ビジュアル学習 | 注釈 | 響き | 研究 | 朗誦者紹介 | 章名一覧
 

【第9章 回帰[アル=タウバ]】
(9:87〜9:106)
 

彼らは居残った者たちと共にいることに満足し、彼らの心には封がなされた。それで彼らは理解しないのである。(9:87)

『彼らは居残った者たちと共に』 『居残った者たち(al-khawālif)』は「khālifah」の複数形。つまり、家に居残った女性たちのことである。

『それで彼らは理解しないのである』 良いことを。

つまり、ジハードにともなう良いことを。

だが、使徒と彼と共に信じる者たちは自分の財産と命をかけて奮闘した。それらの者、彼らには良いものがある。また、それらの者、彼らこそ成功者である。(9:88)

『彼らには良いものがある』 現世と来世で。

『彼らこそ成功者である』 勝者である。

アッラーは彼らのために下を川が流れる楽園を用意し給い、彼らはそこに永遠に住まう。それは大いなる成就である。(9:89)

ベドウィンのうち弁解者が居残りを許してもらおうとやって来て、彼は彼らに許しを与えた。また、アッラーと彼の使徒に嘘をついた者は留まった。彼らのうち信仰を拒んだ者には痛苦の懲罰が襲うであろう。(9:90)

『ベドウィンのうち』「ベドウィン(al-‘a‘rāb)」とは、砂漠に住む者のことで、「アラブ人(al-‘arab)」よりも限定的である。なぜなら、アラブ人とは砂漠の住人であるか定住者であるかにかかわらずアラビア語を話す者のことだからである。

『弁解者は』 元の「tā‘」が「dhāl」に吸収・同化されたもの。つまり、元は、「al-mu‘tadhirūn」であり、意味的には、「al-ma‘dhūrūn(許された者)」であり、そのように読む読誦法もある。

「al-mu’tadhirūn」とは虚偽の言い訳によって弁解する者で、「al-ma‘dhūrūn(許された者)」は自分のなしたことにおいて言い訳が通用すると思っているが、実際には言い訳がない者のことである。

『やって来て』 預言者の許を。彼らの言い訳によって留まることについて。

『アッラーと彼の使徒に嘘をついた者』 ベドウィンの偽信者で、信仰の自称において。

『留まった』 弁解に来ることから。

アラブ遊牧民の偽信者には、預言者の許に赴き虚偽の言い訳で弁解した者と、赴かず弁解もしなかった者の2種類があった。

弱い者、病人、費やす物を見い出さない者には罪はない。もし彼らがアッラーと彼の使徒に誠実であれば。また、善をなす者には道はない。アッラーはよく赦す慈悲深い御方。(9:91)

『弱い者』 老人など。

『病人』 盲人や慢性病者など。

『費やす物を』 ジハードに。

『罪はない』 咎はない。それ(ジハード)に行かずに残っても。

『もし彼らがアッラーと彼の使徒に誠実であれば』 居残っている状態において。虚報を流したり、緩慢であったりせず、服従行為によって。

『善をなす者』 そうすること(誠実であること)によって。

『道はない』 咎め立てする道は。

『アッラーはよく赦す』 彼らに対し。

『慈悲深い御方』 彼らに対し、(それを咎め立てしないという)寛容さにおいて。

おまえに乗せてもらおうとおまえの許に来た時、おまえが、「おまえたちを乗せるものを私は持たない」と言うと、目に涙を溢れさせ、費やす物を見い出せないことを悲しんで背を向けた者たちにも。(9:92)

『おまえに乗せてもらおうと』 おまえと一緒に。遠征に。彼らはアンサールの7人で、ムカッリヌ族の者とも言われる。

ムカッリヌ族のマウキル、スワイド、アル=ヌウマーンの 3人の兄弟で、預言者に彼らを鞣革の皮製靴下と底縫いのサンダルを履かせて同行させてくれるように頼んだが、彼は「おまえたちを乗せるものを私は持たない」と答えられた。(・・・) 「おまえに乗せてもらおうと」との表現は、新旧の運搬・戦闘の道具全てを包括する。イブン・アッバースが言うには、彼らは彼に乗用獣に乗せてくれるよう頼んだ(al=Wahbah al=Zuhailī>,al=Tafsīr al=Munīr, vol.10,pp.349, 351)。

『・・・と言うと』 状態の副詞的修飾句。

『目に涙を』 「 min al-dam‘」の「min」は説明の前置詞「min」。

『溢れさせ』 流し。

『費やす物を』 ジハードのために。

『見い出せないことを』 (見い出せない)ために。

『背を向けた』 立ち去った。これは『(・・・来た)時』に対する帰結節である。

道があるのは裕福であるのにおまえに許可を願い出る者たちである。彼らは居残った者たちと共にいることに満足し、アッラーは彼らの心に封をなし給うた。それで彼らは知らないのである。(9:93)

『おまえに許可を願い出る者たちである』 居残るための。

『アッラーは彼らの心に封をなし給うた。それで彼らは知らないのである』 これと同じようなものが前述されている(第87節)。

おまえたちが彼らの許に戻ると、彼らはおまえたちに弁解する。言え、「弁解はするな。われらがおまえたちを信じることはない。アッラーはわれらにおまえたちの報せを告げ知らせ給うた。いずれアッラーはおまえたちの行いを見給い、彼の使徒もまた。それからおまえたちは見えないものも現れたものも知悉し給うた御方の許に戻される。そして、彼はおまえたちに、おまえたちのなしたことについて告げ知らせ給う」。(9:94)

『おまえたちが彼らの許に戻ると』 遠征から。

『彼らはおまえたちに弁解する』 居残ったことについて。

『言え』 彼らに。

『われらがおまえたちを信じることはない』 われらはおまえたちの言うことを真実と認めない。

『アッラーはわれらにおまえたちの報せを告げ知らせ給うた』 つまり、彼はわれらにおまえたちの状態について告げ給うた。

『いずれアッラーはおまえたちの行いを見給い』第2目的語が省略されている。つまり、「起こるのを」。つまり、いずれ彼はおまえたちの悪い行いが起こることを知り給う、ということである。(・・・)

『見えないものも現れたものも知悉し給うた御方』 つまり、アッラー。

『・・・の許に戻される』 復活によって。

『彼はおまえたちに、おまえたちのなしたことについて告げ知らせ給う』 そして、それについておまえたちに報い給う。

おまえたちが彼らの許に帰ると、彼らのことを放免してくれるよう、おまえたちにアッラーにかけて誓うであろう。それゆえ、彼らのことは放免せよ。まことに彼らは不浄であり、彼らの居留地は火獄である。彼らが稼いだものの報いである。(9:95)

『おまえたちが彼らの許に』 タブークから。

『帰ると』 戻ると。

『彼らのことを放免してくれるよう』 非難を止めて。

『おまえたちにアッラーにかけて誓うであろう』 彼らは居残ることについて許された者であることを。

『まことに彼らは不浄であり』 彼らの心の内の汚れゆえに汚れている。

彼らは、おまえたちが彼らに満足するように、おまえたちに誓う。だが、たとえおまえたちが彼らに満足しようと、アッラーは不義の民には満足し給わない。(9:96)

『たとえおまえたちが彼らに満足しようと』この条件節の帰結節、「おまえたちの満足は彼らの役には立たない」は省略されている。

『アッラーは不義の民には満足し給わない』 つまり、彼らには。おまえたちの満足は、アッラーの御怒りに対してはなんの役にも立たないのである。

ベドウィンは不信仰と偽信仰がさらに甚だしく、アッラーが彼の使徒に啓示し給うたものの掟を知らないことが一層似つかわしい。アッラーは全知にして英明なる御方。(9:97)

『ベドウィンは』 砂漠の住民は。

『不信仰と偽信仰がさらに甚だしく』 町の住民よりも。彼らの酷薄さ、彼らの本性の粗野ゆえに。また、クルアーンを耳にすることから離れているがゆえに。

『アッラーが彼の使徒に啓示し給うたもの』 規定や聖法で。

『・・・(知らない)ことが』 「‘ an」は「bi-‘an」の意。

『一層似つかわしい』 一層ふさわしい。

『アッラーは全知にして』 彼の被造物に対して。

『英明なる御方』 彼らに対する御業において。

ベドウィンの中には、費やすものを負担と捉え、おまえたちに運の転変を待ち望む者がいる。彼らにこそ悪運はある。アッラーは全聴にして全知なる御方。(9:98)

『費やすものを』 アッラーの道において。

『負担と捉え』 処罰であり、損失であると。なぜなら、彼らはその報奨を期待していないからである。ただ、彼らは(ムスリムに対する)恐れからそれを費やしたのである。彼らとは、アサド族とガタファーン族である。

『おまえたちに運の転変を』 時流の転変を。それがおまえたちに対して変化し、(喜捨を費やすことから)免じられることを。

『待ち望む』 待つ。

『彼らにこそ悪運はある』 つまり、懲罰と破滅は彼らの上に巡り合わせるのであり、おまえたちの上にではない。『悪(sū‘)』は(第一語根を)母音「u」で読む(「sū‘」)読誦法と、母音「a」で読む(「saw’」)読誦法がある。

『アッラーは全聴にして』 彼のしもべの言うことについて。

『全知なる御方』 彼ら(しもべ)のなすことについて。

だが、ベドウィンの中には、アッラーと最後の日を信じ、費やすものをアッラーの御許への捧げものであり、使徒の祝福であると捉える者たちもいる。いや実際、それは彼らにとっては近づきであり、いずれアッラーは彼らを彼の慈悲の中に入らせ給う。まことにアッラーはよく赦す慈悲深い御方。(9:99)

『ベドウィンの中には』 ジュハイナ族やムザイナ族のように。

『費やすものを』 アッラーの道で。

『アッラーの御許への捧げものであり』 彼への近づきの行為であり。

『使徒の』 彼への。

『祝福』 祈願。

『・・・であると』 ・・・への媒介であると。

なぜならばそれ(使徒の祈願)はあらゆる恩寵の最大の媒介であり、アッラーに対する全ての行為においてそれを顧慮しなくてはならないからである(Al=Sāwī,al=Hāshiyah al=Sāwī, vol.2,p.165)。

『それは』 彼らの出費は。

『彼らにとっては』 彼(アッラー)の御許での。

『近づきであり』 『近づき』は、(「qurubatun」と)第2語根(r)を母音「u」で読む読誦法と、(「qurbatun」と)無母音で読む読誦法がある。

『彼の慈悲の中に』 彼の楽園に。

『まことにアッラーはよく赦す』 彼に従う者に対し。

『慈悲深い御方』 彼らに対し。

移住者と援助者の最初の先行者たちと至善をもって彼らに続いた者たち、アッラーは彼らに満足し給い、彼らも彼に満足する。そして、彼は彼らに下を川が流れる楽園を用意し給い、彼らはそこに永遠に住まう。それは大いなる成就である。(9:100)

『移住者と援助者の最初の先行者たち』 彼らはバドルの戦いに参加した者たち、あるいは、サハーバ(教友)のすべてである。

『至善をもって』 行為における。

『彼らに続いた者たち』 復活の日までに。

『アッラーは彼らに満足し給い』 彼への服従に。

『彼らも彼に満足する』 彼からの報奨に。

『下を』 前置詞「・・・から( min)」を付加する読誦法(「下から」)もある。

おまえたちの周囲のベドウィンの中には偽信者があり、マディーナの住民の中にも。彼らは偽信仰に惑溺しているが、おまえは彼らを知らない。だが、われらは彼らを知っている。われらは彼らを二度懲らしめ、それから彼らは大いなる懲罰に送り返される。(9:101)

『おまえたちの』 マディーナの住民たちよ。

『周囲のベドウィンの中には偽信者があり』 アスラム族、アシュジャウ族、ギファール族のように。

『マディーナの住民の中にも』 偽信者はいる。

『彼らは偽信仰に惑溺しているが』 それに固執し、続けているが。

『おまえは彼らを知らない』 預言者に向けた言葉である。

『われらは彼らを二度懲らしめ』 現世では恥辱と殺害によって、そして、墓の懲罰によって。

イブン・マスウードによると、アッラーの御使いはわれらに説教をされ、アッラーを称え、賛美された後、「おまえたちの中には偽信者がいる。私が名を呼んだ者は立ちなさい」と言い、それから、「誰某よ、立て。おまえは偽信者である」と言われ、36人の者を名指しされた。

『大いなる懲罰に』 それは獄火である。

『送り返される』 来世で。

一方、自分たちの罪を認めた他の者たちは、正しい行いに他の悪いものを混ぜ合わせた。きっとアッラーは彼らの許に顧み戻り給う。まことにアッラーはよく赦す慈悲深い御方。(9:102)

『自分たちの罪を認めた』 居残ったことの。主部の形容である。述部は「・・・混ぜ合わせた」。

『他の者たちは』 主部である。

『正しい行いに』 それ以前の彼らのジハードのこと、あるいは自分たちの罪を認めたこと、あるいはそれ以外のことである。

『他の悪いものを』 それは彼らが居残ったことである。

この節はアブー・ルバーバと一団について啓示されたもので、彼らは、居残った者たちについて啓示されたことが耳に達すると、自分自身をモスクの柱に縛りつけ、預言者以外に彼らを解く者はない、と誓っていた。これが啓示されると、彼は彼らを解かれた。

アブー・ルバーバとは、リファーア・ブン・アブド=アル=ムンズィルのことで、彼は「アフル・アル=スッファ(列の民=モスクに寝泊りしてジハードと崇拝行為に励んだ者たち)」の一人で、自分を重い鎖で12夜縛りつけた。彼には娘があり、その娘が彼を礼拝の時、用便の時に解いてはまた縛り付けていた。
第8章[戦利品](27節)『信仰する者たちよ、アッラーと使徒を裏切ってはならない』で前述したように、彼は別の機会にも自分を縛り付け、7日間留まり、アッラーの御使いが自らの手で彼を解き放つまでは食べることも飲むこともしない、と誓い、空腹から気絶した。彼を赦す啓示が下されると、アッラーの御使いは彼の手で彼を解き放たれた。
「一団」とは、 10人とも、8人とも、5人とも、3人とも言われる。彼らはタブークの戦いに居残り、その後、それを後悔し、アッラーの御使いが旅から戻り、マディーナに近づかれると、「アッラーに誓って、われらは自分自身を柱に縛りつけ、預言者がわれらを放ち、許されるまではそれを決して解かない」と言って、自らを縛りつけた。預言者が戻られ、彼らのところを通りかかると、「これらの者は何者か」と言われた。「これらの者は、あなたに背いて居残った者で、あなたが彼らを解き放ち、彼らに満足されるまでは自分を解き放たない、とアッラーに誓っている」と人から聞き、「私は、彼らを解き放つよう命じられるまでは彼らを解き放ち、放免にすることはないとアッラーに誓う。彼らは私を避け、私とムスリムたちとの遠征を拒んで居残ったのである」と言われた。それからアッラーはこの節を下し給い、彼は彼らを許し、解かれた。

彼らの財産から喜捨を受け取れ。おまえはそれによって彼らを浄化し、清める。そして彼らに祝福を祈願せよ。まことにおまえの祝福祈願は彼らにとって安らぎである。アッラーは全聴にして全知なる御方。(9:103)

『彼らの財産から喜捨を受け取れ』 彼らの財産の3分の1を取り、それを施しとせよ。

彼らは解き放たれると言った、「アッラーの御使いよ、われらをあなたから引き止めて居残らせたこれらの財産を受け取って、それを施しとし、われらを清め、われらのために赦しを祈ってください」。すると、彼は、「私はおまえたちの財産からなにかを受け取るようには命じられていない」と言われた。すると、この節が啓示された。彼らが彼らの財産を喜捨として惜しみなく差し出した時、アッラーはそれを受け取ることを課し給い、それは彼らの悔い改めの完了の印となった。つまり、それは贖いに相当するものとなったのである。
「施しとせよ」とは、彼らの罪に対する贖いとして、ということである。罪をなした者には施しをすることがスンナとなるのである。

『おまえはそれによって彼らを浄化し、清める』 彼らの罪から。

『そして彼らに祝福を祈願せよ』 つまり、彼らのために祈れ。

『彼らにとって安らぎである』 慈悲である。彼らの悔い改めの受け入れによる安心のことだとも言われる。

アッラーこそ彼のしもべからの悔い改めを受け入れ、喜捨を受け取り給うこと、そして、アッラーこそ、よく顧み戻る慈悲深い御方であることを彼らは知らないのか。(9:104)

『喜捨を受け取り給う』 受け入れ給う。

『よく顧み戻る』 彼のしもべに対して、彼らの悔い改めを受け入れ給うことによって。

『慈悲深い御方である』 彼らに対して。

『彼らは』悔いて戻る者たちは。

『知らないのか』 この疑問文は断定のためのもので、その意図は、彼らを悔い改めと施しに駆り立てることである。

言え、「行え。アッラーはいずれおまえの行いを見給うであろうし、彼の使徒と信仰者たちもまた。そして、いずれおまえたちは見えないものと現れたものを知悉し給うた御方の許に戻され、彼はおまえたちのなしたことをおまえたちに告げ給うであろう」。(9:105)

『言え』 彼らに。あるいは、人々に。

『行え』 おまえたちの望むことを。

『アッラーはいずれおまえの行いを見給うであろう』つまり、おまえたちの行いに対しておまえたちに報い給うであろう。

『見えないものと現れたものを知悉し給うた御方』 つまり、アッラー。

『戻され』 蘇りによって。

『彼はおまえたちのなしたことをおまえたちに告げ給うであろう』 おまえたちにそれに対する報いを与え給うであろう。

また、他の者たちは、アッラーの裁決へと引き延ばされた者たちである。彼は彼らを懲らしめ給うか、彼らの許に顧み戻り給うであろう。アッラーは全知にして英明なる御方。(9:106)

『他の者たち』 居残った者の中の。

『アッラーの裁決へと』 彼らに関する。彼の御望みのままによる。

『引き延ばされた』 悔い改めを遅らされた。『引き延ばされた』は、(「murja‘ūna」と)「ハムザ(‘)」を伴う読誦法と、それ(ハムザ)なしの読誦法(「murjawna」)がある(ハフス&アースィム版は後者の読誦法を採る)。

『彼は彼らを懲らしめ給うか』 彼らを悔悟なしに死なせ給うことによって。

『アッラーは全知にして』 彼の被造物について。

『英明なる御方』 彼らに対する彼の御業において。
これは、後でやって来た3人のことで、ミラーラ・ブン・アル=ラビーウ、カアブ・ブン・マーリク、ヒラール・ブン・ウマイヤで、彼らは偽信仰ゆえではなく、(出征への)召集に怠惰と臆病ゆえに居残ったが、他の者たちのように預言者に弁解はしなかった。そこで、彼らの件は50日間留保され、人々は彼らを避け、その後、ついに彼らの悔い改めの受け入れが啓示された。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版

(2008年4月25日更新)



↑UP↑








日本語トップ | リンクについて | サイトマップ | ヘルプ



2008年 アラブ イスラーム学院