ビジュアル学習 | 注釈 | 響き | 研究 | 朗誦者紹介 | 章名一覧
 

【第2章 雌牛】
(2:249〜2:256)
 

タールートが軍隊と共に出征した時、彼は言った、「まことにアッラーはおまえたちを川で試み給う。それを飲む者は私には属さず、それを口にしない者こそ私に属す。ただし、手で一掬いする者は別である」。だが、彼らのうち少数を除き、それから飲んだ。彼と彼と共に信仰する者たちが川を渡った時、彼らは言った、「今日、われらにジャールートとその軍隊に対抗する力はない」。アッラーにまみえるものと信じる者たちは言った、「どれだけの少ない兵隊がアッラーの御許しの下、多くの兵に打ち勝ったことか。アッラーは耐える者と共にあらせられる」。(2:249)

『タールートが軍隊と共に』エルサレムから。

『出征した』出発した。 

『…時』とても暑ったため、彼らは水を求めた。

『アッラーはおまえたちを川で試み給う』おまえたちの中でアッラーに従う者と背く者が明らかになるように、おまえたちを試み給う。

タールートは、従事するものを持たない若者7万人を選び、「家を建築中の者、商売上手の商人、床入り前の新郎は私と共に出かけてはならない」と言った。その数は8万とも言われる。それは猛暑の時期で、兵士たちは水を求めた。「アッラーに祈って川を流してくれ」。それに対して、タールートは、「アッラーはおまえたちを川で試み給う」と言った。欲望に負けて水を飲んだ者は激戦の最中に命令に背くに違いないからである。

『川』ヨルダンとパレスチナの間の川。

『それを飲む者は』その水を。

『私に属さず』つまり、私の部下のうちではなく。

『それを口にしない者こそ』それを味わわない者こそ。

『ただし、手で』それで満足し、それ以上に増やさない者、その者は私に属す。

『一掬い』第1語根を母音「a」で「garfatan」と読む読誦法と「u」で「gurfatan」と読む読誦法がある。

双方とも動名詞「一掬い」の意とも、双方とも「掌の中に掬ったもの」の意とも、前者は動名詞「一掬い」で後者は「掌の中に掬ったもの」を指す、とも言われる。

『彼らのうち少数』彼らは一掬でとどめた。彼らは3百と数十人の男だったが、それは彼ら自身にも乗り物にも飲むのに十分だったと伝えられる。

『それから飲んだ』たくさん汲んで。

『彼と共に信仰する者たち』彼等は一掬で止めた者たちである。

『彼らは言った』(一掬以上の水を)飲んだ者たちは。

つまり、アッラーに背いた者たち。

解釈者の多くは、彼らは川を渡った後、ジャールートの大軍を目にして怖気づいて退却しながら、「今日、われらに力はない」とこの言葉を言ったと解釈している。一部の解釈者は背いた者たちはそもそも川を渡らず、岸に留まったまま、残る言い訳をタールートと彼に従った信仰者たちに聞かせるために呼びかけ、「今日、われらに力はない」と言ったと解釈する。

『ジャールートとその軍隊に対抗する力はない』つまり、彼らと戦う力はない。彼らは臆して川を渡らなかった。

『アッラーにまみえる』死後の甦りによって。

彼らは川を渡った者たちである。

『信じる者たち』確信する者たち。

『どれだけの』「どれだけの(kam)」は、「多く」の意味の叙述の名詞「kam」。

『兵隊』集団。

『アッラーの御許しの下』アッラーの御意志によって。

『アッラーは耐える者と共にあらせられる』援助と加勢によって。

彼らはジャールートとその軍隊に出会うと言った、「われらが主よ、われらに忍耐を注ぎ込み、われらの足を固め、不信仰の民に対しわれらに勝利を与え給え」。(2:250)

『忍耐を注ぎ込み』忍耐を注入し。

『われらの足を固め』ジハードに対する我々の心を強めることによって。

彼らはアッラーの御許しの下、彼らを打ち破り、ダーウードはジャールートを殺し、アッラーは彼に王権と英知を授け、彼の御望みのことを彼に教え給うた。もしアッラーが人々を相互に抑制させ給わなければ、大地は荒廃したであろう。だが、アッラーは諸世界の者に恩恵をもたらし給う御方。(2:251)

『アッラーの御許しの下』彼の御意志によって。

『彼らを打ち破り』彼らを粉砕し。

『ダーウードはジャールートを殺し』ダーウードはタールートの軍内にいた。

この時、ダーウードはまだ子供で、痩せて黄色い顔をし、羊飼いであり、まだ預言を授かっていなかった。彼の父イーシャーはこの時タールートの軍に加わっており、彼は13人の子供と一緒で、ダーウードは末っ子であった。ジャールートが一戦交えようとした際、イスラーイールの民は彼があまりに巨大な体躯をしていたため対戦を拒んだ。ジャールートは背丈が1マイル(4000腕尺)あり、頭には300ラトル(1ラトル=2.5キロ)の鉄兜を被っていた。タールートは兵士たちに呼びかけて言った、「彼を殺す者は誰か。その者の妻は私の娘であり、私の王国の半分を与えよう」。しかし、誰もそれに答える者はなかった。そこでタールートは従軍していた預言者シャムウィールにこの件についてアッラーに祈るよう命じた。彼がアッラーに祈ると、タールートの許に聖別の油の入った角がもたらされ、「ジャールートを殺す者は、頭に角を置き、角から油が流れ出て頭をぬらし、顔には掛からなかった者である」と告げられた。そこでタールートはイスラーイールの民を呼び集め、試みた。するとそれが起こったのはダーウードだけであった。タールートは、「この者こそ求める者である」と言い、ダーウードに向かって、「おまえにジャールートを殺すことができるか。そうすればおまえの妻は私の娘であり、おまえに私の王国の半分を与えよう」と言った。ダーウードは、「わかりました」と言うと、ジャールートの方に向かった。するとその途中に石があり、それが彼を呼び止めて言った、「ダーウードよ、私を連れて行け。私はハールーンの石である」。そこでダーウードがその石を携えると、また別の石に出会い、それが彼に言った、「ダーウードよ、私を連れて行け。私はムーサーの石である」。そこで彼はその石を携えた。それからまた別の石に出会うと、石は彼に言った、「ダーウードよ、私を連れていけ。私はおまえがジャールートを殺すための石である」。そこで彼は3つの石を袋に入れて携えた。一軍が戦闘のために整列すると、戦闘開始を呼びかけた。彼は石投げ器を手に持つと、ジャールートの方に進んだ。ダーウードはジャールートを目にすると、恐怖を覚えた。そこで、唱えて言った、「イブラーヒームの神の御名において」。それから、イスハークの神の名において石を取り出し、それからヤゥクーブの神の名において石を取り出し、それから最後の石を取り出した。3つを石投げ器に置くと、3つの石は1つの石となった。それをジャールートに放つと、アッラーが風を起こし、石は兜の前部に当たった。すると、それは頭蓋骨を貫き、うなじを抜け、彼の背後にいた30人の者を殺した。ダーウードはジャールートをタールートの前に連れて行き、イスラーイールの民は喜び、タールートは約束の通り彼に娘を娶わせ、王国の半分を与えた。

『アッラーは彼に…授け』ダーウードに。

『王権と』イスラーイールの民の王権と。

『英知を』シャムウィールとタールートの逝去後、預言者職を。彼(ダーウード)以前には、この二つ(王権と預言者職)は誰にも同時に授けられなかった。

ダーウードはタールートと40年共に過ごし、タールートの死後、7年間王国を支配した後、アッラーの許に召された。彼はシャムウィールとタールートの死後、預言を授かったが、王権と預言を共に預かった者は彼が初めてであった。それ以前は王権を預かる支族と預言を預かる支族とがあり、ダーウードは王権の支族であった。アッラーは彼に双方を授け、彼の息子スライマーンにも王権と預言を授け給うた。

『彼の御望みのことを彼に教え給うた』鎧作りや鳥の言葉など。

アッラーはダーウードに、鉄の鎖かたびらの作り方を教え給うた。それは織物のように織られたものであった。また、アッラーは彼に鳥や動物の言葉を教え給うた。

『人々を相互に』「相互」は「人々」の言い換え。

『大地は荒廃したであろう』多神教徒の勝利、ムスリムの殺害とモスクの破壊によって。

もしアッラーが、信仰者と敬虔な者たちによって不信仰者や悪人たちを阻止し給わなければ、大地は荒廃する、つまりその上に住む者も含めて荒廃する、という意味であるとも言われる。

アフマド・ブン・ハンバルの伝えるところ、イブン・ウマルによると、アッラーの御使いは、「アッラーは善良なムスリムによって彼の隣人のうち100家族を災難から防ぎ給う」と言って、『もしアッラーが人々のうち一部の者を別の一部の者によって阻止し給わなければ、大地は荒廃したであろう。だが、アッラーは諸世界の者に恩恵をもたらし給う御方』を読まれた。

『恩恵をもたらし給う御方』人々を相互抑制させることによって。

これはアッラーの印で、われらはそれをおまえに真理をもって読み聞かせる。まことにおまえはまさに遣わされた者のひとりである。(2:252)

『これは』これらの印は。

『おまえに』ムハンマドよ。

『真理をもって』真実によって。

『読み聞かせる』語り聞かす。

『まことにおまえはまさに遣わされた者のひとりである』不信仰者の彼に対する「おまえは使徒ではない」という言葉に対する論駁である。『まことに(’inna)』、その他による強調文(その他、とは「まさに(la)」である)。

これらの昔話を、本を読んだり話を耳にして知ったわけでもないのに、おまえが物語ることができるということが、おまえが使徒である証拠である。

これらの使徒のある者たちをわれらは別のある者よりも優遇した。彼らの中にはアッラーが語りかけ給うた者もあり、ある者は位階を高め給うた。また、われらはマルヤムの子イーサーには明証を与え、彼を聖霊によって支えた。もしアッラーが御望みであったならば、彼らの後の者たちは明証がもたらされた後に争いはしなかったであろう。だが、彼らは対立し、彼らの中には信仰した者もいれば、また、彼らの中には信仰を拒絶した者もいた。アッラーが御望みであったら、彼らは争わなかったが、アッラーは御望みのことをなし給う。(2:253)

『これら』主語。

『使徒』(主語『これら』の)属性(sifah)。その述部は次の句『ある者たちをわれらは別のある者よりも優遇した』。

(『使徒』は)『これら』の「説明(bayān)」とも「言い換え(badal)」とも言われる。

『ある者たちをわれらは別のある者よりも優遇した』ある者には他の者にない美徳を特に授けることで。

『彼らの中にはアッラーが語りかけ給うた者もあり』ムーサーのように。

ムハンマドにもイスラーゥ(夜の旅)の夜に語りかけ給うた。

『ある者は』つまり、ムハンマドである。

『位階を高め給うた』他の者たちよりも。その宣教が(人類に)普遍的であること、最後の預言者であること、彼のウンマ(共同体)が他の全てのウンマに勝ること、たくさんの奇跡、多くの特権によって。

『聖霊によって』ジブリールが彼(イーサー)が行くところにはどこでも同行した。

アッラーはイーサーに死者を生き返らせたり、盲人やライ患者を癒したりといった奇跡を授け、ジブリールを彼に伴わせ給うた。ジブリールは常に彼に連れ添い、最後には彼を天に上げた。

『支えた』強めた。

『もしアッラーが御望みであったならば』人類全体の導きを。

『彼らの後の者たちは』使徒たちの後の者たち、つまり彼ら使徒たちに従う各共同体。

『争いはしなかったであろう』彼らが互いに意見が分かれ、互いに異端宣告しあって。

『彼らは対立し』そうするとの御意志によって。

もしアッラーが彼らが合意するようにと御望みになれば合意したであろう。しかしアッラーは彼らが意見を違えることを御望みになったので、彼らは意見を違えた。

『彼らの中には信仰した者もいれば』その信仰を堅く保った者もいれば。

『彼らの中には信仰を拒絶した者もいた』イーサーの後のキリスト教徒のように。

『アッラーが御望みであったら、彼らは争わなかった』強調。

『アッラーは御望みのことをなし給う』御望みの者には成功を、御望みの者には失敗を。

信仰する者たちよ、われらがおまえたちに糧と与えたものから施しをせよ、取引もなく、友情もなく、執り成しもない日が来る前に。不信仰者たち、彼らは不正の者である。(2:254)

『糧と与えたものから施しをせよ』それに課せられた義務の喜捨を。

『取引もなく』身請けもできず。

そこでは、取引によって(獄火の)懲罰から我が身を贖うことのできるものを手に入れることはできない。

『友情もなく』役に立つ友人関係も。

「khullatun(友情)」とは、四肢の隙間(khilāl)に入り込む(takhallala)ような親密な関係を言う。

『執り成しもない日』アッラーの御許しなしには。それは「復活の日」である。別の読誦法では、これら3語(「取引(bay‘an)」「友情(khullatan)」「執り成し(shafā‘atan)」)を、主格で語尾を「u」の促音で(「bay‘un」「khullatun」「shaf ā‘atun」と)読む。

監訳者注:アル=スユーティー自身は、これを絶対否定の対格で語尾を撥音無しの「bay‘a」、「khullata」「shaf ā‘ata」と読む読誦を採っている。意味はほぼ同じ。

審判の日に預言者たちが執り成しをすることは、次のアナスの伝えるハディースなど、多くのハディースによって確定している。

「私(アナス)は預言者に、復活の日に、私のために執り成してくださるよう頼んだ。すると彼は『私は行う』と言われた」。アル=ティルミズィーは、これを良好なハディースと認めている。

預言者は既に(執り成しの)御許しを得た者である。あるいは(復活の日にアッラーに執り成しの)御許しを願い、御許しを得る。


『不信仰者たち』アッラーを信じない者たち。あるいは彼らに義務付けられたことを信じない者たち。

『彼らは不正の者である』彼らがアッラーの命令を本来の場以外に置いたからである。

アッラー、彼のほかに神はない。生き、維持し給う御方。まどろみも眠りも彼をとらえることはない。天にあるものも地にあるものも彼に属す。彼の御許しなしに誰が彼の許で執り成しをなし得ようか。彼らの前にあることも後ろにあることも知り給う。彼の御意志なしには、彼の知識のうちどんなものも彼らにとらえることはできない。彼の台座は天と地を覆って広がり、それらを支えることは彼を疲れさせない。彼は至高にして至大なる御方。(2:255)

この節はクルアーンの中で最も優れた節で、どんな節の読誦よりも報償が多い。それは、この節が神性の諸命題と神の肯定的表現による諸属性、否定的表現による諸属性を合わせ含むからで、そのような節はほかにない。アッラーの御使いは言われた、「クルアーンで最も大いなる節はクルシー(台座)の節である。これを読んだ者にアッラーは天使を遣わし、その天使はその時間から翌日まで彼の善行を書き留め、彼の悪行を消す」。「『アーヤ・アル=クルシー(台座の節)』を毎回の義務の礼拝の後に読んだ者に楽園に入ることを阻止するものは死だけである(死んでいないためにまだ入っていないだけである)。それを欠かさず行い続ける者は篤信者と崇拝者のほかにはいない。床に就く前にこれを読んだ者にアッラーは、彼自身と彼の隣人とその隣人と周囲の家々に安全をもたらし給う」。

アブー・フライラによるとアッラーの御使いは言われた、「朝を迎えた時に『アーヤ・アル=クルシー(台座節)』と第40章[ガーフィル]の冒頭の3節を読んだ者はその日は夕まで守り給う。そして夜にこれらを読んだ者はその晩は朝まで守り給う」。

「家で『アーヤ・アル=クルシー(台座節)』を読んだ者は30日シャイターンが彼から遠ざかり、40夜魔法使いが家に入らない。アリーよ、この節をおまえの子供と家の者と隣人に教えよ。これほど大きな節が下されたことはないのである」。

「アリーよ、人間の頭はアーダムであり、アラブ人の頭はムハンマドである。自慢で言うのではない。また、ペルシャ人の頭はサルマーンであり、ローマ人の頭はスハイブで、エチオピア人の頭はビラールである。山の頭はシナイ山で、曜日の頭は金曜で、言葉の頭はクルアーンで、クルアーンの頭は雌牛章で、雌牛章の頭は『アーヤ・アル=クルシー(台座節)』である」。

『アッラー、彼のほかに神はない』存在の中に、真に仕えるべき対象はアッラーをおいてない。

『生き』永遠に存続し。

『維持し給う御方』その被造物の世話を引き受けることの強調形。

『まどろみも』うたたねも。

つかの間の眠りも長い眠りも彼をとらえることはない。常に維持し給う御方であることの理由付けである。まどろみとは眠りに先立つ状態で、感覚が完全には去っていない。眠りの状態では、物事の知覚が絶え、それゆえ、眠りは死の兄弟と呼ばれる。

『天にあるものも地にあるものも彼に属す』所有物、被造物、しもべとして。

『彼の御許しなしに』アッラーの彼に対するその(執り成しの)許しなしに。

『誰が彼の許で執り成しをなし得ようか』つまり、誰も…なし得ない。

多神教徒は偶像が彼らの執り成しをすると考えた。それに対する返答である。執り成しを許されるのは、預言者ムハンマドと一部の預言者たち、天使たちと一部の信仰者である。

『彼らの』被造物の。

『前にあることも後ろにあることも』つまり、現世と来世のこと。

『彼の御意志なしには』使徒たちによる告知によって、その一部を彼らに教えようとの御意志なしには。

『隠されたことを知った御方で、彼の秘密は誰にも明かし給わない。ただし、彼の御心に適った使徒は別である…』(第72章26−27節)。

『彼の知識のうちどんなものも、彼らにとらえることはできない』つまり、彼の知識のうちの何物も知らない。

『彼の台座は天と地を覆って広がり』彼の知が双方(天地)を包む、とも言われ、また台座自身が、次のハディースにあるように、その巨大さ故に両者(双方)を包括する、とも言われる。「台座に対する7つの天は、太陽の表面に投げ入れられた7つの銀貨でしかない」。

イブン・アッバースによると、『彼の台座』とはアッラーの知識のことである。

アッラーの玉座(アルシュ)の支え手の天使と台座(クルシー)の支え手の天使の間には70の陰からなる覆いと70の光からなる覆いがあり、1つの覆いは通り抜けるのに500年を要する厚さである。この覆いがなければ、台座の支え手は玉座の支え手の光に燃えてしまったであろう。

『それらを支えることは』天地を支えることは。

『彼を疲れさせない』彼の重荷とはならない。

『至高にして』支配権をもってその被造物の上にある。

『至大なる御方』偉大なる御方。

宗教に強制はない。正道は迷誤から明らかにされた。それゆえ、邪神を否定しアッラーを信じる者は切れない最も堅い握りを掴んだのである。アッラーはよく聞き、よく知り給う御方。(2:256)

この節と次の節は「アーヤ・アル=クルシー(台座節)」の残りの部分とも言われる。

『宗教に強制はない』その入信への強制はない。

理性ある者は押し付けや強制されるまでもなく、躊躇なく真実の宗教を選び取るものである。

『正道は迷誤から明らかにされた』つまり、信仰は導きであり、不信仰は迷誤であることが、明らかな証拠によって、はっきりした。自分の子供たちにイスラームを強制しようとしたアンサール(援助者)の一人について啓示された。

サーリム・ブン・アウフ族のアブー・アル=ハシーンには2人の息子があったが、預言者が使命を受ける以前にキリスト教徒になっていた。その後、2人は油を運ぶアンサールの一団と共にマディーナにやってきた。アブー・アル=ハシーンは2人に強制して言った、「おまえたちがムスリムとなるまで私はおまえたちを行かせない」。そこで彼らは預言者に訴えた。父親は言った、「アッラーの御使いよ、私の一部が獄火に入るというのに、それを私は見ているというのでしょうか」。するとこの節が下され、彼は2人を行かせた。

理性ある者ならば、幸福と不幸がはっきりした後で、敢えて幸福に代えて不幸を選ぶはずはないのである。

『邪神を』悪魔、あるいは偶像。「邪神(tāgūt)」の語は単数にも複数にも用いられる。

『邪神を否定しアッラーを信じる者は』邪神を否定することがアッラーを信じることに先行しているのは、シャイターンに背き、アッラー以外のものに仕えることから離れなければアッラーを信じることができないためである。

『切れない』切断されない。

『最も堅い握りを』きつく結んだ結び目を。

「握り」の原義は手で握る場所(それは、紐を掴む場所。cf., al=Sāwī, Hāshiyah al=Sāwī, vol.1, p.121)。

『掴んだのである』握ったのである。

『よく聞き』話されることに対し。

『よく知り給う御方』行われることについて。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



↑UP↑








日本語トップ | リンクについて | サイトマップ | ヘルプ



2005年 アラブ イスラーム学院