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【第4章 女】
(4:80〜4:91)
 

使徒に従う者はアッラーに従ったのである。そして、背を向ける者については、われらはおまえを彼らの見張りとして遣わしたのではない。(4:80)

『背を向ける者については』 彼への服従から離れた者については。そのことについておまえが気に病むことはない。

『彼らの見張りとして遣わしたのではない』 彼の行いを守る者として(ではない)。そうではなく、警告者として(遣わした)。そして、彼らの件はわれらに戻され、われらが彼らに報いを与える。これは戦闘の命令以前のものである。

彼らは、「服従」を口にするが、おまえの許から去ると、彼らの一部は言うことと違ったことを一晩中考える。だが、アッラーは彼らが一晩中考えて過ごすことを書き留め給う。それゆえ、彼らから離れ、アッラーに一任せよ。管理者としてはアッラーで十分であらせられた。(4:81)

『彼らは』 つまり、偽信者たちは。おまえの許に来た時には。

『「服従」を口にするが』 われらの使命はおまえへの(服従)。

『おまえの許から去ると』 外に出ると。

『彼らの一部は・・・一晩中考える』 つまり、心に抱く。別の読誦法では、「bayyata(一晩中考える)」の「ターゥ(t)」が「(tā’ifah)一部」の語頭の「ターゥ(t)」に吸収・同化されて「bayyatt ā’ifatun」と読む。

この解釈はここでは適切ではない。なぜなら心中に反抗心を抱くことは、彼ら(偽信者)が彼(預言者)の許から去った後に生ずるのではなく、それは彼(預言者)と同席していた時点から既にあったからである。前出のごとく、「我々は聞くが背く」と公言するほどであったから。

『言うことと違ったことを』 おまえにおまえの居るところで(言うことと)。つまり、おまえに背くことを。

『書き留め給う』 彼らの帳簿に書き留めることを命じ給う。そして、彼らはそれによって報いを受ける。

『彼らから離れ』 放免して。

『アッラーに一任せよ』 彼に信頼を寄せよ。なぜならおまえには彼だけで充分なのであるから。

『管理者としては』 委任する相手としては。

彼らにはクルアーンを熟考することがないのか。もしそれがアッラー以外のものからであれば、そこに多くの矛盾を見出したであろう。(4:82)

『クルアーンを』 そして、その中の驚くべき内容を。

『熟考することがないのか』 熟慮することが。

『そこに多くの矛盾を見出したであろう』 意味上の破綻や文体上の不統一を。

安全または危険の事情がもたらされる度、彼らはそれを言いふらす。それを使徒、または彼らのうち権威を持った者に戻せば、それを見つけ出した者たちはそれを彼らから知ったであろうに。アッラーの恩恵と御慈悲がおまえたちになかったら、わずかを除き、おまえたちはシャイターンに従ったであろう。(4:83)

『安全』 勝利による。

『危険の』 敗北の(危険の)。

『事情がもたらされる度』 軍隊から預言者の許に彼らに起こったことについて。

『彼らはそれを言いふらす』 それを広める。これは偽信者、または信仰の弱い者たちのことで下された。彼らはそうしたことをなし、信仰者の心を弱め、預言者に害を及ぼした。

勝利を言いふらせば、それが敵の耳に届き、敵を憤慨させ、新たな戦いを招くことになり、また敗北を言いふらせば、信仰者の心を弱め、預言者に害を及ぼすことになった。

『それを』 その便りを。

『彼らのうち権威を持った者に戻せば』 教友の主だった者で、見識を持った者に。つまり、もし、彼らがそれを伝えるまで、そのことを黙っていれば。

『それを見つけ出した者たちは』 それを探り、知ろうとした者たち。つまり、言い広めた者たちである。

『それを彼らから知ったであろうに』 使徒と権威を持った者たちから。それが言い広めてよいことかどうかを。

『アッラーの恩恵と』 イスラームの。

『御慈悲がおまえたちになかったら』 クルアーンによる。

『おまえたちはシャイターンに従ったであろう』 彼がおまえたちに命じる極悪において。

それゆえ、アッラーの道において戦え。おまえに課せられたのはおまえ自身だけである。それゆえ、信仰者たちを励ませ。きっとアッラーは信仰を拒絶する者たちの力を奪い給う。アッラーは力において一層強く、懲らしめに一層厳しい御方。(4:84)

『アッラーの道において戦え』 ムハンマドよ。

『おまえに課せられたのはおまえ自身だけである』 それゆえ、彼らがおまえから去っても気にするな。おまえ1人になっても、戦え、なぜなら、おまえには勝利が約束されているから、という意味である。

『信仰者たちを励ませ』 彼らを戦闘に向けて励まし、戦意を奮い立たせよ。

『力を奪い給う』 戦力を。

『アッラーは力において一層強く』 彼らよりも。

『懲らしめに一層厳しい御方』 彼らよりも。痛めつけることにおいて。
預言者は、「私の魂を御手になさる御方に誓って、たとえたった一人でも私は出陣する」と言い、小バドルの戦いに70人の騎乗の者を連れて出陣された。アッラーは不信仰者の心に恐怖を吹き込み、戦意を喪失させ給い、アブー・スフヤーンに出陣を思い直させ給うた。これについては第3章[イムラーン家]ですでに述べた通りである。

善い執り成しで執り成す者にはその分け前がある。悪い執り成しで執り成す者にはその応報がある。アッラーはすべてのものに対し力ある御方。(4:85)

『善い執り成しで』 聖法に則った。

『執り成す者には』 人々の間を。

『その』 それをなしたゆえの。

『分け前がある』 報償の。

『善い執り成し』とは、宗教において、あるいはその他のことでその人に有益なことを可能にするため、あるいはその人から害を取り除くために言葉で仲介することである。善い執り成しをした者には来世に報奨がある。ハディースに、「ムスリムの兄弟のために彼のいないところで成功を祈った者は、その祈りが応えられる。そして、天使は彼に、『おまえにもそれと同じものがあるように』と言う」とある。

『悪い取り成しで執り成す者には』 聖法に反する。

『その』 それをなしたゆえの。

『応報がある』 罪の分け前が。

一方、その人の不利となることを仲介する者はその責任を負う。『悪い執り成し』とは、例えば、中傷、人と人の間に敵意を生み出す言葉、悪い祈願、あるいはムスリムと戦うことによって不信仰を助長することなどである。

『アッラーはすべてのものに対し力ある御方』 力があり、それぞれにそれぞれのなしたことの報いを与え給う。

「力ある御方(muqīt)」とは、力を持った御方、滋養を供給する御方である。あるいは、保持し、証言する御方である、とも言われる。

おまえたちが挨拶を受けた時には、それより良いもので挨拶をするか、同じものを返せ。まことにアッラーはすべてのことを清算し給う御方。(4:86)

『おまえたちが挨拶を受けた時には』 「al-salāmu alai-kum(貴方の上に平安あれ)」などと言われた時には。

『それより良いもので』 相手に、「alai-kum al-salāmu wa rahmatu Allāhi wa barakātu-hu(貴方の上に平安とアッラーの慈悲と祝福あれ)」と言うことによって。

『挨拶をするか』 最初に挨拶した者に。

『同じものを返せ』 彼(相手)が言ったように彼に言うことによって。つまり、義務は、そのうちどちらかであるが、前者の方がよりよい。

『まことにアッラーはすべてのことを清算し給う御方』 清算者。その報いを与え給う。その中には、サラーム(挨拶)を返すことが含まれる。スンナが限定するところによると、不信仰者、異端者、悪人、排泄中、入浴中、食事中の者(口に物が入っている時)には挨拶を返す義務はなく、むしろ食事中の者を除き返事をすることは嫌われる。不信仰者には、「そして、あなたにも(waalai-ka)」と応える。
これは、不信仰者が、「al-sāmu alai-ka」と挨拶で言ったからで、「サーム」とは死を意味する。

アッラー、彼のほかに神はない。彼は疑いのない審判の日におまえたちを集め給う。誰がアッラーよりも言葉が真実であろうか。(4:87)

『彼は』 アッラーは。

『疑いのない』 疑念の。

『審判の日に』 ・・・において。

『おまえたちを集め給う』 墓から。

『言葉が』 言うことが。

『真実であろうか』 誰もいない。

偽信者のことで二分隊とは、おまえたちはどうしたのだ。アッラーは彼らが稼いだものゆえに彼らを元に戻し給うたのである。おまえたちはアッラーが迷わせ給うた者を導こうというのか。だが、アッラーが迷わせ給うた者に道はない。(4:88)

人々(偽信者たち)がウフドの戦いから戻ると、人々(教友のある者たち)は、(不信仰を示す証拠ゆえに)彼らを殺そう、と言い、またある者たちは、(信仰告白を唱えた者たちであるから)殺してはならない、と言って意見が分かれた。そこでこの節を啓示し給うた。

『二分隊とは』 2派になるとは。

『おまえたちはどうしたのだ』 どういうわけでおまえたちは(二分隊に)なったのか。

『彼らが稼いだもの』 不信仰と反逆。

『彼らを元に戻し給うたのである』 戻し給うたのである(戦闘から彼らを戻し、彼らをそれから外され給うたのである)。

『おまえたちはアッラーが迷わせ給うた者を導こうというのか』 おまえたちは彼らを導かれた者たちのうちに加えるのか。2つの疑問文は非難の疑問文である。

『道はない』 導きへの道は。

彼らは自分たちが信仰を拒絶したようにおまえたちも拒絶し、同類となることを望んだ。それゆえ、彼らがアッラーの道において離れ移るまでは彼らを味方としてはならない。もし彼らが背を向けたなら、彼らを見つけ次第、捕えて殺せ。おまえたちは彼らの中に味方を得てはならず、援助者を得てもならない。(4:89)

『同類となることを』 おまえたちと彼らが。不信仰において。

『望んだ』 願った。

『彼らがアッラーの道において離れ移るまでは』 信仰を確定する正しいヒジュラ(移住)によって。

『離れ移るまで』、移住(ヒジュラ)には3種類ある。
第1は、『自分の家を出て、アッラーとその使徒の許に移住する者』(第4章[女]100節)などにあるようなイスラームの初期における信仰者の移住のことである。
第2は、偽信者にとっての移住、つまりアッラーの使徒と共に現世的な目的のためでなく来世に期待して戦闘に出ることで、それがこの節における「移住」である。
第3は、「移住者とは、アッラーが禁止し給うたものから移住する者である」というアッラーの御使いの言葉が示すような不服従からの移住がある。

『彼らを味方としてはならない』 彼らを味方にしてはならない。たとえ、彼らが表面的には信仰を表明していても。

『もし彼らが背を向けたなら』 そして、彼らが今いるところに留まったなら。

アッラーの道における移住(ヒジュラ)、つまり純粋に、そして誠実にムスリムたちと共に出征することから背を向けること。

『捕えて』 捕虜として。

『彼らの中に味方を得てはならず』 その者を味方にしてはならない。

『援助者を得てもならない』 おまえたちの敵に対し彼と共に勝利を得てはならない。

シャハーダ(信仰告白)を唱えた者を捕虜にしたり殺すことは禁じられるが、不信仰に戻り、その不信仰を顕にした偽信者は別である。一方、第91節にあるように、捕虜になったり殺されることから逃れるためにイスラームを装う者たちに関しては、彼らがムスリムたちと戦わない限り、捕虜にされたり殺されたりすることはない。

ただし、おまえたちとの間に盟約のある民の許に至った者たち、あるいは、おまえたちと戦うことや自分の民と戦うことに心を締め付けられておまえたちのところに来たなら別である。もしアッラーが御望みならば、彼らをおまえたちよりも優勢にし、おまえたちと戦わせ給うたであろう。もし彼らが身を引き、おまえたちと戦わず、おまえたちに和平を申し出るなら、アッラーはおまえたちに彼らに敵対する道を与え給わない。(4:90)

『おまえたちとの間に盟約のある・・・』 彼らと、彼らに保護を求めた者たちに対する安全協定の。ちょうど、預言者が、ヒラール・ブン・ウワイミル・アル=アスラミー(安全保証を得た者)に約束されたような。

預言者はマッカに赴く際、ヒラール・ブン・ウワイミル・アル=アスラミー(安全保証を得た者)に対し、彼が預言者に味方も敵対もしないこと、また、彼の許に庇護を求めた者には彼同様の安全保証が与えられることで和睦を結ばれた。

『至った者たち』 保護を求めた者たち。

『あるいは・・・来たなら』 来た者たち(alladhīna)なら。

『おまえたちと戦うことや』 彼らの民と共に。

『自分の民と戦うことに』 おまえたちと共に。

『心を締め付けられて』 押し狭められて。

『おまえたちのところに来たなら別である』 つまり、おまえたちと戦うことも彼らと戦うことも控えた者たちである。彼らに対しては、捕虜や殺害によって対抗してはならない。これとこの後の部分は「剣の節」によって破棄された。

アッラーは、イスラームが力を強めた後は、アラブの多神教徒からはイスラーム入信か殺害のいずれかしか受け入れないよう命じ給うたのである。
「剣の節」とは、「多神教徒は見つけ次第殺せ」(第9章5節)である(cf., al=Sāwī, Hāshiyah al=Sāwī, vol.2, p.236)。

『もしアッラーが御望みならば』 彼らがおまえたちより優勢になることを。

『彼らをおまえたちよりも優勢にし』 彼らの心を強めることによって。

『おまえたちと戦わせ給うたであろう』 だが、そうは望み給わなかった。それで、彼らの心に恐怖を投じ給うたのである。

『和平を申し出るなら』 和平協定を。つまり、降伏したら。

『彼らに敵対する道を与え給わない』 捕虜や殺害の道を(上述のようにこの個所は破棄された)。

おまえたちは、別の者たちがおまえたちから安全を望み、自分の民からも安全を望むのを見るであろう。彼らは試練に連れ戻される度、そこに逆さに戻される。もし彼らがおまえたちから身を引くことも、また、おまえたちに和平を申し出ることも、彼らの手を差し控えることも、しないのであれば、見つけ次第、捕えて殺せ。これらの者に対してはおまえたちにわれらは明白な権能を授けた。(4:91)

『別の者たちがおまえたちから安全を望み』 おまえたちのところで信仰を明らかにして。アサド族とガタファーン族のことである。

イブン・アッバースによると、これはアサド族とガタファーン族のことで、彼らはマディーナの周辺に住んでいた。彼らは人目にはイスラームの言葉を語ったが、ムスリムではなかった。そして、自分の部族の者に、「なにを信仰するか」と尋ねられると、「サルとサソリとスカラベである」と言い、アッラーの使徒の仲間に会うと、「われらはおまえたちの宗教に従う」と言った。『信仰する者に出会えば、「われらは信じました」と言うが、彼らの悪魔たちの許に引きこもると、「まことにわれらはあなたがたと共にある。われらは愚弄する者にすぎない」と言う』(第2章[雌牛]14節)にある通りである。

『自分の民からも安全を望むのを見るであろう』 彼らのところに戻ると、不信仰によって。
『見るであろう』の「sa-(・・あろう)」は、未来ではなく、持続を表す辞詞である。

『彼らは試練に連れ戻される度』 多神教に呼び招かれる度。

『そこに逆さに戻される』 一層酷く(多神教に)陥る。

『もし彼らがおまえたちから身を引く・・・』 おまえたちとの戦闘を放棄することによって。

『おまえたちに和平を申し出ることも』 否定詞「せず(lam)」を補い、申し出ることもせず。

『彼らの手を』 おまえたちから。

『差し控えることも』 否定詞「lam(しない)」を補い、「差し控えることもしないならば」。

『これらの者に対してはおまえたちにわれらは明白な権能を授けた』 彼らの裏切りゆえに彼らを殺害し捕虜にすることの明白な、はっきりとした明証を。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2006年 アラブ イスラーム学院