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【第2章 雌牛】
(2:84〜2:93)
 

また、われらがおまえたちから約束を取り付けた時のこと。「おまえたちは自分たちの血を流さない、また、おまえたち自身を自分の住居から追い出すことはしない」と。それからおまえたちは承認し、自ら証人となった。(2:84)

『…時のこと』われらは(次のように)言った。

『おまえたちは自分たちの血を流さない』互いに殺しあって血を流さない。

『おまえたち自身を自分の住居から追い出すことはしない』おまえたちの一部の者たちが他の者をその家から追い出さない。

『おまえたちは承認し』その約束を受け入れた。

『自ら証人となった』自分自身に対し。

その後、それ、そこの者ども、おまえたちは自分たちを殺し、一部の者を彼らの住居から追い出し、罪と侵害によって彼らに反する加担をした。そして捕虜たちがおまえたちの許に来ると、彼らの身代金を払う。それは、彼らを追い出すことは、おまえたちに禁じられているというのに。おまえたちは啓典の一部を信じ、一部を否定するのか。おまえたちの中でそのようなことをする者の報いは現世における屈辱以外にはなく、復活の日には最も痛烈な懲罰に投げ込まれる。アッラーはおまえたちのなすことを見逃す御方ではない。(2:85)
ハフス&アースィム版:その後、それ、そこの者ども、おまえたちは自分たちを殺し、一部の者を彼らの住居から追い出し、罪と侵害によって彼らに反する加担をした。そして捕虜たちがおまえたちの許に来ると、彼らを身請けする。それは、彼らを追い出すことは、おまえたちに禁じられているというのに。おまえたちは啓典の一部を信じ、一部を否定するのか。おまえたちの中でそのようなことをする者の報いは現世における屈辱以外にはなく、復活の日には最も痛烈な懲罰に投げ込まれる。アッラーはおまえたちのなすことを見逃す御方ではない。(2:85)

『それ、そこの者ども』間投詞「ヤー(…よ)」(を補う)。

『おまえたちは自分たちを殺し』互いに殺し合い。

『罪と』反逆と。

『侵害によって』不正によって。

『加担をした』協力しあった。『加担をした(tazzāharūna)』は、元の(tatazāharūnaの)第5形の挿入文字「ターゥ(t)」が「ザール(z)」に吸収・同化されたもの。また、別の読誦法ではそれが省略され、促音なしに読まれる(tazāharūna)(監訳者注:ハフス&アースィム読誦版クルアーンでは後者の読みを採用。意味は同じ)。

『捕虜たちが』『捕虜たちが(’usārā)』は、別の読誦法では、「’asrā」と読む(同義)。

『彼らの身代金を払う』金品を払うなどして捕虜の身から救う。これは彼らに命じられたことであった。読誦法によっては『彼らの身代金を払う(tafdū-hum)』でなく「彼らを身請けする(tufādū-hum)」(身代金を払うか捕虜の交換によって)と読む(監訳者注:ハフス&アースィム読誦版クルアーンでは後者の読誦法を採用)。

『それは』主題導入の代名詞。

『彼らを追い出すことは、おまえたちに禁じられているというのに』つまり、身請けを怠ることが禁じられているのと同様に。前の御言葉『…から追い出し』に繋がり、間の文は挿入文である。当時のマディーナではユダヤ教徒のクライザ族とアラブ多神教徒のアウス族、ユダヤ教徒のナディール族とアラブ多神教徒のハズラジュ族がそれぞれ同盟を組み、同盟者に加担して(ユダヤ教徒同士であっても)戦い、家を破壊し、追い出した。ところが捕虜として捕らわれた者があるとその身代金を払って身請けした。「どうして殺し合っておきながら、身代金を支払うのだ」と尋ねられると、彼らは、「身代金の支払いがわれらには命じられているからだ」と答え、「では、なぜ殺し合ったのだ」と尋ねられると、「おまえたちが同盟者を辱めるのを恥じたのだ」と答えた。

そこで至高者は(次のように)仰せられた。

『おまえたちは啓典の一部を信じ』それは、身代金の支払いである。

『一部を否定するのか』それは、殺人、追放、加担である。

『現世における屈辱以外にはなく』蔑視と恥辱。実際、彼ら(ユダヤ教徒)はクライザ族の処刑、ナディール族のシリアへの追放、貢租の賦課により辱められた。

『アッラーはおまえたちのなすことを』接頭辞を「ヤーゥ(y)」で「彼らのなす(ya‘malūna)」と読む読誦法と「ターゥ(t)」で「おまえたちのなす(ta‘malūna)」と読む読誦法がある。

それらの者は来世を代価に現世の生活を買う者たちである。彼らには懲罰が軽減されることはなく、彼らは助けを得ることもない。(2:86)

『来世を代価に現世の生活を買う』現世を来世に優先することによって。

『彼らは助けを得ることもない』それ(懲罰)から守られない。

われらはムーサーに啓典を与え、彼の後に使徒たちを遣わした。また、われらはマルヤムの子イーサーに明証を授け、聖霊によって彼を支えた。
ところが、おまえたちは、使徒が自分たちの望まないものと共に来る度、思い上がり、ある者を嘘だと否定し、また、ある者を殺しているではないか。(2:87)


『啓典を』律法の書を。

『彼の後に使徒たちを遣わした』彼ら(使徒たち)を、一人の使徒の後にまた一人の使徒と後続させた。

『マルヤムの子イーサー(マリヤの子イエス)に明証を授け』死人を生き返らせたり、唖やライ病を治したりなどの奇跡を。

『聖霊によって』被修飾語(『霊』)と修飾語(『聖』)を属格結合したもの。つまり、聖なる霊ジブリール(ガブリエル)で、彼が(そう呼ばれるのは、至高なるアッラーに対する背反から)清められているためである。ジブリールはイーサーが行くところはどこにでも同行した。

『彼を支えた』強めた。だが、彼ら(ユダヤ教徒)は身を正さなかった。

『自分たちの望まないもの』真理のうち。(自分たちの)欲さないもの。

『思い上がり』使徒への服従を傲慢にも拒み。

『ある者を』彼ら(使徒たち)のうちの。

『嘘だと否定し』イーサーの場合のように。

『殺している』過去の話題に対し未完了形が用いられている。つまり、殺した。ザカリーヤーやヤフヤーのように。

『…ではないか』『来る度に』をうけた帰結節であり、非難の意味の疑問文。

彼らは言った、「われらの心は覆われている」。いや、アッラーが彼らの不信仰ゆえに彼らを呪い給うたのであり、そのため彼らはわずかしか信じない。(2:88)

『彼らは言った』預言者を嘲って。

『われらの心は覆われている』『覆われている(gulfun)』は、「’aghlaf(覆われている)」の複数形。つまり、覆いを被っている。そのため、おまえの言うことなど気にかからない。

至高なる御方は仰せられた。

『いや』反意の辞詞。

『彼らの不信仰ゆえに』彼らが受け入れなかったのは(彼らが言うように)彼らの心の欠陥のせいではなかった。

『彼らを呪い給うた』彼らを彼の慈悲から遠ざけ、彼らを受容せず見放し給うた

『彼らはわずかしか信じない』「…しか(mā)」は少なさを強調するための虚字。つまり、彼らの信仰はごくわずかであった。

そして、彼らの持っているものを確証する啓典がアッラーの御許から来ると、以前は否定する者たちに対する勝利を祈っていたにもかかわらず、知っているものが来るとそれを否定した。アッラーの呪いが不信仰者の上にはある。(2:89)

『彼らの持っているものを』律法の書を。

『確証する啓典』クルアーン。

『以前は』彼の到来の前は。

『否定する者たちに対する勝利を祈っていた』応援を祈っていた。彼らは、「アッラーよ、終末の時に遣わされる預言者によって彼ら(不信仰者)に対して勝利をもたらし給え」と言っていた。

『知っているものが来ると』真理のうち。つまり、預言者の派遣。

『それを否定した』嫉妬と、権力を失うのではとの不安から。

最初の「…と」(『確証する啓典がアッラーの御許から来ると』)の帰結は、第二の「…と」(『知っているものが来ると』)の帰結節(「それを否定した」)が示している。

彼らが己の魂を売買した代価のなんと悪いことか。アッラーがご自分のしもべのうち御望みの者に恩恵を下し給うことを妬んでアッラーが下し給うたものを否定するとは。それで彼らは御怒りの上に御怒りを招き寄せた。不信仰者には屈辱の懲罰がある。(2:90)

『己の魂を』その受ける報いの取り分の。

『売買した』売った。

『なんと悪いことか』非限定名詞「こと(mā)」は「もの(shai’un)」の意味で、動詞「悪い」の主語を弁別する副詞句で、非難にのみ使われる用語。

『御望みの者に』使徒の使命を与えることを(御望みの者に)。

『恩恵を』啓示を。

『下し給う』第2語根を促音なしで「yunzila(全体として下し)」と読む読誦法と促音で「yunazzila(段階的に下し)」と読む読誦法がある。

『妬んで』『否定する』の「理由の動詞目的語(maf‘ūl la-hu)」(副詞句)。つまり、「…への嫉妬のために」。

『アッラーが下し給うたものを』クルアーンを。

『否定するとは』つまり、彼らが信じないことは(なんと悪いことか)。

『御怒りの上に』彼らは、律法の書の放棄とイーサーの否認により、もともと御怒りに値していた。

『御怒りを』アッラーからの。啓示されたものを彼らが信じなかったことによって。(『御怒り』が定冠詞のない)非限定名詞としているのは、重視のため。

『招き寄せた』もたらした。

『屈辱の』屈辱的な。

「アッラーの下し給うたものを信じよ」と言われると、「われらはわれらに下されたものを信じる」と言った。それ以降のものは、それが真実で、彼らがもっているものの確証であっても否定しているのである。言え、「信仰者であるならどうして以前にアッラーの預言者たちを殺しているのか」。(2:91)

『アッラーの下し給うたものを』クルアーンなどを。

『われらに下されたものを』つまり、律法の書を。

至高なる御方は(次のように)仰せられた。

『それ以降のものは』それ以外のものは。あるいはその後のクルアーンは。

『それが真実で』(「それ以降のもの」にかかる)状態の副詞的修飾句。

『確証であっても』(「それ以降のもの」にかかる)第二の状態の副詞的修飾句。

『否定しているのである』『wa yakfurūna(否定しているのである)』の「ワーゥ(wa)」は状態の副詞的修飾句の「ワーゥ」。

『言え』彼ら(ユダヤ教徒)に対して。

『信仰者であるなら』律法の書の。おまえたちはその中で預言者たちの殺害を禁じられている。これはわれらの預言者ムハンマドの時代のユダヤ教徒たちに向けた語りかけであるが、それは彼らが自分たちの祖先がしたことに満足していたからである。

『アッラーの預言者たちを殺しているのか』つまり、殺したのか。

おまえたちの許にはムーサーが明証を携えてやって来たが、その後、おまえたちは彼の後に子牛を奉った。おまえたちは不正な者だったのである。(2:92)

『明証を』(蛇に変わった)杖、(白く変色した)手、海が割れたことなどの奇跡を。

『彼の後』彼が約束の地に去った後に。

『子牛を奉った』神として。

『不正な者』それを奉ったことによって。

ムーサーの時代でさえもユダヤ教徒は不信仰だったのであるから、ムハンマドを信じなくても不思議はない。


われらがおまえたちから契約を取り付けた時のこと。われらはおまえたちの上に山岳を持ち上げていた。「われらがおまえたちに授けたものをしっかりと掴み、聞け」。彼らは、「我らは聞き、そして背いた」と言った。彼らは彼らの不信仰ゆえに心に子牛を飲み込まされたのである。言ってやれ、「おまえたちの信仰がおまえたちに命ずることのなんと悪いことよ、もし、おまえたちが信仰者であるとすればであるが」と。(2:93)

『おまえたちから契約を』律法の書の中にあるものを履行するとの契約を。

『山岳を』山を。おまえたちがそれを受け入れるのを拒んだ時、それをおまえたちの上に落とすために。

『持ち上げていた』すでに。

われらは(次のように)言った。

『しっかりと』真剣に、努めて。

『聞け』命じられたことを。

『われらは聞き』おまえの言葉を。

『そして背いた』おまえの命令に。

『心に子牛を飲み込まされた』子牛への愛がおまえたちの心に、飲み物が染み込むように染み込んだ。

『言ってやれ』彼らに。

『おまえたちの信仰が』おまえたちの律法の書への信仰が。

『おまえたちに命ずることの』子牛の崇拝の。

『なんと悪いことよ』悪いものよ。

『もし、おまえたちが信仰者であるとすればであるが』おまえたちが自称するように。ここでの意味は、信仰が子牛の崇拝を命ずるはずがないので、おまえたちは信仰者ではない、ということ。(『おまえたち』とは)彼らの父祖のことである。つまり、それと同様におまえたち自身も律法の書を信ずる者ではない。なぜなら、おまえたちはムハンマドを嘘つきとして拒絶したが、律法の書の信仰は、ムハンマドを嘘つきとして拒絶することを命じていないからである。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2005年 アラブ イスラーム学院