と共にいたのか、それとも多神教徒たちといたのか」。

『彼らは言った』 弁明して。

『われらは大地で』 マッカの地で。

『抑圧されていた』 宗教を守ることができなかった。

『彼らは言った』 彼らに、非難して。

『おまえたちは移住できたのではなかったか』 不信仰の地から別の地に。おまえたち以外の者たちがしたように。
至高なる御方は仰せられた。

『なんと悪い行き先であろうか』 それは。

ただし、抑圧された男女、子供は別であり、能力がなく、道が開けないのである。(4:98)

『ただし、抑圧された男女、子供』 能力がなく、道が開けない者たちは別である。
『子供(wildān)』とは、奴隷、小児、または幼児のことである。

『能力がなく』 ヒジュラのための力も財力もなく。

『道が開けない』 移住地への道が。

これらの者についてはきっとアッラーは免じ給う。アッラーはよく免じ、よく赦す御方であらせられた。(4:99)

『きっとアッラーは免じ給う』 「きっと(basā)」は、人間の言葉においては希望、願望を表すが、アッラーにおいては、必然を表す。創造主は懸念や予測とは無縁である。

アッラーの道において移り住む者は、大地に多くの避難所と豊かさを見出す。自分の家から出て、アッラーと彼の使徒の許に移り住む者は、その後死が彼を捕えても、彼の報奨はアッラーに保証された。アッラーはよく赦す慈悲深い御方であらせられた。(4:100)

『多くの避難所と』 移住の地と。

『避難所(murāgiman)』とは、移住する先の場所のことであるが、「ragām」とは砂埃のことで、「彼の鼻をラグマする」とは鼻を土につける、ということで、卑下する、という意味になる。「彼の鼻のラグムの上に」というと、彼が嫌うにもかかわらず、という意味である。「murāgim」とは、彼の民の意にそわない、彼の民を卑しめる移住地であることを示唆するものである。

『豊かさを見出す』 糧の。

『その後死が彼を捕えても』 道の途中で。ジュンダウ・ブン・ダムラ・アル=ライスィーのように。

『アッラーと彼の使徒の許に移り住む者』 知の探求、巡礼、ジハードなど宗教が課すものを求めて移住する者はみな「アッラーと使徒の許に移り住む者」である。

『保証された』 確定した。

第97節が下されると、アッラーの御使いは人をこの節と共にマッカに送られ、その節がマッカのムスリムに読み聞かせられると、それを聞いたジュンダウ・ブン・ダムラという高齢で病気の男は、「アッラーに誓って、私はアッラーが例外とし給うた者たちには含まれない。私には力はないが、マディーナか、まだその先まで行くだけの財産がある。アッラーに誓って、私はマッカで今宵を過ごしはしない。私を連れ出してくれ」と言った。そこで人々は彼を寝台に乗せて発ったが、アル=タヌイーム(地名)に至ると、死が彼を捕えた。彼は右手を左手に打ち付け、「アッラーよ、これはあなたに、これはあなたの使徒に。私はあなたの使徒があなたと交わした誓約をあなたと交わす」と言うと、死んだ。その知らせがアッラーの御使いの仲間たちの許に達すると、彼らは、「もしマディーナで死んでいたら、報奨を得たのに」と言い、多神教徒たちは笑って、「彼は求めたものを得損ねた」と言った。するとアッラーはこの節を啓示し給うた。アル=タフターザーニー(Mas‘ ūd bn Umar, 791/1389年没)によると、最初の「これは」は右手を指し、次の「これは」は左手を指し、アッラーとの信仰の誓約、アッラーの使徒との服従の誓約を意味した。
この節は、服従行為をなすことを決意したものの、全うすることができなかった者にもアッラーは完全な行為として報奨を書き留め給うことを示すものである。

おまえたちが大地を旅する時には礼拝を短縮してもおまえたちに罪はない、信仰を否定する者たちがおまえたちに試練を与える恐れがあれば。まことに、不信仰者はおまえたちにとって明白な敵であった。(4:101)

『おまえたちが大地を旅する時には』 旅行する時には。

『礼拝を短縮』 4ラクア(礼拝動作の基本単位)から2ラクアにすることによって。

『・・・しても』 ・・・することにおいては。

『おまえたちに試練を与える恐れがあれば』 つまり、嫌がらせを仕掛けてくる(恐れが)。
これはその当時の実際の出来事に対する解明であるが、文字通りの意味ではない(恐れがあることは短縮の許可の条件とならない)。

当時は多神教徒と敵国人が多かったために、アッラーの使徒と教友たちの旅の多くは危険を免れなかった。(・・・)
ただし、旅行者の礼拝の短縮には危険の恐れは条件とならない。それはアル=ブハーリーとムスリムの『正ハディース集』にある通り、アッラーの使徒は、マッカとマディーナの間を旅され、アッラーのほかに恐れるものはなかったが、2ラクアの礼拝をあげられたからである。

スンナは、旅行とは長い旅行のことであることを明らかにしている。それは4ブルド(ブルドはバリードの複数形で、1バリードは12マイル)、2日行程の距離である。『おまえたちの罪にはならない』という言葉からすれば、これは許可であって、義務ではない。アル=シャーフィイーはこの説をとる。

アブー・ハニーファによれば6ブルドである。短縮は義務ではなく、許可であるが、3日行程の旅になった場合には、これを義務とするアブー・ハニーファの説にもそむかないように、そうした方が良い。

『明白な敵であった』 敵意があからさまな。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2006年 アラブ イスラーム学院