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【第3章 イムラーン家】
(3:109〜3:121)
 

天にあるものも地にあるものもアッラーに属し、万事はアッラーに帰される。(3:109)

『天にあるものも地にあるものもアッラーに属し』 所有物として、被造物として、そして、しもべとして。

『万事はアッラーに帰される』 行き着く。

おまえたちは人々のために引き出された最良の共同体であった。良識を命じ、悪行を禁じ、アッラーを信仰する。啓典の民が信仰したら、それは彼らにとって良いことであった。彼らの中には信仰者もいるが、その多くは背信者である。(3:110)

『おまえたちは・・・であった』 ムハンマドのウンマ(共同体)よ、おまえたちは。至高なるアッラーの知識の中においては。

『おまえたち・・・であった(kuntum)』は、ある物の実現を、以前か以後の非在を示すことなく過去の時制の形で示す(補語を取る)不完全動詞「kāna」の二人称男性複数完了形である。例えば、『アッラーはよく赦し慈悲深い御方であった(kāna)』のように。あるいは、おまえたちはアッラーの知識の中において、あるいは守られた書板(アル=ラウフ・アル=マフフーズ)の中で、あるいは過去の共同体の中で、そういうものとなっている、ということだとも言われる。あるいは一説によれば、これは、「おまえたちは・・・最良の共同体である」という意味である。

『人々のために引き出された』 出現させられた。
人々の利益と福祉のために。

『啓典の民が信仰したら、それは』 信仰は。

『彼らの中には信仰者もいるが』 アブドッラー・ブン・サラームと彼の仲間のように。

ユダヤ教徒やキリスト教徒が完全な信仰を持ったら、それはムーサーのみの信仰、イーサーのみの信仰よりもずっと良い。

『その多くは背信者である』 不信仰者である。

彼らはおまえたちには嫌がらせのほかには害をなすことはない。もし彼らがおまえたちに戦いをしかけても、彼らはおまえたちに背を向け、援助されることもない。(3:111)

『彼らは』 ユダヤ教徒は。

『おまえたちには』 ムスリム一同よ。

『嫌がらせのほかには』 中傷や恫喝などの言葉による。

『害をなすことはない』 少しも。

『彼らはおまえたちに背を向け』 敗走し。

『援助されることもない』 おまえたちに勝つように。いや、おまえたちにこそ、彼らに対する勝利はある。

彼らはどこで見つけられても屈辱がもたらされる。アッラーからの盟約と人々からの盟約による以外は。彼らはアッラーからの怒りを持ち来たり、彼らには貧困が襲う。それは、彼らがアッラーの印を否定し、預言者たちを正義に反して殺したためである。それは、彼らが背き、法を越えたためである。(3:112)

『どこで見つけられても屈辱がもたらされる』 どこで発見されても。彼らには栄光も庇護もない。

『人々からの盟約による』 信仰者たちからの。

それはジズヤ(人頭税)を納めるという条件での信仰者たちの彼らに対する安全保障の協定。

『・・・以外は』 ・・・のである以外は。

『彼らはアッラーからの怒りを持ち来たり』 持ち帰り。

『それは彼らが・・・ためである』 その理由は彼らが。

『それは』 強調。

『彼らが背き』 アッラーの命令に。

『法を越えたためである』 ハラール(許されたこと)を越えて、ハラーム(禁じられたこと)を犯したからである。

彼らは同等ではない。啓典の民のうちにも正しい共同体があり、彼らはアッラーの印を夜中に読み、彼らは跪拝する。(3:113)

『彼らは』 つまり、啓典の民は。

『同等ではない』 均等ではない。

『正しい共同体があり』 真理の上に真っ直ぐに確固と立った。例えば、アブドッラー・ブン・サラームと彼の仲間たち。

彼らはユダヤ教徒だったがイスラームを受け入れた。また、ナジュラーンのキリスト教徒40人、エチオピア人32人、ローマ人3人などは元はイーサーの宗教にあったが、ムハンマドを認めた。また、キリスト教徒の中には唯一神信仰を守っていた者たちがあり、彼らは預言者が遣わされると、彼を認め、彼を助けた。

『夜中に読み』 その(夜の)時間に。

『彼らは跪拝する』 礼拝する。状態の副詞的修飾句。

彼らはアッラーと最後の日を信じ、良識を命じ、悪行を禁じ、善行に急ぎ向かう。それらの者は正しい者である。(3:114)

『それらの者は』 既述の特徴を持った者たちは。

『正しい者である』 中にはそうでない者たちがいる。彼らは正しい者ではない。

おまえたちのなすどんな善行も、おまえたちはそれを拒絶されることはないであろう。アッラーは畏れ身を守る者についてよく知り給う御方。(3:115)
ハフス&アースィム版:
彼らのなすどんな善行も、彼らはそれを拒絶されることはないであろう。アッラーは畏れ身を守る者についてよく知り給う御方。(3:115)

『おまえたちのなす』二人称複数の接頭辞「ターゥ(t)」で「tafalū」と読む読誦法では、つまり、「ウンマ(共同体)よ」。別の読誦法で、三人称複数の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「yafalū(彼らのなす)」と読むならば、つまり、「正しいウンマは」(監訳者注:ハフス&アースィム版は後者の読誦法を採る)。

『おまえたちはそれを拒絶されることはないであろう』 つまり、その報償を失わされることはない。いや、それに対しおまえたちは報いられる。(二人称複数の接頭辞「ターゥ(t)」で「tukfarū-hu(おまえたちはそれを拒絶される・・・)」と読む読誦法と、三人称複数の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「yukfarū-hu(彼らは・・・拒絶される)」と読む読誦法の)二つの読誦法がある(監訳者注:ハフス&アースィム版は後者の読誦法を採る)。

まことに、信仰を否定する者には、彼らの財産も子供たちもアッラーに対してはなんの足しにもならないであろう。それらの者は獄火の輩である。彼らはそこに永遠に留まる。(3:116)

『彼らの財産も子供たちも』 この 2つに特に言及しているのは、人は時に財産を差し出し、また時に子供の助けを借りて我が身を守るからである。

『アッラーに対しては』 つまり、彼の懲罰に対して。

『なんの足しにもならないであろう』 防いではくれない。

彼らがこの現世で費やすものの譬えは、ちょうど己に不正をなす者たちの畑を襲い、それを滅ぼす寒暑の風の譬えのようである。アッラーが彼らに不正をなし給うのではなく、彼ら自身が不正をなすのである。(3:117)

『彼らが』 つまり、不信仰者が。

『この現世で費やすものの』 預言者の敵意において、あるいはサダカ(喜捨)などで。

例えばアブー・スフヤーンのように預言者に敵対するために費やした財産や喜捨である。不信仰者が喜捨を行ってもその報奨はない。どんな行いもそれが報奨を受けるためには信仰が条件である。

『譬えは』 特徴は。

『己に不正をなす』 不信仰と反逆によって。

『畑を』 農産物を。

『それを滅ぼす寒暑の』 熱い、あるいは激しい寒さの。

『寒暑(sirr)』とは、「風の中で炎の燃える音」で、転じて「猛暑」「炎の音」「風音」をも指す、とも言われる。

『風の譬えのようである』 それで彼らはそれから益を得ることがない。彼ら(不信仰者)の出費も同じことで雲散霧消し、その益を得ることはない。

『アッラーが彼らに不正をなし給うのではなく』 彼らの出費を無駄にすることによって。

『彼ら自身が不正をなすのである』 その損失を必然とする不信仰によって。

信仰する者たちよ、おまえたち以外に腹心をもってはならない。彼らはおまえたちの破滅にはなにも厭わず、おまえたちが苦しむことを望む。憎悪は彼らの口からすでに顕わになっている。だが、彼らの胸が隠すものはさらに大きい。われらはおまえたちに印を明示した。おまえたちが考えるなら。(3:118)

『おまえたち以外に』 つまり、おまえたち(自身)の他のユダヤ教徒やキリスト教徒や偽信者から。

『腹心をもってはならない』 おまえたちの秘密を打ち明ける親友を。

『腹心(bitāna)』とは、心の秘密を打ち明ける親友のことで、服の「裏地(bitāna)」からの比喩表現。

『破滅には』 前置詞(fī(において)」、破滅において)が除去されることによって(動詞の目的語に準じ)対格になっている。つまり、おまえたちへの危害のためには労を惜しまない。

『おまえたちが苦しむことを』 つまり、おまえたちを苦しませることを。それは酷い妨害のことである。

『望む』 願う。

『憎悪は』 おまえたちに対する敵意は。

『彼らの口から』 おまえたちへの中傷と、おまえたちの秘密を多神教徒に漏らすことによって。

『すでに顕わになっている』 現れている。

『彼らの胸が隠すものは』 敵意は。

『われらはおまえたちに印を明示した』 彼らの敵意の。

『おまえたちが考えるなら』 それについて。それゆえ、彼らを味方にするな。

これ、おまえたち、おまえたちは、彼らを愛しているが、彼らはおまえたちを愛してはいない。おまえたちは啓典をすべて信じるが、彼らはおまえたちに会うと、「われらは信じた」と言うが、彼らだけになるとおまえたちへの憤怒に指先を噛む。言ってやれ、「おまえたちの憤怒で死ぬがいい。まことにアッラーは胸中をよく知り給う御方」。(3:119)

『これ』 注意の喚起である。

『おまえたち』 ムスリムたちよ。

『おまえたちは、彼らを愛しているが』 彼らのおまえたちとの血縁や友情ゆえに。

『彼らはおまえたちを愛してはいない』 宗教における彼らのおまえたちとの相違ゆえに。

『おまえたちは啓典をすべて信じるが』 諸啓典すべてを。だが、彼らはおまえたちの啓典を信じない。

『おまえたちへの憤怒に』 激しい怒りに。おまえたちの親睦を目にした時に。

『指先を噛む』 指の先を。『指先を噛む』とは、実際に指を噛まなくても激しい怒りを比喩的に表現したものである。

『おまえたちの憤怒で死ぬがいい』 死ぬまでそれ(憤怒)に留まるがよい。おまえたちは、おまえたちを喜ばせることを見ることはない。

『まことにアッラーは胸中をよく知り給う御方』 おまえたちの心にあることを。その中にはそれらの者が心に抱くことも含まれる。

おまえたちに幸運が訪れると、それは彼らを不幸にし、おまえたちに不幸が襲うと彼らはそれに喜ぶ。もしおまえたちが忍耐し、畏れ身を守るなら、彼らの悪巧みがおまえたちを害することはわずかにもない。まことにアッラーは彼らのなすことを取り囲んでおられる。(3:120)

『おまえたちに幸運が』 勝利や戦利品などの恵みが。

『訪れると』 降りかかると。

『それは彼らを不幸にし』 彼らを悲しませ。

『おまえたちに不幸が襲うと』 敗北や飢饉など。

『彼らはそれに喜ぶ』 条件節が前の条件節(『彼らはおまえたちに会うと・・・』119節)に続き、その間に挿入句(『言ってやれ。「おまえたちの憤怒で・・・」』)がある。彼らはおまえたちへの敵意に留まる、という意味である。それなのに、どうして彼らに味方するのか。むしろ、彼らを避けよ。

『おまえたちが忍耐し』 彼らの危害に。

『畏れ身を守るなら』 アッラーを。彼らの味方をすることなどにおいて。

『彼らの悪巧みがおまえたちを害することはわずかにもない』 と第1語根「ダード(d)」を母音「i」で、「ラーゥ(r)」を母音なしで「yadirr」(条件節の帰結節のため未完了短形となり語末は母音なし)と読む読誦法と、第1語根を母音「u」で、第2語根を促音で「yadurru」と読む読誦法(意味は同じ)がある(監訳者注:ハフス&アースィム版は後者の読誦法を採る)。

『まことにアッラーは彼らのなすことを』 三人称複数の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「yamalūna(彼らのなす・・・)」と読む読誦法と、二人称複数の接頭辞「ターゥ(t)」で「tamalūna(おまえたちのなす・・・)」と読む読誦法がある。

『取り囲んでおられる』 知っておられ、それに対し彼らに報いを与え給う。

おまえが信仰者たちを陣地に着かせるため、おまえの家から早朝に出掛けた時のこと。アッラーはよく聞き、よく知り給う御方。(3:121)

『陣地に』 彼らが留まる拠点に。

『着かせるため』 逗留させるために。

『おまえの家から』 マディーナから。

『早朝に出掛けた時のこと』 思い起こせ、ムハンマドよ。

『アッラーはよく聞き』 おまえたちの言うことを。

『よく知り給う御方』 おまえたちの状況を。

これはウフドの戦いのことである。彼は1000人、あるいは950人の男たちと出掛けられた。一方、多神教徒は3000人であった。彼は、ヒジュラ暦3年のシャウワール月(10月)7日の土曜、山道に駐留し、軍と共にウフドの山を背にして整列し、弓矢隊を座らせ、山のふもとのアブドッラー・ブン・ジュバイルに彼らの指揮を命じ、言われた、「彼らがわれらの背後に回り込まないように、われらを守って矢を射かけよ。われらが優勢になるか勝ったとしても動くな」。

アッラーの御使いがアーイシャの家を出て、徒歩でウフドに向かうと教友たちを並ばせられた。多神教徒たちは水曜にウフドに到着した。それを聞いたアッラーの御使いは、教友と話し合い、アブドッラー・ブン・ウバィイ・ブン・サルールを呼ばれた。彼を呼ぶのはこれが初めてであった。彼の意見を求めると、彼とアンサール(援助者たち)の多くは言った、「アッラーの御使いよ、マディーナに留まり、彼らの許に出掛けないでください。アッラーに誓って、われらがマディーナから出て敵に向かえば、必ず彼らはわれらに損失を与えます。彼らがマディーナに入ってくれば、必ずわれらは彼らに損失を与えます。あなたがわれらと共におられ、彼らを放っておいたら、どんなでしょう。彼らが駐留すれば、水も食べ物もない最悪の場所に留まり、彼らが攻め込んで来れば、正面から男たちが戦いを仕掛けます。そして女たちと子供が上から石を投げます。彼らが退却するときは敗れての退却です」。
アッラーの御使いは彼の見解に感心された。だが、教友の一部の者たちは言った、「アッラーの御使いよ、われらと共に出掛けてください。われらが彼らを避け、弱腰で、彼らを恐れていると思われないよう彼ら犬どもに向かって出陣してください」。アッラーの御使いは言われた、「私は夢で、私の周りで屠殺された牛を見た。それは良い夢だと解釈した。また、私は私の剣の先に折れ目を見た。それは敗戦であると解釈した。私は強固な鎖かたびらに手を入れたかのように思った。私はそれをマディーナのことだと解釈した。もしあなたがたがマディーナに留まり、彼らを放っておくと判断するなら、彼らが駐留する場合は悪い場所に駐留し、マディーナの中に入り込む場合はわれらが彼らを迎え討つことになる」。アッラーの御使いは、彼らがマディーナに入り込み、脇道で彼らと戦うことを気に入られた。すると、バドルの戦いを逃したムスリムの者たちで、ウフドの戦いで殉死の誉れをアッラーが恵み給うた者たちが言った、「われらと共に敵のところまで出掛けてください」。彼らは敵と対決したいという強い願いをアッラーの御使いに訴え続け、彼はとうとう家の中に入ると、甲冑を着けられた。武装した彼を見て、人々は悔み、言った、「なんということをわれらはしたのか。アッラーの御使いには啓示が訪れるというのに、われらは彼に指図するというのか」。彼らは立って、許しを乞い、言った、「アッラーの御使いよ、あなたの思うままにしてください」。するとアッラーの御使いは、「預言者がいったん鎧を着けたら、戦いを交えるまでそれを脱ぐべきではない」と言われた。
多神教徒軍は水曜、木曜とウフドに留まっていた。アッラーの御使いは金曜に、金曜の礼拝を教友とあげた後、出掛けられた。そして、ヒジュラ暦3年のシャウワール月7日(または6日)の土曜、ウフドの山道で朝を迎えられた。彼は涸川の下り坂に止まり、自分と教友の背をウフドの山の方に向け、アブドッラー・ブン・ジュバイルに弓矢の指揮を命じ、言われた、「矢でわれらを守れ。彼らがわれらの背後から来ないように」。また、言われた、「この場に留まれ。もし彼らがおまえたちを目にしたら、背を向けて逃げるだろう。逃げる者を追ってはならない。この場を離れてはならない」。
アブドッラー・ブン・ウバィイ・ブン・サルールにとってアッラーの御使いが彼の見解に従われなかったことは受け入れがたいことであった。彼は言った、「奴は小僧どもに従い、私に背いた」。そこで彼は、彼の仲間に向かって言った、「ムハンマドはおまえたちによって敵に勝利するにすぎない。彼は彼の仲間に、彼らの敵が彼らを見たら敗走することを約束した。それゆえ、おまえたちは彼らの敵を見たら、逃げ出せ。そうすれば彼らも逃げ出し、ムハンマドが彼の仲間に言ったこととは反対の事態となろう」。
対戦の時、ムスリム軍は 1000人、多神教徒軍は3000人であったが、アブドッラー・ブン・ウバィイ・ブン・サルールは彼の仲間の偽信者300人を連れて逃亡し、残ったのは700人であった。アッラーは彼らを強化し給い、ついに多神教徒たちは敗走した。多神教徒たちが敗走するのを目にしたムスリムたちは今回もバドルの戦いと同じであると考え、敗走する者たちを追いかけ、アッラーの御使いの命令に背いた。アッラーは使徒に背く前例とならないよう、この行為をやめさせ、バドルの勝利は彼らがアッラーと使徒に従ったがゆえの祝福であったことを教えることを望み給うた。そこでアッラーは多神教徒の心から恐怖を取り去り、彼らをムスリム軍の方に戻し給うた。するとムスリム軍は敗走し、教友の一団と共にアッラーの御使いが残られた。残った教友にはアブー・バクル、アリー、アッバース、タルハ、サアドなどがいた。その日、アッラーの御使いは、前歯(門歯に続く歯)が折れ、顔に裂傷を負われた。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2005年 アラブ イスラーム学院