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【第3章 イムラーン家】
(3:166〜3:180)
 

両軍の対戦の日におまえたちを襲ったことはアッラーの御許しによるもので、信仰者を知り給うためであり、(3:166)

『両軍の対戦の日に』 ウフドの戦いの日に。

『アッラーの御許しによるもので』 彼の御意志によるもので。

『信仰者を』 真の信仰者を。

『知り給うためであり』 アッラーが。外界に現実化した知識によって。

また、信仰を偽り、そして、「来て、アッラーの道において戦え。あるいは、防衛せよ」と言われると、「もし戦闘を知っていれば、おまえたちに従ったのだが」と言う者たちを知り給うためであった。彼らはその日、信仰に対するより、不信仰に対して近かった。彼らは心にないことを口先で言っている。だが、アッラーは彼らの隠すことについて最も良く知り給う御方。(3:167)

『信仰を偽り、そして・・・と言う者たちを』 (『信仰を偽り、そして』の後に)関係詞「alladhīna(・・・者)」(を補う)。

この文章は 2通りの解釈が可能である。1つによれば、(『そして・・・』以下を)新しい文章とするもので、アッラーは、彼らが戦闘、あるいは防衛を命じられた者であったことを告げておられる(つまり、「また、信仰を偽る者たちを知り給うためであった。彼らは、『来て・・・』と言われると・・・と言った」)。別の(『タフスィールアル=ジャラーライン』の注釈が採る)解釈によれば、(『・・・と言われると・・・言う』は『信仰を偽り』につながり、関係詞の領域に含まれる。(・・・)

『アッラーの道において戦え』 彼の敵たちと。

『防衛せよ』 われらを(敵の)民から。戦わないまでも、おまえたちの員数を増やして。

『・・・と言われると』 彼らが戦闘から背を向け戻った時に。それは、アブドッラー・ブン・ウバィイとその仲間(の300人)のことである。

『もし戦闘を知っていれば』 熟練していれば。

『「・・・おまえたちに従ったのだが」と言う・・・』 至高なる御方は彼らの嘘を暴いて(次のように)仰せられた。

『彼らはその日、信仰に対するより、不信仰に対して近かった』 彼らが見せた信仰者を見捨てる姿勢によって。それ以前は表面的には信仰に対して近かったが。

『彼らは心にないことを口先で言っている』 もし戦闘を知っていたとしても、おまえたちには従わなかったであろう。

『彼らの隠すことについて』 偽信仰について。

居残って、自分の兄弟に対して、「彼らもわれらに従っていれば、殺されることはなかったものを」と言った者たちである。言え、「ならば、自分自身から死をはね除けてみよ。もしおまえたちが正しいならば」。(3:168)

『居残って』 ジハードから。それ以前から(qad)。

『自分の兄弟』 宗教における。

『彼らも』 つまり、ウフドの戦いでの殉死者、あるいは、われらの兄弟が。

『われらに従っていれば』 居残ることにおいて。

『・・・と言った者たち』 前節の『(・・・偽る)者たち』の言い換え。あるいは形容詞句。

『言え』 彼らに。

『自分自身から死をはね除けてみよ』 防いでみせよ。

『もしおまえたちが正しいならば』 居残れば、それ(死)から救われるということにおいて。

アッラーの道において殺された者たちが死んだと決して考えてはならない。いや、彼らの主の御許で生き、糧を与えられている。(3:169)

殉教者について啓示し給うた。

『アッラーの道において』 彼の宗教のために。

『殺された者たちが』 第2語根を促音なしで原形受動態で「qutilū(殺された)」と読む読誦法と派生形第2形受動態で「quttilū(惨殺された)」と読む読誦法がある。

『彼らの主の御許で生き』 彼らは。ハディースに伝えられるように、彼らの魂は緑の鳥の内部にあり、楽園を思いのままに飛び回っている。

『糧を与えられている』 楽園の果実を食べている。

殉教者の魂は肉体を離れるとすぐに楽園に入るが、一般の信仰者の魂は審判の日に肉体を得て楽園に入る。イブン・アッバースによると、アッラーの御使いは言われた、「殉教者の魂は緑の鳥の腹に入り、楽園の川の水を飲み、楽園の果実を食べ、玉座の陰にくくられた燭台に身を寄せる」。

アッラーが彼らに授け給うた恩恵に満悦し、彼らの後で、まだ彼らに追いついていない者たちについて、彼らに恐れがなく、彼らが悲しまないことを喜んでいる。(3:170)

『アッラーが彼らに授け給うた恩恵に満悦し』 (前節の)『糧を与えられている』の代名詞にかかる状態の副詞的修飾句。そして彼らは(次のようである)。

『彼らの後で、まだ彼らに追いついていない者たち』 彼らの信仰者における同胞のうち。

『彼らに恐れがなく』 つまり、『まだ追いついていない者たち』には。

『彼らが悲しまない』 来世で。

『・・・ことを』 「・・・ことについて(bi-an)」ということである。前の『・・・者たちについて』の言い換え。

『喜んでいる』 満悦している。つまり、(後から殉死する)彼らの(来世での)安全と歓喜を(先に殉死した)彼らは喜んでいるのである。

彼らが現世に生きて残した兄弟たちが信仰とジハードの道にあり、彼らが殉教すれば自分たちに追いつき、自分たちの得たような恩恵に与ることを喜んでいる。

彼らは、アッラーからの御恵みとさらなる御好意、そして、アッラーが信仰者の報酬を損なわれないことを喜ぶ。(3:171)

『アッラーからの御恵みと』 報奨と。

『さらなる御好意』 それに加えた追加。

『そして』 『御恵み』と同格接続(御恵みと、そしてアッラーが・・・ことを喜ぶ)で辞詞「・・・こと」を語頭の「ハムザ」を母音「a」で「anna」と読む読誦法と、新しい文章として、母音「i」で「inna」と読む読誦法がある。

『アッラーが信仰者の報酬を損なわれないことを喜ぶ』 それどころか、彼らに報いを与え給う。

アッラーは、殉教者たちが彼らの後からまだ彼らに追いついていない者たちのことを喜ぶことを明らかにし給うた後、彼らが自分自身に与えられた恵みを喜ぶことを明らかにし給うた。

痛手が彼らを襲った後でアッラーと使徒に応えた者、彼らのうち善を尽くし、畏れ身を守った者には大いなる報奨がある。(3:172)

『痛手が彼らを襲った後で』 ウフドの戦いで。

『アッラーと使徒に応えた者』 主部。戦闘への出陣の呼びかけに。アブー・スフヤーンとその仲間が離脱しようとした時に。

この呼びかけは、ウフドの戦いの翌日の日曜のことであった。これはハムラーゥ・アル=アサドの戦いのことである。ハムラーゥ・アル=アサドはマディーナから8マイルの地点にある。
・・・アッラーの御使いのムアッズィン(礼拝告知者)は言った、「きのうの戦いにわれらと共にいた者でなければわれらと出兵してはならない」。そこでウフドの戦いに立ち会った者が出陣した。その数は630人であった。

彼らは、預言者と、ウフドの戦いの日の翌年にバドルの定期市(での対戦)を約束した。

アブー・スフヤーンは、ウフドを去る時、「ムハンマドよ、われらの対決は来年、バドルの地でどうだ、おまえが望むなら」と言った。それに対し預言者は、「至高なるアッラーが御望みなら」と言われた。

『彼らのうち善を尽くし』 (以下『・・・報奨がある』までは)主部の述部。服従行為によって。

『畏れ身を守った者には』 彼に背くことを。

『大いなる報奨がある』 それは楽園である。

人々が彼らに向かって「まことに人々がおまえたちに対して結集した。それゆえ彼らを恐れよ」と言うと、それは彼らの信仰を増し加え、「われらにはアッラーで十分。なんと良き管理者か」と言った者。(3:173)

『人々が』 ナイーム・ブン・マスウード・アル=アシュジャイーのことである。

個体(ナイーム)によって、全体(人々)を指している。彼は後年の「塹壕の戦い」の日にムスリムとなる。

『彼らに向かって』 「alladhīna」は前節の『・・・者』の言い換え、あるいは形容修飾句である。

『人々が』 アブー・スフヤーンと彼の仲間が。

『おまえたちに対して結集した』 軍隊を。おまえたちを根絶するために。

『彼らを恐れよ』 そして、彼らの許に来るな。

『それは』 その言葉は。

『彼らの信仰を増し加え』 アッラーへの信仰と確信を。

『われらにはアッラーで十分』 彼らの一件については、彼(アッラー)のみでわれらに十分である。

『なんと良き管理者か』 彼は。物事が委任される御方(これはイブラーヒームが火に投じられた時に言った言葉である)。

そこで彼らはアッラーからの御恵みと恩恵と共に戻り、災難は彼らを襲わず、彼らはアッラーの御満悦に従った。アッラーは大いなる恩恵の主にあらせられる。(3:174)

彼らが、預言者とともに出掛け、バドルの市に到着した。一方、アッラーはアブー・スフヤーンと彼の仲間の心に恐怖を投じ給うたので、彼らはやって来なかった。彼ら(ムスリム軍)は商品を持っていたため、それを売り、そして戻った時に、至高なる御方が仰せられた。

『アッラーからの御恵みと恩恵と共に』 無事に、儲けと共に。

『戻り』 バドルから。

『災難は』 殺害や負傷は。

『彼らはアッラーの御満悦に従った』 出陣における彼とその使徒への服従によって。

『アッラーは大いなる恩恵の主にあらせられる』 服従の民に対し。

翌年、アブー・スフヤーンは、マッカの住民と共に出陣し、ムッル・アル=ザフラーンの地に駐留すると、アッラーが彼の心に恐怖を吹き込み給うた。そこで、彼は戻り始め、ウムラ(小巡礼)に行く途中のナイーム・ブン・マスウード・アル=アシュジャイーに出会った。アブー・スフヤーンは言った、「ナイームよ、バドルの地でまみえるとムハンマドに約束したが、今年は旱魃の年である。木々の世話をし、乳を飲む年でなければわれらには適当でない。そこに出陣しないほうが良いと考えた。だが、私が出陣しないのにムハンマドが出陣し、そのことが彼らを勇気付けることを私は厭う。約束の違反が彼ら側にある方が私側にあるより私にとっては望ましいからだ。それゆえ、マディーナに行き、彼らに『アブー・スフヤーンが大軍を引き連れて到着しているのでおまえたちにはなすすべがないぞ』と言って、彼らを引きとめよ。そうすれば、おまえのためにラクダ10頭をスハイル・ブン・アムルに渡そう」。(・・・)
そこでナイームがマディーナに行くと、そこでは人々がアブー・スフヤーンとの約束に出掛ける準備をしていた。ナイームは言った、「おまえたちはなにをしているのだ」。「われらはアブー・スフヤーンと小バドルで対戦することを約束したのだ」。「なんと悪い見識か。彼らはおまえたちの家、居住地に攻めて来ていて、逃亡者を除き、誰も逃れられなくなっている。それなのに出兵しようというのか。彼らは約束の地にすでに集まっている。アッラーに誓って、おまえたちは誰も逃れることはできない」。それを聞いたアッラーの教友の一部は出陣を嫌った。
しかしアッラーの使徒は、「私の魂を御手になさる御方に誓って、私は出陣する。たとえ、私一人きりであっても。誰ひとり私と共に出掛けないとしても」と言われ、彼と共に70人の騎乗の者が、「われらにはアッラーで十分。なんと良き管理者か」と言いながら、出陣し、小バドルに至った。そこは、ベドウィンたちが毎年8日間集まる市の立つ場所であった。預言者と教友たちはそこにちょうどその期間に留まり、偶然市に出会い、彼らの持っていた商品をなんでも売り、元手の2倍の利益を得た。
そして、マッカの多神教徒はついに来なかった。70人の騎乗の者というのは正しくなく、この戦役に出陣したムスリムは1500人と伝えられる。アブー・スフヤーンと共にムッル・アル=ザフラーンに出陣した多神教徒は2000人であった。
これが、ヒジュラ暦4年シャアバーン月(8月)にあった第3次小バドルの戦いである。

それはシャイターンで、自分の追従者たちのことを恐れさせる。それゆえ彼らを恐れず、われを恐れよ。もしおまえたちが信仰者であるなら。(3:175)

『それは』 『まことに人々がおまえたちに対して結集した・・・』とおまえたちに言った者(ナイーム・アル=アシュジャイー)。

一説では『それは』は主語で、『シャイターン』が述語。また一説では、『それは』が主語で、『シャイターン』は第二主語で、『自分の追従者たちのことを恐れさせる』は第二主語の述語。

『自分の追従者たちのことを恐れさせる』 おまえたちに、不信仰者(シャイターンの追従者)を。

『彼らを恐れず、われを恐れよ』 われの命令を怠ることにおいて。

『もしおまえたちが信仰者であるなら』 真の信仰者で。

また、不信仰に急ぐ者たちがおまえを悲しませることがあってはならない。彼らはわずかにもアッラーを損なうことはない。アッラーは彼らに来世での取り分を与えまいと欲し給う。そして彼らには大いなる懲罰がある。(3:176)

『不信仰に急ぐ者たち』 不信仰を助けることによって、それに急いで落ち込む者。

つまり、預言者と教友たちに対して戦うことで不信仰を助けることによって。(cf., al=SāwīHāshiyah al=Sāwī, vol.1, p.192)。

それはマッカの住民、または、偽信者のことである。つまり、彼らの不信仰を気に掛けるな。

『おまえを悲しませることがあってはならない』 人称接頭辞の「ヤーゥ(y)」を母音「u」で第2語根の「ザーィ(z)」を母音「i」とし派生形第4形で「yuhzin」と読む読誦法と、人称接頭辞の「ヤーゥ(y)」を母音「a」、第2語根を母音「u」とし、他動詞の第4形「ahzana-hu」の意味の方言「hazana-hu」の未完了形短形として「yahzun」と読む読誦法がある。

『彼らはわずかにもアッラーを損なうことはない』 彼らの行いによって。それは彼ら自身に害をなすだけである。

『来世での取り分を』 分け前を。つまり、楽園を。

『与えまいと欲し給う』 それで彼らを見放し給うたのである。

『彼らには大いなる懲罰がある』 獄火の中で。

信仰に代えて不信仰を買い取った者はわずかにもアッラーを損なうことはなく、彼らには痛烈な懲罰がある。(3:177)

『信仰に代えて不信仰を買い取った者は』 信仰に代えて不信仰を選び取った者は。

『わずかにもアッラーを損なうことはなく』 彼らの不信仰によって。

『痛烈な懲罰がある』 苦痛を与える懲罰がある。

信仰を拒絶する者たちは、われらが彼らを猶予することを自分たちにとって良いと決して考えてはならない。われらが彼らを猶予するのは、彼らが罪を増し加えるためにほかならない。そして、彼らには恥辱の懲罰がある。(3:178)

『われらが彼らを猶予することを』 寿命を延ばし、遅らせることによるわれらの猶予を。

『自分たちにとって良いと決して考えてはならない』 三人称の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「yahsabanna(・・・者たちは・・・と決して考えては)」と読む読誦法と、二人称単数の接頭辞「ターゥ(t)」で「tahsabanna(おまえは・・・と決して考えては)」と読む読誦法がある。

「・・・すること(特殊辞詞「anna」)」とその機能の対象となる二つのもの(『われらが彼らを猶予すること(主語)』『自分たちに良いこと(述語)』)は、接頭辞の文字の下に二つの点を打って(「yahsabanna(・・・者たちは・・・と決して考えては)」と)読む読誦法では、構文上、(動詞句『・・・者たちは・・・と決して考えてはならない』の)二つの目的語の位置を占める。また、別の読誦法(「おまえは・・・決して考えてはならない」)では、第二目的語の位置を占める(第一目的語は、「・・・者たち」)。

『われらが彼らを猶予するのは』 つまり彼らを遅延するのは。

『彼らが罪を増し加えるためにほかならない』 多くの反逆行為によって。

『恥辱の懲罰』 屈辱的な。来世において。

アッラーは、信仰者たちをおまえたちが今ある状態に放置するような御方ではなく、いずれ悪い者を良い者から区別し給う。アッラーは、おまえたちに不可視界を垣間見させるような御方ではなく、アッラーは彼の使徒のうちから御望みの者を選び給う。それゆえ、アッラーと彼の使徒を信じよ。もしおまえたちが信じ、畏れ身を守るなら、おまえたちには大いなる報奨がある。(3:179)

『おまえたちが』 人々よ(信仰者と不信仰者を含めた人々一般に向けられたもの)。

『今ある状態に』 純粋な信仰者とそうでない者が混ざった状態に。

『放置するような御方ではなく』 黙認し給うような。

『いずれ悪い者を』 偽信者を。

『良い者から』 信仰者から。

『区別し給う』 分け給う。それを明白にする苦難を課すことによって。彼はそれをウフドの日になし給うた。『区別し給う』は促音なしに原形で「yamīza」と読む読誦法と「派生形第2形で第2語根を促音で「yumayyiza」と読む読誦法がある。

『不可視界を垣間見させるような御方ではなく』 それゆえ、区別の前に偽信者をそうでない者たちから見分けよ。

『アッラーは彼の使徒のうちから御望みの者を選び給う』 選別し給う。そして、その者に彼(アッラー)の不可視界を垣間見せ給う。ちょうど、預言者に偽信者の実態を見せ給うたように。

『畏れ身を守るなら』 偽信仰を。

アッラーが恩恵として与え給うたものを出し惜しみする者たちは、それが自分たちにとって良いと決して考えてはならない。いや、それは彼らにとって悪いことである。審判の日、彼らは自分が出し惜しみしたものに首を巻かれるであろう。天と地の遺産はアッラーに属す。アッラーは彼らのなすことに精通し給う御方。(3:180)
ハフス&アースィム版:アッラーが恩恵として与え給うたものを出し惜しみする者たちは、それが自分たちにとって良いと決して考えてはならない。いや、それは彼らにとって悪いことである。審判の日、彼らは自分が出し惜しみしたものに首を巻かれるであろう。天と地の遺産はアッラーに属す。アッラーはおまえたちのなすことに精通し給う御方。(3:180)

『アッラーが恩恵として与え給うたものを』 自分の法定喜捨を。

『それが』 出し惜しみすることが。

『自分たちにとって良いと決して考えてはならない』三人称の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「yahsabanna(・・・者たちは・・・と決して考えては)」と読む読誦法と、二人称単数の接頭辞「ターゥ(t)」で「tahsabanna(おまえは・・・決して考えては)」と読む読誦法がある。
接頭辞に上に点を打って二人称単数の接頭辞「ターゥ(t)」で「tahsabanna(おまえは・・・決して考えては)」と読む読誦法の場合には、『良い』は(『考えてはならない』の)第二目的語である。代名詞『それが』が置かれているのは、(動詞と目的語の間に)挿入句があるからで、第一目的語「彼らの吝嗇が」は関係詞句「出し惜しみする者たち(の)」の前に省略されている(つまり、出し惜しみする者たちの吝嗇が・・・)。また、下に点を打って三人称の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「yahsabanna(・・・者たちは・・・と決して考えては)」と読む読誦法の場合には、代名詞『それが』の前に「彼らの吝嗇が」が省略されている。

『自分が出し惜しみしたものに』 彼の法定喜捨の財産によって。

『首を巻かれるであろう』 ハディースに伝えられるように、彼(アッラー)はそれを首に巻きついた蛇となし給い、それは彼に噛み付く。

アブー・フライラによると、アッラーの御使いは言われた、「アッラーが財産を与え給うた者で法定喜捨を払わなかった者には、審判の日、それが2つの干しブドウのある禿の大蛇となって首に巻きつき、両頬に噛み付いて言うであろう、『われはおまえの財産だ。われはおまえの宝だ』」。それから『アッラーが恩恵として与え給うたものを出し惜しみする者たちは・・・』を読誦された(アル=ブハーリーの伝える伝承)。「2つの干しブドウ(zabībatān)」とは、蛇の目の上にある2つの黒点のことであるとも言われる。

『天と地の遺産はアッラーに属す』 両者の持ち主が消滅した後、アッラーが相続し給う。

『アッラーは彼らのなすことに』 (三人称複数の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「yamalūna(彼らのなす・・・)」と読む読誦法と、二人称複数の接頭辞「ターゥ(t)」で「tamalūna(おまえたちのなす・・・)」と読む読誦法がある(監訳者注:ハフス&アースィム版は後者の読誦法を採る)。

『精通し給う御方』 そして、それに対しておまえたちに報い給う。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2005年 アラブ イスラーム学院