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【第3章 イムラーン家】
(3:46〜3:61)
 

「彼は揺り籠の中でも、壮年でも人々に語り、正しい者の一人である」。(3:46)

『彼は揺り籠の中でも』つまり、赤ん坊でありながら。発話の時期以前に。

彼は、第19章[マルヤム]にあるように、揺り籠の中にいる乳飲み子の時に、「私はアッラーのしもべである」と語り、その後は普通の子供が話す年齢まで話さなかった。

『壮年でも人々に語り』「壮年(kahl)」とは、30才から40才を言う。

『正しい者の一人である』「正しい者(al-sālihīn)」とは、あらゆる行為の実践と放棄において最善の道を歩む者で、宗教のことにおいて、また俗世のことにおいて、心の行為において、また四肢の行為において、あらゆる階梯に到達することによってのみ実現される者である。それゆえに、スライマーンは預言を授かった後、「私をあなたの慈悲によってあなたの正しいしもべのうちに加え給え」と祈ったのであり、それゆえにまた、イーサーの特徴を数え上げた後、最高の段位を示すこの特徴をそれに続かせ給うたのである。

彼女は言った、「わが主よ、いかにして私に子供ができましょう。誰も私には触れていないのに」。彼は言った、「そのようにアッラーは御望みのものを創り給う。事を決め給うた時には、ただ『あれ』と仰せられるだけでそれはある」。(3:47)

『いかにして』どのように。

『誰も私には触れていない』結婚によっても、それ以外によっても。

マルヤムは母の誓いによって神殿に捧げられていたが、神殿の奉仕に捧げられた者は結婚しなかったからである。 

『そのように』万事は。おまえから父親なしに子供を創造したように。

『アッラーは御望みのものを創り給う』ヤフヤーの場合は、『なし給う(yaf‘alu)』であったが、性行為なしの出産は不妊の高齢者の出産よりもさらに驚異であるため、『創り給う(yakhluqu)』という動詞が使われている。

『事を決め給うた時には』その創造を望み給うた時には。

『ただ「あれ」と仰せられるだけでそれはある』つまり、それだけで、それはなるのである。

われらは彼に書と英知と律法の書と福音書を教える。(3:48)
ハフス&アースィム版:彼は彼に書と英知と律法の書と福音書を教え給う。(3:48)

『われらは』一人称複数の接頭辞の「ヌーン(n)」で「nu‘allimu(われらは…教える)」と読む読誦法と三人称単数の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「yu‘allimu(彼は…教え給う)」と読む読誦法がある(監訳者注:ハフス&アースィム版は、後者の読誦法を採る)。

『書と』文字と(読み書き、あるいは啓示の書のことである)。

『英知』とは、諸学問、あるいは人格の陶冶、あるいは知識とその実践のことである。

そしてイスラーイールの民への使徒と。「私はあなたがたの主からの印を携えてあなたがたの許にやって来た。私があなたがたのために泥で鳥の形のようなものを創り、それに息を吹き込むとそれはアッラーの御許しによって鳥となるということである。また、私はアッラーの御許しによって盲人とライ患者を癒し、死者を生き返らせる。また、私はあなたがたがなにを食べ、なにを家に蓄えているかをあなたがたに告げる。まことに、その中にはあなたがたへの印がある。もし、あなたがたが信仰者であれば」。(3:49)

『そして…』われらは彼を(使徒と)なした。

『イスラーイールの民への』少年期に。あるいは成人後。それから、ジブリールは彼女の肌着の襟に息を吹き込み、すると彼女は妊娠した。その後の彼女のことは第19章[マルヤム]で述べられた通りであった。さて、アッラーが彼(イーサー)をイスラーイールの民に遣わし給うと、彼は彼らに、自分はおまえたちへのアッラーの使徒である、と言った。

イーサーはイスラーイールの民に遣わされた最後の使徒であった。イーサーは30代の始めに使徒として遣わされ、33才の時に天に上げられたと言われるが、根拠が薄い。使徒として遣わされたのは40代の初めであり、天に上げられる前に120年地上で生活したと多くの者は考える。これについては第55節で詳しく説明する。

『私は…』つまり、私が…ということよって。

『使徒と』にかかる。「私は、印を携えてやってきたということで、アッラーのお前たちに対する使徒である」。

『あなたがたの主からの印を携えて』私の真実性を証する印を携えて。

『あなたがたの許にやって来た』それ(その印)は(次の通りである)。

『私が…』それは、私が…ということである。

つまり、私がそれを携えて来た印は、私が…することである(cf., al=Samīn al=Halabī, al=Durr al=Masūn, vol.2, p.104)。

「’inni」とする読誦法もある。その場合、新しい文章である。

『あなたがたのために泥で鳥の形のようなものを』そのような形をしたものを。「ka(ようなもの)」は動詞の目的語の名詞。

『創り』形作り。

『それに息を吹き込む』代名詞(「それ」)は『…のようなもの』。

『アッラーの御許しによって』彼の御意志によって。

『鳥』「tayran(鳥)」は、別の読誦法では、「tā’iran(飛ぶもの)」と読む。

そこで彼は彼らにコウモリを創った。なぜなら、それ(コウモリ)は最も完成した鳥だからである。それは彼らが見つめる中を飛び、彼らの目に見えないところに行くと、落ちて死んだ。

『…ということである』「’anna(ということである)」は、「’inna(ということである)」と読む読誦法もある。その場合は、新しい文となる。

『アッラーの御許しによって』彼を神だとする思い込みを禁じるための繰り返しである。

『盲人と』盲目で生まれた者と。

『ライ患者を』この両者に特に言及があるのは、難病だからである。

『癒し』治し。彼が遣わされたのは医学の(多くの病ゆえに医学が必要とされた)時代であった。そして、彼は信仰を条件に、祈りによって一日に5万人を癒した。

当時は病が蔓延り、ライ病が猛威を振るっていたため、病の治癒というその種の奇跡をアッラーは彼らに示し給うたのである。

『死者を生き返らせる』彼(イーサー)は彼の友人アーザル(ラザロ)、アル=アジューズ(老人)の息子、10分の1税の徴収者の娘を生き返らせた。彼らは生き、子供をなした。また、サーム・ブン・ヌーフはその場で死んだ。

イーサーは4人の死者を生き返らせた。一人は友人のアーザル(ラザロ)で、イーサーが彼の許に着いた時には死後3日経っていた。彼の墓に行ったイーサーがアッラーに祈ると、アーザルは生き返って墓から出て来た。さらに、老人の息子、10分の1税の徴収者の娘であった。これら3人はその後に子を成した。4人目はサーム・ブン・ヌーフで、人々がイーサーに、「おまえが生き返らせた者は、実際には死んでいなかったのだ。もしおまえがそのようなことができるというなら、サーム・ブン・ヌーフを蘇らせてみよ」と言って、彼の墓を指さした。サーム・ブン・ヌーフは4000年前に死んでいた。そこで彼は「アッラーの最大の御名によって彼を生き返らせ給え」と祈った。するとサームは、「アッラーの霊(イーサー)に答えよ」という呼びかけを耳にし、恐怖と共に目覚めた。最後の日が来たと思って恐怖から頭の半分が白髪になっていた。彼はイーサーを信じ、人々に彼を信じるよう命じ、イーサーに2度の死の熱を味わうことがないようアッラーに祈るよう頼み、イーサーがそう祈ると、その場でサームは死んだ。

『なにを家に蓄えているかを』保存しているかを。

『あなたがたに告げる』彼は、人がなにを食べ、また何を後で食べようとしているか、目にしていないことを彼に告げた。

一説によると、イーサーは少年たちに父親がなにをしているかを言い当て、また、ある少年に、「家に行ってみるといい。おまえの家族はなになにを食べた。そして、おまえにそれを取ってある」と言った。少年は家に帰り、家族がそれを与えるまで泣いて求めた。家族は、「誰がおまえにそれを教えたのか」と尋ねた。彼が、「イーサーだ」と答えると、家族の者たちは少年たちをイーサーから遠ざけ、「あの魔法使いと一緒にいてはいけない」と言って、彼らをある家に集めた。そこへイーサーが少年たちを訪ねてやって来ると、家の者たちは、「ここにはいない」と言った。イーサーが、「では、家にいるのは何か」と尋ねると、彼らは「豚である」と答えた。すると、イーサーは、「彼らがその通りになるように」と言った。彼らが家の扉と開けると、少年たちは豚となっていた。それがイスラーイールの民の間に広まり、知られるところとなり、彼らは彼を襲おうとした。母は息子イーサーの身を案じ、彼をロバに乗せてエジプトに逃れ出た。

カダーダによれば、これは食卓を下したことに関連したもので、食卓が彼らに下る度、そこには楽園の食べ物があった。欺いてその食べ物を保管しておいてはならない、と命じられていたが、彼らは欺いて保管した。すると、イーサーは、彼らがその食卓から食べたものと、取っておいたものを言い当て、アッラーは彼らを豚に変え給うた。

『その中には』既述のことの中には。

『あなたがたへの印がある』この出来事はこれに先立って言及された病人の回復や死者の甦りと共にイーサーの預言者性をはっきりと証明するものであった。なぜなら、隠されたことについてアッラーによって明かされたことを告げることは預言者でなければできないことだからである。

占い師や巫女と預言者の違いは、占い師は星座などの媒体を用いなければ告げることができず、巫女はジンの助けを必要とし、どちらもしばしば間違うが、預言者のお告げは天から下されたアッラーの啓示によるものにほかならず、一切の媒体を必要としないという点である。

『もし、あなたがたが信仰者であれば』この条件文の帰結文「この印から益を得るであろう」は省略されている。

「また、私の前の律法の真実性を証しし、あなたがたに禁じられたものの一部をあなたがたに許すために。そして、私はあなたがたの主からの印を携えて来た。それゆえ、アッラーを畏れ身を守り、私に従え」。(3:50)

『私の前の』私以前の。

ムーサーとイーサーの間には1975年の年月があった。

『あなたがたに禁じられたものの一部を』その(律法の)中で(禁じられたものの)。彼は、魚と、けづめのない鳥を許した。あるいは、すべてである、とも言われる。つまり、『一部』とは「あらゆる」という意味である。

『禁じられたものの一部』とは、『ユダヤの者にわれらはすべての爪のあるものを禁じ…』(第6章[家畜]146節)、『ユダヤの者のうちある者たちの不正のせいでわれらは彼らに許してあった良いものを禁じた…』(第4章[女]160節)にあるようなものである。また、土曜における労働の禁止もこのうちに含まれる。彼らに課せられたこれらの禁止は、イーサーが遣わされた時に取り上げられた。

『あなたがたに許すために』私はおまえたちの許に来た。

『そして、私はあなたがたの主からの印を携えて来た』強調のための繰り返し。また、これに次(の文節)が続くようにするためである。

つまり、私がおまえたちに命令を下した時、私はあなたがたの主からの印を携えて来た。既述の様々な印が現れたがゆえに、アッラーを畏れ身を守り…。(cf., al=Sāwī, Hāshiyah al=Sāwī, vol.1, p.156)。

『アッラーを畏れ身を守り、私に従え』私がおまえたちに命じるアッラーへの唯一信仰と服従において。

「まことにアッラーはわが主であり、あなたがたの主である。それゆえ彼に仕えよ。これは真っすぐな道である」。(3:51)

『まことにアッラーはわが主であり、あなたがたの主である』この言葉は彼の使徒性を証しするものである。なぜなら、すべての使徒はこの点において一致しているからである。

『これは』私がおまえたちに命じたことは。

『道』道路。

『…である』だが、彼らはそれを嘘だと否定し、それを信じなかった。

イーサーは、彼らの不信仰を察知すると、言った、「アッラーに向かう私の援助者は誰か」。弟子たちは言った、「われらがアッラーの援助者です。われらはアッラーを信じます。われらがムスリムであることを証言してください」。(3:52)

『彼らの不信仰を』そして、彼らが彼を殺そうと望んでいることを。

彼を殺そうとしたのはユダヤ教徒であった。というのも、彼らは、彼が律法の中で予告されたメシアであり、彼らの宗教を破棄する者であることを知っていたからである。

『察知すると』知ると。

『アッラーに向かう』アッラーに向かって進む(避難する)。彼の宗教の支持のために。

『私の援助者は誰か』私の助力者は。

『われらがアッラーの援助者です』彼(アッラー)の宗教の助力者。彼らはイーサーを最初に信じた特に選ばれた12人の男たちであった。「弟子(al=hawārīyūna)」とは「漂白する(hawara)」からの派生語で、際立つ白さを意味する。彼らは衣服を漂白するさらし職人であったと言われる。

あるいは、彼らの色の白さ、心の純白さからそう名付けられたとも言われる。あるいは、彼らには崇拝行為の名残である輝く白さがあったためとも言われる。

一説によると、弟子たちは王たちで白い服を着ていた。王の一人が食事を作り、人々を集めた。イーサーは一つの器から食べ続けたが、それはなくならなかった。そのことが王に伝えられると、彼はイーサーを呼び、「あなたは誰か」と尋ねた。彼が、「マルヤムの子イーサーである」と言うと、彼は領地を捨て、家来と共に彼に従った。それが、ハワーリーユーンである。

また、一説によると、彼らは漁師で、白い服を着ていた。その中にはシャムウーン(シモン)、ヤゥクーブ(ヤコブ)、ユーハナー(ヨハネ)がいた。そこにイーサーが通りかかり、「あなたがたは魚を釣っているが、私に従えば、人々を永遠の命で釣り上げる者となろう」と言った。彼らが、「あなたは誰ですか」と尋ねると、「私はマルヤムの子、イーサー、アッラーのしもべにして使徒である」と言った。すると、彼らは奇跡を求めた。シャムウーンはその晩、網を投げたが、何も釣り上げることがなかった。イーサーは彼にもう一度網を投げるように命じ、彼がその通りにすると、網が破れそうになるほどの魚が釣れ、2艘の船が一杯になった。それを見て彼らはイーサーを信じた。

また一説によると、イーサーを信じて付き従った12人の男たちであった。彼らが空腹を覚え、「アッラーの霊よ、我々は飢えました」と言うと、彼は地面を手で叩き、すると各人に2枚のパンが現れた。また、彼らが喉の渇きを覚え、「喉が渇きました」と言うと、彼は地面を打ち、すると水が湧き出、彼らはそれを飲んだ。それから彼らが、「われらよりも優れた者が誰かいようか」と言うと、イーサーは、「おまえたちよりも優れた者とは、自分の手で働き、稼いだもので食べる者である」と言った。そのため、彼らは衣服を洗って賃金を得た。それで、「ハワーリーユーン」と呼ばれた。

別の一説によると、イーサーの母は彼を染め師に預けた。ある日、染め師がある用事に専念するため、イーサーにぞれぞれの服をそれぞれ指定の色に染めるように言って出掛けた。イーサーはそれをすべて一つの桶に入れ、「アッラーの御許しによって私が望むものとなれ」と言った。染め師が戻るとイーサーに尋ね、彼は自分のなしたことを染め師に言った。それを聞いた染め師は、「おまえは服を台なしにした」と嘆いた。すると、イーサーは、「立って、見てみよ」と言った。彼が服を出してみると、赤い服、緑の服、黄色の服など、望んだ以上に美しいものができあがっていた。そこにいた者たちは驚き、彼を信じた。それが、ハワーリーユーンであった。

『われらはアッラーを信じます』真実と認めます。

『われらがムスリムであることを証言してください』イーサーよ。

つまり、審判の日に、使徒たちが彼らの民に対して証言する時に、われらのために証言してください。

「われらが主よ、われらはあなたが下し給うたものを信じ、使徒に従う。それゆえわれらを証言する者たちと共に書き留め給え」。(3:53)

『あなたが下し給うたものを信じ』福音書を。

『使徒に従う』イーサーに。

『証言する者たち』あなたに対しては唯一性を、また、あなたの使徒に対しては真実性を(証言する者たち)。

あなたの預言者を真実と認め、あなたの命令に従う者たちと共にわれらの名を記し給え。われらを彼らのうちに数え、彼らの与かる恩恵にわれらも与からせ給え。

これは、証言者たちの方が弟子たちより優越していることを意味する。イブン・アッバースによれば、ムハンマドと彼のウンマの仲間にわれらを加え給え、ということである。なぜなら、彼らこそ、優越した者だからである。あるいは、『証言する者たち』とは預言者たちのことであるとも言われる。

彼らは欺き、アッラーも欺き給うた。アッラーは策謀者のうち最良の御方。(3:54)

『彼らは』イスラーイールの民の不信仰者は。

これは至高者の御言葉である。

『欺き』イーサーに対し。彼らは、彼を裏切って殺す者に彼を委ねたのである。

「欺く(makara)」とは、語源的には、隠す、という意味で、策謀によって自分のしようとすることから人の目を逸らすことである。

『アッラーも欺き給うた』彼らに対し。アッラーは、イーサーの殺害を目論む者に彼の似姿を与え給い、そのため彼らはその者を殺した。また、彼はイーサーを天に上げ給うた。

『アッラーは策謀者のうち最良の御方』それ(策謀)について最もよく御存知の御方。

人々がイーサーを殺そうと集まった時、アッラーは彼の許にジブリールを遣わし、彼を天井の隙間に入らせ、そこから彼を天に上げ給うた。ユダヤの王はタイターヌスという男を送って隙間に入らせたが、イーサーを見つけることはできなかった。アッラーは彼にイーサーに似た容貌を与え給うた。彼が隙間から出ると、人々は彼をイーサーだと考えた。彼らが、「おまえは誰か」と尋ねると、彼は、「私はおまえたちの仲間だ」と言ったが、彼らはその言葉に耳を傾けなかった。彼を殺した後、彼らは、「彼の顔はイーサーに似ているが、体は仲間のものに似ている。これがイーサーだとすればわれらの仲間はどこにいるのか。また、もしこれがわれらの仲間であれば、イーサーはどこか」と言って、彼らの間に大きな争いが起きた。

アッラーが仰せられた時のこと。「イーサーよ、われはおまえを召し、われの許に上げ、信仰を拒絶する者たちからおまえを清め、また、おまえに従う者たちを復活の日まで拒絶する者たちの上に置く者である。それから、われにおまえたちの帰り処はあり、われはおまえたちが対立していたことについておまえたちの間を裁く」。(3:55)

『アッラーが仰せられた時のこと』思い起こせ。

『われはおまえを召し』おまえの魂を取り上げ。

『われの許に上げ』現世から、死ぬことなしに。

『われはおまえを召し、われの許に上げ』の解釈には二説ある。一説によれば、われはおまえを不信仰者の手によって殺されることから守り、おまえの寿命を全うさせ、自然死させ、天に召し上げる、という意味である。もう一説によれば、ここは、「おまえをわれの許に上げ、おまえの魂を取り上げる」というのが本来の順序である。なぜなら、イーサーは天に上げられた後、天から下り、その後に死ぬからである。

『信仰を拒絶する者たちからおまえを清め』おまえを遠ざけ。

『おまえに従う者たちを』ムスリムとキリスト教徒のうち、おまえの預言者性を真理と認める者たちを。

『復活の日まで拒絶する者たちの』おまえを(拒絶する)。それはユダヤ教徒たちである。

『上に置く者である』彼ら(おまえに従う者たち)は、明白な証拠と剣によって彼ら(拒絶する者)の上に立つのである

キリスト教徒はムハンマドを認めず、不信仰に陥ったが、それでもユダヤ教徒よりは高められた。その証拠に、ユダヤ教徒は王国を失い、地上の権力を失うが、キリスト教徒の王国は残った。

『おまえたちが対立していたことについて』宗教について。

信仰を拒絶した者たち、彼らをわれは現世と来世において厳しい懲罰で懲らしめ、彼らには助け手はいない。(3:56)

『信仰を拒絶した者たち、彼らをわれは現世と』殺害、捕虜、ジズヤ(人頭税)の支払いによって。

『来世において』獄火によって。

『彼らには助け手はいない』それを防ぐ者はいない。

一方、信仰し、善行をなした者、彼は彼らに彼らの報いを十分に与え給う。アッラーは不正な者を愛し給わない。(3:57)

『彼は…十分に与え給う』三人称単数の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「fa-yuwaffī-him(彼は彼らに…十分に与え給う)」と読む読誦法と、一人称複数の接頭辞「ヌーン(n)」で「fa-nuwaffī-him(我らは彼らに…十分に与える)」と読む読誦法がある。

『アッラーは不正な者を愛し給わない』つまり、彼らに応報を与え給う。

アッラーはイーサーを天に上げ給う時、彼に見事な服を着せ、光で包み、飲食や睡眠など人間的な欲望と人間的な特徴を取り去り給い、彼は天使たちと共に飛んで行った。それを見ていた者たちのある者は、「彼はアッラーで、天に昇ったのだ」と言った。これがヤゥクービーヤ(ヤコブ派)と呼ばれる者たちである。また、ある者は、「彼はアッラーの息子で、アッラーの許に上げられたのだ」と言った。これがニストゥーリーヤ(ネストリウス派)と呼ばれる者たちである。また、ある者は、「彼はアッラーのしもべで使徒であり、アッラーの許に上げられた」と言った。これがムスリムたちであったが、不信仰に陥った前二派(ヤコブ派とネストリウス派)が彼らを圧倒し、イスラームはアッラーがムハンマドを遣わし給うまで消滅した。

一説によると、アッラーはイーサーに一片の雲を送り給うた。雲は彼を召し上げ、彼に愛着する母は泣いた。すると、彼は母に、「復活の日にわれらは一緒になる」と言った。これはライラ・アル=カドル(御稜威の日、クルアーン第97章[御稜威]参照)に聖なる館で起こったことで、イーサーは33才であった。母はその後6年生き、52才でなくなった。アル=ブハーリー、ムスリムの伝えるハディースによると、最後の時が近づくと、イーサーは下り、われらの預言者の聖法で統治し、ダッジャール(偽預言者)と豚を倒し、十字架を壊し、ジズヤ(非ムスリムへの人頭税)を課す。ムスリムのハディースによると、彼は7年間(地上に)留まる。アブー・ダーウード・アッ=タヤールスィーのハディースによれば、彼は40年間留まり、それから死に、彼に(葬儀の)礼拝が捧げられる。その(40年の)意味は天に上げられる前に地上に留まった期間(33年)と天に上げられた後で(再び地上に戻って)地上に留まる期間(7年)の合計かもしれない。

彼は死後、預言者ムハンマドの部屋に埋葬され、アブー・バクルとウマルは復活の日に二人の預言者の間から起き上がる、と言われる。

イーサーが33才で天に上げられたという根拠はなく、キリスト教徒が言っているにすぎない。

ハディースによれば、彼は120才の時に上げられた。


これは、われはおまえに、印として、英知の教訓としてそれを読み聞かせる。(3:58)

『これは』既述のイーサーのことは。

『われはおまえに』ムハンマドよ。

『印として』「natlū-hu(われは…それを読み聞かせる)」の「hu(それ)」の状態の副詞的修飾句の対格。対格(動詞の目的語の格)にしているのは指示詞「それ(dhālika)」の指示の意味機能。

これを対格にするものは、指示代名詞の中に含まれる動詞の意味機能。

『英知の教訓として』完璧な。つまり、それはクルアーンである。

『読み聞かせる』語る。

まことにイーサーのごときはアッラーの御許ではアーダムのごときである。彼を土から創り、それから彼に「あれ」と仰せられると、彼はある。(3:59)

『イーサーのごときは』彼の不思議な事柄は。

『アーダムのごときである』ちょうど彼を父なしで創るようなものである(その上に母もない)。不思議を更なる不思議に譬えた方が、より反論を断ち、心に響くからである。

『彼を土から創り』アーダムを。つまり、彼の外形を。

『彼に「あれ」と仰せられると』「人間となれ」と。

『彼はある』つまり、彼はあった。イーサーも同様である。彼に、「父親なしで、あれ」と仰せられると、彼はあったのである。

ナジュラーンのキリスト教徒が預言者を訪ね、「どうしてあなたはわれらの友を侮辱するのだ」と言った。「いったい誰のことか」と尋ねると、「イーサーのことだ。あなたは彼をアッラーのしもべだと考えている」と彼らは答えた。「そうだ。彼はアッラーのしもべである」と彼は言った。すると、彼らは、「彼のように父なしに生まれた者を見たことがあるか。父のない者がいようか。彼はアッラーの息子である」と言い、立ち去った。そこにジブリールが訪れ、「もし彼らがおまえの所にやって来たら彼らに、『まことにイーサーのごときはアッラーの御許では…』と言え」と言った。

おまえの主からの真理である。それゆえ懐疑の徒のひとりとなってはならない。(3:60)

『おまえの主からの真理である』述部。主語、つまり、「イーサーのことは」が省略されている。

『懐疑の徒のひとりとなってはならない』それについて疑う者のひとりに。

おまえに知識が訪れた後、彼についておまえと論争する者があれば、言え、「来るがいい。われらの子孫とおまえたちの子孫、われらの妻たちとおまえたちの妻たち、そしてわれら自身とおまえたち自身を呼び、嘆願し、虚言者の上にアッラーの呪いを下そう」。(3:61)

『おまえに知識が訪れた後』彼(イーサー)のことについての。

彼がアッラーのしもべであり、アッラーの使徒であることについての。

『彼についておまえと論争する者があれば』キリスト教徒で議論する者があれば。

『言え』彼らに。

『われらの子孫とおまえたちの子孫、われらの妻たちとおまえたちの妻たち、そしてわれら自身とおまえたち自身を呼び』そして彼らを集め。

『嘆願し』謙って祈り。

『虚言者の上にアッラーの呪いを下そう』「アッラーよ、イーサーについて虚偽を述べている者を呪い給え」と言うことによって。ナジュラーンの者がそのことで彼と論争した際、彼は彼らの代表団をその(嘆願の)ために呼び招かれた。すると、彼らは、「われらは、われらの件について検討し、それから来よう」と言った。彼らのうち見識のある者は、「あなたがたは彼の預言者性を認めた。預言者に呪いを祈った民で滅ぼされなかった者はない。それゆえ、男(ムハンマド)と和解し、(国に)戻れ」と言った。そこで、彼らは彼の許に行くと、彼はハサン、フサイン、ファーティマ、アリーを連れておられた。彼は彼らに、「私が祈ったら、アーミーンと言いなさい」と言われたが、彼らは呪いをかけることを拒み、ジズヤを払うことで和解した(アブー・ナイームによる伝承)。また、イブン・アッバースによると、「呪いをかけあう者たちがもし出掛けていれば、(国に)戻ったとしても、財産も家族も見出さなかったであろう」と言った。別の伝承によれば、「もし彼らが出掛けていれば、焼かれたであろう」となっている。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2005年 アラブ イスラーム学院