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【第2章 雌牛】
(2:283〜2:286)
 

おまえたちが旅行中で、書記が見つからない場合は、担保の受け取りを。相互に信頼したなら、信頼された者には託されたものを果たさせ、彼の主アッラーを畏れ身を守らせよ。証言を隠してはならない。それを隠す者、それは心が罪深い者である。アッラーはおまえたちのなすことについてよく知り給う御方。(2:283)

『おまえたちが旅行中で』つまり、旅行者であって、貸借契約をする場合。

『担保』『担保(ruhunun)』は、別の読誦法では「rihānun」と読む。「rihānun」は「rahnun(担保)」の複数形。

監訳者注:ハフス&アースィム読誦版は「rihānun」と読む。『タフスィール・アル=ジャラーライン』では「ruhunun」の読誦法を採っているが、これも「rahnun」の複数形。

『…の受け取りを』それによっておまえたちが保証を得るため。

スンナは、定住地にあって書記がいる場合にも担保をとって良いことを明らかにしている。ここでの上述の限定は、その場合の保証がより強いからである。『受け取りを』という言葉は、担保には「現物授受」が条件であることを示しているが、それには担保権者かその代理人が受け取れば足りる。

『相互に信頼したなら』つまり、債権者と債務者が信頼しあい、担保を設定しなかった場合。

『信頼された者には』債務者には。

『託されたものを』彼の債務を。

『アッラーを畏れ身を守らせよ』その(彼の債務の)履行において。

『証言を隠してはならない』もしそれを行うように呼ばれたら。

『それを隠す者、それは心が罪深い者である』(「心」が)特記されているのは、それ(心)が証言の「場所」であり、それが罪を犯せば、それ以外の部分はそれに従うからである。

それゆえ彼は、彼(証言を隠す者)を罪人たちへの懲罰をもって罰し給う。

『アッラーはおまえたちのなすことについてよく知り給う御方』何ものも彼から隠されてはいない。

天にあるものも地にあるものもアッラーに属す。おまえたちがおまえたちのうちにあるものを現そうと隠そうと、アッラーはそのことでおまえたちを清算し給う。そして、御望みの者を赦し、御望みの者を罰し給う。アッラーはすべてに全能なる御方。(2:284)

『おまえたちのうちにあるもの』悪事、それを行う決意。

『現そうと』外に見せようと。

『隠そうと』秘密にしようと。

『アッラーは』復活の日に。

『そのことでおまえたちを清算し給う』そのことをおまえたちに告げ給う。

心のつぶやきはそれを実行に移さない限り罪には問われないはずであるのに、ここでは心に隠したものも清算し給う、とはどういうことか、という疑問に対しては、清算し給う、とは精通し給うという意味で、懲罰を与え給うということではない、というのが回答である。アッラーは、しもべの心に秘めたものも外に現したものも知っておられ、恵みによって赦し、または公正さによって罰し給うのである。あるいは、この節の『おまえたちのうちにあるもの』とは、単なる心のつぶやきではなく、行動につながる断固とした決意のことであるとも考えられる。

『御望みの者を』赦すことを御望みの者を。

『御望みの者を罰し給う』罰することを御望みの者を。二つの動詞(『赦し』『罰し』)は条件節(『現そうと隠そうと』)の帰結節(『清算し』)と接続して、未完了短形で語尾を子音で(「yaghfir」「yu‘adhdhib」と)読む読誦法と、「そして彼は赦し、…罰し給う」と(新しい文章として)、語末を(直説法で「yaghfiru」「yu‘adhdhibu」と)母音「u」で読む読誦法がある。

この節は後述のように第286節『アッラーは誰にもその器量以上のものは負わせ給わない』によって破棄されたと解説する者もある。

『アッラーはすべてに全能なる御方』その中にはおまえたちの清算とおまえたちへの応報が入る。

イブン・アッバースによると、アッラーは御望みの者には大きな罪を赦し、御望みの者には自分がなにをやったか尋ねもしないような取るに足らない罪を罰し給う。

使徒は彼の主から彼に下されたものを信じ、信仰者たちもまた。誰もがアッラーを、そして彼の諸天使、彼の諸啓典、彼の使徒たちを信じた。「われらは彼の使徒たちのいずれの間にも区別をつけない」。彼らは言った、「われらは聞き、そして従った。われらが主よ、あなたの御赦しを。あなたの御許にこそ行き着く先はある」。(2:285)

『使徒は』ムハンマドは

『彼に下されたものを』クルアーンを。

『信じ』正しいとみなし。

『信仰者たちもまた』それ(『使徒は』)に接続する。

『信仰者たちもまた』には二つの解釈がある。第一説は、『使徒は』に接続し、主語として主格になる。ここで切って読む。信徒の長アリー・ブン・アビー・ターリブが、「そして信徒たちも信ずる」と読んだことが、この説の正しさを示している。…第二説は、『信仰者たち』は主語であり、『誰もが』は第二主語であり、『…を信じた』が述語である、というものである。(…)

『誰もが』非限定の撥音(n)の付加は、付加語の代替である。

つまり、(「付加語」とは)「誰も(kulllun)」の「非限定の撥音(n)の付加」が代替となっている代名詞で、それは「使徒」と「信仰者たち」、つまり「彼らは誰もが」「信じた」である(この「彼らは誰もが」の「彼ら」が「付加語」で、「非限定の撥音(n)の付加」はその代替)。

『諸啓典』複数形「諸啓典(kutubi-hi)」と単数形「啓典(kitābi-hi)」の二つの読誦法がある。

『彼の使徒たちを信じた』そして彼らは次のように言う。

『われらは彼の使徒たちのいずれの間にも区別をつけない』キリスト教徒やユダヤ教徒がしたように、一部を信じて一部を否定する、といったことをわれらはしない。

『われらは聞き、そして従った』つまり、われらに命じられたことを聴従して聞いた。

『われらが主よ、あなたの御赦しを』われらはあなたに御赦しを求める。

『あなたの御許にこそ行き着く先はある』死後の甦りによって戻される場所。

アッラーは誰にもその器量以上のものは負わせ給わない。己が稼いだものは己のためとなり、己が稼ぎ取ったものは己に撥ね返る。「われらが主よ、われらが忘れ、過ちを犯したとしても咎め給うな。われらが主よ、われら以前の者たちにあなたが負わせ給うたように、われらに重荷を負わせ給うな。われらが主よ、われらの力が及ばないものをわれらに負わせ給うな。われらを免じ、われらを赦し、われらに慈悲を垂れ給え。あなたはわれらの守護者、それゆえ不信仰の民に対しわれらを助け勝たせ給え」。(2:286)

第284節が啓示されると、信仰者たちは心に浮かぶ雑念を制することが困難であると嘆願した。そこでこの節が啓示された。

『その器量以上のものは』彼の能力の許す以上のものは。

『己が稼いだものは己のためとなり』己の稼いだ善は、己の報奨となり。

『己が稼ぎ取ったものは己に撥ね返る』己が稼ぎ取った悪は、己の責任となる。誰も他の誰の罪によって咎められることはなく、我欲(ナフス)の囁きのうち自分が稼がなかったもの(実際なさなかったこと)によって咎められることもない。

善行については『稼いだもの(mā kasabat)』であるのに対し、悪行については『稼ぎ取ったもの(mā ’iktasabat)』となっているのは、自我は悪に惹かれるため、善については何気ない行為でも報償を与え給う一方で、悪についてはよほどの行為しか咎め給わないというアッラーの寛容さを示すものである。

そして彼ら(信仰者たち)は次のように言う。

『過ちを犯したとしても』故意でなく、われらが正答を逃しても。われら以前にあなたが咎められたように(咎め給うな)。

ハディースにあるように、アッラーはすでにこのウンマ(ムスリム共同体)からそれを免じ給うておられ、ここでの祈願は、アッラーのその恩恵の再確認である。

「わがウンマ(共同体)からは過失と、失念と、強迫されて行ったことの咎が免じられた」(アル=タバラーニーの伝える伝承)。

『咎め給うな』懲罰によって。

『われら以前の者たちにあなたが負わせ給うたように』つまり、イスラーイールの民たちに。悔い改めた場合の死罪、喜捨としての資産の4分の1の拠出、不浄の場の切断など。

(不浄の場の切断とは)身体の穢れた場所と衣服の汚れた個所のことである。

イスラーイールの民は命じられたことのなにかを忘れたか、間違えたことがあったが、アッラーは速やかに彼らに罰を下し給い、許された食べ物または飲み物を罰として禁じ給うた。

『重荷を』それを運ぶのがわれらにとって重過ぎるものごとを。

『力が』能力が。

『(力が)及ばないものを』義務賦課や苦難の試練を。

深夜の礼拝の義務化や、沈没や変化や水死などの災いを負わせ給うな。

『われらを免じ』われらの罪を消し。

『われらを赦し、われらに慈悲を垂れ給え』慈悲には赦し以上のものがある。

『われらの守護者』われらの主人であり、われらの諸事を司る御方。

『それゆえ不信仰の民に対しわれらを助け勝たせ給え』彼らとの戦いにおいて、証明と征服をもたらし給うことによって。なぜなら庇護下にある者たちを敵方に対して勝たせることは守護者の務めだからである。ハディースによると、この節が啓示され、預言者がそれを読誦すると、(祈願の句を)一句読む毎に、彼に向かって、「すでにわれはなした」との声があった。

アッラーは寛容にも、しもべにどのように祈願をするのかを教え、間違いの咎を問うことを取りやめ給うた。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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