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【第3章 イムラーン家】
(3:181〜3:194)
 

「アッラーは貧しく、われらは富んでいる」と言った者たちの言葉をアッラーは確かに聞き給うた。われらは彼らの言ったこと、そして正当性もなく預言者たちを殺したことを書き留め、「灼熱の懲罰を味わえ」と言う。(3:181)

『「アッラーは貧しく、われらは富んでいる」と言った者たち』 それはユダヤ教徒である。彼らは、『アッラーに良き貸付をする者は誰か』(第2章[雌牛]245節)という節が下されると、「彼が富んでいれば、われらに貸付を求めたりしないであろう」と言った。

『われらは彼らの言ったこと・・・を』 彼らの帳簿に(書き留め)、そして彼らは、それに対する報いを受ける。

『正当性もなく預言者たちを殺したことを』 対格で「殺したことを(qatla)」と読む読誦法(『われらは・・・を書き留め』)と、主格で「殺したことは(qatlu)」と読む読誦法(三人称単数受動態で「・・・は書き留められ」)がある。

『書き留め』 書き留めることを命じ。接頭辞を三人称男性の接頭辞「ヤーゥ(y)」の受動態で「yuktabu」(つまり、「彼らの言ったことは書き留められ」)と読む読誦法もある。

『灼熱の懲罰を』 獄火を。彼らがそこに投げ込まれる時に言われる。

『・・・と言う』 つまり、アッラーは彼らに。来世で、天使たちの口を通じて。一人称複数の接頭辞の「ヌーン(n)」で「naqūlu(われらは言う)」と読む読誦法と三人称単数の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「yaqūlu(彼は言う)」と読む読誦法がある。

「それはおまえたちの手が前もってなしたことゆえのものである」。アッラーはしもべたちに決して不当ではあらせられない。(3:182)

『それは』 その懲罰は。

『おまえたちの手が』 「手」で「人間」を表現している。なぜなら、行いの大半はそれ(手)によって生み出されるからである。

『不当ではあらせられない』 不正をなす御方ではなく、罪もなく彼らを懲らしめ給うことはない。

「アッラーはわれらに、火が食い尽くす供物をわれらにもたらすまで使徒を信じないことを約束し給うた」と言った者たち。言え、「かつて私以前にも使徒が明証とおまえたちの言うようなことを携えておまえたちの許に来た。それなのに彼らを殺したのはどういうわけか、もし、おまえたちが正しいならば」。(3:183)

『アッラーはわれらに』 律法の書の中で。

『火が食い尽くす供物』 「供物(qurbān)」とはアッラーに「近づく(taqarraba)」ために供える家畜などで、それが受け入れられた時には、空から白い火が下り、それを焼き尽くし、そうでなければ、それはその場に残った。

『使徒を信じないことを』 真実と認めないことを。

『約束し給うた』 かつて約束し給うた。それゆえ、おまえがそれをわれらにもたらすまで、われらはおまえを信じない。彼(アッラー)はそれをイスラーイールの民に約束し給うたが、メシア(イーサー)とムハンマドは別であった。

これは、律法に関する彼らの嘘であった。なぜなら、そこにあるものはイーサーとムハンマド以外の者に関するもので、この2人については、供え物なしでも受け入れられることになっていたからである。

『・・・と言った』 ムハンマドに。

『・・・(と言った)者たち』 前(第181)節の『・・・(と言った)者たち』の形容修飾句である。

『言え』 至高なる御方は彼らを詰問して仰せられた。

『明証と』 奇跡と。

『おまえたちの言うようなことを携えておまえたちの許に来た』 ザカリーヤーやヤフヤーのように。だが、おまえたちは彼らを殺した。これは、われらの預言者と同時代の者たちに向けられた言葉である。(『おまえたち』との呼びかけは)実際それをなしたのは彼らの祖先であるが、彼らがそれを容認していたためである。

『もし、おまえたちが正しいならば』 それを携えて来れば信じるという言葉において。

彼らがおまえを嘘と否定したとしても、おまえ以前の使徒たちも明証と書巻と輝かしい啓典を携えて来たのに否定されたのである。(3:184)

『明証と』 奇跡と。

『書巻と』 イブラーヒームの文書のような。

『輝かしい』 明白な。それは律法の書、福音書である。

『啓典を』 『書巻』共々、(動詞「来る(jā’a)」と結合して熟語「・・・を携えて来る(jā’abi-)」を作る)前置詞「バーゥ(b)」(「bi(共に)」)を(省略せず)明記して「bi-al-zuburi(書巻と共に)」「bi-al-kitābi(啓典と共に)」と読む読誦法もある。

『・・・を携えて来たのに否定されたのである』 それゆえ、彼らが耐えたようにおまえも忍耐せよ。

誰もが死を味わう。そして、おまえたちは審判の日に報酬を十分に支払われる。獄火から引き離され、楽園に入れられた者は成功したのであり、現世の生はまやかしの享楽に過ぎない。(3:185)

『おまえたちは審判の日に報酬を十分に支払われる』 おまえたちの行為の報いを。

なお、報いの一部はそれ以前にも受ける。預言者は言われた、「墓は楽園の園の一つであるか、獄火のくぼみの一つである」。

『引き離され』 遠ざけられ。

『成功したのであり』 求めていた目標を達成したのであり。

『現世の生は』 そこでの生活は。

『まやかしの享楽に過ぎない』 虚偽の。しばしの間楽しみ、そして消え去るものである。

おまえたちは必ずや自分たちの財産と自分自身において試みを受け、また、おまえたち以前に啓典を授けられた者たちと多神を拝する者たちから多くの悪口を聞くであろう。だが、もしおまえたちが耐え、畏れ身を守るなら。なぜなら、それは物事の定めである。(3:186)

『自分たちの財産と』 それにおける義務の支払いと災害(水難や火災など)によって。

『自分自身において』 崇拝行為(イバーダート)と苦難によって。

『試みを受け』 試みられ。「tublawunna(試みを受け)」は、「ヌーン(n)」が二つ(動詞未完了形直接法の「ヌーン」(---ūna)と動詞強調語尾「ヌーン(n)」(---nna)が)重なるため動詞未完了形直接法の「ヌーン」が省略され、複数の代名詞の「ワーゥ(w)」も母音なしの子音2つ(「w」と次の「---nna」の最初の母音の付かない「n」と)が続くことになるために省略されている(つまり、本来の「tublawuwnnna」から「w」と「n」が省略されたもの)。

『おまえたち以前に啓典を授けられた者たちと』 ユダヤ教徒とキリスト教徒と。

『多神を拝する者たちから』 アラブの。

『多くの悪口を聞くであろう』 ののしりや中傷、そしておまえたちの女へのからかいなど。

『おまえたちが耐え』 それに。

『畏れ身を守るなら』 アッラーを。

『それは物事の定めである』 つまり、それは義務であるがゆえに、堅く決意すべき、決意を要する事柄なのである。

しもべが固く決意し断行すべきこと、あるいは、アッラーが決定し、望み給うたことである。

アッラーが啓典を授けられた者たちに、彼らがそれを人々に解明し、それを隠蔽しないよう誓約を取り付け給うた時のこと。彼らはそれを背後に投げ捨て、それによってわずかな代価を買い取った。彼らの買い取るもののなんと悪いことか。(3:187)

ハフス&アースィム版:アッラーが啓典を授けられた者たちに、「おまえたちはそれを人々に解明し、それを隠蔽してはならない」と誓約を取り付け給うた時のこと。彼らはそれを背後に投げ捨て、それによってわずかな代価を買い取った。彼らの買い取るもののなんと悪いことか。(3:187)

『それを』 啓典を。

『人々に解明し』 すなわち(『それを隠蔽しないよう』)。

『それを隠蔽しないよう』 つまり、啓典を。『解明し』と『隠蔽しない』の2つの動詞においては、三人称複数の接頭辞「ヤーゥ(y)」で(「yubayyinunna-hu(彼らがそれを解明し・・・)」「yaktumūna-hu(彼らがそれを隠蔽し・・・)」と)読む読誦法と、二人称複数の接頭辞「ターゥ(t)」で(「tubayyinunna(おまえたちがそれを解明し・・・)」「taktumūna-hu(おまえたちがそれを隠蔽し・・・)」と)読む読誦法がある(監訳者注:ハフス&アースィム版は後者の読誦法を採る)。

『誓約を』 律法の中で彼らに課せられた誓約である。

『時のこと』 思い起こせ。

『彼らはそれを背後に投げ捨て』 誓約を破棄し、それを行わなかった。

『それによって』 その代価として。

『わずかな代価を』 現世の。知識における自分たちの指導者的立場ゆえに庶民から。

『買い取った』 受け取った。そして、それ(既得権)を失うことを恐れて、それ(真実)を隠蔽した。

『彼らの買い取るものの』 彼らのその買い物の。

おまえは決して考えてはならない。己のもたらしたことに喜び、なしていないことで称賛されることを好む者。彼らが懲罰から逃れたところに居ると決して考えてはならない。彼らには痛烈な懲罰がある。(3:188)

『おまえは決して考えてはならない』 二人称単数の接頭辞「ターゥ(t)」で「lātahsabanna(おまえは決して考えてはならない)」と読む読誦法と、三人称単数の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「lā yahsabanna(彼は決して考えてはならない)」と読む読誦法がある(その場合、『・・・好む者』が主語)。

『己のもたらしたことに』 人々を迷わせたことに。

『なしていないことで』 真理を捉えることをしないで。迷誤にあるにもかかわらず。

『彼らが懲罰から』 来世での。

『逃れたところに』 救われた場所に。

『居ると決して考えてはならない』 いや、彼らは懲罰を受ける場所に居る。つまり、火獄である。二人称単数の接頭辞「ターゥ(t)」で「lā tahsabanna(おまえは決して考えてはならない)」と読む読誦法と、三人称の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「lā yahsabanna(彼は決して考えてはならない)」と読む二つの読誦法がある。

『彼らには痛烈な懲罰がある』 苦痛を与える懲罰が。
最初の『考えてはならない』は、下に点を打って三人称の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「lāyahsabanna(・・・者たちは・・・と決して考えてはならない)」と読む読誦法の場合、その2つの目的語は(省略されており)、後の(『考えてはならない』の)、第二の(「考えてはならない」の)文の2つの目的語がそれを示している(「彼らが」「逃れたところにいる(目的格補語)」)。一方、接頭辞に上に点を打って二人称単数の接頭辞「ターゥ(t)」で「lā tahsabanna(おまえ{預言者}は・・・考えてはならない)」と読む読誦法の場合には、2つの目的語(・・・を・・・と決して考えてならない)のうち2つ目(「逃れたところにいる(目的格補語)」)のみが省略されている(おまえは決して考えてはならない、己のもたらしたことに喜び、なしていないことで称賛されることを好む者のことを)。

アッラーに天と地の主権は属す。そして、アッラーはすべてのことに全能なる御方。(3:189)

『アッラーに天と地の主権は属す』 雨、糧、草木、その他の宝庫は。

『アッラーはすべてのことに全能なる御方』 その中には、不信仰者の懲罰と、信仰者の救済が含まれる。

まことに、天と地の創造物と夜と昼の交替のうちには賢慮ある者への印がある。(3:190)

『天と地の創造物と』 その間にある諸々の驚異と。

『夜と昼の交替のうちには』 行ったり来たり、増えたり減ったりすることによる。

『賢慮ある者への』 理性を備えた者への。

『印がある』 至高なる御方の力の証しが。

イブン・アッバースによると、マッカの住民たちが預言者に、印を見せよ、と言い、それに対してこの節は啓示された。

立ち、座り、また横たわってアッラーを念じ、天地の創造物について考える者たち。「われらが主よ、あなたはこれを無駄に創り給うたのではない。称えあれ、あなたこそ超越者。われらを獄火の懲罰から守り給え」。(3:191)

『立ち、座り、また横たわって』 横になって。つまり、あらゆる状態で。

『アッラーを念じ』 イブン・アッバースによれば、彼らはそのような姿勢で能力に応じて礼拝する。

『天地の創造物について考える』 そして、それによってそれらを作った御方の力を推し量る。

『・・・者たち』 前節の語(『賢慮ある者』)の形容修飾句、あるいは言い換えである。そして彼らは言う。

『これを』 われらが目にする被造物を。

『無駄に』 状態の副詞的修飾句の対格。無益なものとして。

『創り給うたのではない』 そうではなく、あなたの力の完全さの証しとして(創り給うたのである)。

『称えあれ、あなたこそ超越者』 あなたを無意味なことから清め奉る。

「われらが主よ、あなたは、あなたが獄火に入れ給う者を確かに辱め給うた。そして、不正な者に援助者などいない」。(3:192)

『あなたが獄火に入れ給う者を』 そこに永遠に留めるために。

『確かに辱め給うた』 卑しめ給うた。

『不正な者に』 不信仰者に。代名詞の場所に実名詞を置き、辱めが彼らに限られることを示している。

『援助者などいない』 「 min(・・・など)」は虚字。至高なるアッラーの懲罰からおまえたちを防ぎ守る者は(いない)。

「われらが主よ、われらは、おまえたちの主を信じよ、と信仰に招く者が呼ぶのを聞き、信じた。われらが主よ、それゆえわれらの罪を赦し、われらの悪行を帳消しにし、敬虔な者たちと共にわれらを召し上げ給え」。(3:193)

『われらは、おまえたちの主を信じよ、と』 「と(an)」とは「との(bi-an)」。

『信仰に』 それ(信仰)へと。

『招く者が』 それはムハンマド、あるいはクルアーンである。

『呼ぶのを』 人々を。

『信じた』 それを。

『われらの悪行を帳消しにし』 覆い隠し。それに対する応報によってそれを明るみに出し給うな。

「罪(dhunūb)」は、ただ恩寵によってのみ赦されるものである。あるいはそれは大罪を指す。一方、「悪行(sayyi’āt)」は、善行によって帳消しにされるものである。あるいは、それは小さな罪を指す。

『敬虔な者たちと共に』 預言者と義人たちと。

『われらを召し上げ給え』 われらの魂を取り上げ給え。

「われらが主よ、あなたの使徒を通してわれらに約束し給うたものをわれらに与え、審判の日にわれらを辱め給うな。あなたは約束を違え給いはしない」。(3:194)

『あなたの使徒を通して』 彼の口を通して。

『われらに約束し給うたものを』 慈悲と恩恵など。

『われらに与え』 授け。至高なる御方は約束し給うたことを破り給うことはないが、このような願いをしたのは、自分たちがそれに相応しいことに確信が持てないため、それに相応しい者のうちに加え給うことを求めているのである。『われらが主よ』という言葉の繰り返しは、謙虚さを強調したものである。
『あなたは約束を違え給いはしない』 甦りと報奨に関する約束を。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2006年 アラブ イスラーム学院